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の動向はもえじら組ブログで。
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昼寝というか夕方寝?してたらヤな夢見てしまった。なんかグロいの。
小畑健逮捕に見る、ナイフ所持に言い訳が出来ない現実についてで紹介されている法律相談の事例が非常に興味深い。「逮捕する」と言われて逮捕されなくても、本人が気付かないうちに「逮捕させてしまっていた、逮捕されてしまっていた」場合というのがあるそうで。ただの事務手続きだと思ってホイホイ従ってたら知らん間に事が運んでいつの間にか前科がついちまうよ、と。実に恐ろしい。これなんて罠?
そりゃ警官もサラリーマンでしょうから、べつに正義の心に期待なんかしない。むしろ偏った「正義」感に引きずられて独断で凶行に及ぶような事態はあって欲しくない。
でもなんつうかその、こう、それって警官の業務としてどうなん? と思ってしまう。ソフトに付属のテンプレートを使ってちょっといじっただけで「うちがデザインしました」てな顔をして納品するようなものを感じる。プロとしてのプライドは無いんだろうか、と思ってしまう。
あ、なんか自分で言ってることが矛盾しとるな。
K子との出会い。これだけ見ると「それなんてエロゲ?」という感じだ。でも、時間軸的にはその後の話が存在していることを僕ら読者は既に知っている。
「それなんてエロゲ?」な展開から後のことを僕達はあまり考えない気がする。エロゲーにおけるハッピーエンドは「二人が付き合い始めました」とか「結婚しました」とか「子供ができました」とかそのあたりで終わってしまって、その先にどんな「生活」があるのかまで描かれることはあまりない気がする。そのような「描かれなかったその後」の中には、こういう破滅的な展開も、実はあるのかも知れない。
人生の「終わり」は、「交際開始」でも「結婚」でも「出産」でもなくて、「死」だ。死ぬまで安心はできない。そして多分、老化だとか借金だとか嫁姑だとか(結婚してればの話だけど)遺産相続だとか(子供がいればの話だけど)、人生の末期って悩み事ばっかりでそんなにいいものじゃない気がする。
「ハッピーエンド」を迎えられる人は実はそんなにいないんじゃないだろうか。幸せの絶頂であっさり死んでしまった人は、残された人にとっては悲劇でも、本人にとってはまさにハッピーエンドだったのではないだろうか。そんな風に思わなくもない。
夏休みを取る前にグッデイを退職してしまったので夏休みとか普通に無しだろと思ってたら、(冗談かも知れんけど)休み取っていいよと言われた。でも休む気になれない。そもそも働いてるという気があんまりしてなくて、つまり普段から休みまくってるも同然な訳で、その上休むだなんて申し訳なくて申し訳なくて。
具体的に一日何時間どういう風に自分が働いてるのかというのを書いてしまうとひょっとしたら刺し殺されかねない(ぉぃ)のでそこは言及し辛いんだけど、他の人達の様子を見ていると、自分の働きっぷりなんて、これで給料を貰うという事自体がおこがましいように思えてならない。
そりゃあ、今ここにいる人間の中で、僕が担当している作業を担当している・できる人は他にいない訳で、雇用主が僕の仕事にそれだけの価値を見出してくれているからそれだけお金を出してくれているわけで、儒用と供給がマッチしてるということにはなるのかもしれんのだけれども。でも、他のもっとマトモな勤勉な人を連れてきたら、同じ金額で倍以上の成果は挙げられるんじゃないか?と思う。もし仮に僕と同じような技能を持った(それでいてもっと人としてちゃんとしている)人をもう一人雇ったとしたら、僕がいかに無能で無駄飯食らいの穀潰しであるかが、はっきり分かってしまうのではないだろうか。
成果を出すことが求められている職種で、成果を出せていない作業時間というのは、ただの無駄な時間、怠慢でしかないんじゃないのか?
まあ、そう思ったからといって、特段頑張れる訳でもないんだけども。結局やる気無くてダラダラ時間だけ使って大した成果を挙げられないというこの状態は、変わりそうにない。ほんと、雇用主にとってこれほど悪質な存在はないと思う。
ラブホの入り方とか避妊の仕方とかは大学生にもなったら分からない方が恥ずかしい常識ですかそうですか。つまり高校までに経験してるのが普通ということですかそうですか。
なんかむかつくのは僕だけ?
基本的なオシャレオフの時に天馬氏に話したことと繋がることを改めて思ったんだけど。
天馬唯氏は、太っている人には太っている人なりの、チビにはチビなりの、個性的なオシャレの方が似合う、という風なことを以前から何度もおっしゃっている。「脱オタ」の文脈で持ち出される「オシャレな格好」が「丸井系」とか「綺麗め系」とかの系統に限られていて、(彼の目から見て)明らかにそれが似合わないだろうという系統の人間までもがそれに手を出そうとしていて、また、そうすることを脱オタ説教厨は奨励している、それが腹立たしいという風なことを、氏は常々おっしゃっている(と、僕は理解している)。
でも、オシャレに詳しい人が「個性的なオシャレ」を脱オタ希望者に推奨するというのは、「オシャレなんて自己満足」というオシャレのひとつの本質を否定する行為なんじゃないだろうか、と思うんだ。
勤務先の近くで見かけた。
車道側に咲いてたところを撮影。ちょっといいなと思ったので、落ち込んでいる彼女に写メを送ってみたりもした。
夜、帰るときにチラッと見たらもう無くなってた。枯れたのか、ちぎれたのか、誰かが持って行ったのか……
食費以外に分類してない超手抜き家計簿に、「漫画」と「光熱費」の分類を加えてみた。なんか結構漫画買ってるみたいだから把握しとかなきゃなと思って……光熱費は今更ですね。