たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。
以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能!
やる気のない日の野菜の取り方。サラダみたいなもの。
キャベツをスライサーで千切りにしたもの+ピーマンを輪切りにしたもの+トマト+ドレッシング。この日はちょっと頑張ってニンジンを細切りにしたもの(これもスライサーで)も入れてみたですよ。でも多分見た目ほどは栄養無いよなあ。
今日はちょっと頑張ってまた久しぶりに野菜炒めしてみたですよ。昨日、魚買って帰ろうと思ったら特売の魚が全部売り切れてたんで、仕方なく肉を買ってしまいまして。ああ肉の調理めんどい。魚だったら焼くだけでいいのに……
豚肉+タマネギ+ニンジン+ピーマン+キャベツ+ブロッコリーの芯+野菜炒めの素(親が送ってくれた荷物の中に一つ残ってた奴)。野菜の量が少なかったのか野菜炒めの素の量が多かったのか、辛い。もっと薄味にするべきだった。もう手遅れだけど。
そういえば唐突に思い出したんだけど。夏コミの時、1年ぶりくらいに会った友人と会場で少し話したんだけど、その時、後から自分で驚くくらいスムーズに関西弁が口から流れ出ていた。
普段僕はあまり関西弁を口にしないらしい。らしいというのは、自分で特に意識していないから。無意識のうちに標準語で、丁寧語や敬語で喋るように、気を遣っている所があるのかもしれない。大阪にいて大阪の会社に通っている時も、東京に引っ越した後も、「大阪出身です、物心付いたときから大阪です」と言うと皆一様に驚く。「えーほんとですか? ぜんぜん関西弁とかないですねー」みたいに。まあ社交辞令の一種なんだろうけれども。
僕は小さい頃からあまり友達が多い方でなく、テレビっ子だった。外でみんなと遊んだり、友達の家でみんなでファミコンしたりということがなく、一人で探検したり、一人で絵を描いたりすることが多かった。だから関西弁が身に付いていないのだろう、そう自分でも思っている。
にもかかわらず、東北出身のその友人に会ったときにはごく自然に関西弁が出てきていた。何故だろう。
僕が一連の事についてどう考えているかというのは、「ところで手術って明日だっけ?」とか昼過ぎ頃に平気で言ってしまうくらいのやる気の無い関心の持ち方だというところから、察していただければと思っております。
追記。次の次の次の天皇が正解だそーですね。まあそんな程度の重要性しか認識してないっつうことです。
独り暮らしやってると、鬱ぎ込んでる余裕が無くなる。引きこもっても誰も食事作ってくれないし洗濯してくれないし掃除してくれない。嫌でも強がって気を張って生活しなくてはならない。このクソ面倒な生活を維持しなくてはならない。
何もする気が起こらなくて何日も鬱ぎ込むことができる(それでも生きていける状況にある)というのは、実に贅沢なことだな、と思う。
日本語版Wikipediaで何となく調べた項目からのキーワードリンクで芋蔓式に項目を辿っているうちに数時間が過ぎてしまっていた。
デジタル化された辞典は項目をダイレクトに探し出せるから、端から読んでいく楽しみが無い、と言っていた人が昔は結構いたと思うけれども、Wikiやはてなダイアリーにはその楽しみに通じる物が受け継がれている。
人類の集積した知に触れることは純粋に楽しい。俺は何でも知ることができる、という風な全能感を味わうことができる。
最近、人生そのものが近視眼的になってきてる気がする。
例えば、もえじら組で初めて本を出すぞと思って動き始めた時。例えば、大学で新しくサークルを作るべく、予定を立てたり会則を作ったりと色々やってたとき。僕は確かに遠くを見ていた。遠く遠く、前を見て歩いていた。気がする。CSSの勉強をしてたときも。拡張機能作ってたときも。ワクワクしてた気がする。
今はどうだろう。遠くを見る気力がない。足元だけ見て、右に行こうか左に行こうかその都度決めるのが精一杯。ワクワクなんて全然しない。しようという気力がない。
まあ「かっこいい」という言葉の定義をどう考えるかにもよると思いますけど。ここで暗黙的に言われている「かっこよさ」の軸が「ジャニーズ的かっこよさ」という所にあるのであれば、そりゃ、ジャニ系イケメンは何を着ても「ジャニーズ的にかっこいい」し、ブサイクは何を着ても「ジャニーズ的にかっこ悪い」ということになりますわな。だってジャニ系の最大の特徴は顔(と髪型)にあるんだもの。
絵が嫌いっていうか、好きになれるわけがない、という気がしてきた。
だって自分の描いてる絵って、ほとんど代償でしかない。
たまたま自分に「絵のようなものを描ける」という技能があるから、そして、自分の欲しているものが世の中になかったり、買おうとしても手が出なかったりするから、手っ取り早く手に入れるために、自分で描いてしまう。
自分のノートに自分の好きなキャラのプリントがされてないから自分で描く、そんなところから絵描き歴が始まっている気がする。
オナネタを自分で調達する所から、僕のエロ絵歴(?)は始まっている(これは断言できる)。
自己表現とかそんな大それたことじゃあないんですよ。多分。
自分の絵が好きなんじゃなくて、自分の絵を褒めてくれる人が好きなんですよ。褒めてもらうことが好きなんですよ。褒めてもらえる絵が好きなんですよ。そんな絵を生産できる自分が好きなんですよ。だから、褒めてもらえない絵を描いても虚しいんですよ。
自己表現でもなんでもないくせに「絵柄が古い」と言われて落ち込むのは、僕の描く絵の絵柄が古い=それが萌える!抜ける!と思っている自分のセンスが古い=そんなあなたは絵描きとしてだけでなく人間として全てのセンスが古い=あんたももう歳だね、と言われているように感じるからなのかもしれない。
せっかくだから投稿してみた。
ごめんね、おいちゃんネタしか思い付かなくて、ごめんね。