たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。
以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能!
Ez Sidebar、ずっと放置してたけど更新した。install.rdfの記述もFx 2で使えるように直した。なんかエラーが起こってたから直さなきゃと思ってずっとあれこれしてたけど、見当違いの所ばっかり見てて6時間以上は無駄にしてしまった
うーん。対象バージョンをFx 2以降くらいに限定して作りを直すべきかなあ……現状は、他の拡張機能が動かないとか諸々の意見を受けて、このさいだからとbrowser.xulをそのまんまオーバーレイで読み込ませる事でブラウザに組み込まれた拡張機能もすべて分離したサイドバー内に読み込むようになってるんだけど、分離したサイドバー内で動作することを想定されてない(ていうか普通はそうだ)拡張機能、例えばXUL/Migemoとかでエラーが起こってしまっていて、動作の上では問題ないんだけど、エラーコンソールにエラー表示が出るのがいまいちキモい。
これを解消するには、不精してbrowser.xulまるごとオーバーレイで読み込むのをやめて、必要な所だけをezsidebar.xulに直に書く事なんだけど……コンテキストメニューの定義の事とか考えると気が重くなってきて、やっぱりやめようかな……って気になってくる。
キングソフトオフィスがよかったの以下の節。
IE7 もインターフェースがガラッと変わったソフトだけど、なぜか母はたったの3日で対応できてしまった。不思議です。Firefox の方がよほど IE6 に似てると思うのだけれど、母は乗り換えませんでした。MS スゲーと感心した次第。自分もその後、Office2007 で同様の奇跡体験をし、MS の底力を実感させられました。
これって単に、その人が「インターネットを見るにはこの青いeのやつを2回クリックして出てくるやつを使わないといけない」と思ってるから順応しただけだろう。と思った。
僕自身は、なんだかんだ言いつつ仕事のメイン環境をLinuxにせざるを得ないという状況に置かれて、「慣れられるか慣れられないかじゃない。慣れるんだ。」みたいな感じだったから、あれだけ使いにくいDebianのKDE環境にも順応してしまった。今はUbuntuのGNOME環境だけど、これも同じ理由で順応した。さんざんウンコだウンコだと言ってるGIMPですら、他に仕事環境で選択肢がないから使い慣れてしまった。開発環境としてのFirefoxも、Mozilla Suite系がメインストリームじゃなくなると決定した段階で乗り換えて、順応した。そもそも昨年4月から東京にやってきていきなり独り暮しが始まった(それまで親元べったり)けれども、なんだかんだで今日まで生きてこれている。人間その気になればこの程度の違いには簡単に順応できてしまうのだろう。
順応できなかった物を振り返ってみると、どれもこれも、それがなくても生きていけるものばかりだ。Inkscapeは、SVG形式での入稿を受け付けてくれるような印刷業者がないから結局いつもIllustratorを使わざるを得なくてそっちに慣れてしまったから全然使ってないし、Photoshopも、積極的に乗り換える動機がなかったから僕はまだフォトレタッチ系ツールはFanfare Photographerがメインだ。そもそも自宅環境は相変わらずWindowsだし。読み書きでは英語を多少書けるけど喋る方はてんでダメだし、Linux使ってるといっても、代わりにやってくれる人がいるからシェルスクリプトの一つも未だ満足に書けやしない。
いつまでも順応できない最大の理由は大抵、「順応することに本腰入れてないから」というただそれだけのことでしかない。
UIを似せるというのは、乗り換えコストを引き下げる手助けにはなるけれども、乗り換えを決意させる決定的な材料にはならない。乗り換えを決意させさえすれば、どんな劣悪なUIだろうと結局は順応してしまう。MicrosoftやWindows、Officeというブランドは、それができる力を持っている。いや、「乗り換えを決意させる力」というよりは、「乗り換えないこと(新しいMicrosoft製品の使い方を覚えないこと)を諦めさせる力」とか「屈伏するしかないと思わせる力」とか「追従し続けることをやめたら生きていけないと思わせる力」とか言った方が、実態に合っているかもしれない。これは心理的なベンダーロックインと言えるかもしれない。
……ということを、二宮町役場の話を見ていても、思えてくる。この職員達は特別に適応能力の高い天才なのか? 違うだろう。
