Jul 01, 2007
不始末
自分のしでかした不始末には自分で片を付けなくちゃいけない。例えそれが故意であろうと過失であろうと。――ということを、人はどのようにして学ぶのだろう。
僕自身の場合は、それだけがきっかけなのではないだろうけれども、一つ、強く覚えているエピソードがある。
小学校の給食の時間。僕の母校では牛乳は牛乳瓶で出されていたのだけれども、ある時、僕は瓶を倒して自分の牛乳をこぼしてしまった。わざと倒したわけではなく、手が布巾に引っかかってとか、そんな感じだったと思う。
その時の僕の考えは、こうだ。「あ、倒れちゃった。でも、わざとやったんじゃないんだから、僕が悪いわけじゃないよね。わざと倒したんだったら怒られて当然だけど、わざとじゃないんだから怒られる必然性はないよね。」それで、倒れた牛乳瓶のことなんかほっといて続きを食べていた。なんといっても、その日のメニューは僕の大好きなカレーだったのだから、そっちの方が僕にとってはずっと重大事だった。
やがて同じ班(僕の母校では6人くらいで机をひっつけあって班を作って給食を食べるルールになっていた)の人がぞうきんを持ってきて床を拭きだしたけど、関係なかった。だって、わざとやったんじゃないんだから、僕が罰として掃除をさせられるいわれはない。これは誰のせいでもない不幸な事故なんだ。みんなの机も汚れてしまったけれども、僕の机も汚れてしまったんだから、みんな被害者なんだ。だから、掃除当番の人か、掃除をするのが好きな人や片付けをするのが得意な人がやればいいじゃないか。
そしたら、先生に怒られた。「自分でこぼしといて食べ続けてるとは何事だ!! しかも関係ない他人に掃除させて!! 自分でやった事なんだから自分で責任取って掃除しなさい!!!」
僕はなんで怒られないといけないのか分からなくて泣いた。僕は「悪く」ない、わざと牛乳瓶を倒すような悪党じゃないのに。なんで先生が僕を怒るのか、ちっとも分からなかった。どうして「被害者」の僕が怒られるのか、理由が全然分からなかった。
いや、べつに、一字一句この通り当時の僕が考えていたわけではないし、先生がその通り言ったわけではない。今になって思えば僕はこう言いたかったんだろうし、先生はこう言いたかったんだろう、という事を再現ドラマ風に書いてみたという事なんだけど。
僕のこういう性質の根っこの所は、多分今でも変わっていないんだと思う。うっかりミスで何かを壊したり汚したりしてしまった時、怒りの矛先をどこに向けたらいいか分からなくて「ああもうっ!!」とイライラすることが今でもよくある。「自分のせいじゃない、誰か他の奴、あるいは、運命とかいう物のせいなんだ。なのに、どうして自分が責任取って後片付けしなきゃいけないんだ。ムカつく。」内心では多分そう思っている。
ただ、その感情を押さえつけて、世間様と波風立てずに生きていけるようにする、そのための技術は多少は身に付けた。誰のせいでもないとしても、発端が自分のした事であるなら、自分が責任を取らないといけない。自分がした事でなくても、自分の監督下で起こった事なら、自分が責任を取らないといけない。自分の監督下でなくても(以下略)、と。
僕と同種の人間が、そういう術を身に付けないままに大人になってしまうとこうなるのかな、ということを、今回の件では思った次第です。
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それ以上の事、例えばも組の対応が適切だったのかとかそういったことについても思う所がないわけではないですが、それはまた、別の、お話。(森本レオ風に)
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