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サークルクラッシャーに引っかかることについて:どうしてサークルクラッシャーに引っかかってしまうのかについて - Apr 24, 2006

ラジオクリルタイに混ざってうだうだ話してて思ったこと、話す前に思ってたことを、少しずつ小出しにしていこうPart4。

事前の打ち合わせで話題に上っていて、収録では半分しかとり上げられなかったネタ。非モテ・童貞は、どうしていわゆる「文化系女子」に惹かれるのか? そしてサークルクラッシャーに引っかかってしまうのか? ということについて。

サークルクラッシャーにも種類があるようで、まず、女性自ら積極的に引っかき回すタイプと、女性本人は特に意識してないのに周囲が勝手に暴走してクラッシュしていくタイプ。別の分類で、おとなしくて自己主張しないタイプと、スキンシップや思わせぶりな態度やらをするタイプ。とりあえず都合この2つのベクトルの組み合わせ4パターン(おとなしい故意犯、積極的な故意犯、おとなしい天然、積極的な天然)があると自分は考えている。

おとなしいタイプに対して突撃してしまうという場合については、ラジオの中で述べられていたとおりではないかと思う。つまり、自分でも優位に立てそうだという勘違いをしてしまうということ。相手が黙っているから、これは俺の話を聞きたがっているに違いない! 俺が話してもイイに違いない! みたいな。

それに対して、積極的タイプについての考察はラジオでは語られていなかったと思うので、以下、僕なりに考えてみたのだけれども。

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サークルクラッシャーに引っかかることについて:恋愛してよい空気とそうでない空気の差が分からないことについて - Apr 21, 2006

ラジオクリルタイに混ざってうだうだ話してて思ったこと、話す前に思ってたことを、少しずつ小出しにしていこうPart3。

ラジオクリルタイ収録時に、非モテアンテナはあるのかという話が出ていた。republic1963氏は「町を歩いてると、あいつ童貞だなーってのがわかる」とおっしゃっていて、逆に刺身☆ブーメラン氏は「自分には分からない(しばらく一緒にいたら分かるかも)」とおっしゃっていたのだけれども、僕はどちらかというと刺身氏の見解に同意だ。

むしろ僕は、刺身氏よりもずっとこういう事に鈍感かも知れない。よっぽどはっきり聞かなければ相手に交際相手がいるのかどうか分からないし、「彼女イナイ歴=年齢に違いない」と思ってた人に実は彼女がいたりするし、そういうものを察知する能力が僕には著しく欠けている。

それもまた、非モテの性質の一つなんじゃないだろうか、と、僕には思える。

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サークルクラッシャーに引っかかることについて:女のすることをやたらと恋愛に結び付けてしまうことについて - Apr 20, 2006

ラジオクリルタイに混ざってうだうだ話してて思ったこと、話す前に思ってたことを、少しずつ小出しにしていこうPart2。

女の子の方から消しゴムが転がってきたらその子は俺に惚れている!とか、そういう思い込みに関する話が出ていて、口を挟もうとして挟めなかった(無粋・話として面白くなさすぎて口を挟みづらかったのもある)事なんだけど、そういう妄想をついついしてしまうというのは、何でもかんでも恋愛に結び付けすぎというか、不毛な臨戦態勢というか、そんな風に僕には思える。

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ラブハラスメント - Apr 02, 2006

ラブハラスメント【love harassment】(名詞)恋愛関係などの話題をふって、相手に不快な思いをさせること。話題をふられて、不快な思いをさせられること。例:「○○君は結婚しないの?」「そもそも相手がいませんから……(何でそんな話振るんだよ急に)」「いい歳してそんなんじゃ駄目だよーもっと人付き合いとかするべきだよー」「はぁ……(そうかいそうかい俺はそんなに人間失格かい)」

先日も、間近で露骨なラブハラを目にしてしまった。目にしてしまったというか、その場に居合わせたというか、自分も片棒を担いでしまったというか、何というか。いや、言われた人がそれを気にも留めていないのならば僕の勝手な思い過ごしなんだけれども。

ラブハラでもパワハラでもセクハラでもなんでもそうだと思うけど、本人達はそれが悪いことと思ってやってるわけではないんだよなあ。嫌って言わないと絶対に分からない。下手したら、言っても「嫌よ嫌よも好きのうち」とか前向きに解釈されてしまいかねない。むしろ厚意でやってるつもりだったりもして。

ラブハラと、パワハラ・セクハラとは、根本的な部分で差異があると思う。多くの場合のラブハラの最も厄介な所は、それによって引き起こされる不快感が、外からもたらされる「嫌な奴に触られた」とかそういう感情だけでなく、内からもたらされる「こんな風に言われる自分は駄目なんだ」という劣等感を伴うという点だと思う。

