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朝の情報番組が「保守」って言葉の意味に真面目に言及するとは思いもよらなかった - Oct 16, 2014

朝、出がけにテレビ見てたら「そもそも、(政治の文脈での)『保守』って何なの?」という話をやってて、ついギリギリまで見てしまった。朝の情報番組といったら……というか、チャンネル桜みたいな政治思想がはっきりしてる局でもない限り、池上さんの番組以外では日本のテレビはこういう話題には触れないものなのだろうなあと思っていたので、「へえ、案外まじめにやってるんじゃん」と思って、それで見入ってしまった。

どこの局のなんていう番組かは覚えてないんだけど(って今調べたら、テレビ朝日の「モーニングバード」という番組の「そもそも総研」というコーナーだったようだ)、東大名誉教授の人(名前覚えてない)、小林よしのり氏、鈴木邦男氏の3人にインタビューしていて、僕が見て記憶してた範囲では、小林よしのり氏と鈴木邦男氏は「今保守を名乗っている人達(政党、政治家等)は、本当の意味で保守とは言えない」と言ってて、特に鈴木氏は、自身が学生運動真っ盛りの頃に右翼をやってた当時は「右翼」からも「左翼」からも嫌われてたのが「保守」だった、なんてな事も言っていた(ということは、いわゆる「ノンポリ」に近いニュアンスだったのだろうか?)。

「保守=保って守る、という字面だが、じゃあ何を保って守るの?」という素朴な疑問に対しての各人のコメントは、こんなだった(僕の理解では)。

  • 東大名誉教授の人の言う保守とは「体制確立時の主流だったものを守るのが保守。アメリカなら、独立時に中心にいたWASP層が保守。イギリスなら、議会制を立ち上げた時に議会を牛耳っていた貴族層が保守。日本なら、戦後の安保体制を守るのが保守(本流)」
  • 小林氏の言う保守とは「真の保守とは2000年スパンの伝統に基づく文化を守るもの」で、「今保守を名乗っている人達は、高度経済成長の幻影を守ろうとしているだけ」
  • 鈴木氏の言う保守も「本来の意味で言えば、外からの影響を色々と受けて変わり続けてきた寛容さに基づく文化を守るのが保守」で、「今保守を名乗っている人達が守ろうとしているのは、戦前くらいまでの短い期間で見た時の『伝統』に過ぎない」

コーナーの結びとしては、「保守を自称している人達はそれぞれ実は何を守ろうとしているのかちゃんとはっきりしないといけないんじゃないの」という感じの落し所だった。

僕自身は、「保守とは何か?」という定義付けについては、大筋では大学の一般教養レベルで教わった内容をそのまま今でも受け入れている(それ以上に納得できる説明には出会えていない)。それはどいうものかというと、僕の認識では、「保守」とは、端的に言えば現状維持が基本の態度の事。善き事か悪しき事か・正しい事か間違った事かといった価値判断は行わず、理由はどうあれ、変わったり変わらなかったりした結果いまあるものを最大限維持する、とにかく今生きてる人達がなるべく変わらずに惰性でイイ感じに生きていけることを指向するもの、だと僕は考えている。良く言えば慎重、悪く言えば日和見、他人の後追い。他の人が何か新しい事に挑戦して、それでうまくいってたら、やり方を真似て採り入れる。現状維持が基本ではあっても、全く何も変えないわけじゃなく、変えた方がよいとはっきりしてるなら渋々ではあっても変えていく。少なくとも日本人に関して言えば、僕も含めて多くの人に見られる性質だろう。

(そういう「保守」と対置される物として、人は意志の力で今より良く変われるのだ!と信じて、現状を変えてでもガンガン挑戦していこうという向きがあって、その中でも、前例のない新しい事・未来の理想に向かって変えていこうとする革新派が「左翼」で、現実にあったかどうかはともかくとして過去のどこかの時点を理想として変えていこうとする懐古・反動派が「右翼」……なのだろうと、今のところ僕は認識している。)

言う人に言わせると、僕の認識のような「保守」の説明は「保守をただのノンポリに貶めている!」てなお叱りの対象になるみたいなんだけど、僕は、そういう反応をするのは「反動」「封建」あたりと「保守」とを混同しているだけだと思ってる。だいたい、「保守的」という形容詞がどういう様子を指すのかっていうと、一般的に、より新しいもの(考え方、やり方、道具、なんでもいい)が出てきた時に、新しい物にとりあえず難癖を付けて、「自分が今まで採用していたもの」の方にしがみついてしまう事を言うじゃないすか。保守的な政治思想、これすなわち保守。これ以上に説得力のある説明、あり得なくない?(だから、例えば、そのしがみついた先が「封建」で、このご時世に「女性は家を守るべし、社会進出なんてもってのほかだ」とか言っちゃってたら「保守的な封建」だし、しがみついた先が「共産主義」で、あの中国ですら自由経済を導入しているにも関わらず「自由経済は一切認めん!」ってんなら、それは「保守的な共産主義者」と言っておかしくないと思う。)

ともかく、僕は「保守」とはそういう無色透明なものだと思ってて、ここから先の話もそういう前提での話なんだけど。

熱力学第2法則(エントロピー増大の法則)を援用すれば、現状維持だけやってたらゆるやかに劣化していき、いつかは破綻する。 ただの守りの姿勢ではなく緩やかな改善を含むのだとは言っても、基本的な態度はあくまで現状維持。高度経済成長のように、外的要因からの上向きの風に運良く乗っかる事はできるかもしれないけれど、基本的に、自分から率先してはっきりとどこかに向かおうとはしないが故に、幸せになれるかどうかは他人任せ・運任せ。 うまくいってる時期ならそれでもいいんだけど、うまくいかなくなってる時にいつまでもそのままだと、座して死を待つのみなんてことにもなってしまう。

