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実名を公表する事のリスク - Jul 22, 2007

Web の匿名と実名、公開することのリスク、めもを読んで思った事。

実名でWebの社会に関わり始めた時期と、実名でWeb以外の社会に関わり始めた時期とが、近ければ近いほど、それらの間が密接にリンクしているほど、「実名バレ」のリスクは小さくなるのではないだろうか。逆に、それらが離れていれば離れているほど、関係がなければないほど、リスクは大きくなるのではないだろうか。そんなことを僕は思っている。

僕は高校1年の時にWebサイトを作り、Web上での活動を通じて評価を得て、Web上での活動が縁となって職を得るに至った。知人はほとんどがWeb経由で知り合った関係だ。だから僕はこのサイトに置いてある内容はすべて知人に知られている物と思っているし、知られても構わないと思っているし、知った上で縁を切りたいと思うのなら自由に切ってくれて構わないと思っている。

というかむしろ、最初にこのサイトを出して、Mozillaヲタであること、ヲタ絵描きであること、鬱傾向であること、非モテ根性が染み着いた卑屈で嫉妬深く他力本願な人間であること、不健康且つ不健全なナルシシズムの塊であること、ウヨよりはサヨであること、などなど全部見せた上で、人間関係がスタートしているので、それらに拒否反応を示す人とは最初から人間関係を持っていないような気がする。ウマの合わなそうな人を最初から退ける効果をこのサイトは担っているかもしれない。今でも縁を切らずにいてくれてる人達は、そういう諸々もコミで僕の事を受け入れてくれているか、少なくとも、ある一点について認めていてそれ以外の事は好ましくないにしろ許容範囲内ではあると思ってくれているのだろうと、僕は勝手に想像している。(まあ、全部見てないうちに「こうなんだ」と思い込んで、後から別のコンテンツを見て「こんな人とは思わなかった、失望した!」と思う人もいるかもだけど、こっちは全部おおっぴらにしてるんだから、最初のうちに一通り目を通しておかないその人の方が悪い、と僕は思う。)

秘密は、秘密にするからこそ、バレた時のダメージが大きくなる。どうでもいいような事でも、秘密にし続けるうちに、バレた時のダメージがどんどん大きくなっていく。だから、どうでもいいような事はむしろ、ダメージが少ないうちに秘密でなくしてしまう。そういう風にすれば、本当に秘密にしないといけない事はごく僅かになって、守るのも楽になるんじゃないだろうか。そんな風に僕は考えている。僕はそれを自分の人生を使って実験してるようなものだと思ってる。

という風な僕の例は極端過ぎるのでさておくとしても、「実名バレ」で問題になるのは、Webの自分とWeb以外の自分との人物像が違っていいて、なおかつそれらが全くリンクしていなかった場合だろう。例えば、リアル人間関係では右翼だけどWebでは左翼だとか、リアルでは品行方正なマジメ人間だけどWebではグロスカトロ大好きとか。それで、その全く異なる人物像二つが結び付いた時に、今まで支持してくれていた人が「失望した!」となるのが最大のリスクなんではないかと思う。

ある一方の人物像に対してだけ信頼を寄せていて、もう一方の人物像に対しては嫌悪しかできないという人は、離れていくだろう。そういう人による支持によってその人の社会的信用が成り立っていたら、それはつまり、その人の社会的な死と言える。

じゃあ、最初から全部をおおっぴらにしていたらどうだろう? そりゃ確かに、その人の品行方正な面だけ支持してくれる人と、スカトロ大好きな面まで含めて支持してくれる人の数を比べたら、前者の方が圧倒的に多いだろう。でも、前者に頼り続ける限り、もう一つの顔がバレて全ての支持を失ってしまうというリスクからは逃れられない。そんな身の丈に合わない高望みや背伸びをしないで、最初から等身大で集められる支持だけに頼って、その範囲内で活動して生きていけるんだったら、そうした方がはるかに気が楽だ。

でもそういう判断ができるのは、まだ何も積み重ねた物がない人間か、よっぽど勇気のある人か、だけだろう。ある一つの面だけ支持している人との関係が多くなり、それらの人の支持に依存して生きる形で生活基盤が形成されてしまっては、それを今更ぶちこわす事なんて多分できない。大人になってからWebを使い始めた人ほど、そういう選択は難しくなると思う。

まだ何の支持も生活基盤も持たない時期からWebに触れ始めた僕のような世代は、その点で、幸せ者なのかもしれない。世の中では、セカンドライフがどうとか、そもそもネット自体がセカンドライフだとか、色々言われてるけれども、僕にとってはネットも含めてこれがファーストライフだ。

