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W3C信者だったくせに現実におもねってるというアレ - Feb 08, 2010

eval否定論への反論を書いてて、「以前あんだけ理想論垂れ流してた自分がどの口でこんなことを言うのかね」という事をちょっと思った。でもよく考えてみたら、(ただの自己正当化かもしれないけど)昔から自分の考えは結構一貫してるんじゃないかという風に思えてきた。

僕は元々、自作の絵の公開場所としてWebサイトを作り始めた。当時はNetscape Communicator 4付属のNetscape Composerでページを作ってたけど、凝ったレイアウトをしてたら当のNC4でページ読み込みに死ぬほど時間がかかるようになってしまった。凝ったレイアウトをしつつ逐次レンダリングができるようになるということでCSSの存在を知って、勉強するのにいい本を教えてくれと2chのスレで聞いたらスタイルシートWebデザインを勧められた。その本で「ページの内容と外観の定義情報は分離できる」ということを知って、僕はW3C信者になった。

W3C信者というのは、以下のようなことを言う人間のことだと思ってもらえばだいたい合ってると思う。

  • Another HTML-lintの結果は100点満点で当たり前でしょ?
  • font要素とかbody要素のbgcolor属性とか使うな!! スタイルシートを使え!!!
  • HTML 3.2や HTML 4.0 Transitionalはうんこ!! Strictを使え!!!(もっと過激な人になると「ISO-HTMLを使え!!!」と言う場合も)

で、そういう人の特徴的な行動として、lint等のバリデータでエラーが出るページをあげつらって文句言ったり、「間違ったHTML」を教えてる人がいればそこの掲示板に殴り込んで「あなたの書いている内容は間違っています」と言ってまわったり、日記で名指しで「こいつは何も分かってない」と非難したり、まあそんな感じのことがあって、僕もそういうことをやってたわけですよね。

そういう時に返ってくるお決まりの言葉が「理想論を垂れ流してるんじゃねえ!! 現実はお前の言うような綺麗事じゃ動かねえんだよ!!!」というものだった。うん、自分が今言ってることとソックリだ。

現実を知らなかった当時とは違って今は考えも変わって丸くなりましたから、という自己弁護も可能かもしれないけれども、できれば「考え方が変わってしまったから」だとは思いたくない。昔から一貫して1つのことを言い続けてきたのだと思いたい。そこで、その頃自分が受けた反論と自分が今している反論に違うところはないかということを考えてみた。

自分自身当時から意識していたことなんだけど、「代替案が無いくせに理想論を押しつけるな」という事はずっと考えてた。理想的な手段では現実のニーズに対応できないから「間違った」手段に流れてしまうのであって、ニーズに対応できる答えを示せない限りは「間違った」手段は使われ続ける。理想的な「正しい」やり方を使うことで失われる物は何もなく、今抱えているニーズにもきちんと対応できて、その上新しく色々なメリットを享受できますよ、という風に説得しなければ人は動いてくれない、そう思ってた。「理想のためなら素人受けするようなレイアウトはできなくてもいい」などとW3C信者自身が言うのは、Pure CSSでかっこいいレイアウトを作ることができない自分の視覚的デザイン力の欠如を棚に上げた、怠惰な言い訳でしかないと思った。

だから僕は、「CSSじゃレイアウトとも呼べないようなダサいページしか作れない」という偏見に基づく嘲笑の声に対して、HTML 4.01 Strict(あるいはXHTML 1.1)とCSS2というWeb標準の技術だけでもきちんと「素人が喜びそうな派手なレイアウト」は可能なんだということを、実例を示してアピールしようとしてきた。JavaScriptやPerlで「スタイルシート切り替えスクリプト」を作って、ページの内容と外観を切り分ければこんな事ができるようになるんだというのを示そうともした。

eval恐怖症とも思えるようなeval否定論を見て思うのは、「お前は間違ってる、正しい物を学べ」「理想のためなら何を引き替えにしてもよい、失われる物が多くても何ら構わない」と言うW3C信者によく似てる、僕が目にして「これじゃあ駄目だ」と思ったパターンにそっくりだ、という事だ。また、そういうW3C信者に対して、技術的なことを知らない・CSSでレイアウトはできるという事を知らない人が行っていた「CSSでまともなレイアウトなんかできない」という偏見に基づいた事実に即していない言いがかりを見た時の、「それは違う!」という思いにも似たものをも、同時に思っている。