そういう危機感というか「このままじゃいけないんだろうな」という不安感というか、そういうのがあるから、今の世の中では、大阪維新の会だったり「日本を取り戻す」な安倍首相だったりの、「今の状態から、より良い状態にダイナミックに変わろうとする」呼びかけが好まれるのだろう。

多くの人が漠然と保守的であるのなら、保守を標榜する政党や政治家が人気を集めるのは自然な事だろう。ただ、「自分は保守的な人だから、保守を標榜する人や組織を支持しよう」と、ラベルで物を見てなんとなく判断してしまっていると、見誤る。安倍首相に代表される今の政権を支えている考え方は、「なるべく現状維持」っていうより「現状からダイナミックに変える」なのだから、その時点でもう「保守」じゃないじゃないすか。

そういや今思い出したけど、例えば、自民党の改憲案見た時に思ったけど、文言の修正量の多寡じゃなくて意味合いの方を見ると、言葉尻をちょっと変えただけだけど意味がガラッと変わってた。「国家権力の暴走を縛るための憲法」というコンセプトが、「国家権力が国民を縛るための憲法」に様変わりしてた。そういうのって、「文章としてはほとんど変えてないから現状維持だよね」ってのは詭弁で、「文言を一部変えたことで、換骨奪胎して全然別物に変えてる」ってのが実際でしょ。僕はそんなのは「保守的」とは言えないと思う。

「自分達こそが国民の本来のあるべき姿を目指しているのだ」っていう「右翼」が、そんな感じで詭弁を駆使して、「よく分かんないけどなるべく自分たちのありのままで生きていきたい」っていう「保守」のラベルを勝手に借用して「代弁」して……つまり「あるべき姿」と「ありのままの姿」という別々の物を意図的に混同させて、「右傾化なんかしてないよ、保守だから中道だよ」って言いながら実質右に傾けている、本来以上の支持を集めてしまっている、そんなところがあるんじゃないかなー。

うん、我ながら今いいこと言った気がするから繰り返すけど、「あるべき姿」と「ありのままの姿」は、やっぱ違うんですよ。

「あるべき姿」を指向していて、且つ「それは、本来のありのままの姿とイコールであるはずだ、それが最も自然で美しい姿であるはずだ」と思ってるというのが、ウヨとか右翼とかっていうものなんだと僕は思ってる(「人間本来の姿として、同性愛はおかしいし、専業主婦が家庭を守ってるのが自然で、云々」っていうのも、「同性愛は動物の世界にだって当たり前にある(少数派ではあっても)し、専業主婦という業態は高度経済成長期に流行っただけであってそれ以前にはべつにそうじゃなかったし、云々」と証拠を持ち出して反論されても、考えを曲げたり改めたりしないんじゃないの? ガチガチの右の人って)。マイルドヤンキーとか、滅茶苦茶悪く言えば低学歴な、深くものを考えない態度の人の素朴な感情から、右傾化が加速してくっていうのも、背景にはそういうのがあるんじゃないかなあ。ほっとくとどうしても混同しやすいっていう。

そのあたり、「革命だ!科学だ!」って言ってた陣営のサヨ・左翼は、「あるべき」と「ありのまま」の区別にもうちょっと自覚的なんじゃないかなあ……と一瞬思ったんだけど、9条を守る系の人とか、素朴な感情ベースで運動やってる人達には、そこを自覚してない人は結構いそうだし、先導してる人達もやっぱりそこをごまかして混同して大衆を味方に付けようとしてるんだろうなあ。

とにかく僕が思うのは、似た言葉をごまかして混同させて騙して自分に有利に情勢を動かそうとする態度は、不誠実だってこと。大勢の支持を短期的には集められないとしても、誠実な態度を取り続ける馬鹿正直な(でも、できる限り誠実さを保てる範囲で他人の理解を得られるよう工夫できるような)人が、僕は好きだし、僕自身なるべくそうありたいと思うのですよ。

あと、既存の適切な名前に悪いイメージが付いてしまったからといって、既に別の意味で使われている言葉を安易に代替で使わないで欲しい、とも思う。そんな事をするくらいなら、造語で新しい名前を作る方がまだマシだ。そういう事が思いつかないくらいに素で言葉の意味を混同してしまっているんだったら、もうちょっと言葉というものに敏感になった方がいいと思う。

参考:

(……と、ここまで書いた所でちょっと不安になってWikipediaとか見てみたんだけど、僕の「保守」の捉え方は「数多ある保守に共通する普遍的な性質」の説明としては大筋で間違いではないようだったので、安心した。)

アドラー心理学とマッチョ - Jul 10, 2014

「嫌われる勇気」で紹介されているアドラー心理学がマッチョと言われて、最初に思ったのは「ええっ!? なんで!?!」だった。

僕は今の今まで、マッチョとウィンプとは以下のようなものであると認識していた。

マッチョ
激しい競争のある所で勝利した人(例えばジョックスがその典型)。自分の成功体験に基づくシゴキ教育を説く、すべての人は勝利者を目指すべきだという強い信念を持っている人。
ウィンプ
真っ向勝負で負けた、あるいは、真っ向勝負を避けて、隙間産業的なところで生きている人。すべての人が勝利者を目指す必要は無いと思っている人。

