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Latest topics 近況報告

たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。

萌えるふぉくす子さんだば子本制作プロジェクトの動向はもえじら組ブログで。

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浅井 智也 池田 譲治 小山田 昌史 五味渕 大賀 下田 洋志 寺田 真 松澤 太郎
オライリージャパン

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女子にからかわれた経験 - Sep 07, 2005

そういえば、ふと思い出したんですけどね。

中学の頃だったか高校の頃だったか(多分中学だと思うけど)、教室で机に突っ伏してボーッとしてたら、とある女子が僕の目の前に立って、突然スカートをバッ!とめくったんですよね。つまり僕にスカートの中身を見せつけたんですよね。で、だーっとお友達の所に走っていって、こっちの方を見てクスクス笑ってたんですよね。

彼女達は一体何を考えていたのでしょうか。

  1. Piroたんの事がしゅき♥ おぱんちゅ見せちゃう!
  2. 誰でもいいからおぱんちゅ見せたくてたまらないの! ああッ!! もっと見てぇ!
  3. どうせこいつは女子のパンツなんて見たことないんだろう(もちろんありませんが)。面白そうだから反応を見てみよう。

まあ考える余地なく「答え 3.」なんですけどね。

発言者のモテ非モテと、その中間状態について - Sep 07, 2005

閉塞的幸福論からの続き。

非モテ論は本質的に排他的なものではないかと思う。「現在進行形で非モテな者」以外は語ることを許されないような雰囲気を感じる。特に「脱非モテ」した人間は、このことに触れるどころか一切の発言を許されないような雰囲気すら感じる。

非モテ界(?)では一般的に、非モテを脱したらモテになるという風に考えられているように、僕には思えるのだが、それは脱非モテした人に対してあまりに厳しすぎる考え方だと思う。実際には、「モテ」とはさらに上のステップだろう。だから多くの「脱非モテ」人は「モテ」にはなれず宙ぶらりんの状態で居続けることになるのではないかと思う。

僕は「モテ化」ではなく敢えて「脱非モテ」という言葉を使いたい。モテと非モテの間に、宙ぶらりんな「ナチュラルな状態」があると僕は考えていて、「ナチュラル」と「モテ」はまた違ったものであると考えている。そして、モテ陣営からは、ナチュラルと非モテは一緒くたに見られていると思う。

Masao氏のようなモテにもなれず、かといって誰からも相手にされない非モテにも戻れず、宙ぶらりんの状態にいる人間に対し、非モテ陣営の態度はあまりに頑なであるように思う。何を言っても「でもモテの言うことだから」と言われてしまっては、ナチュラルは浮かばれない。

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閉塞的幸福論 - Sep 07, 2005

僕の幸福論について、益田ラヂヲ氏がこの人が非モテだった頃なら納得したかも知れないとコメントされているのだけれども……僕はこういう事を急に言い出したわけではなく、ずっと前から思い続けて、言い続けてきたことだ。無意識的には5~6年以上前から、意識的になったのはここ数年、だろうか。

むしろ今僕は、いかにすればこの閉塞的な幸福論から一般的幸福論に思考をシフトできるのかで悩んでいる。この幸福論は、僕が独りで生きていく限りには唯一無二の道だと今でも確信しているけれども、他者の人生をそれに巻き込んだ場合の危険性も認識していて、独りでないのならこの幸福論は封印するべきだと思っている。

一歩退いてこの件を見てみると、この幸福論に納得できてしまう人は独りで生きていくことができ、納得できない人は普通の幸せを掴まずにはおれない人なのではないか、と思う。

発言者のモテ非モテの話に続く。

zoeさんを送る会 - Sep 07, 2005

昨日は、しばらく出稼ぎに行かれるzoeさんの壮行会ということで肉食ってました。

zoeさんが「萌え」とはなんぞやとか「腐女子」とはなんぞやとかしきりに興味を抱いておいでのようだったので僕なりの見解をとうとうと語ってみたりしました。

  • 「ほのかタンハァハァ」な「萌え」とは、「アウトドアが好きで好きでたまらない。○○山とか最高。」とか「自転車が好きで好きでたまらない。○○のフレーム大好き。」とかそういった感情に通じるものだと僕は思う。
  • だが、それらとの決定的な違いは、「そいつをベッドに押し倒したいと思うかどうか」だと思う。趣味的な「好き」が性欲、情愛、そういったものと結びついたものが「萌え」ではないかと思う。
  • だからzoeさんが「ラピュタは萌えですよシータは萌えですよ」と言っているのはまだまだ「好き」のレベルであって、「萌え」では無いと思うのだ。
  • あと「腐女子」とは、特定の男キャラに入れあげる「単品萌え」と、男キャラ同士のカラミを愛好する「カプ萌え」をひっくるめた概念だと僕は思っており、定義にはその人本人の外観は含まれないと考える。
  • だから「美人な腐女子」はいる。むしろ多い。

僕は一体何を語っているんですか?

