たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。
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「だれそれさん、A型っぽいよねー」とか「えーうそー、絶対B型だと思ってた!」とか、そういう話で盛り上がれる感覚、がよく分からない。
「今日もっとも運勢がいいのはAB型! ラッキーアイテムはコレ!」という言い方だったらまだネタとして消費できる。「そんなわけねーじゃんでもまーそれを信じて今日の昼飯のメニューを決めてみるのも一興かな」という風に思える。微笑ましく思える。
でも「AB型のあんたは裏表がある」とかそういう物言いは、すごく気に障る。自分が言われるのも、他人同士で言い合ってるのも、すごくイラッと来る。
どっちも血液型にまつわる話なのに、何故自分の中でこうも感覚の違いがあるんだろうか。
思うに、「今日の運勢は~」とかの話は不確定な未来の話で、「A型はこんな性格~」とかの話は現在や過去の話、だからではないだろうか。
未来のことは、多分誰にも分からない。想像の余地がある。どんなに材料を集めて予想しても、思いがけない理由で変わることがある。気象衛星で収集したデータや過去の統計を元に「今日の天気は晴れになるでしょう」と予想したところで、誰かがヨウ化銀をばらまけば雨は降る。予想の確度を高めることはできるけれども、100%絶対にそうなるという保証はない。
それに対して、今現在のことや過去のことを血液型で判断するというのは、ただの情報収集不足、相手に対する無関心の表明ではないのか? 「へー君はA型なんだね。A型ってことはどうせこういう人生を歩んできていてどうせこういう性格なんだろうね。ああいいよいいよ何も言わなくても。ほんとのとこはどうだっていいから。関心なんか無いから。」そういう話ではないのか? 調べれば分かることを調べないで無根拠に決めつける行為ではないのか?
多分僕はそれが許せないんだと思う。
ところでこの間初めて知ったんだけど、AO型とOO型の間にBO型が産まれたり、OOとOOの間にAOが産まれたり、AB型とO型の間にAB型が産まれたりする事も、全く無い訳ではないんだそうですね。こういうのをシスAB型やボンベイ型というそうで。
goo辞書の英和辞書データベースに英辞郎が加わったそうですね。goo辞書で英和辞書検索した結果のページで「英辞郎」のリンクを辿ると、英辞郎で調べた時と同じ内容が表示されるという感じのようです。あと「辞書すべて」で検索した時にも英辞郎の検索結果が出るようです。
が、残念ながらこの感じだと自分はあんまり使わない気がします。同じ英辞郎でも、スペースアルクが提供してる英辞郎 on the Webの方はめちゃめちゃよく使ってます。実際に何か検索してみたらすぐ分かりますが、スペースアルクのインターフェースだと単語の意味だけじゃなくて用例までもが大量に出てきて、しかもそれらを一気に見られる。Mozillaの技術文書の翻訳の時なんかに、技術用語じゃない言い回しの部分で意味分からない場合、ここに投げると、似たような文例がヒットするので「ああ、そういうことか」と分かるわけです。goo辞書でも、「辞書すべて」で検索したら英辞郎の用例でヒットした物も列挙されるようですが、ヒットした用例がカットして表示される上に、複数の単語から成るイディオムは検索自体できないようで……
英辞郎 on the Webの欠点は、ワードリンクが全部JavaScriptになってるんで新規タブで開けないこと。これでいつも地味にイライラします。これがなければ最高なんですが。
まとめ。
リリース済みの有償アプリのバリエーションを期間限定で無償でリリースしたら、その悪影響で有償アプリの方の評価がガタ落ちになってしまったという話。やるせない。
こうして作者を叩けば他の有料の物も無料になる(または無料の物が有料の物と同じ機能を持つようになる)とでも思ってるのかな。だとしたらそれって「賢い消費者」っていうより「小賢しい消費者」って気がする。
それとも単に、イライラをぶつけてるだけ? だとしたらずいぶん程度の低い話だ。もはや「馬鹿な消費者」でしかない。
そういえばAza Raskinさんとも「GimpのUIはひどい!」で合意してしまいました。
確かに本気で言ってる人がいるとしたらそうだなあと思う。
ただ、人に「こういうことがしたいんだけど」とか言われた時には、ついGimpの方を勧めてしまうなあ。そういう人達に対してPhotoshopは明らかにオーバースペックなのに、Photoshopのように「なんでもできる」事を望んでいて、それでいて出費はしたくない、そんなケース。そういう人って多分、細かい使い勝手とか作業効率とか気にならないと思う。だから問題にならない。あくまで「機能」しか大事じゃないから。それでGimpの解説本を1冊買って渡す。あとはシラネ。みたいな。
個人的にGimpが使い物になるのは、全ての作業をGimp上で完結させる場合か、SAI等で編集中の画像の一部のレイヤだけを切り出して加工して結果をSAIにもう一度取り込む、という場合かなあ。自分としては補助的な使い方をする分には我慢できるけど、メインで使うのはストレスフルすぎて辛い。慣れの問題? いえいえ、フィーリングの問題です。
InkscapeとIllustratorでも同じ事が言えるかも。部分的にはInkscapeの方が高機能なんだけど、仕事で使うのはちょっと……というかなんというか。以前SAIの解説本にコラム書く時に、普段イラレでやってるようなことをInkscapeだけで再現してみたけど、半透明やドロップシャドウを使いまくってると、重くて重くてとても辛かった。という性能的な問題もあったけど、それ以上に、ツール類を出してるとボタン類がやたらでかくて、気持ちよく作業できなかった。これもまたフィーリングの問題。