マイナージャンルで一定の評価は得つつもメジャーに打って出ようとはしない、覇気のない・最初から勝負を諦めて降りてる負け犬根性の人間は、僕にとってはウィンプだった。だから、そんな僕が共感する「嫌われる勇気」の話はマッチョとは対極にあるに違いないと思ってた。

しかし、「マッチョ」と「ウィンプ」という言葉がそれぞれ何を指すのかというのは、改めて調べてみると、人によって微妙に異なっているようだ。

結果として社会的に成功(勝利)しているかどうかという事を脇に置いて、その姿勢や考え方に着目してマッチョとウィンプを対比させると、アドラー心理学的な考え方は「マッチョ」側に分類されるという事らしい。人力検索はてなの回答の中にあった以下の要約を見て、しっくり来た。

マッチョ

自分で道を切り開いて、失敗しても他人や状況のせいにしない人

必ずしも成功者とは限らない

ウィンプ

自分で道を切り開けずにウダウダして、それを他人や状況のせいにする人

とはいっても、必ずしも負け犬とは限らない

言われてみれば確かに、世の中の誰もが憧れる各分野でトップに立つ「勝利者」と呼べるような人はそんなに大勢はいないわけで、以下の問答のような「要は勇気が自己責任!」な言い方をする人のほとんどは、トップに立つことができないまま勝負から下りて何らかの形で自分の居場所を見つけてそこに安住している人なのだろうから、ますます、上記引用の定義は妥当であるように感じられる。

まあ、実際にはウィンプなんだけどマッチョになりたくて・憧れていてマッチョ的説教を垂れ流していい気分に浸ってるだけ、っていう人もいるのかもしれんけど。

社会的成功者・勝利者になるには、運とか時勢とかコネとかの「自分の力ではどうにもならない物」が関係してくる。マッチョはそういった物を引き寄せるための行動を取りやすいとかの相関関係はあるかもしれないけど、ウィンプのままでだってそれらを手に入れることはできる。宝くじの一等を当てた人、なんてのはその代表的な例だろう。だから「マッチョになれ」「マッチョにならなきゃ幸せになれない」と言うのは正しくない。

ただ、ウィンプのまま勝利者になるにはそういう運が必要になってしまって実現可能性が読めないのに対して、精神的マッチョになるだけなら自力でどうにかできる可能性が高い、っていうのは言えると思う。運任せよりは安パイだという意味で、この方針をおすすめしたくなるわけですよ。

あと、「ウィンプな自分こそが自分なのであって、マッチョ改造人間になってしまった後の自分は自分じゃないのだ! そんな改造人間になってまで幸せになりたくはないのだ! そんなの自分じゃなくてもはや他人だ!」っていうのもあるかもだけど、そう考えてる今の自分自身だって、昔の自分と比べたら十分他人なんですよね。「サッカー選手になりたい」とかそんな感じで目をキラキラさせてた、子供の頃の希望に溢れてた自分は死んでしまって、今ここにいるのは死んだ魚のような目で疲れ切って日々の生活をこなす自分だ、みたいな。だったら、もう既に1回は死んでるんだから、今更さらにもう1回2回殺しても問題ないんじゃないの? と、僕は思っちゃいます。

冒頭のリンク先のエントリにあるように、「嫌われる勇気」では「どうすれば精神的マッチョになれるのか?」を対話形式で懇切丁寧に手ほどきしているので、「今はウィンプだけどマッチョに近づきたいと思っている人」にとっては、やはり読んでみる価値のある本だと思う。ウィンプだった過去があるからこそ、ウィンプの気持ちが分かる、ウィンプにも優しいマッチョになれる……のかもしれないし。

動物園 - Jul 02, 2014

この間、動物園行ったんですよ。天気いいしどこかに出かけたいけど適当な所が思いつかないなあ、どこがええかなあ、そういや動物園もう何年も行ってないなあ、って。

大人になって動物園行っても楽しめるんだろうかどうなんだろうか、と思いつつ行ってみたんですが、当初の想定以上に楽しんでしまいました。年間パスを買ってもいいかもと思うくらいに。

だって(園にもよるけど)可愛い動物いっぱいいるじゃんすか。ミーアキャットが目の前でちょこちょこ走り回ってすっくと立ち上がってキョロキョロしてまた走り去っていったりとか、レッサーパンダが樹上でぐでーっとしてたりとか、ペンギンが腹ばいで寝てたりとか。たまらん。超癒される。まあアニマルセラピーとかいう物があるくらいですしね。

ほんで思ったんですけど、年間パスってそう悪い選択肢でも無いんじゃないかなあって思ったんですよね。例えば東京ズーネットの4園だったら4回行ったら元が取れる(ちなみにすみだ水族館だったら2回で元取れる)んですよ。心が荒んできた時にフラッと行って癒されて帰ってくるって使い方ができるわけですよ。ペット飼うより手軽。住む所がペット可の物件かどうか気にしなくていいし、ごはんやらトイレの世話やらをしなくていいし(動物園任せ)。美味しい所だけ楽しめるわけですよ。なんて都合のいい存在。

まあ気軽に行きやすい所に動物園があるならっていう大前提があるといえばあるんですけどね……

デスマーチテックキャンプをきっかけにしてモヤモヤと考えた事 - Jun 18, 2014

この「デスマーチテックキャンプ」という闇を生み出した背景が

これか……

うさんくささ

記事を紹介している記事やブックマークコメントで、この人の事を「山師」と評している人を見かけた。山師。辞書的には投機的事業をする人の事で、転じて、詐欺師の事を指す言葉だという。そこまで強烈な断定ではないにせよ、「うさんくさい人」というニュアンスを込めてその言葉を選んだのだろうなあ、とは思う。

