Oct 07, 2005

中絶殺人者と残酷な真実

友人が日記で紹介していた中絶動画を見た。リンクはしないので、見たい人は「hardtruth.wmv」でGoogle検索してください、と。

表面的な知識はあったと思うんだけれども、具体的にどんなことが行われるのか、どういう事が起こるのかについては、全く知らなかったため、非常に勉強になった。それなりに衝撃を受けるところはあったけれども、いわゆるグロ画像は初見というわけでもないし、相当冷めた目で見ていた僕がいる。

よくよく考えれば確かに胎児なんてのはまだ体が完全にできあがってないのだから、引っ張ればバラバラにちぎれるのも当たり前なんだろう。生まれる前の胎児なんて、かろうじて人の形を保っているんだろう。今自分が五体満足でいられるのは大事に育て生んでくれた親のおかげであるということを改めて感謝したくなった。

人の命とは神秘的なものだ、人の心は神秘的なものだ、人は思い出や文化を受け継いでいける、と考える情緒的な僕がいる。でもそれと同時に、人も所詮はタンパク質の塊だ、生命活動は継続する化学反応に過ぎない、僕も僕の好きな人達も死ねばただの生ゴミだ、そう考える冷めた僕もいる。後者の僕は、生まれるも死ぬも確率論でしかないと思っている。運良く生まれてきて今こうしているのではなく、たまたま生まれてきた自分が勝手に「自分は運がいい」と価値判断を加えているだけだ、と考えている。

中絶は、自分にとってはまだまだ、ともすれば死ぬまでずっと、縁のない事柄の先にあることだから、僕にとってはまるっきり他人事だ。実感を持って捉えることができない。甘やかされてここまで来ているから、「こういう親にはならないでおこう」という感覚もよく分からない。だからだろうか、先の映像を見ても情緒的な感慨が浮かばない。

先の映像を見て情緒的な反応を示せる人は大人だ、と思った。そんな大人に僕もなれるのだろうか? なれずに終わってしまうのだろうか?

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