たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。
以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能!
8歳男児に瞼を二重にする整形手術を受けさせた母親の話が話題になっているようですね。
僕自身は親の判断で子供の頃に歯列矯正を受けて今の歯並びになったという経緯があり、自然に任せていたらおそらく顎が前に出ている受け口状態になっていたことが予想され、そうなっていたら今よりずっとイヤだったかもなあと素で思うわけで、これも一種の整形と考えると、この母親のしたことを「親のエゴだ」の一言で断じてしまうことがなかなかできないわけですが。
ていうか、これもまた人類の一つの文化なんじゃないんでしょうか?
誕生日が7月21日でその前後1ヶ月が更新期間、ということで超ギリギリになってしまったけど免許を更新してきた。はじめての更新です。更新ヴァージンです(この言い方好きね自分)。いやね、夏コミとかで色々一杯一杯だったから、ついね……
写真を撮るときに意識して目を大きく見開くようにしたら、悪人面度が若干下がった気がする。半目だと瞼の陰になって眼球に光が入らないけど、目を大きく開くと瞳にハイライトが入って、幾分生き生きした感じにならなくもないようだ。「目が死んでる」というのはそういうことなのかなーと、ふと思った。
初回なので2時間の講習付き。飲酒運転の厳罰化の契機になったとかいう事故のドキュメンタリー映像を見た。この手の映像はお涙ちょうだいというか安っぽいというか安直というか真面目に見る方がメディアリテラシー的に問題有りなんだろうけど、頭の悪い僕は真に受けて真剣に見てしまいました。大事な人が急にいなくなってしまったらと思うと、心臓のあたりに穴が空いたような痛みを感じます。
対向車線の駐車車両と、その向こうから迫ってくる対向車両に気を取られて、前方の電柱工事のハシゴに気がつかなかった、という死亡事故事例は他人事とは思えなかった……ああー自分も絶対こういうのやりそうだ。
本籍が両親の実家で、現住所が変わったので、身分証明から僕が大阪にいたという痕跡が完全に消えてしまいました。切ないです。
こっちに来てる両親と一緒に常磐線で金町から西日暮里まで行って山手線に乗り換えようとしたら(お察しの通り、葛飾・柴又帝釈天からの移動ですね)、改札で止められた。
デュアルディスプレイ(マルチディスプレイ)で壁紙を設定するとき、二つの画面のサイズが違うと、小さい方に合わせたら大きい方の画面では壁紙の周りに空白ができるし、大きい方に合わせたら小さい方の画面では壁紙が切れてしまう、という問題が起こる。
複数画面対応壁紙設定/MultiWallpaperは、この問題を解消してくれるツールだ。起動するとマルチディスプレイを模した画面が表示され、それぞれのディスプレイに対して個別に(画面全体に拡大して表示するタイプの)壁紙画像を指定することができる。両方に同じ画像を指定することももちろんできる。
もう一つの特筆すべきは、起動オプションを指定することで暗黙的に処理をさせることができるところ。一定時間で壁紙を自動的に切り替えるタイプの壁紙チェンジャーと併用(壁紙切り替え時に外部ソフトウェアを起動できる機能がある場合)すれば、壁紙を切り替える度にこのソフトを起動するという手間が不要になる。
という、なにげなく便利なソフトの紹介なのでした。
「ちちうえ、きょう」ではなくて「ちち、じょうきょう」。
昨日今日と仕事で父がこっちに来ていて、昨日は僕の暮らしぶりを一目見ようということで部屋まで案内したのだけれども。
トーチャン……お願いだからトイレの電気は消してから去ってくれ
先のエントリでさらっと書いたけど、彼女の写真を待ち受けにするとか壁紙にするとかって、恥ずべき行為なのでしょうか。何かの機会にチラッと見た人が揃って「へぇー待ち受けにしてるんだー(ニヤニヤ)」みたいな反応を示すので、自分の判断に自信がなくなってきます。
多分だけど、こういうのってきっと中高生やなんかの「子供」がやるようなことなんだろうなあ。もうすぐ四捨五入したら30になるような歳のいい大人がするようなことではない、という意味で、その幼児性を見透かされているようでなんだかアレだ。
そりゃ「普通の人」は20代にもなってりゃあ恋愛観も落ち着いてきて大人な対応を取れるもんなんだろうけど、23で初めて交際相手ができた自分は、そういうレベルにまだまだ到達できるハズなんかないですよ。人生周回遅れで悪かったな!!
