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サンマ - Aug 12, 2006

タンパク源に買ったサンマ2尾をそれぞれ半分にぶった切って焼きながら、お湯を沸かしてそうめんをゆでる。そうめんは半分だけ食べた後の残りを密封しておいてたんだけど、なんか酸っぱい臭いが……まぁ、ゆでた後水で洗い流したら気にならなくなったけど。んでレタスとピーマンとトマトだけの激簡単サラダとも言えない生野菜を用意して、サンマ1尾とそうめんとで晩飯。

食べ終わった後残りのサンマを冷蔵庫にしまおうとして、魚焼きグリルの網の下に何かあることに気付いた。

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設問を疑う - Aug 11, 2006

普段の人付き合いは最小限度に留めて恋愛だけ上手くやりたいなんて無理、という指摘にはっとした件について、「普段の人付き合い」ができないことで苦手意識が芽生え、さらに人付き合いができなくなって……というケースについて考慮されていない、という言及を受けた。

僕は、「座して死を待つか、覚悟を決めて立ち向かうか」というニ択で物事を考えることが多い。先の例で言えば、「人付き合いが全くできないまま恋愛に繋がらない道を歩き続けるか、自分を変えて恋愛に繋がる道に乗り換えるか」という具合だ。

しかし、いつもいつもそう与えられた選択肢の枠の中だけで考えていてはいけないのかもしれない。僕は、「人付き合いが全くできなくても恋愛に繋がる可能性」を考慮していなかった。選択肢で示された「事実」以外の「事実」がある可能性を考えなかった。

設問そのものを疑う姿勢、これを僕はもっと持つべきなのだと思う。

例えば、「ギャンブルをやめて健全な生活をするか、ギャンブルに金をつぎこんで破滅するか」という問いに対して「ギャンブルで金を確実に儲ける」という選択肢を僕は考えないことが多い。でも、そこを考えられる人というのが、本当は凄いのではないだろうか。もちろん普通に考える限りにおいては、ギャンブルとは胴元が最終的には勝つものであり、子が確実に儲けるのは統計的に不可能だろう。しかしそれはあくまで「イカサマ無しなら」という条件の元にのみ成立する選択肢である、という事実に気付けるかどうか。「イカサマも有りだろう」という世界に視野を広げることができるかどうか。そうして既存のレースのルールを覆した所に、勝利というものはあるのではないだろうか。

だから「人付き合いが全くできなくても恋愛に繋がる可能性」というものを検討するのが、実は賢いやりかたの第一歩なのかもしれない。

そう思うと、「虫がいい」という風に思えた考え方も、より挑戦的で自由度の高い考え方なのかもしれないなと思った。

鎌倉の花火 - Aug 11, 2006

昨日、こないだSpread Firefoxのなんやかやのお手伝いでゴミ拾いに行った鎌倉の海岸の、花火大会を見てきた。

水着のカップルと浴衣のカップルばかりが目について困る。べつにそういう人ばかりだというわけではなくて、ただ、自分がそういう人達のことを強く羨んでいるから、ついつい目が行ってしまうんだ。その楽しげな様子に嫉妬するんだ。

花火の様子。 もうなくなっちゃったけど淀川のくらわんか花火大会と比べて、海というロケーションを活かしてか、低い位置で大きな花火を多数爆発させていた。これはこれでなかなか見栄えのするものですね。

風向きが悪くて花火の光が煙に隠れているところが結構あって、もったいないなと思った。特に移動しながら発火する水中花火。

大きな花火が上がるとみんな手を叩いて歓声を上げる。そんな空気をせめて遠距離の彼女に(次に会ったときにでも)伝えられればと思って、電池とメモリの限界ギリギリ一杯まで、携帯の動画機能で音声込みで録画してみたけれども、帰ってきてから再生してみたら花火の爆発音がほとんど入ってなくて(周波数が低すぎてマイクが拾えてない)、非常に残念だった。