当時は「非難する側、正義を背に付けた側」の立場から、「技術的な正しさと現実のニーズを満たすことの両立は不可能なのだ」という双方の偏見を取り除き誤解を解こうとしていた。今は「非難される側」の立場から、双方の誤解を解きたいと思っているのではないか。自分ではそう認識しています。

FUELがなくなってJetpackが取って代わる - Jan 10, 2010

FUEL廃止はJetpackの台頭と対になっているよ、という話。

FUELとJetpackは、コンセプトが確かに重複してるんですよね。

  • Firefoxに好きな機能を追加する、ということをもっと簡単にできるようにする。
  • Firefoxのバージョンに依存しない安定したAPIの提供。

違うのは、FUELはあくまで既存の「拡張機能」という枠組み(JavaScriptやXULやCSSを使って、XPI形式にして、云々)の中でそれを達成しようとしていたのに対して、Jetpackは「そもそもXULとか要らなくね? JavaScriptだけでよくね?」とちゃぶ台をひっくり返してその目的に特化した物をゼロから作った所だと思う。

「Firefoxに機能を追加するなら拡張機能を使いましょう」というのは、実装の仕方をなるべく1種類にまとめて世界を分かりやすくしたいという、開発者目線の考え方のように思う。そうではなく、「Firefoxに機能を追加できるなら、拡張機能でもGreasemonkeyでもUbiquityでもJetpackでもStylishでも何でもイイじゃん。なんで拡張機能に拘らないといけないわけ?」とユーザー目線の発想で考え直したら、FUELみたいな子供だましではなく、Jetpackのように実行環境を1個丸ごと作りなおす事になりました、と。そういう話の流れなのだと僕には思えた。

既存の拡張機能の作り方に特化して知識を溜め込んできた僕にとっては、はっきり言って恐怖ですらある。自分の存在価値、アイデンティティを揺るがす事態だ。だって、大学在学中からMozillaにのめり込んで、それが縁で就職までしてしまって、今もそれをネタに仕事してるんだもの。

そんな僕にとっては、Jetpackが優遇されてFUELが廃止されるというのは、今まで自分が慣れ親しんでいたやり方が否定されて、開発元からも邪険にされて、お前らは時代遅れなんだよプギャーと指さして笑われて、時代の変化についていけない奴らは死ねばいいじゃないと見捨てられてる、正直そんな気分です。

でも、「今までのやり方が全く通用しない世界に飛び込んでいく」事を恐れて今いる所に留まり続けるのは、それこそ座して死を待つだけだという事も分かってる。

それに、そういう「今までのやり方が全く通用しない世界」を作るのであれば、どうせなら、今までのしがらみから完全に切り離された理想の世界を作って欲しいとも思う。XULやXPConnectといった古いやり方しか知らない僕みたいな人間のために「ほうら今までのやり方も使えるんですよ? だから怖がらないで入ってきて下さいよ」と媚びを売って、古いしがらみまでまた抱え込んでしまうのは、やめて欲しい。

僕はそう考えているので、だから今のJetpackでXULやXPConnectを触れるのは非常にマズイ事態だと思ってる。せっかく理想郷を作ろうとしてるんだったら、そこにつまんないしがらみを持ち込んでくれるなよと。僕みたいなロートルが、新しく出てきたJetpackという世界を、古臭い駄目なやり方で汚していってしまう事が許せないのです。老兵は潔く去らないといけないし、潔く去らせないといけないじゃないか。老兵に取り付く島を与えちゃ駄目じゃないか。そんなことをしたら、僕みたいにだらしのない老兵は甘えてしがみついちゃうじゃないか。