これを見ていて、なんとなく、ある友人を想起してしまった。そういえばその友人も、「うさんくさい」と冗談まじりに評されるような所はあった。僕はその友人を今非難するつもりではなく、単に、ふと想起させられたというだけなんだけど、何がそう感じさせたのかは、うまく言語化できていない。

  • 「部外者・異質な存在であるところの自分だからこそ、その固定観念をぶち壊して革新できるのだ!」と突っ走っているのを、エンジニアとか技術とかをより多く知っているであろう周りの人達が「それは筋が悪くて駄目だ」って言ってる、っていう構図、なのだろうか?
  • その人自身はきっと悪意からではなく善意でやっているつもりなのだろうけれども、やり方であったり結果であったりが残念な事になってしまっている、という構図の方、なのかもしれない。
  • もっと一般的に言って、問題の当事者でない人が、当事者はきっとこういう事で困っているはずだ、とか、当事者はきっとこうなっていると嬉しいはずだ、とか、(見当違いの)仮定・断定をしてしまっている、という事についてなのかもしれない。
  • それが個人の枠内で収まっていなくて、イベントの主催であるとか、会社を興すであるとか、他の人を巻き込んでいる、という事についてなのかもしれない。

……と、色々挙げてみたけど、一言では上手く言い表せずにいる。

技術的に、筋がいいか悪いか

っていうか僕自身、僕よりも多くのことを知っている人から「それは(技術的に)筋が悪い」と言われるようなことを、素人の浅知恵でよくやっているようなので、そういう意味では全然他人事ではないとも思うんだけど。

「権威と化した先人の言うことに唯々諾々と従っていては、その縮小再生産しかできない。けれども、闇雲に既存のものを否定しても、それは、既に誰かが試して、駄目だったと諦めた道かもしれない。とは言っても、先人が諦めたのにはその時なりの理由があって、今では状況が変わっていて、今こそ挑戦すべき時なのかもしれない。でもでも、まだ時期尚早かもしれない。」……こういう鶏と卵な話って、世の中にはありふれてる。ダイナブック構想だとか、ハンドヘルドPCだとか、ウェアラブルがどうとか、湧いて出てくる度に訳知り顔の古参が「また出てきたよ……あれはもう何年も前にだれそれが通って失敗した道なのに。あんなのオタクのオモチャでしかない。」って辟易して、事実その通り失敗して消えて、また湧いて出てきて、そんな繰り返しの末にiPhoneが大流行するわ僕はいまAndroidなスマホをガンガン使っているわしてるし、世の中の人達はGoogle Mapsや!Ajaxや!HTML5や!って「再発見」して今Office 365で十数年ぶりにOutlook Web Accessを使っているし、何年かに一回は電子書籍元年がやって来ている。

そういう事例を知ると、何か「うさんくさげなもの」に出会った時に自分自身が直感的に「うっ、これはあかんやつや」と思ったとしても、自分の嗅覚の方が、「筋の良し悪し」を見分ける自分の目の方が間違っているのかもしれない、と思えてきてしまう。

それで、このデスマーチテックキャンプの人がほんとに「否定されるべき駄目な事例」なのかどうかまで、僕には分からなくなってきてしまうんだよね。 色々なことに、特に人の感情とか機微とかに鈍感な僕だから分からないだけで、普通の感性を持った人には、本能と言っていいようなレベルで分かる事なのかもしれないんだけど。

フェアネス

「筋がいいか悪いか」とはまた別の言葉として、「フェアネス」がキーワードになるのかもしれない。 フェアネス、辞書的には公正さのことで、多分合法とかそういう事だと思うんだけど、僕は個人的には、もっと一般的に「人の権利を侵害しない」とか「人に迷惑をかけない」のようなニュアンスを持って捉えている気がして、まあともかく、そこら辺の概念。

「YouTubeはグレーゾーンに踏み込んだから他者を出し抜けた。我々もあんな感じで、現行法ではグレーや黒でも他に一歩先んじたサービスを作ろう!」といった見方は、フェアネスを軽視しているように思う。

これをキーワードにすると、パッと思いつく別の事例がいくつかある。

僕の中では、このあたりの人々は同じカテゴリーと認識していて、今回のデスマーチテックキャンプの人もなんとなくそのカテゴリーっぽいという印象は持っている。 (とかなんとか言ってる自分自身も結構不義理をしているので、僕の事を「フェアネスに欠けている」「うさんくさい」「信用するに値しない」と思っている人もいるのだろうけど……)

リスペクト、尊敬、尊重

あるいは、「自分が理解できない物」に対する態度なのかもしれない。

一般的に言って、自分が理解できない物を、自分が理解できる尺度に無理矢理当てはめて評価しようとするというのは、礼を失した行為であると思う。 「ようわからんけど、要するに、こういうことなんやろ! オッケーオッケー!!」と乱暴に切り刻んで、分かったフリをする(本人はそれで分かった気になっているので、フリではないんだと思うけど)と、大事な物が抜け落ちてしまう。 それをよしとするのは、その対象を軽視している事に他ならない。

自分が理解できない物を、自分には理解できないと認めて、自分が持っている尺度では計れないという事実を受け入れて、その上で、それでもなおそれには価値があるのだという事を認め、尊重し、敬意を払って、どうやって共存していくかを考える必要がある。