まとめサイトのXPCOMコンポーネント開発の資料に、須藤さんがLinuxとMac OS XでのC++でのコンポーネント開発のチュートリアルを書き加えてくださった。というわけでそれに触発されて自分もJavaScriptで実際にコンポーネント作ってみた。
以前からこのページにあった解説はコンポーネント名やなんかが全部「xxx」という形になってて何がなんだか分からなかったので読む気がしなかったんだけど、須藤さんが書いてくれた部分は英語の原文と同様にコンポーネント名とかもちゃんと具体例を示してあったので、それを見ながら試してみることで、やっと理解することができた。というわけでJSの例も具体例を示すように書き直しておいた。
世の中的には、どうなんだろう。具体例から原則を見出すチュートリアル式のやり方と、原則から具体例を導き出すやり方の、どっちがウケがいいんだろうか? 先日書いたSoftware Designの記事(次号掲載予定)はチュートリアル的な書き方を意識して書いたし、自分が記事を書くときはなるべくそうするようにしてるんだけど、思考回路が全く自分と異なる人から見たら、こんなのまどろっこしくてとてもじゃないけど読んでられねえ、というものなのかもしれない。
そしてもし頭の良い人達にそういう人の方が多いのだったら、馬鹿な僕がサンプルを勝手に具体的な物に書き換えたことによって、彼らの足を引っ張ることになってしまっているのかもしれない。だとしたら申し訳ない限りだ。
くでんさんの記事を見て改めてプレビューサイトにログインしてみたら確かに僕の奴は全部サンドボックス(品質が低いと見なされた拡張機能が放り込まれる所。ここにある物は一般ユーザからは見えない。)行きになってました。
まあ中には放置しっぱなしで動作の怪しい物もあるんでしょうがないんですけど、一応自分的には「これはそれなりに安定してるんとちゃう?」と思ってる物も全部サンドボックスに突っ込まれてたので、いくつか拾い出してもバチは当たるまい、と思ってNominate to appear on public site
のリンクをクリックしてみたんだけど……一般に公開するアドオンは、サンドボックスに置かれているアドオンよりも品質が高く、Web の利用価値を高めるものでなくてはなりません。
と言われると「うーん……そう言われるとべつに品質高くもないし役に立つようなものでもないし……」と思えてきて、「くだらねー物を何個もノミネートしてきやがって余計な作業増やしやがってこいつムカつくマジで死ねよ」とか思われるのも悲しいし、という感じで「Nominate」ボタンをクリックするのがためらわれて、すごすごと引き返してきました。
まあサンドボックス内にあっても拡張機能のページ単体を直に表示すれば見れることは見れるようなので、今後は旧バージョン置き場+比較的安全なダウンロード元としてだけ使うのが僕の場合は性に合ってるのかな……と、卑屈な気分になっている僕がいます。
女の論理―“蒸し返し論”だなんて採り上げ方をしてまた男女の対立を煽ってる人がいるようだけれども、なんてことはない、こんなの単に「幼稚だから」の一言で済む事じゃあないか。男女の違いと結び付けて語ろうと考える感覚が、理解できない。
何でそう思うかといえば、他でもない自分自身が、ここで「女の思考・行動」として挙げられてるような考え方を持っているから。そんな自分を僕は自分で「幼稚だ」と認識しているから。僕の他にもこういう男の人がいることを何度か目の当たりにしているから。そんな人達のことを「幼稚だなあ」と思うから。
医療崩壊の発現――普段弁当の内容とかほのぼのした話題が中心のkinaさんの日記でこの話題が出てくるということ自体が、事の深刻さを物語っていると思う。(って、失礼な表現だな自分)
国立循環器センターって、名前からしてもう大御所って感じじゃないすか。そこの<ruby><rb>ICU</rb><rp>(</rp><rt>集中治療室</rt><rp>)</rp></ruby>を担当してた医者が全員一気にいなくなるって、あんまりにも異常事態過ぎて、kinaさんのエントリを見てから今までむしろ触れられなかった感じだ。
こないだ大阪に帰った時に検診して貰った際にも、歯医者の先生がボヤいてた。政治が悪すぎる。医療費削減削減で日本の医療はもうボロボロだ。と。
保険料の自己負担分が増えて患者は余計に金がかかるようになって、医療費が削減されて医者は余計に安い給料でこき使われるようになって。制度自体を崩壊させようとしてるとしか思えないなあ。これも、国は国民の健康も教育もなーんも面倒見ませんよ、という「小さな政府」を実現するための作戦なの?