パワハラは、「上司は部下に多少の横暴をふるってもよいもの」という価値観と、「上司だ部下だといっても、横暴は許されない」という価値観のぶつかり合いではないか。セクハラは、「男は度胸、女は愛嬌。女は男の引き立て役」という価値観と「男も女も平等、対等」という価値観のぶつかり合いではないか。前者が後者に自分の価値観を押しつけることが、問題に繋がるのではないか。

対するラブハラの多くのケースは、「恋愛できるのが当たり前、できないのは異常」という価値観を両者が共有している状態で、「恋愛できている者」が「恋愛できていない者」を下に見て説教をし、「できていない者」は「できている者」に対して負い目を持つという形で、被害者は、加害者だけでなく被害者自身からも責められるのではないか。二重の苦しみを感じることになってしまうのではないか。

これは偏見かもしれないけれども、内省的な人ほど引っ込み思案で恋愛の機会に恵まれず、それ故ラブハラにも遭う機会が多くなり、内省的だからまた自分を責めてしまって余計に苦しむ、そんな負のスパイラルがあるんじゃないだろうか。

愛と死の宣告 - Mar 17, 2006

自分の恋愛行為が本当に恋愛と言える物なのかどうか、未だに自信を持てず揺らぎに揺らいで、悩みに悩んでいる自分にとって、「お前は人を愛せなどしていない」と喝破されることは、死の宣告にも等しい。

何故なら、「じゃあどうすればいいの?」では済まされ得ない話だから。

だからやめちまえ、という理屈に反して、それでも自分はパートナーとの関係を続けていきたいんだ、と理に適わぬ事を口走って、矛盾している所をことさらアピールするのが、胸の奥から流れ出て咽を満たした血の赤い泡を飛び散らせながら必死で吸おうとする僕の最後の一呼吸。

焦ること - Jan 08, 2006

なんでだろう。なんでこんなに焦るんだろう。

服装のこととか、異性との付き合いであるとか、人間関係であるとか、他の普通の人が10年くらい前からやっていることに大幅周回遅れでやっと取り組み始めたこと、あるいは、まだ取り組みを始めてすらいないことがあることに、焦って仕方がない。同い年の人が、自分より若い世代が、自分より遙かに経験豊富であることに焦りを感じて仕方がない。自分が劣っていることが許せなくて仕方がない。挽回するための「残り時間」が刻一刻と減っていっていることを考えると、息が詰まる。

過ごした時間を費やしてきた先が違うだけ、と、客観的には分かっているつもり。でも、自分の過ごしてきた時間は薄っぺらく、他人の過ごしてきた時間は濃密なものである、という風に何故か主観的に僕は考えてしまう。

つまり自分が誰より圧倒的に優れていたいと思っている。なんて驕り高ぶった考え方だろう。それに気付いていながらその考えを捨てることができない。なんて情けない人間なんだろうねこの子は!(なんとなく名作劇場に出てきそうなお母ちゃん風に)

自分をしっかり持っていれば焦る事なんて無いはず。つまり僕はこの期に及んで自分というものを持てていない。

自分がないから、良くも悪くも……いや、悪いことばっかりだ、人の意見にすぐ流される。何か言われればすぐ鵜呑みにする。それで感情が大きく左右され考え方まで左右される。自分だけならまだしも、他人にまでその迷惑を広げる。たしなめられてすぐ態度を豹変させる。貶されてまた態度を変える。そんなことの繰り返しが僕の人生のすべて。

そんな僕でもそれなりに相手してもらえてることが、今はしみじみと幸せに感じられてならないのです。

見捨てられることの恐怖におびえること - Dec 13, 2005

「突然フラれるんじゃないか」とビクビクするのは、考え方が間違ってるんだよね。ケンカにならずに突然そうなる時点で、多分もう、終わってるんだと思う。

突然「サイテー!」と言われてそれっきりになってしまうのと、怒られ詰られ泣かれ叱られ……というのと、どっちがいいのか。後者を「うざい」と思ってしまうようなら、むしろ自分の方が終わってる。

常々思ってることだけど、社会人って基本的に他人に対して無関心なものだ。これは非難するべき事じゃあない。自分で自分の人生の舵を取るのは大変なことだから、他人にほいほい奉仕してたら身がもたない。必要最低限以上は、他人のためになんて動かないのが当然だ。