古参感情、古参チマンの正体についての考察 - Jul 19, 2007

一つ前のエントリ書いてて思いだした、ちょっと前に「古参感情」なる造語がプチ流行した時に思ってメモしてたことをサルベージしてみる。

という風な例にも見られるように、マイノリティの先駆者・古参者がマジョリティの新参者にあっさり(社会的地位について)追い抜かれていくことに対する忸怩たる思いというのは、世の中に普遍的にあるもののようで、これについて「古参感情」とか「古参チマン」とかそういう名前が付いた、らしい。

以下は僕の勝手な妄想。

古参の人間が悔しい思いをしてるって言うけど、本当に凄い人は新参者が台頭してきた後もちゃんとブームの中で活躍してたりする。「Web標準の日々」にもThe Web KANZAKIの神崎氏はプレゼンテーターとして出席されていたし。ていうことは、結局その「古参チマン」なるものは、単なる防衛規制でしかないんじゃないのか?

世のメインストリームで活躍できるだけの実力も政治力も無くてつまはじきにされたから、他に誰も手を付けていなかった分野に逃げてきた。そしてそこでささやかな活動を続けることがアイデンティティになっていた。負け犬だけで傷を嘗め合い、ちっぽけなプライドを維持していた。

しかしそのうち、その分野に目を付けたプロ達が「新参者」としてなだれこんできて、その分野を世のメインストリームのレベルにまで引き上げてしまった。ハイレベルな世界で生きていけるのは、新参でも古参でも、実力のある者だけ。結局、新参のプロ達と、古参の中でも本当に実力があったごく一部だけが生き残って、元々ただの負け犬でしかなかった古参達はまたもやそこでつまはじきにされることになる。

古参チマンを沸らせてるような奴は、単に、レベルが底上げされたその世界についていくだけの実力、政治力、時流を読む力が無かった、本当の負け犬でしかない――そういうことなんじゃないのか? そう、まさにWeb標準云々の分野での僕みたいに。

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CSS Niteにまつわる一連のアレを見て思った事 - Jul 19, 2007

amachangさんのエントリ金子さん(刺身さん)とのやりとりとを見ていて、どうにも違和感をぬぐいきれなかった。

僕の中ではamachangさんの人間像というのは、朗らかで健全でモテ系で努力家でイケメンでスーパーハカーで非の打ち所のない人、という印象だった。なので、そのamachangさん自身が「外見で他人を差別すること」に殊更嫌悪感を表明している事が、不思議に思えた。今はもう削除されている、金子さんのエントリへのコメントに書かれていた過去のトラウマの話を読んでも、「ねじれてるなあ」という印象が強くなるばかりだった。

「外見で差別するのが許せない」と言いながら、そう言っている自分自身もまた「外見で差別」してる(自分自身がダサくならないように心がけている)、という事に、僕は矛盾を感じる。

外見での差別は何が何でも許せないということなら、世間の価値観に逆らいいわゆる「ダサイ」格好を貫き通すという生き方が、一本筋が通っててある意味で「正しい」と思う。逆に、自分自身もまた外見で差別する価値観から逃れられない・無意識のうちにその価値観に支配されているという業を受け入れるのであれば、他人が同じような業に踊らされている様子を見ても、虚しさを感じこそすれ、激しい怒りを感じる事はないだろうに、と思う。

なんでそこで攻撃性が外に向いちゃうんだろうか、受け流してスルーできなかったんだろうか、と、無責任な第三者の立場からはそう思ってしまう。僕のように自虐キャラが染みついてると、普段から弱みを晒しまくってガスを抜きまくってるから、いざ痛い所を突かれた時も、慣れで案外流せてしまったりして。少なくともヤバいほどのファビョり方はしないで済みそうな気がする。気がするだけかもしれんけど。

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有料イベントの運営者も大変ね - Jul 18, 2007

こんなバトルが勃発してたとは知らんかった。

こういうの見てると、無料で気楽にイベントに参加できるというのは実はとても恵まれてるンだなあ、とかなんとかそういう事を思う。参加無料とかそういうのが当たり前になっちゃってて感覚が麻痺してる(そもそも内情を知る事自体がそうそう無いけど)自分がいることに気がつく。

まあそんな感じで思う所はいくつかあるけれども、単純に金を払う側の心理として、金払ってんだからそれに見合った内容を提供しろよな、と思う感覚は当然僕も分かるし、というか自分が金を払う時はそういう風に考える。前に立って喋る側の人は、例え自分に金銭的な利益が発生していようといまいと、客がそういう気持ちで来ている事を忘れてはいけないんだろうなと思う。気張りすぎて逆にスベる(昨年のINTEROPとか、ありゃ酷かった)のは宜しくないけれども、なんというのか、物を提供する人間としてのプロ意識は持っておくべきなんだろうなと。