まあそれはさておき、FUELを出してきた時に「これで簡単に作れるようになれますよ」「安定したAPIが提供され続けますよ」なんて夢みたいな事を吹聴していた人達には、「すんません自分はバカでした。見る目がありませんでした。」と謝罪して欲しい所ですよね。それを真に受けて酷い目にあった被害者までいるんだし。うん、僕のことですね。ごめんなさい……

実名垂れ流しでここまで来た自分が思うこと - Oct 07, 2009

僕が実名をWebで出し始めたのは、Mozilla用の拡張機能のライセンス文に本名を書く必要があるものと思い込んでいたためだった。実際の所、世に溢れるコードを見てみると必ずしも本名でなくても構わないような感じだ、というのはずいぶん後になってから知った。ともかく、まあ、本名を晒し始めたという事実があったわけです。当時僕は何歳だっけ。記録に残ってる一番古いバージョンが2001年9月のリリースだから、ええと、大学1年で19歳の時か。

でも、名前を晒すということは実質的には何の変化ももたらさなかった。

そもそも、大学3年になるまでアルバイトというものをしたことが無く、やってた部活も交流試合があるようなものではなかったので、自分は「リアルの世界」ではほとんど全く社会との繋がりがない、価値のない存在だったと言っていいと思う。学祭の垂れ幕作りだとかそういう所でしか世の主流の人々から存在を意識されることがない、いてもいなくてもどうでもいいような人だった。

そんな僕が他人からとそれなりの価値を認められたのは、漫研の中であり、イラストを公開するために作ったこのサイト(当時はまださくらのレンタルサーバではなくISPの無料スペースだったんだけど)であり、そこでの活動であり、つまり僕にとっては「社会との繋がり」はリアル世界よりもむしろWebが起点になっていた。

なので、アルファベット4文字の「Piro」であろうが漢字4文字の「下田洋志」であろうが、その文字列にはWeb上での僕を識別するためのidentifier以上の意味はなかったわけです。実質的には。Webにあった僕の活動の足跡を粗探ししても、出てくる物はたかが知れてたし。

その後、Mozillaの拡張機能を作っていたことが縁でもじら組のMozilla Partyに呼んでいただけて、その打ち上げの席でグッデイに紹介してもらえて、就職して、クリアコードに籍を移して、「Piroがおるから」という理由で会社にMozilla関係の仕事が舞い込んできたりして、という感じで今に至ってる。

で、この現状が「実名を出してたからこそこうなった」「完全匿名でやってたらこうはいかなかった」という話の例になるのかというと、それが僕には分からない。会社で普通に「ぴろたん」と呼ばれてる事を考えると、実名公開してなくてもこうなってたんじゃないの? と思えてくる。

ただ、活動の最初から今に至るまで一貫して同じ名前でいたからこそこうなったのだろう、という事は言えると思ってる。誉められた事も誉められなかった事も、僕がやってきた事は全部この名前に紐付けられていて、だからこそそれらは「実績」として評価することができるのだろう。identify不能な完全匿名で(毎回別の名前で、とか、「名無しさん」でだけ書き込む、とか)活動していたら、何をしてもそれらはひとまとまりの「実績」として見ることはできなかったのだろう。

そういえば僕は、トロフィーとか盾とか貰ったことがないんすよね。そのくせ、誰かに誉めて欲しがっていた。トロフィーという、「お前のそれは称賛に値するのだ」という目に見える評価がずっと欲しかった。欲しかったけど、手に入れられるはずのない物だ。同人だのCSSだのWeb標準だのMozillaだのという非主流のものを、しかもその世界の中心でガッツリやるんじゃなくて周辺に留まってちまちまやってるだけでは、絶対にそんなもん貰えない。誰もそんなものくれない。中心に飛び込む勇気だとか、マイナー分野じゃなくメジャー分野に転向する勇気だとか、そういうのがなければもう絶対に手に入らない。

でも、そんなマイナー分野の周辺でゴソゴソしてただけの僕でも、今自分の名前でググると何かしら出てくる。作った物への評価、していた事への評価が見つかる。それが今の僕にとってはトロフィー代わりになってるのかもしれない。