だから、他人は叱ってくれない。こちらが間違いを犯しても、「ああこいつは使えない奴だな」と判断して以後のつきあいを控えるようになるだけで、わざわざ間違いを正して教えてくれたりなんかしない。色々教えてもらいたければ、対価を払わなくてはならない。対価無しで教えてもらえる特権は、子供にしかない。否、親がその対価を肩代わりしてくれているにすぎない。本当に対価や打算無しで色々教えてくれるのは、自分を愛してくれている親だけなんだ。

逃げ出さずに、自分の何がいけなかったのかを叱って教えてくれるということは、それだけ、自分のことを特別に思ってくれているということなんだ。そのことを認識しないといけない。どうでもいい人間なんだったら、相手だって叱ってはくれない。叱られないって事は、どうでもいいと思われてるって事だ。叱られなくなった時点で、もう終わってるんだ。

見捨てられて終わってしまうのではなく、終わってしまってるから見捨てられるんだ、ということを、見捨てられることそのものだけを恐れる前に、思い出すべきなのだと思う。

彼女ができるということ - Dec 12, 2005

「彼女ができる」というのは、例えて言うならば、スポーツで、競技会の場においてスタートラインに立つようなものだと思う。

スタートラインに立つまでには、実力を付けるための日々の練習が必要だろうし、運も必要だろう。レギュラーになるために、代表選手に選ばれるために、皆、自分を高めたり、ライバルを蹴落としたり、神に祈ったり、様々な努力をする。その果ての勝利の栄冠が、競技会のスタートライン。だから、スタートラインに立つまでに至れなかった人と「比べれば」、「勝っている」と言えるかも知れない。

けれども、自分の競技人生全体を考えれば、その比較はほとんど無意味だ。スタートラインに立った瞬間に、また別のステージが始まっている。これからまた走らなくてはならないのだ。スタートラインに立っただけでもう勝ったも同然、だなんて思ったら大間違いだ。

本当に当たり前のことなんだけど、そのことを忘れちゃいけないよね。

いや、「だから先まで見据えて計画的に生きなくてはならない」とかそういう話じゃあなくって。どこかで最終目標を切ってしまったら、その目標を達成した時点でもう何もできなくなってしまうだろう。最終目標とかそんなことを考えない方がいいんだと思う。何かに向かって頑張るというよりも、頑張ることそのものに意義を見いだすのが、人生においては重要なのではないかと思う。

本当に当たり前のことなんだけどね。

すまんがのろけさせてくれ。 - Dec 11, 2005

改めて思った。この幸せは誰にも譲り渡せない。譲りたくない。むしろ、墓の中まで持って行く。

普遍と思うこととコミュニケーションへの意識 - Dec 02, 2005

「恋愛は普遍」だなどと誰が言ったのかというエントリを見て思った事。リンク先は長いから要約すると、「恋愛は普遍だとあなたは言ったが、普遍であるという証明がなされていない。単にあなたが、それを普遍だと思い込み、他の価値観が存在する可能性を思考から排除しているに過ぎない。」という話、になるのかな? 少なくとも僕はそう理解しましたが。

カトリックにとっては、カトリックだけが人間で、プロテスタントも異教徒も人間じゃない。だから殺しても罪にはならない。みたいな。少なくともどっかのイスカリオテの某マクスウェル大司教はそうお考えのようですが。この考え方って、逆から見れば「人間ならカトリックで当り前だろ。カトリックは普遍だ。」という話でもありますよね。

ということは、恋愛が普遍だと思ってる人にとっては、恋愛できない者はヒトではなくただの動物なのかしらん。

ウェブアクセシビリティとかそういう話をかじってると、オーバーラップしてきますね。「晴眼者で、日本語が読めて、Windows Internet Explorerを使ってて、広い画面でWebを閲覧してる人」しか意識してない、それ以外の環境があることを考え付きもしない、みたいな。音声読み上げでブラウズしてるかもしれないし、運転中で手が離せない状況でカーナビで見てるかもしれない、そういう人を排除するのか、みたいな。そして「俺は自分と近い環境の人しか想定してない。それ以外の環境の人は見んでもいい。俺はそんな人らとはコミュニケーションとりたくない。」と言われておしまい、みたいな。

まあそれを以って「考えが浅いなあ」と言ってしまうこともできるわけですけれども、あまねく全ての人を相手にコミュニケーションしろと言うのも無理な話ですから、どこかで線を引かないといけませんね。自分がコミュニケーションを取りたいと思い、実際に取る、その相手を選別するための線。

本当の意味で非モテ人とモテ人がお互いコミュニケーションをとろうとしてる例がどれだけあるんだろう。と、思った。

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