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の動向はもえじら組ブログで。
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Beta 3のリリース日が変更:12日へ - Mozilla Flux
アドオン作者としては、中身が変わってないならバージョン番号が3.5になろうが4になろうがCSになろうがVistaになろうが別に関係ないです……という感じ。
それよりも、相変わらずのグダグダっぷりというか迷走っぷりを世に晒してしまってる事の方が問題だと思うなあ。
リンク作成シェル拡張で作ったシンボリックリンク(うちの場合はフォルダのリンクなので、正確にはジャンクション?)があると、ファイルのコピーが途中で止まってしまう……
かつてWindows 2000でCドライブとDドライブだった物が、今FドライブとGドライブとして認識されてるんだけど、この状態でフォルダのリンクを含むフォルダ群をVista上で普通にコピーしようとすると、リンク切れ状態のリンクを処理しようとして詰まってそこで後のファイルのコピーも全部キャンセルされてしまう。仕方がないので、先にFとGからリンクの残骸を探して削除して回ってからコピーをやり直してみてるけど、見落とした物があるとまたそこでやり直しなのでうんざりだ。
関係ないけど、Vistaのファイル移動やコピー時の上書き確認関係のダイアログは、なかなかよくできてるっていうか丁寧だなと思う。「どういう操作を選ぶか」じゃなくて「結果的にどうしたいのか」を提示してる、というかなんというか。
「本当に言いたかった事は、こういう事なんだ」という言い方はあんまりしたくないなと思った。最初の発言できちんと意図を表現できてなかったってことを自ら暴露する訳だし、それに加えて、「ほうほう、本当に言いたかったのがそういう事なんだったら、こういう意図は全く無かったんだね? じゃあここはどういうことなんだい?」と嫌味なツッコミを受けるリスクが増すからだ。
なので、これからは「いくつも意図はあるけど、その一つはこういうことだ」という言い方にとどめるようにしたい。したいと思うけど、できるかどうかは分からない。
件のエントリは見たが、「バカな失敗」と「失敗するようなバカ」が混同されているような気がする
「バカな失敗をした」という事実と「こんな失敗をしてるから、他の事も含めてバカな技術者に違いない」というFUDはハッキリ区別しないとね
理屈はまあ分かるんですけどね。モヒカンな人達はそういう誤解を招きやすい言動をしてるなあ、とよく思います。
以前どこかで「中国人には礼節が無いから、儒教が生まれた。日本人は臆病だから、武士道が生まれた。西洋人は卑怯だから、騎士道が生まれた。」という感じの話を見かけた。「おあしす運動(おはよう、ありがとう、しつれいします、すみません、といった挨拶をきちんと言おうという運動)」について母は、「こういう運動をしてるって言う事自体が恥じゃないか」と言っていた。それらが本来備わっているのなら改めて殊更大事にする必要なんか無いわけで、「大事にしましょう」と言うってことは「それが足りてない、それが実現できてない」って言ってるのと同じことだ、という訳ですね。
さて、ここに「罪を<ruby><rb>悪</rb><rt class="読み">にく</rt></ruby>んで人を<ruby><rb>悪</rb><rt class="読み">にく</rt></ruby>まず」という言葉がある。広辞苑によると犯した罪は罪としてにくむべきものだが、その罪を犯した人までもにくんではならない。
ということだそうですが、なんでこんな言葉が生まれたんでしょうね。前述の話に倣うと、誰もがデフォでそういう事ができるんだったら、広辞苑に載る程長生きする言葉だとは人々の間で認識されてなかったんじゃないかと思うんですよ。
言い換えれば、少なくとも日本人は(これに対応する言葉が英語圏にもあるんだったら話は別。僕はそれを知らないので、知ってる人がいたら教えて欲しい(→調べた。慣用句で condemn the crime rather than the criminal
というのがこれに相当するらしい。っていうかひょっとしてこれが輸入された時の訳が「罪を悪んで〜」なのか?))、誰かが罪を犯したらその罪を憎むしその人の事も憎むのがデフォだって事なんじゃないかと思うんです。昭和がどうとか平成がどうとかじゃなくて、もう、何年経っても何世代経っても消えない業のような物なんじゃないかと。
だから、自分が叩かれたり、人が叩かれたりしてる時には、それは人格批判ではなく行為への批判なのだ、と考えるよりも、行為だけじゃなく人格まで責めてるんだ、と考えた方が予想としては正確さが増すんじゃないかと思うわけです。叩き手のことをよく知らないならば、なおのこと。
少なくとも僕はそう考えてるところがある。そして多くの他人もそう考えてるんじゃないかと思ってる。これが一般人の感覚というものなのではないか、と僕は仮定している。「これは人格批判じゃなくてあくまで行為への批判なんだな」と、向こうの方が勝手に察してくれるはずであるとは、僕は期待していない。そして誤解によって余計なトラブルが起こる事を恐れている。でも、なんとか改めて欲しい、間違いに気付かせたい、と思う事は度々ある。