人に誉められて悦になりたい、トロフィーを眺めたり人に見せびらかしたりしてニタニタしたい、にもかかわらずその象徴たる「トロフィー」のような物理的な証を絶対にもらえそうにないという人は、ひとつの名前で活動するといいのかもしれない。検索すればそこにトロフィーがあるし、そういう形で人に見せびらかすこともできるのだから。

そういうわけで僕は「実名推進」ではなく「顕名推進」の立場を取らせていただいております次第です。

恋活遊園地に行ってきた。 - Sep 14, 2009

彼女と東京ドームシティに行ってきた。遊んだレポ。

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女性に対する自分の視線がいかにも非モテなものに戻ってしまった - May 10, 2009

Latest topics > republic1963さん送別会 - outsider reflex(コメント欄)

「彼女がいた」時と「彼女がいない」今とで自分の考えとか感覚の違いを強く自覚する点として、女性に対する自分の視線の違いがあると思う。今は、魅力的な(と自分が思う)女の人と会話可能な距離にいるだけで、非常にどぎまぎするし、まともに目を合わせられない。失礼な話とは思うけど、その人と自分が付き合っている状態、というか突き合っている状態を想像してしまう。「非モテの心の中の『女性に対する分類用フォルダ』は『家族』と『恋人(候補も含む)』の2個しかない」と加野瀬さんあたりが言ってたと思うけど、まさにそれ。

その人に彼氏がいるとか既婚者だとかそういう事を事前に知っていたら、多分もっと平静でいられると思う。また、彼女がいた時だったら、相手がフリーだと知っていてもやはり平静でいられたと思う。どうも僕は無意識レベルで、自分に彼女がいるなら浮気心を持っちゃいけないとか、相手に彼氏または旦那がいるなら手を出しちゃいけないとか、そういう風に考えているようだ。

彼女がいた時は、魅力的な女の人を前にしていてもそれなりに落ち着いていられたので、「ああ、非モテが治った!」と安心してた。でも実はそうじゃなかった。単に内面化された倫理で自分を縛っていただけで、そのくびきがなくなった途端、世の女性全部を再び「恋人候補かどうか」という視線で見るようになってしまった。元に戻ってしまった。

一般的な意味で「かわいい」「綺麗」「素敵」とかその辺くらいまでだったら見られる方もそこまで嫌ではないだろうと思う。以前lovalottaさんにも、かわいいと思ったんなら素直にそう言えば女の子は嬉しいのだ、という風なことを言われた。

でも今僕が彼氏持ちや既婚者でない魅力的な女の人のことを「かわいい」と言ったら、そこには「できることなら恋人になって欲しい」「セックスしたい」「辛い時に慰めてくれるママになってほしい」とかなんとか、そういう意識が絶対に入ってくる。そんな下心剥き出しの言葉をかけて喜ばれるとは思えないし、そんな下心剥き出しのギラギラした目で見て喜ばれるとは思えない。そんなの(下心があるなんて)言わなきゃいいじゃんと言われるかもだけど、僕は女の人は本気でエスパーだと思ってるから、こっちの下心なんて完全に見抜かれてると思ってるから、思うことは言うことに等しく、思うことすらNGだと考えてる。

彼女がいた時に「今の彼女と別れたら非モテに逆戻りだ」と自分で言ってたけど、まさに予言通りだった。というか、彼女がいた時もずっと中身は非モテのままだった。治ってなんかいなかった。

糞真面目あるいは融通が利かないあるいは切り替えが下手糞 - Apr 26, 2009

ライブの打ち上げの場でたまたま同席した人相手に色々と愚痴っていた(このところ、会う人会う人にこの話をしてる気がする)時に、言われたりして自分で気がついたんだけど。

よく、「自分から動かなきゃ出会いなんて無い、もっと外出ろ! 外!」という言説を目にする。別の場所では「趣味のオフ会にナンパ目的で参加して来る奴ウゼエ!」という言説も目にする。自分はその両方を見て「一体どっちなんだよ!!」とイライラしていたのだけれども、話をしていた人達の語り口からなんとなく、「普通」のケースでは「趣味を楽しみながら恋愛」という平行処理をできるのが当たり前らしい、僕はどうもそうではないようだ、と思った。