……っていうのは、僕とは異なる趣味・嗜好・価値観・考え方・バックボーンを持っている妻との共同生活を送る中で、僕自身もここ数年ようやっと意識するようになった事なんだけど。

それまでも、そして今も、自分自身がそういう決めつけやあてはめをやってしまう方ではあるので、やはり他人をことさら断罪できるわけではないんだけど、自分が理解できない物や考え方に対する敬意の払い方というのも、自分がその人にコミットするかどうかを考える際の1つの判断基準になるんじゃないかなあ、と思う。

結論として

色々な判断材料に基づいて、「うさんくさい」に留まらず、明確に批判・否定する人もいる。

このデスマーチテックキャンプの人が、ただのうさんくさい人なのか、それとも革新をもたらす人なのか。残念ながら僕はまだ分からないでいる。 自分の観測範囲で多くの人が「危険な香り」とか「嫌な予感」とか散々アラートを発しているのだけれども、優柔不断でフワフワしている僕は、そこまでの断定ができずにいる。

まあ、でもとりあえず、「自分とこの人の行く道は違うのだな」という事だけは分かる。

(この「行く道が違う」っていう表現、ガンダムUCでミネバがリディをフッた時のセリフ由来なんだけど、色々便利な言葉だなあって思う。「お前は間違ってる!!」と断定できないけど同意もできない時に、今後も使いそう。)

全力でこの人の言う事に乗っかりたいとか、協力したいとか、そういう風にはどこか思い切れない、一線を引いたおつきあいまでに留めておきたい感じというか。 彼が成功者になった暁には羨むかもしれないけど、でも、袂を別った事は後悔しないだろう感じというか。

ともかくそんな感じで、自分はつくづく保守的で優柔不断な人間なのだなあ、という事を意識させられた出来事なのでした。


たらたら書いた後でデスマーチテックキャンプの運営会社の評判を見てみたら、ログインして無くても見える冒頭切り出しの部分だけでもかなり壮観な眺めで、「うっ、これはどう見てもあかんやつや……」と思った。(綺麗なオチ)

How can I drag tabs with Multiple Tab Handler? / マルチプルタブハンドラがある時はどうやればタブをドラッグできるの? - Jun 03, 2014

Q

When the Multiple Tab Handler addon is installed, I cannot drag a tab to move it. Even if I start dragging on a tab, mouseover-ed tabs are selected (highlighted) instead of moving the dragged one tab.

マルチプルタブハンドラがインストールされているとタブをドラッグで移動できません。タブをドラッグしようとしても、そのタブが移動する代わりに、ポインタが上に載ったタブが選択(ハイライト表示)されるだけという結果になってしまいます。

A

The addon provides ability to select multiple tabs and do some actions for them. Long-press of your left mouse button on a tab starts the selection, moving mouse cursor selects mouseover-ed tabs, and releasing the button shows the menu for selected tabs.

On the other hand, if you move your mouse immediately after you press the left mouse button on a tab, then the tab is just dragged and moved as you expected. Remember, long-press selects tabs but short-press starts dragging of the tab. To change the threshold, see the configuration dialog of the Multiple Tab Handler.

By the way, you can select tabs without dragging. When you do ctrl-left-click on a tab, it toggles the selection state of the tab. Shift-left-click on a tab selects tabs between the clicked tab and the current tab. This behaviour is same to the one of Microsoft Excel, Windows Explorer, and others. After that, you can open the menu for selected tabs with right-click on a selected tab. If you do short-press of the left mouse button on a selected tab and start dragging immediately, then selected tabs are dragged and moved together.

このアドオンは、選択された複数のタブにまとめて同じ操作を行う機能を提供します。タブの上でマウスの左ボタンを長押しするとタブの選択が始まり、マウスカーソルと動かすとカーソルが上に載ったタブが選択され、ボタンを放すと選択されたタブのためのメニューが開かれます。

他方で、タブの上でマウスの左ボタンを押下してすぐにマウスを動かすと、タブの選択ではなく、通常通りのタブのドラッグ(移動)操作となります。憶えておいてください、長押しすると選択が始まって、長押ししないですぐにマウスを動かすとタブのドラッグです。長押しと判定する時間の閾値はマルチプルタブハンドラの設定ダイアログで変更できます。

ちなみに、長押しからのドラッグ以外の方法でもタブは選択できます。タブの上でCtrl-左クリックすると、タブの選択状態が反転されます。また、Shift-左クリックすると、クリックされたタブと現在のタブまでの間がまとめて選択されます。これはMicrosoft ExcelやWindows Explorerなどの他のアプリケーションと同じ挙動です。そうしてタブを選択した後に、選択されたタブの上でマウスの右ボタンを押すと、選択されたタブのための操作のメニューが表示されます。選択済みのタブの上でマウスの左ボタンを押下してすぐにマウスを動かすと、選択されたタブをまとめてドラッグ(移動)する事もできます。

小粋なセンスがもっと欲しかったな……ロボコップ(2014年) - May 07, 2014

リメイク版のロボコップ見たんですよ。

端的に言うと、映像格好いいしドンパチやってるし結構面白かった。でも、旧作ロボコップ(特に1)のセンスが良すぎて、それを知ってる状態で見てしまうと見劣りしちゃうなあ、と思ってしまった。

