Apr 20, 2006

サークルクラッシャーに引っかかることについて:女のすることをやたらと恋愛に結び付けてしまうことについて

ラジオクリルタイに混ざってうだうだ話してて思ったこと、話す前に思ってたことを、少しずつ小出しにしていこうPart2。

女の子の方から消しゴムが転がってきたらその子は俺に惚れている!とか、そういう思い込みに関する話が出ていて、口を挟もうとして挟めなかった(無粋・話として面白くなさすぎて口を挟みづらかったのもある)事なんだけど、そういう妄想をついついしてしまうというのは、何でもかんでも恋愛に結び付けすぎというか、不毛な臨戦態勢というか、そんな風に僕には思える。

それは、女性というものをある意味で特別視しすぎている、女性は男性とは全く別の生き物だと考えている、現実の女性を知らない、といったところが理由なのではないだろうか?

……と思いもしたけれども、それだけでは終わらないような気がする。むしろ言いようによっては、全く別の生き物どころか、そもそも自分と他人という区別すらしていないのかもしれない。自分自身が「発情して」いて、自分自身が四六時中出会いを求めて飢えたギラつく目で世界を見ているから、世界もそういうものだと無意識のうちに思ってしまっているということはないだろうか。

普通の人は、恋愛に燃えて色々アピールしたりしたくなっているような――有り体に言えば「発情してる」時と、そうじゃない時というのがハッキリ別れているのではないだろうかと思う。そして、相手が発情中かどうかというのを正確に見極めることができて、それが「空気を読める」ってことで、それができないのが非モテ・童貞の一つの性質なんじゃないだろうか。年がら年中発情しっぱなしで、空気が読めなくて周囲の人間もみんな発情中なんじゃないのかと思ってしまう、そういう性質なんじゃないのだろうか。

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