そう。ほんとにねえ、そういう「頭の切り替え」ってんですか? 世渡りっていうんですか? そういうのが壊滅的にできない。「趣味の活動をしながらいい人探せばいいじゃん」と言われても、「趣味を楽しむ時は趣味を楽しむ」っていう風に一直線にやらないとできない。

というか、その逆を考えてみると、「いい人を探す」事に関心を向けた途端、全ての物事を「いい人を見つける」という言わば繁殖行動に結び付けて考えるようになってしまい、趣味の事を楽しむという事ができなくなる。全ての物事が自分にとっては「セックスさせてくれるママ」探しになってしまう。そしてどうも世の中的には、趣味の分野においてその趣味に一直線である人と、趣味の分野において恋人探しに躍起になってる人とでは、後者の方が圧倒的にキモイ人扱いされているように見える。だから、どっちがマシか(どっちの方が自分自身が非難に晒されて嫌な思いをしないで済むか)と考えて、前者(趣味の時は完全に趣味の事しか考えないようにする、繁殖行動への関心には頭を持って行かないようにする)にならざるを得ない。そういう事なのではないかと思う。

にげてー!! - Apr 25, 2009

ほんと思うけど、仮に僕が他の誰かで、Piroを「友達」の一人に抱えていて、Piroがいわゆる彼女募集中状態だと知ったら、その段階でもう、周囲にいる女性全員に「にげてー!!」と大声で呼びかけたい。そのくらい、今の自分の酷さがよく分かる。この状態で求めてるのってどう考えても、「自分を包み込んで癒してくれて、男性としてのアイデンティティも認めてくれる」相手でしかないよね。非モテ議論でよくいう「非モテを自称する男共が欲しがってるのは要するに『セックスさせてくれるママ』だろ」ってまさにこれだよね。

精神的には、多分今最も心が弱っていて心の支えを必要としているのだろうけれども、これにわざわざ誰かを関わらせるというのは、生贄を差し出すようなものだ。いや、生贄とすら言えない。生贄は共同体の利益のための犠牲だけど、僕なんかに犠牲を差し出して利益を得られる共同体は存在しない。良識ある人間だったら絶対に許せないだろう、こんなのに自分の身内を関わらせたくないと思うだろう。

※この日記はだいぶ前からリアル親バレしています。

頭の出来が悪い - Apr 24, 2009

XUL/Migemoの件で行き詰まってるのは、一言で言えば、僕が頭が悪いからに他ならないんですよね。数学的素養もない、発想力もない。できる事といったら、他の人(XUL/Migemoの場合ならplus7さん)が作ってくれた原石をカットしたり磨いたりという、アレンジ作業でしかない。元になる原石を自分で作れない。自分でゼロからやったら、何の価値も可能性もないただの石コロしか作れない。才能がない人間が努力で補える範囲でできる事、を見事なまでに一歩たりとも踏み外していない。技術力的には、典型的な雑兵日本人なわけです。

こんな風にブザマな様子を晒してしまうほどに人間性に難があっても、まあキラリと輝く才能があるなら、と思うけど、才能も無いんじゃあねぇ……

自閉 - Apr 21, 2009

自分のことを「はいはいアスペアスペ」って書いてたら「お前みてーのはぜんぜんアスペじゃねえよ」的なツッコミを受けたことがあったと思うけど、自閉傾向はやっぱあるんじゃないかと思うんですよ。

先日、従妹(胃腸炎でダウンした時に助けてもらった)へのお礼を兼ねてお食事に誘いまして、そこで昔話が色々と出たんですけれども。祖母の葬式の夜、僕ではないんですが親族の一人(当時はまだ子供)がプレステのバイオハザードをプレイしてて、「こんな時なのにこんなゲームをやってられるなんて、どういう神経してるんだ?!」と、ものすごく衝撃を受けた、という話を従妹がしたんですけれども。