  • 旧作にはなかった生前家族との(っていうか今回マーフィーは死んでないから「生前」でもないか)交流があるのが今作の特徴だけど、それを加えたんだったら代わりに何か他の物を引いた方がいいんじゃないかなーと思った。単純に、話として結構詰め込んじゃった感があった。旧作の要素でいうと、1の全部(ロボコップ誕生)と2の半分(仲間の裏切り)が入ってるわけで、そのせいか、ゴチャゴチャしてわけわかんなくなってる気がして。例えば、仲間の裏切りは無理に入れなくてもよかったんでないかなあ?
  • とにかく旧作1ラストの、悪役副社長に対して「親会社の重役には手を出せない」という制限のせいで手を出せずにいた所での、社長の「お前はクビだ!」で制限解除されて「どうも」でズドン、という痛快さが僕には印象深くて、それを上回るカタルシスを今作では得られなかったのが、残念な所だった。
  • 悪役一味が旧作のクラレンス一味ほどにはぶっ飛んでなかったとか、ハゲヒゲのおっちゃんが小物臭が強いとか、悪役関係が肩すかし感あった。やっぱり、主人公の格好良さを引き立てるのは魅力的な悪役だよね。
  • ロボコップのデザインについて。キービジュアルとか止め画とかでは、右手が生身で露出してるとか、顔の周りがピッチリ隙間なく覆われてて旧作ほどグロくなってないとかのせいで、人がスーツ着てる感がかなりあったんだけど、実際動いててウィーンガシャンと効果音が付いてる様子を見てると、違和感は無かった。旧作も、映像見てなかったら「何この着ぐるみ?」って思ってたのかもしれないね。個人的には、黒いバージョン3よりもシルバーのバージョン1の方が好きなので、最後でバージョン1の状態に戻ってたのは嬉しかった。

まあなんというか、ドハマリするほどでもないんだけど、見て後悔するほどではない、きちんと作ってある今時の映画やなーって感じでした。

若干消化不良な感想を持った、「アナと雪の女王」 - May 07, 2014

アナと雪の女王見てきた。3D字幕。

率直な感想としては、映像美すげーなあと思いました。ほんとに雪山にいるみたい。3D映像のためだけに映画館に行く価値ありだと思います。同時上映のショートフィルムも、3Dならではの演出で面白かった。

映像美以外でも、楽しく見られる映画だなあと感じた。実はこの手のディズニー映画はちゃんと見るのは初めてだったんだけど、いちいち小ネタが効いていて、見てる人を飽きさせないなあと感心する事しきりだった。「映像が動く楽しさ」というか「動く映像だからこその楽しさ」というのか、そのための心配りが隅々にまで行き届いている。ディズニーリゾートの楽しさに通じる気がした。

いまいちノリきれなかったのは、話の運びの細かい所がアラとして気になってしまったからなのかなあ、と思ってる。(あと、字幕の翻訳。直訳が多いせいなのか、こなれた日本語になってなくて「??」ってなる事が多かった。)

  • 王と王妃が死んで3年間も王位が空白ってどうなんだ?(僕が見たある批評でもツッコまれてる)とか。アレンデールは結局何で豊かに潤ってたんだ?とか。一言でいいから、何か説明を……
  • 真実の愛が結局アナの中にあったのかエルサにあったのかが、映像からぱっと自分には分からなかった。「他人のために自分を犠牲にする」という点に着目すると身を挺してエルサを守ろうとしたアナ自身の中に真実の愛があったという事になるようにも思えるし、他方、フツーに考えればエルサの中にアナへの真実の愛があったから氷が溶けたんだよねという見方もできると思うし。パンフレットには後者だと書いてあるから、公式的にはそうっぽいけど。
  • ハンス王子の愛が偽りの物だったということはよーく分かったけど、クリストフはどうだったのかというのがよくわからないままぶん投げられてるのが気になった。アナが凍り付いたとき、クリストフは結局間に合わなくて見てただけじゃん? 真実の愛かどうか試す試練を経て、やっぱりそうじゃなかったねこれは友情だったねとか、やっぱりそうだったねこれは愛情だったねとか、何かしら結論出しておいて欲しかった。
  • ハンス王子が悪役として非常に中途半端に感じた。途中までは義理堅い好青年のように描いているのに、瀕死のアナと2人きりになった途端に手のひらを返すって、伏線が無さ過ぎてポカーンだ。

前出の批評の受け売りだなあと自分で思うけど、総じてちぐはぐな印象を受けた。「両親が死んで姉妹だけが残される」とか「愛してたと思ってた人が裏切る」とか「姉妹の愛が問題を解決する」とか「王女は真実の愛を見つけて結ばれる」とかの断片的なお話を並べて繋げて1つの映像作品にしましたというふうな。あるエピソードから次のエピソードに至るまでの「過程」の描写がことごとく欠けてるように、僕には思えた。まあ、ディズニー映画ってそういうものだよということなら、そういうものか、で納得するんだけど。

誰が言っていたか忘れたんだけど、「自動的なヒロイン」という言葉があったと記憶していて、どういう物かというと、動機付けや翻意のきっかけといった適切な心理描写も無しに何故か勝手に主人公に恋してくるという感じの、客観的に「それならそうなるのも当たり前だよね」と思えるだけの材料の積み上げを省いたままに、作者が「このキャラには最終的にこういう行動を取らせたい」と思った通りの行動だけを取らせてしまって、結果的に「なんでそのキャラがそういう行動を取ったのかが、そういう役だったから、という事でしか説明できない」状態になってしまったキャラ描写を揶揄した言葉だったと思うんだけど、それに近いものがあちこちにあるような気がするんだよね。

