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の動向はもえじら組ブログで。
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込み入った設定ばかりに満ちていて一貫した物語がないようなSFを、「ハードSF」だなんて呼んで欲しくない――SFに詳しいらしいとある友人がこういうことを言っていた。ディアスポラ(Amazon.co.jp)の1章を読み終えて、ふと思い出したんだけど。
これを読んでいて、自分の理解できないような高度な情報がどんどん現れては去ってゆくことに、自分の頭の悪さに辟易としながらも、自分と全然異なる物の見方をする人の考え方や感じ方を追体験する(しようとする)、その人になりきってその人の生きる世界に旅行することは、それだけでも十分に楽しいことだと僕は思った。
そして気がついた。これは僕がAQUA(Amazon.co.jp)/ARIA(Amazon.co.jp)を見たときの感動と同じ物なのではないか、と。
今でもやってるのかどうか知らんけど。
僕にとって、深夜のテレビ番組と言えば、なにやらよく分からない商品を満面の笑みで紹介する外人のお兄さんお姉さん達がたくさん出てくる通販の番組だった。ハイテンションな吹き替えで売り込むんだな。「いいかいジェニー、見ててごらん!」「まあ、なんてこと! あんなにあった汚れが一瞬で綺麗になっちゃったわ!」みたいな。
オライリー本とかの訳書には時々こういうノリでよく分からんジョークが挟まれてたりする。アメリカンジョークというやつなのだろうか、僕にはなかなか理解しがたいセンスだ。
でも、ふと思った。これを「日本の文化に適合するように」意訳することは可能なんじゃないのか? と。そして、その訳として適切なのはMMRばりの「な、なんだってー!!?」なんじゃないだろうか、と。いやべつにMMRじゃなくてもいいんだけど。
翻訳家にもギャグセンスって必要なんだなと思った日。
人は皆、bit列の前に平等である――耳が痛い話だ。
I君やU君のような出来ない君を私は何故採用してしまったのか。私は、彼らの実績を過大評価してしまっていた部分があるのだと思う。それでろくに採用試験もせずに採用してしまった。
過大評価されてるよ……採用試験も受けてないよ……会社の利益に貢献できてないよ……
友人が日記で紹介していた中絶動画を見た。リンクはしないので、見たい人は「hardtruth.wmv」でGoogle検索してください、と。
表面的な知識はあったと思うんだけれども、具体的にどんなことが行われるのか、どういう事が起こるのかについては、全く知らなかったため、非常に勉強になった。それなりに衝撃を受けるところはあったけれども、いわゆるグロ画像は初見というわけでもないし、相当冷めた目で見ていた僕がいる。
よくよく考えれば確かに胎児なんてのはまだ体が完全にできあがってないのだから、引っ張ればバラバラにちぎれるのも当たり前なんだろう。生まれる前の胎児なんて、かろうじて人の形を保っているんだろう。今自分が五体満足でいられるのは大事に育て生んでくれた親のおかげであるということを改めて感謝したくなった。
人の命とは神秘的なものだ、人の心は神秘的なものだ、人は思い出や文化を受け継いでいける、と考える情緒的な僕がいる。でもそれと同時に、人も所詮はタンパク質の塊だ、生命活動は継続する化学反応に過ぎない、僕も僕の好きな人達も死ねばただの生ゴミだ、そう考える冷めた僕もいる。後者の僕は、生まれるも死ぬも確率論でしかないと思っている。運良く生まれてきて今こうしているのではなく、たまたま生まれてきた自分が勝手に「自分は運がいい」と価値判断を加えているだけだ、と考えている。
中絶は、自分にとってはまだまだ、ともすれば死ぬまでずっと、縁のない事柄の先にあることだから、僕にとってはまるっきり他人事だ。実感を持って捉えることができない。甘やかされてここまで来ているから、「こういう親にはならないでおこう」という感覚もよく分からない。だからだろうか、先の映像を見ても情緒的な感慨が浮かばない。
先の映像を見て情緒的な反応を示せる人は大人だ、と思った。そんな大人に僕もなれるのだろうか? なれずに終わってしまうのだろうか?