混雑を避けるためにと判断した知り合いに促されて早めに出発したのだけれど、最後の盛大な花火が光っているのを建物越しに見て、ちょっともったいないことをしたなーと思った。

陰口が増えた - Aug 11, 2006

最近、陰口を言うことが多くなってきた気がする。自分が。

本人のいないところでその人の悪口を言い、本人がいるときには「紳士的に見えるような」振る舞いをする。これほど卑怯なことがあるだろうか。

僕はずっと、僕自身についての陰口を言われることを酷く恐れてきたけれども、それはもしかしたら、僕自身が「陰口を言うタイプの人間」だからなのかも知れない。自分がそういう人間性だから、他の人もそうに違いないと心のどこかで思っていて、それで人を疑っていたのではないだろうか。

そういう人間性は元からあった。それが急激に表出してきた。そんな気がする。

仕事をするようになって、人間関係の裏表ができてきて、それでその性質が表出してきたのかも知れない。Mixiのような読者が限定されるサービス(僕はMixiの日記システムは使ってないけど)の存在も、それを後押ししている気がする。ある会社、別の団体、ある活動、プロジェクト、そんな感じでいくつもの分断された世界にそれぞれ片足を突っ込んで回る、そんなことが増えてきて、分断されたそれぞれの世界の中で異なる顔を見せるように、いつの間にかなってしまったような気がする。

陰口を言う人にはなりたくなかったんですけどね。そういうのこそが最も自分の忌み嫌っていた対象のハズなのに。

東京の朱い空 - Aug 10, 2006

8月8日夕方の東京の空は真っ赤でほんとに綺麗だったんだけど、オフィスの窓からは全然見えなくて残念だった。周りに高いビルが多いし。

仕方ないので他の人の撮った写真を見て気分をごまかす。

普通の人付き合いの延長線上 - Aug 10, 2006

おもちゃマニアが結婚相手を探す方法を考えるスレ よりの抜粋の以下の言葉が鋭いと思った。

本心は人嫌いであっても表面的な人付き合いは上手にこなしておくべき。
その延長線上に恋愛や結婚やSEXがある。
普段の人付き合いは最小限度に留めて恋愛だけ上手くやりたいなんて無理。

「虫がいい」というフレーズが真っ先に頭に浮かぶ。

知能の程度と自分の暮らしやすい場所 - Aug 10, 2006

エリート話に関係して思い出した話で。

よく、「勉強ができるだけとかそんなことよりも、他人の気持ちが分かるとか思いやりがあるとかそういうことの方が重要だし、素晴らしいことだ」という言い方をされることがあると思う。

それは負け惜しみの場合も少なくないかも知れない。自分にとって「勉強ができる、頭がよい」状態は、手に入れられなかった「酸っぱいブドウ」であって、手に入れられなかったからこそ「へん、あんなブドウなんざ俺は元から食べたくなかったんだよ、どうせ酸っぱいに決まってるんだから」と自分に言い聞かせているだけだ、という場合は確実にあるだろう。

でも中学時代までは秀才だったけど高校に入る頃あたりから転落し始めたという話で、「自分より頭の良い人達ばかりの世界に放り込まれた」後で途方もない挫折感を味わいその後の人生を悲惨なものにさせてしまっている人の例を見ると(仮にこれらの話が事実であると仮定するなら、だけど)、自分の頭の程度に合った環境、自分の頭の程度に合った友人、そういったものに接していた方が人は幸せになれるのかも知れないとも思う。

以前書いた頭の回転の速さに関する話への言及で紹介されていた知能指数の話では、IQが20違うと会話が成り立たないという説も紹介されていた。

「秀才としての人生から転落した」人も、「世の中の多くの人と難なく意思疎通できる立場・状態になった」と見れば、その後の人生のすべてを否定するようなものでもないと思うのだけれど、どうだろう。また、もしかしたら、無理してついて行った先の方は辛いことばかりで、今そこでドロップアウトしておいた方が、無理せず楽に生きられる自分の素養に合った場所に辿り着けるのかもしれない。