ああ……なんか、そういう気持ちって、前の方が強かったかもしれない。世間とか今以上になんにも知らない時、同人サークルで物を制作する時、必要以上に「お客様へのサービス精神」を発揮していた気がする。例え数百円の頒価でも、例え収益をトータルで見れば明らかに赤字であっても、そんな事は会場でお金を払ってくれる人からしたら全然関係ないのであって、彼らにとっては「この金額をこの内容の成果物に対して支払った」それ以上のものを感じてもらう事を求めるのは筋違いだ、それ以上を感じてもらえれば儲け物だ、くらいの。いやあ、今のグダグダさから考えたら信じ難いかもしれないけれども。

無料でやると、そういう責任感はちょっと薄くなる。タダでやってんすから、って事は必要なコストは全部こっち持ちなわけで、ワガママ許してくださいよ、てな具合で。拡張機能の開発とメンテナンスが僕の場合はまさにそんな感じだ。できるだけ気楽にやりたいし、気楽にできるからこそ今のアドオン天国が形成されたんだと思う。責任感じて何も出せなくなってしまうような世界よりは、成功するか失敗するか分からんけど色々な方向に物怖じせず枝を伸ばせる世界の方が、僕は好きだ。好きなのと、向いてるかどうかってのとは、まあ、別問題なんだけど。

水平と垂直と縦と横と個と公 - Jul 06, 2007

ひとつ前の話、やっぱりどうにもならないような雰囲気が漂ってきている。前のエントリで「horizon=横に分断?」と書いたけど、そもそもそういうことじゃないんじゃないかという気がしてきた。

「Arrange windows horizontally」という文章を読んだときに、たぶん、日本人と英語圏の人とではこう解釈が別れるんだと思う。

  • 日本人は「公」が先にきて「個」が後にくる解釈をする。個人の意志や状態よりも、公の場の空気とか命令とかの方が、優先順位が高いと考える。だから、まず最初に「horizontally(水平の)」という「公」を考えて、その中に「window」という「個」をあてはめていく。それゆえ日本人は、この文を「ウィンドウを横に並べる」という意味に取る。
  • 英語圏の人は「個」が先にきて「公」が後にくる解釈をする。公の場の空気とか命令とかよりも、個人の意志や状態の方が、優先順位が高いと考える。だから、まず最初に「horizontally(水平の、横長の) window」という「個」を考えて、それらが画面という「公」の中にどのように収まっていくかを考える。それゆえ英語圏の人は、この文を「ウィンドウを縦に並べる」という意味に取る。

そうなんだとしたら、「Left-to-Right」と言おうと何と言おうと、日本人と彼らとの間で解釈が逆になってしまうことは永遠に避けられない。

水平と垂直と縦と横 - Jul 06, 2007

分割ブラウザの「タブを横に並べる」「タブを縦に並べる」機能――タブで開かれて「スタック」状になっているWebページを、ウィンドウを横または縦に分割して「タイル」状に平面上に展開する機能――について、複数の人から「名前がおかしい」という指摘があった。

僕の作っている拡張機能に含まれている日本語以外のロケールは僕以外の人が英語ロケールを元に訳したものなので、当然、その内容は英語ロケールに準じている。指摘をしてきた人というのは、それらロケールを作成しているローカライザーの人達だ。

一人から言われるだけならまだしも、複数人から言われるというのは、説得とか説明とかそういうレベルの問題ではないと思って、気にはしていたものの、自分の考えが間違っているという確証を持てなかったので、現状維持のままでいたのだけれども、英語圏で生まれ育った人と話す機会があったので、せっかくだからとこの事を訊ねてみた。

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不始末 - Jul 01, 2007

自分のしでかした不始末には自分で片を付けなくちゃいけない。例えそれが故意であろうと過失であろうと。――ということを、人はどのようにして学ぶのだろう。

僕自身の場合は、それだけがきっかけなのではないだろうけれども、一つ、強く覚えているエピソードがある。

小学校の給食の時間。僕の母校では牛乳は牛乳瓶で出されていたのだけれども、ある時、僕は瓶を倒して自分の牛乳をこぼしてしまった。わざと倒したわけではなく、手が布巾に引っかかってとか、そんな感じだったと思う。

その時の僕の考えは、こうだ。「あ、倒れちゃった。でも、わざとやったんじゃないんだから、僕が悪いわけじゃないよね。わざと倒したんだったら怒られて当然だけど、わざとじゃないんだから怒られる必然性はないよね。」それで、倒れた牛乳瓶のことなんかほっといて続きを食べていた。なんといっても、その日のメニューは僕の大好きなカレーだったのだから、そっちの方が僕にとってはずっと重大事だった。

やがて同じ班(僕の母校では6人くらいで机をひっつけあって班を作って給食を食べるルールになっていた)の人がぞうきんを持ってきて床を拭きだしたけど、関係なかった。だって、わざとやったんじゃないんだから、僕が罰として掃除をさせられるいわれはない。これは誰のせいでもない不幸な事故なんだ。みんなの机も汚れてしまったけれども、僕の机も汚れてしまったんだから、みんな被害者なんだ。だから、掃除当番の人か、掃除をするのが好きな人や片付けをするのが得意な人がやればいいじゃないか。

そしたら、先生に怒られた。「自分でこぼしといて食べ続けてるとは何事だ!! しかも関係ない他人に掃除させて!! 自分でやった事なんだから自分で責任取って掃除しなさい!!!