例えばハンス王子は、エルサが出奔したときも、アナの馬が戻ってきたときも、「面倒な事になりやがったな、クソッ」みたいな表情をチラリとも見せない。実際の計算高い人間だったら確かにそう簡単に真意を漏らすはずもないだろうし、だから自然な描写としてはそうあるべきなのかもしれないけど、大衆向けの作劇としては、それは分かりにくい。くどくても、ニヤリとした口元であるとかの細かい描写を重ねて「コイツは腹黒いキャラだ」という種を撒いておくべきじゃないだろうか。だって、べつに、ハンス王子の真意を探るサスペンス作品じゃないじゃないすか、この映画って。裏切りの直前まで、隠しておく必要がないでしょ。最初から「いかにもコイツは裏切りそうなキャラだ」と描いておいても、登場人物達にそれを気取らせてさえおかなければ、観客は「ああ、駄目だよアナ! そいつに頼っちゃ駄目!!」とハラハラさせられ、「ほらやっぱり裏切られた! あーあ……」と落胆させられて、どんでん返しで「やった!」と盛り返す、そういう楽しさは十分に味わえるはず。

単に僕に読解力・共感力が無さ過ぎるせいなのだろうか。世の中的には十分ヒットしてるようだし、そうなんだろうな。

……と思って検索したら、ハンス王子は他の登場人物に対する鏡として設定されていたという考察が見つかった。なるほど、それならキャラとしての心理描写の薄さ・動機の薄さにも納得できる。

そういう整合性がどうとかの点を気にしないで、映像美に酔いしれ、動きの面白さに目を奪われる、「アニメーション映画」を見るという事ならではの体験にフォーカスして楽しむ限りにおいては、十分楽しくて面白い映画だと思いました。小難しいこと考えないで頭空っぽにして見るのがいいってことですね、これは。雑念を抱えたまま映画館に行ってしまった僕の負けです。

Tree Style Tab prevents Firefox from hiding title bar / ツリー型タブをインストールするとタイトルバーを非表示にできなくなる? - May 06, 2014

Q

On Firefox 29 and later, I cannot hide the title bar anymore if Tree Style Tab addon is installed. Is this a bug? How can I hide the title bar?

Firefox 29以降のバージョンでTree Style Tabを使うとタイトルバーを非表示にできません。これはバグではないのですか? どうすればタイトルバーを非表示にできますか?

A

Install Tree Style Tab 0.14.2014050601 (or later) and another addon Tabs on Bottom 0.5 (or later) together. If both addons are installed, the title bar becomes hidden.

This is not a bug but a designed behavior of TST, because that affects ability hiding the title bar: "is the tab bar on top of the window or not?" Old Firefox (Firefox 28 or older) had the "Tabs on Bottom" mode, and the navigation toolbar worked like the title bar - draggable to move the window itself. Because TST moves the tab bar away from the top of the window, TST always chose the mode automatically, for the usability. However, the "Tabs on Bottom" mode has been removed on Firefox 29. If TST moves the tab bar away, you cannot move the window by dragging of the navigation toolbar anymore. To avoid such an inconvenience, now TST forces to Firefox to show its title bar.

On the other hand, Tabs on Bottom addon re-introduce the "tabs on bottom" mode to Firefox 29 and later. Because it is not a "tree" feature, and there may be some people who just want to use "tabs on bottom" mode without "tree" features, I decided to keep it as an independent addon. See also another FAQ.

ツリー型タブ 0.14.2014050601(またはそれ以降)と、別のアドオンであるTabs on Bottom 0.5(またはそれ以降)をインストールしてください。両方のアドオンが同時に有効になっていれば、タブバーが非表示になります。

これはバグではなくツリー型タブの設計上意図された挙動です。何故なら、タイトルバーを隠せるかどうかは、タブバーがウィンドウの最上部にあるかどうかに依存するからです。Firefox 28またはそれ以前の古いFirefoxには「タブを下部に表示」というモードがあり、そのモードではナビゲーションツールバーがタイトルバーのように働くようになっていました(例えば、ドラッグするとウィンドウ自体を移動できるなど)。ツリー型タブはタブバーをウィンドウの最上部から取り除いてしまうので、利便性のために、自動的に「タブを下部に表示」モードを有効にするようになっていました。しかしながら、Firefox 29ではそのモード自体が削除されてしまったため、単にタブバーをウィンドウの最上部から取り除いてしまうと、ナビゲーションツールバーのドラッグ操作ではウィンドウを移動できなくなってしまいました。このような不便を回避するために、現在、TSTはFirefoxに対して常にタイトルバーを表示するように強制する設計となっています。

他方で、Tabs on BottomアドオンはFirefox 29以降のバージョンに対し再び「タブを下部に表示」機能を提供します。その機能は「ツリー」と全く関係がなく、また、単にその機能だけを使いたい(ツリー機能は必要ない)という人がいるであろうという事から、その機能はTSTに統合せずに別のアドオンとしてリリースしています。別のFAQも参照してください。

Double-click on the empty area of the tab bar doesn't open a new tab anymore! / タブバーの余白をダブルクリックしても新しいタブが開かれなくなった - May 06, 2014

Q

On Firefox 29 (and later), I cannot open a new tab by double-click on the empty area of the tab bar, with Tree Style Tab. Is this a bug?

ツリー型タブを使っているとき、Firefox 29以降のバージョンではタブバー上の余白をダブルクリックしても新しいタブを開けません。これはバグではないですか?