それとも「今まで見下していた相手」と「同じ目線」に立つこと・立たされることはそれだけでもう耐え難い屈辱なのだろうか。

エリートからの転落 - Aug 09, 2006

中学時代は秀才だったが、後に負け組にという記事を友人が紹介していたので見た。

「勉強してないのに成績がいい奴」というのには2種類いると思う。

一つはここで「転落した人々」の多くの場合のように、実は早熟なだけであったという場合。リンク先の文の中にもあったけど、こういう場合にも関わらず「勉強ができる自分」をアイデンティティの拠り所にしていると、落ち始めたときに際限なくどこまでも堕ちていってしまうような気がする。

もう一つは、学習することが当人にとって娯楽であるという、「勉めて強いなくても学習できる人」の場合。当人にとってはそれをやること以上に楽しい事なんてないわけで、当人の主観的には「遊んでるだけなのに成績がいい」という感じなのかも知れない。リンク先の「174」の書き込みのような考え方は、一見すると「学習しないで学力が高い奴」のことを言ってるようだけれども、実際にはこういう「勉めて強いなくても自発的に学習するから学力が高い奴」の場合が多いんじゃないかと思う。

かくいう僕は、小学校時代は運動×趣味×学力◯というありがちなオタク少年だったところまではこのスレの類型に似ているけれど、中学在学中にだんだんと落ちていって、高校入試で自分の当時の学力ではあり得ない偏差値の学校に入ってしまい、最初から負け犬ムードでせめて留年だけはしないようにという後ろ向きな動機で暮らしていて、自分に期待というものをしていなかったので、ここまでの急激な転落を体感せずに済んだということなのではないかと思う。ネガティブシンキングが緩衝材としての役割を果たすこともあるのですよ! ビバうしろむき!

でも勉強以外の点では絵やCSSやWebサイトやXULのことをアイデンティティの拠り所にしているフシがあって、それらの分野で既に転落してるので、僕もこれから際限ない連鎖的転落コースに嵌ってモリモリ堕ちていってしまいそうな気がします。鬱。

家庭科の男女共修とマンガやアニメやゲームの学校 - Aug 09, 2006

このごろの若いもんは男の子でもお料理するのねという話とコメント欄を見ていて。

僕の記憶が正しければ、僕は小学校の家庭科で調理実習をやったはずだ。でももしかしたら記憶違いかも知れない。中学校からかも知れない。まあどっちでもいいんだけど。基本的に僕の世代ではもう、大体の科目は男女で区別なくやってたような気がする。

ところでマンガやアニメやゲームの「学校」に目を向けると、女子キャラが家庭科の実習で作ったお菓子をクラスの男子に振る舞うとか、意中の男子に「あ、余ったからあげるだけなんだからねっ!!(え、俺にくれるの?)い、イヤなら食べなくていいわよっ!!(いや、ありがたくもらうよ。もぐもぐ。うん、うまい。)え、そ、そう? よかった……」と頬を染めながら食わせたりとか、そんな感じのシーンを目にすることがある。

具体例を挙げるなら、確か2005年に発売されたエロゲーの幼なじみな彼女でも、ヒロインがプリンを作って主人公に食わせるというエピソードがあった気がする(でもって制服+エプロン姿で学校内でエロシーンになだれ込んでたと思う。それはどうでもいいか)。そんな感じで、こういうのは割と「定番」のシーンなんじゃないだろうか。

こういうことが起こるのは、単純に、制作者の人が男女別カリキュラムだった頃の記憶を元に作ってるからなんだろうとは思うけど……僕がどこかしら違和感を憶えていたのは、そうか、この点についてだったんだな。

まあそんなわけで今の若人は男も女も家庭科でなんか作ってるわけで、上記の例のようなシーンには現代では多分お目にかかれな……え、体験した人がいるって? 単に僕が非モテキャラだから女子に相手されてなかっただけ?

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