僕はそれを全然覚えてなかったんですよね。

まあ単に物忘れが激しいって事なのかもしれないですけど、少なくとも「忘れちゃっても全然問題ないような事」と考えてたって事は間違いないんじゃないの?と。「それのどこが問題なのかちっとも分かってなかった」からこそ、10年経っても思い出せるほどの強烈な印象が残らなかったんじゃないの?と。

ていうか当時の事で今でも真っ先に思い出せるのは、「高校の入学式の直前に、なんつう間の悪い……もっと別の日に起こってくれればよかったのに、ああもうっ」という憤りの感情なんですよね。悼む気持ちとか思い出せないから、多分そういう気持ち自体ほとんど無かったんじゃないかって思う。

普段から頻繁に交流があったわけじゃないからしょうがないじゃん、別に変な事じゃないよ、と言ってくれる人もいるんだけど、なんだろうなあ、世の中的には、従妹のように「葬式の準備が行われてる最中に平気でバイオハザードをプレイできる神経、を疑う」ような感性こそが真っ当で、それに違和感を感じていなかった(少なくとも、10年覚えてるほどの強烈な印象を感じていなかった)り「間の悪い……ああもうっ」的な印象が一番強く残ってるようなような感性は異常であり自閉でありアスペであり火に投げ込まれるべきである、って事になってんじゃないのか?って思うのです。

単に心の冷たい人間なだけなんすかね、これって。でも御涙頂戴な物語で泣けたりはするんですよね。結局「リアルな他人の感情」に興味が無くて自分の中だけに閉じた世界に引きこもってるって事なんじゃないのか、やっぱりある種の障害ということなんじゃないのか、とか、考え出すとキリがない……

初心 - Apr 10, 2009

ごろたんから、このサイトのアドオン関係のページに書いてあるプログラミングのド素人が下手の横好きで作ったもの。という部分にツッコミを受けてしまった。素人じゃねーじゃん!!と。

いつでも初心を忘れないPiroですヨロシク。

いや、確かあの文って大学1年とかそのくらいの時に書いたはずで、それまでプログラミングといったら中学の時のN88BASICのお遊びと、ページ左のメニューをどうにかして自動生成したいってことで訳わかんないまま書いてたJavaScriptくらいしか、経験がなかったんですよね。専門の教育を受けたわけでもないし、きちんとしたプロダクトを作った事もなかったし……「大阪電気通信大学」っていうとじゃあ理系か工学系なのかって思われそうだけど、僕のいたメディア学科は入試に数学が無くて、カリキュラムにもプログラミングをテーマにした物は入ってなかった、そういうとこですから。

でも確かに今となっては、プログラマなのかエンジニアなのかとにかくコードを書くことが仕事の一環になってはいるので、素人とは言えないでしょうね。ってか、言ってたらマズイ。ということで上記のフレーズは消しておくことにします。

でも自分の感覚では、相変わらず、素人に毛が生えた程度という認識でいるんですよね。この1年くらいで技術的に進歩したと言えそうな事といえば、せいぜい、自動テストを書くようになったくらいで……ごろたんの記事読むまでeasing関数って単語すらも知らなかったし。使える言語も、Mozilla語のJavaScript方言とRails語をカタコトくらいですよ(JavaScriptとRuby、と胸を張っては言いづらいレベルの知識の偏り方なので)。論文読むとか本を読むとかそういう学習意欲の高いプロフェッショナルな人達を見てると、なんかすごく見劣りする気がする。

いや、ひょっとしたらそういう事じゃないのかもしれない。もっと形式的なところにこだわってるのかもしれない。

なんかねえ……例えば、入社1年目で何かプロジェクトにアサインされて、リーダーの下で指示を受けてあれこれ学びながら作業をこなして、納品してリーダーから「よくやった、お疲れ!」とかねぎらいの言葉をもらう、みたいな感じの、社会人としておそらくは常識的な<ruby><rb>通過儀礼</rb><rp>(</rp><rt>イニシエーション</rt><rp>)</rp></ruby>を経てない状態で、自分は技術者ですみたいな認識を持つことに、自分で抵抗があるということなんじゃないかって思う。

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