水原ありささんというコスプレイヤーの人の涼宮ハルヒのコスプレ写真(Cureで検索すると他の写真も見られる)、僕は素直に「いいねえ」と思ったんだけど、友人にはきもい。。目が。。。
、不自然極まりない
、生がこもってなくてきもいよー
、と不評だった。
このハルヒの写真ではおそらくカラーコンタクトで黒目を大きく見せていて、それが不自然に見えるということなのだと思う。まあ人によって好きずきだと思うけれども、これが「不自然」であるということは客観的に見て事実だろう。
問題は、それにもかかわらず僕が何故違和感を感じなかったか、どうしてこれを自然なものとして受け入れてしまったか、だ。
僕はおそらくこれらの写真を「現実の人間の写真」とは見ていないのだと思う。極端な話、incise soulの美少女3DCG(「おっぱい! おっぱい!」のアニメーションのティファで知ってる人もいるんじゃなかろうか)や、あるいは美少女フィギュアに類するものとして受容している、そんな気がする。
他の例でいえば、「Final Fantasy Ⅶ Advent Children」に対する反応が人によって分かれるのも、その映像に対する「ゲームキャラクターのCGのリアリティを増す方向で突き詰めた結果」と「リアルな人間からいくらかの情報をそぎ落として3DCGに落とし込んだ結果」という認識の差のせいだと思う。
そういう僕にとって、この「水原ありさ」という名前はCGの作家であるとかフィギュアの原型師であるとかと似たようなものとして認識されているわけだ。
泡沫ブロガー天狗問題を見て、どうしてブロガーやってると天狗になってしまいやすいのかを考えてみた。
Web上で感想や意見を表明する場合、それにはいくつかのレベルがあると思う。自分の感覚では、とりあえず以下のように思っている。
上位ほど入れあげている度合いが高くて、下位ほど醒めた淡泊な反応、という風に見てほしい。創作系の反応が上位にあるのは僕が創作を趣味にしているからであって、人によってここは変わるかもしれない。しかしながら、4位以降の序列については、一般的にも言えることではないだろうかと思う。
もしこのような図式があると仮定して。
2chの「匿名性」は権威や議論を破壊するのは得意だけど何かを作り上げるのは不得意という話。本題は別なのかも知れんけど、頭の悪い僕はこの点だけ理解できた。
僕が2chにあまりシンパシーを感じず(匿名でダラダラ消極的に参加するのは構わないんだけど、そこに積極的に参加して何かを為そうとは思わない)、2chとうまくつき合っていってるplus7氏やその他の方々のことを理解し難く感じるのは、これが理由なのかもしれないと思った。
てっきりエイプリルフールのネタ記事か嘘ニュースかと思ったら、CNETのマジ記事だった。
「ゼロックス(紙面に書かれた内容を複製する機械、一般名称はコピー機)」は僕はそういう表現を使ったことも聞いたこともないのであまり実感が湧かないけど、「ホッチキス(紙を金属の針で綴じる道具、一般名称はステープラー)」「ウォークマン(磁気テープまたはCDをセットすることで音楽を再生できる機械、一般名称は携帯型オーディオ)」「ファミコン(コンピュータを使った家庭用ゲーム機の総称、一般名称はビデオゲーム)」「ガンダム(人型の巨大ロボットの韓国における総称、一般名称はロボット)」あたりのことを考えたらまあ実感湧くかも。
目くじら立てて取り締まるよりは、これを活かす方向で何かプロモーションすればいいのになあ、と思う。
とりあえず本気でGoogleがこの言葉の使用を取り締まろうとするなら、アレだ、「ググる」という言葉が含まれたページを片っ端からGoogle八分にすればいい。Googleなら、あのGoogleなら、そのくらいのことはやってくれるんじゃないの?