A

No, it's not a bug of Tree Style Tab. In old Firefox (Firefox 28 or older), double-click on the empty area of the tab bar opened a new tab actually, but it was a feature of Firefox itself. The action was available only when you choose "Tabs on Bottom" mode, and Tree Style Tab always chose the mode automatically. In the "Tabs on Top" mode, your actions on the empty area of the tab bar worked as on the title bar - for example, it maximized the window itself on Windows. Because the "Tabs on Bottom" mode has been removed on Firefox 29, now double-click on the empty area always works as on the title bar.

Because it is not a feature related to "tree of tabs", I won't include it to TST in the future. Certainly TST already has some features not related to "tree of tabs", but there is a criterion for those exceptions: is the feature provided by Firefox itself, and does TST break it? Then, now Firefox 29 itself doesn't open a new tab by double-click on the tab bar, so TST also never do it. Sorry, but I have to draw a line somewhere.

Instead, you should use another addon who provides the feature: double-click on the empty area on the tab bar to open a new tab, for Firefox 29 and later. For example, my another addon Tabs on Bottom.

いいえ、それはツリー型タブのバグではありません。古いバージョン(Firefox 28以前)のFirefoxでは確かにタブバーの余白をダブルクリックすると新しいタブが開かれましたが、それは「タブを下部に表示」モードの時だけ使える、Firefox自体の機能です。ツリー型タブは単に、「タブを下部に表示」モードを常時有効にしていただけです。元々、「タブを上部に表示」モードでは、タブバーの余白での操作はタイトルバー上での操作と同等に扱われていました(例えば、ダブルクリックでウィンドウを最大化するなど)。「タブを下部に表示」モードがFirefox 29で削除されてしまったため、タブバーの余白でのダブルクリックは常にタイトルバー上での操作と見なされます。

この機能は「タブのツリー」というコンセプトに直接は関係しないため、今後もツリー型タブにこの機能を含めるつもりはありません。ツリー型タブはFirefox本体に元々備わっている機能をなるべく阻害しないことを目標にしており、そのために実際にツリーと関係無い機能を入れている部分もありますが、この機能については現在はFirefox本体にそもそも含まれていないので、そのような特別な対応をする予定も残念ですがありません。

なので、どうしても必要な場合は、代わりに、タブバーの余白のダブルクリックで新しいタブを開く機能を提供している別のアドオン(例えばTabs on Bottom)を併用してください。

4年越しで溜飲を下げた話 - May 02, 2014

Mozilla Corporationの人から、「なんでツリー型タブはFull Reviewを受けてないんだい? about:addonsからの検索にヒットしないから、ユーザがインストールするのに面倒だよ。You申請しちゃいなよ!(意訳)」的なメールを頂いた。ありがたいことだ。

Mozillaのアドオンポータルサイトである所のMozilla Add-onsでは、アドオンを登録するにあたってPreliminary Review(事前審査)とFull Review(完全審査)という2段階の審査がある。登録したアドオンはまずPreliminary Reviewでセキュリティ面などの大雑把な審査を必ず受けて、通過できなければそのアドオンはAMOへの掲載すらかなわない。ここで問題なしとなれば晴れて「実験的アドオン」としてサイトに掲載されるようになるけど、Firefoxのアドオンマネージャからの検索にはヒットせず、おすすめアドオンとしてもノミネートされないので、これではまだ単に「載っただけ」。そこで一定の支持を得たら、次の段階としてFull Reviewを申請して品質面その他を審査してもらえる。Full Reviewを無事通過すれば、Firefoxのアドオンマネージャからの検索にヒットするようになったり、おすすめとして紹介して貰えたりするようになる。定番アドオンと言われるような物は、代替はこのFull Reviewを通過した状態になってる。

前から見てる人は把握してるかもしれないけど、僕が作ってるアドオンのうちいくつかは、Preliminary Reviewのみ通過していて実験的アドオンのままになっている。新しく作って登録した物は当然なんだけど、それだけでなく、過去にはFull Reviewを通っていた物が、ある時を境に審査にパスしなくなってそれっきりになっている物もある。ツリー型タブもその1つだ。

何故かというと、簡単に言えば、最初のFull Reviewの頃には審査が甘かったから通過できていたのが、その後の審査基準見直しで通らなくなったということ。ただ、僕としてはこの時の裁定にはあまり納得がいってなくて、evalが危険でそれ以外の方法が安全だと思ってる人へ英訳)というエントリでタラタラ不満をぶちまけたりもしてた。

そういう経緯があったから、大人げないオッサンとしては「いやーFull Reviewしたいのは山々なんですけどねーeval()使ってるから駄目っておたくんとこの人達が言うもんですからねー」と嫌味全開で返したくもなったんだけど、そこは我慢して、審査基準に合わないと言われたからFull Reviewしてないんですよ、審査基準が変わったなら再申請するのはやぶさかでないけどそうでないなら多分通過しないと思いますよ、でもまあ確かにeval()使ってるとレビューしにくいだろうししょうがないっすね、と、そんな感じで返信するに留め……られるほどにはやっぱり大人になりきれておらず、嫌みったらしく上記のエントリ(英語の方)のURIを貼り付けてメール送信してしまいました。ああ、なんとも底の浅い人間である事よ……

でもまあ、その時のレビュワーの人とは無関係であるにせよ、公式サイドの人から「Full Reviewに値する」という評価を貰えた事には「やってやったぜ」という胸のすく思いで、4年越しで溜飲を下げたのでした。

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