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iPod miniの電池の持ちが悪すぎる件について - Sep 07, 2005

今年1月に買ったんだけど、フル充電してても2時間ともたなくなった感じ。そろそろ修理という名の電池交換に出すべきですかねえ。

「カトキ立ち」が「現代用語の基礎知識2006」に掲載されるんだとさ - Sep 07, 2005

はてダのキーワードの一部が「現代用語の基礎知識2006」に掲載されるという話。そのリストの中にカトキ立ちの5文字が燦然と……

ていうかこのキーワードがここまで注目されるに至ったのは僕の書いた例の検証&考察が発端になっているということを疑う余地はなく、率直に言うと僕にもなんかくれよ!と。カトキハジメ氏にもなんかプレゼントしたげてよ!と。

あーHGUCデンドロ早く組み立てないとなあー……

中古PC - Sep 06, 2005

もう使わなくなった古いPCを知り合いに譲るということで話を進めていたのだけれども、親が激しく反対しているためどうなるかわからないという状態らしい。なんでも、タダで譲るとか借りるとか買い取るとかそういうのがダメらしい。

それでふと思ったのだけれども、こういうのを断る心理というのはどういうものなのだろうか。僕の感覚では、以下のような理由しか思い浮かばない。

  • 他人に借りを作りたくないから
  • プライドが高く、物を譲ってもらうということに抵抗があるから
  • 他の人が使った物を中古で自分が使うということに生理的に抵抗があるから
  • 盗聴器が仕込まれている可能性を恐れて
  • win-winの関係が嫌だから
  • win-winの関係はいいけど、「自分は損をするけど別に構いませんよ」と表面的には善人ぶっているのが許せないから

なお、今回だけでなく他の事でもそうらしいので、僕個人が嫌われているからという可能性は除外。

人間心理って難しいなあ。

はてなRSSで更新情報を取得できない - Sep 06, 2005

このブログ?はblosxom starter kitをベースにflavourやプラグインまわりをいじって作っているのだけれども、なぜか更新情報のRSSがはてなRSSで読み込めない。

index.rssはRSS用のflavourによって生成されるRSS形式のコンテンツなのだけれども、これを読み込ませてみると、Firefox (ライブブックマーク)もBloglinesもFEEDBRINGERもdel.icio.usも問題なくいけるのに、自分の知る限りははてなRSSでだけがこれをちゃんと読み込めないんだ……

不思議な事に、latest.rdfで登録すると今度はきちんと読み込める。なぜ? latest.rdfへのアクセスは単純に前者のパスにリダイレクトしてるだけなのに……orz

幸せに生きるということ - Sep 06, 2005

恋愛の話の続き。

非言語的コミュニケーションの観点から脱ヲタをというものを考えてみたりとか、すっかり僕も「頑張ればモテるよ!」式の愚にも付かない空虚な慰めをする嫌な奴に成り下がってしまったと思われても仕方ないような事ばかり最近やってる気がしてしまうけれども、それは本意ではない。僕はただ、それだけが幸せであるとは思っていない。というよりも、幸せとそれとは全く別の問題なのだと思っている。

努力次第で人はいくらでも幸せに生きられると思う。何故なら、人には考える頭というものがある。自分で自分を暗示にかけることができる。他ならぬ僕自身、今までそうやって生きてきた。

「自分という個人」が幸せになれないのなら、発想を逆転すればいい。世界全体が「自分」なのである、と考えればいい。あるいは言い換えれば、「自分の価値判断」の基準を「人類」全体にまで広げればよい。そういう視点からものを見れば、「他人」の幸せも何も妬ましくなくなる。それどころか、「他人」の幸せも「自分」の枠の中での出来事なのだから、なんだって「自分の幸せ」になる。

世の中には無条件で他人の幸せを祝福できる人もいるだろうが、僕は、そういう人ではない。僕はあくまで他人を祝福しているのではなく、他人を通じて、自分を祝福しているのだ。

全てを祝福できるようになれば、もう、勝ったも同然ですよ。

そう考えるから僕は、他人の幸せを妬んでテロを起こすことには否定的だ。妬まなくてもいいじゃないか、一緒になって祝福したらいいじゃないか。自分と他人とを分け隔てて考えるから妬ましくなるんだ。ならば分け隔てなければいい。肥大化した自己愛で全てのものを包み込んでしまえば、全て自分を愛するのと同じように愛せるだろう。

思うに、人は自己愛を否定するから幸せに生きられないのではないだろうか。「そんなものに価値はない」「そんな閉塞的な考え方に未来はない」じゃあ、価値や未来を捨ててしまえばよいのではないだろうか。そもそも、価値や未来といったものはそんなに大切なのだろうか? 誰にとって大切なのだろうか? 自分にとって大切でないなら、大切にすることなんてないんじゃないのか?

幸せに生きられるかどうかなんて、きっと、そんな程度の問題。

努力すれば誰でも恋愛できるのかという話 - Sep 06, 2005

恋愛できるかどうかというのは、努力と運の両方が必要だと思う。運が足りない部分はある程度まで努力で補えると思う。でも、どちらか一方だけでどうにかなるものとは思えない。僕はここまでの所、非常な幸運に恵まれていたと思う。

いくら自分の側が努力しても、相手が見つからなければどうしようもない。相手を見つけられるかどうかは、運だろう。ただ、努力して顔を広くすると、人との出会いの機会は増える。その結果として、相手が見つかる可能性が高まるかも知れない。僕は、Webサイトの運営を続けていなければ出会えなかったろうし、今失えば、これから先どれだけ努力しようとも、こういう出会いはきっともう一生無いだろうとも思う。

ルックスは、努力ではどうにもならないものと努力次第でどうにかなるものの両方があると思う。両親共に美男美女であるとかいうのは、完全に運だ。ただ、極端な話、整形手術という手段はある。僕は小さい頃に歯列矯正を受けたけれども、これだって立派な整形だ。ファッションセンス抜群な両親の元に生まれ育つとか、そういうのは幸運だけれども、そうでなければセンスは手に入らないというものではない、努力で後からでも身につけられるものだと思う。

努力と運とは複雑に絡み合っている。そんなに世界はシンプルではない。

全盲の人は、一人だけでどれだけ努力したって、色の組み合わせのセンスを身につけることはできないと思う。けれども、色を教えてくれる晴眼者のパートナーを見つけられれば、それも可能になるかも知れない。パートナーを見つけられるかどうかは、運かも知れない。けれども、話し上手になって人脈を広げる等の努力がそれを見つけられる確率を高めるために全く無意味であるとは思えない。

幸せの話に続く。

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