だから自分が人の行為を咎める時には、その行為だけを咎めたい時には、「これは人格を批判してるんじゃないんですよ、行為を批判してるんですよ」という事をしつこいくらい意識して言葉を選ぶようにしてるつもり。「バカ」という、指す対象が広い否定の言葉を使う事自体を避けて、「これこれこういうケースへの配慮が足りない」のようにより具体的個別的にいていると思うし、「バカ」と書く場合があるとしても多分「バカな事」と限定して書くと思う。(そんな事ばっかりしてるから、こうして長文になるんだけど。だからtwitterやはてブのブコメのような場を僕は表現の場としては選んでいないのだと思う。)
そういう僕からすると、otsune氏やいわゆるモヒカンな人は「そこまで懇切丁寧に説明する義理はないし無駄なのでしない。誤解するなら勝手に誤解してくれ。誤解された結果トラブルが起こるというリスクは承知の上だ。」というスタンスで発言しているように見える。それ自体はその人達が選んだ道だろうから是非は問わないけど、上述の通り仮定した一般人(罪を憎んで人も憎んでしまう考え方がデフォ)の立場で考えたら、それに付き合わされるのはたまったもんじゃねえや、と思う。
昭和とか平成とか書いてあるけど、要はいつもの「モヒカン」と「ムラ社会」の衝突か。
これら(特に刺身☆ブーメランさんのエントリ)を見ていて、cho45さんがこの間書いていた話を思い出した。
「批判に耐えられないならブログ書くな」的なのがうざくて仕方ない。
何でうざいかっていうと、「ま、おれは批判に耐えられるんだぜ? かっこいいだろ?」ないし「おれは批判に耐えられないからアウトプットなんてしないぜwww 賢いだろ?www」みたいな顔が浮かぶとかだったり
モヒカンの威を借る村人。ただただプリミティブな衝動に従って破壊と略奪(ぉぃ)を繰り返すというある意味で純粋なモヒカン達に混ざって、あるいは後からコソコソ付いていって、普段自分が村の中であまり高い位置にいない事から来るストレスを破壊と略奪で発散してるしがない村民。というのをイメージした。
14日、仕事でこっちに来ていたShunsaku君ともう一人大学時代の同期の人の飲み会に混ぜて貰ったんだけど、それに参加するために電車に乗って移動している時、女子高生らしき子達が僕のすぐ隣でカバンからチョコレートらしき物をチラつかせながらキャッキャしてた。友チョコとかそういうのっぽい感じだったんだけど。横目で見てて「うわー、現実にあるんやこんな光景! 都市伝説ちゃうかったんや!」と思ってしまった。でもよく考えたら寝屋校漫研の時に先輩達(闇チョコフォンデュの面子)が冗談ノリでくれたこともあったんだよなあ。なんでこんなに「別世界」感があるのか……
コミティア会場で本を買ったオマケにチョコレートをくれた所が2箇所。あと先週実家に帰った時に母が早めにくれたやつ。そんだけ。
目当てはケ・セラ・セ・ラビットとあと1件くらいで、昼過ぎにノコノコ行ったんだけど、結局会場全部を舐めるように見て1万円以上放出してしまった。最後、手持ちの現金を使い果たしてしまって、欲しかったのに買えなかった本が1冊残ってしまったのが心残りだ。
雰囲気を見て、もえじら組でも出れそうだったら出てみようかなと思ってた(でもよく考えたら(よく考えなくても)inugamixさん原作キャラの二次創作なので参加既定を満たしていない)んだけど、やっぱ無理そうだ。多分ここに混ざってもすごい場違いな感じだろう。それに、壁の方に各漫画誌編集部の出張持ち込みコーナーなんかがあったりするし……ここは「自分だけの作品」を作りたいソウルがある熱心な人達が集まる神聖な場なのだろう。僕みたいな年間同人ポイントが1未満の人間は来ちゃいけない。そんな気がした。
肉リリース(肉の日リリース)って、我々はよくこの言葉を使ってるけどいざ検索してみてもどこにもまともな説明がないなあと思ったので、肉リリース報告エントリの後半に勝手に書き足してみた。
ついでに調べてて初めて、2008年2月29日金曜日がキン肉マン生誕29周年にちなんで「キン肉マンの日」になっていることを知った。この符合には運命を感じる……ということを友人らに話したら「むしろゆでたまご理論によりこの日の29年前に始まるよう計算されたのだ」的なコメントが出て吹いた。
「いかに技術者の心に刺さるか」 ライブドア、自社サービスのソースコード公開を強化 - ITmedia News
社長! お株を奪われているであります!
ちなみに弊社の「クリアコード」という社名は現社長が「あの人達はきれいなコードを書く人達だよね、と思って貰いたい(し、実際にそうでありたい)から」とかなんとかそんな感じの意図で提案されたものだそうです。「だそうです」って何で伝聞なんだよって感じですが、その辺の話は僕が派遣仕事で別のとこに半常駐してた間に動いてたので、気がついたらもう決まってた感が……
で、僕の書くコードがきれいかどうかについては、どうなんでしょうね。最近作り始めた物については多少マシにはなってると思うんですけど(特に自動テストを前提にして作り始めた物は)。専門の教育を受けた訳でもなくずっと自己流のままなので、イマイチ自信がないです。
しかし「きれいなコード」ってどういうものを言うんだろう。客観的な指標が欲しい。