見た目がいい、運動神経がいい、しゃべりが上手い、雰囲気がいい、お洒落、金を持っている、いい会社に勤めている、特殊なスキルが高い、声がいい、などなど、漠然としたプラスの印象をひっくるめた万能ワード「モテそう」。
それに対して、どんなに見た目がよく、運動神経がよく、しゃべりが上手く、雰囲気がよく、お洒落で、お金持ちで、いい会社に勤めるどころか経営までしており、特殊スキルを持っており、声がよくても、レッテルとして「モテなさそう」という言葉を投げつけてしまえば、その人物に、根拠不明のマイナスの印象を与えることができる。
自覚してなかったけど、こう言われるとなんかすごく納得してしまった。「非モテ」=「モテなさそう、と他人から言われる(そして周囲の人も本人もその評価に納得してしまうような)人」というのが、自分の中での「非モテ」という言葉が示すクラスタにとても近い気がする。「彼女がいるなら非モテじゃないじゃん」と言われても「うーん……でも……」と自分のことを思ってしまうのは、自分が自分をどう思っているか、とか、客観的にこれこれこういう条件が満たされているからどうであるとか、よりも、自分が他人に主観的にどう思われそうなのか、という所を気にしているからなのかもしれない。
このストレス耐性の無さを直したい。検証してないテストをアップロードしたことをちょっと叱られただけで、もう、こんな風に考えてしまっている。
こうして書き出して、スッキリするのと恥を晒すのとを同時にやってみる。こういう感情を抱えたまま嫌味なコメントを書いたりして「行動の端々から」こういう感情を持っていることを「見抜かれる」くらいなら、最初から全部出しておいた方が僕は気が楽だ。自分でも気付いていないことを他人に「見抜かれる」事が一番怖いから。
自分が上記のようなことを思う一方で、bugzillaですでに活動してる人はこう思うんだろうなという内容の予想。
そう。モンスター顧客なんだよね今の自分は。「自分は悪くない! お前らが悪い!!」と、責任を誰か他人のせいにしたくてたまらなくて、理屈の合わないことを言ったり思ったりしている。いま世の中に溢れてるモンスターペアレントとかそういうのもみんな、僕と同じように、ストレス耐性が異常に低いせいで起こってる人格障害みたいなもんなんだろうな。
コンスタントに読み進めてます。
とりあえず4巻まで来たけど、竹地の幼稚さと卑怯さってホント自分ソックリだなあ! ここまで精緻に描かれちゃあ言い訳のしようもないぜ! という感じです(ついでに言うと見た目も似てる)。今すぐ首吊って死にたくなるね。でももう手遅れだ……このマンガはすでにベストセラーになってるみたいだから、日本中のマンガ読みが僕の醜態を見てるわけだ。ホント死にたい。
何で死にたいかって、自分ごときの人間性はこのマンガ1作品を読めばもうほとんど完全に網羅されちゃってるんじゃないかって思うからですよ。可逆圧縮された僕=竹地 みたいな。いや、むしろ、僕は竹地君のように中学生で脱童貞はできなかった訳だから、包含関係にあるのかもしれん……竹地⊃自分 みたいな。マンガに描かれたキャラクターより薄っぺらい人生経験って何なわけ? みたいな。
あーレビューでしたそうそうレビュー。いやもうなんつうか感想なんか書けないよ。自分のちんこ見ながら自分に「こいつをどう思う?」なんて、聞いてどうすると。そんなわけで、自分のちんこを切り落とせないのと同じように、やっぱりこの作品は処分できない永久所持組入りです。
「かんなぎ」の登場人物のナギ(産土神)が非処女だった云々の話を聞いたばかりの頃に、かんなぎ1巻の最初の方だけ読める機会があったので読んでみた所、産土神としての回想シーンらしき場面で普通に腹ボテなナギが描かれてたんですよね。駄目押しで、この土地の生き物はみんな自分の子だとかそんな風な発言もあったし。だから今更処女非処女を取り沙汰するのがそもそも変なのでは……とその時は思ったんですけど、ガチで怒ってる人はこのシーンも「処女懐胎だからおk」という風に考えてたんでしょうか?
処女懐胎といえばキリスト教の聖母マリアも福音書では処女懐胎ってことになってるそうですけど、これ、実話としてイエスの父とセックスする前にマリアが既に妊娠してたっていうなら、普通に他の男の子供ですよね……
ちょっと文脈の違う2つの話なんだけど、なんか通じる物があるような気がした。
自分自身、無料でアドオンやら何やらを公開してばらまいて、その時の気分次第ではあるけれども要望にもほいほい応えちゃったりしてるんで、お金とリスペクトのどっちについてもダンピングしてデフレをもたらす流れに寄与しちゃってるのかもなあと思う。
この「上司」と「林先生」を「敵」と認定して叩いてる人達も「Aさん」と同じ種類の人なのかもね!
あと、僕もどちらかというと、少しでも否定されればカーッと熱くなって「こいつは敵だ! 全力で叩き潰さねばならない!!!」と躍起になって視野狭窄に陥る類の人間です。
あと、有村氏のコメントに納得してしまった後でもう一度考え直してみたのだけれども、自分や有村氏のような「自称アスペ」で「実際にはただの性格の問題」であり「自分の性格を直すということができない堪え性の無さ」を「アスペルガー症候群」という分かりやすい「原因」に「仮託」しているだけの人間が、最初の記事の内容を肯定することによって、本当にアスペルガー症候群に該当する人にとっては生きにくい世の中にしてしまってるのかもな、と思いました。
あと、それなりに凄絶な人生を歩まれている有村氏と、平凡極まりない人生を歩んでいるくせに言うことだけは偉そうな自分とを並べて、自分の「特別さ」を自ら強調しようとしているあたり、アスペというより中二病だよねと思いました。