自分のこんなところがいわゆる女脳だなあと思う瞬間。解決策を考えて欲しいんじゃなくてただ愚痴を聞いてもらいたいだけだったりするところ。結論は既に自分の中で出ていて、それを確認するために他人をダシに使おうとして、逆に説教されて違う結論を出されて段々イラついてくるところ。
うん、まあ、単なるお子ちゃまと言うのが正解だな。
明治セックル維新 新政府御性文帖→男のセックスはなぜつまらないのか?。
リンク先の要約:男はセックスで自分が気持ちよくなろうとしないから男のセックスはつまらない。感情を抑圧することに慣れているから快感も抑圧する。その代償として女を感じさせることで満足する。
まあ童貞街道絶賛邁進中の僕だからこういうことを話題としてとりあげるのも分不相応の極みだと思うわけだけれども、エロ絵とかエロマンガとか視覚文化に親しんでいる自分には、全く他人事として見過ごすことも難しい話題だと思った。趣味的にも興味深い話だから。今描こうとしてるのはふぉくす子とだば子の百合エロだし、TSものも好きだし。
なんか、代償無しに自分(男)が嬉しくなったり気持ちよくなったりしちゃいけないのかなーみたいな感覚がないこともない。自分に価値を感じられないから、自分が喜んでたり自分が気持ちよがってたりする姿なんて想像してもキモいだけで、おめえそんなもん金貰っても見たくねえよっていうかむしろ金やるからそこをどけと。吉野家コピペじゃないけどさ。
何もしないでいることが怖くて怖くて仕方がない。自分が自分であることで喜んでくれるのなんて親だけだ、という思いがある。逆に言うと、親以外の人に気に入られるためには自分は素直な自分であってはいけないという思いがある。その人の気に入る自分を演じなくてはならないと思ってしまう。
「自分のする以上に相手にして貰う」ということが怖くて仕方がない。そこまでされる理由が分からない。自分が相手に10のことをしたら2~3帰ってくれば大感謝だと思っている。自分が10のことをされたら20にでも30にでもして返さないといけないような気がしている。10しか返さなかったら、不足分の10とか20とかの分だけ痛みになって帰ってくるような気がしている。
こう考えるのも、ある意味では自分を特別扱いしてるということだから、やっぱリ僕は自己愛ばかりが強い人間なんだなあと思った。
level氏の反応とか中野さんの反応とかを見て、安易に「腐った」と表現してしまったことについて反省した。
よく考えれば、自分はリリース期限を切ってリリースした事なんてほとんど無いんだよなあ。プロジェクト管理なんてまるでしてない。Web Mapはそんな自分のやることにしては珍しく卒業制作発表の当日までという期限があって、この時は遅れようがないし一回限りの発表だということが分かってたから、できないこと・目の届かないとこは放置して発表に持ってったけど、誰が使うか分からない一般公開のソフトウェアでは、あんまり酷い状態で放置するのもまずいよなあ。
そしてエロマンガ描きのプロジェクトは順調に遅れつつあるわけですが。(←駄目過ぎ)
最近、会社帰りが辛くてたまらない。歩いてると突然、駅の構内でも暗い夜道のそこら辺でも公園のベンチでもともかくどこででも構わないんだけど、へたり込んでうずくまりたくなることがある。家まで帰り着けないような気分になる。
ふと、気がついた。これは、背中丸めてとぼとぼ歩きながらため息なんかついてるからじゃないのか? 同じ一人の道でも、朝はもっと元気よく歩いてるじゃないか。
ということで、眉間に皺を寄せて、全身に力を入れて、腹の底からハァアアーと声とも言えないような声を出して(北斗の拳でケンシロウが力むときのアレを想像してください)、何かにムカついたときみたいな心境になって、前へ前へ足を勢いよく蹴り出してみたところ、立ち止まろうという気すら起こらないうちに家までたどり着くことができた。
「気を奮い立たせる」とか言うことがあるけど、文字通り、奮い立たせると奮い立つものなんだなあ、人間って。
問題は、険しい顔をしてハァ~ハァ~息を荒げて早足で歩いてる男というのが端から見るととてつもなく怪しいであろうという点か。職質されないように気をつけないといけませんな!(論点が間違ってますよPiroさん)
メイド喫茶制服フィギュアなんてものが出るらしい。実在するメイド喫茶の制服のデザインでという話ね。
ごめん。不覚にも、ちょと欲しいかもと思ってしまった……