僕はなんで怒られないといけないのか分からなくて泣いた。僕は「悪く」ない、わざと牛乳瓶を倒すような悪党じゃないのに。なんで先生が僕を怒るのか、ちっとも分からなかった。どうして「被害者」の僕が怒られるのか、理由が全然分からなかった

いや、べつに、一字一句この通り当時の僕が考えていたわけではないし、先生がその通り言ったわけではない。今になって思えば僕はこう言いたかったんだろうし、先生はこう言いたかったんだろう、という事を再現ドラマ風に書いてみたという事なんだけど。

僕のこういう性質の根っこの所は、多分今でも変わっていないんだと思う。うっかりミスで何かを壊したり汚したりしてしまった時、怒りの矛先をどこに向けたらいいか分からなくて「ああもうっ!!」とイライラすることが今でもよくある。「自分のせいじゃない、誰か他の奴、あるいは、運命とかいう物のせいなんだ。なのに、どうして自分が責任取って後片付けしなきゃいけないんだ。ムカつく。」内心では多分そう思っている。

ただ、その感情を押さえつけて、世間様と波風立てずに生きていけるようにする、そのための技術は多少は身に付けた。誰のせいでもないとしても、発端が自分のした事であるなら、自分が責任を取らないといけない。自分がした事でなくても、自分の監督下で起こった事なら、自分が責任を取らないといけない。自分の監督下でなくても(以下略)、と。

僕と同種の人間が、そういう術を身に付けないままに大人になってしまうとこうなるのかな、ということを、今回の件では思った次第です。

それ以上の事、例えばも組の対応が適切だったのかとかそういったことについても思う所がないわけではないですが、それはまた、別の、お話。(森本レオ風に)

蠅取り - Jun 17, 2007

ネットイナゴを集めるblogは、「ネット蝿取り紙」

いまどき、蝿取り紙なんて知らない人の方が多いかもしれません(^^;。とあるけれども、昨年夏に蠅が大量発生した折に色々な蠅グッズを試してみた中で最も効果が高かったのは蠅取り紙(蠅取りリボン)であったことは特筆しておきたいポイントであります。

匿名と責任 - Jun 15, 2007

yuuさんのツッコミで「匿名の反対は実名ではなく記名」というのを読んでふと思ったけど、匿名でマスコミュニケーションを取るという時、怪文書とかゲリラ的にビラをばらまくとかの場合を除けば、旧来は多くの場合は、「匿名投稿」とか「匿名記事」とかいうふうにして投稿者や執筆者が責任から逃れて、その代わりに、掲載するメディアが責任をかぶるという感じだったんじゃないのかなー。

記名記事は記者個人の責任が大きいけど、そうじゃない記事は編集部全体の意向であり全体に責任がある、みたいな感じで。匿名投稿も、それを掲載するかどうかという所でメディアの責任が問われただろうと思う。つまり、匿名とは言っても、実質的には、それを代わりに掲載するメディアが身代わりになって実名で言論を行っていたようなものだった、と。

でもインターネットでは、誰も責任をとらないまま匿名のマスコミュニケーションが実現されている。特に、2chというメディアとその責任者のひろゆきは、自分の持っているメディアに掲載された匿名の情報について責任を取らないという立場を取っているし、実際、裁判に負けてもお構い無しで、全然責任を取っていない。

っていうかそもそもマスメディアだって、匿名の言論を掲載することに対して責任を負う気があるのかどうか怪しいもんだけどね……「これは自分達でなく情報提供者が言ったことです、ソースは明かせません、でも自分達は責任を取る気はありません」みたいな。TBSの不二家に対する捏造報道あたりがその顕著な例だ。

社会全体が、無責任な匿名の言論を許容する方向に向かってるんだろうか。

匿人格 - Jun 14, 2007

匿名と実名

「匿名」って言うよりは「匿人格」って言った方が、僕のような人間が嫌っている対象のことを、字面の上ではより正確に表せそうな気がする。「匿人格」の意味は、黒木ルールが指す「匿名」と同義ってことでヨロシク。

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