医療崩壊のスピードを速めているのは、制度に加えて訴訟リスクの影響も大きいんだってね。医療ミスじゃない物まで医療ミスとして訴えられて、医療の現場も知らなければ医学も当然知らない裁判官が「これは医療ミスだ」という裁定を軽々しく下して、それをマスコミが「患者の勝利だ」と報じて、一般人は「医者は医療ミスばっかりだ、何かあったら自分も医療ミスの被害者として訴えなければ」という気になって……みたいな循環。産科医が減ってるのはまさにそのせいで、柳沢厚労相が言うような「出産件数が減ったからそれに会わせて産科医も減ってるんです」みたいな流れでは決してない、と。
国の制度が破綻してるってことは、制度に頼らないで生きて行かなきゃいけないって事で、そのためには金が必要なわけで、ますます貯蓄に励まなくてはいけないわけで、財布の紐はきつくなって、消費は冷え込み、景気は後退し……
この国もいつまで存在してるんでしょうね、ほんと。
「いつも予防線張ってばっかりだな」と、よく言われる。
確かに自己保身のための予防線を多用しているのは否定できない。けれどもこの予防線は、ただそれだけでなく、僕なりの、他人に迷惑をかけないための知恵のようなものでもあると思っている。
僕は自分自身、頭の悪い感情的な人間であることをある程度は自覚しているつもりだ。お涙頂戴なストーリーで泣くし、あるある大事典だのみのもんただののいうことにすぐ騙されるし、権威に弱いし、etc. その中でも今回とりあげたいのは、ストレス耐性が低い、ヒステリックになりやすいという部分である。一種の病気、軽い知的障害のようなものではないかとも考えられる。
他人に責められた時、詰問された時、僕は、冷静且つ柔軟な対処というものができない。最近の例ではいわいさんの追求に音を上げている様子なんかを見ればよく分かると思う。予想外の攻撃という物に僕はとことん弱い。圧迫面接なんかをやられたら真っ先に脱落するタイプの人間だ。
面接でヒステリーを起こすのは、自分にとって不利益になるだけだからまだいい。問題は、日常でのヒステリーである。例えば友人相手にしょっちゅうヒステリーを起こしていたらどうなる? 好意で指摘してくれたことに対していちいちキレてつっかかっていつまでも相手を言い合いの場に拘束してなんかいたら、相手の時間を無駄にするし、嫌な思いをさせる、端的に言えば、僕にも相手にも不利益にしかならない。また、その相手が仕事の同僚だったら? 上司だったら? 取引先だったら? 事態はもっと深刻だ。
「なに? 予想外のツッコミに弱い? ジョジョ、逆に考えるんだ。すべてのツッコミを予想しておけば弱点はなくなると考えるんだ。」――おお、ジョースター卿! まさにそれだ!
「予想外の攻撃に弱い」ということは、「予想の範囲内ならなんとか対処できる、最悪でも耐えることはできる」ということでもあると言えるのではないだろうか。可能な限り様々なツッコミに対してあらかじめ予防線を張っておくことで、いざそういう事態に陥った時にも冷静に対応できるのではないだろうか。
そういうわけで僕は、何に対しても無意識のうちに予防線を張っているのだと思う。
明日にでも職を失い路頭に迷うかもしれない。明日にでも隣からのクレームで部屋を追い出されるかもしれない。明日にでも彼女に見捨てられて。また孤独に逆戻りかもしれない。明日にでもありとあらゆる人から見捨てられ嫌われるかもしれない。明日にでもスキミングに遭って口座から預金をそっくり引き出されて、貯蓄がゼロになるかもしれない。明日の朝、もしかしたらもう二度と目が覚めないかもしれない。もしかしたらこの1分後には、部屋にトラックが突っ込んできて死ぬかもしれない。北の核ミサイルが飛んできて、町ごと消し飛んでいるかもしれない。何事にも期待してはいけない、期待しないように努めないといけない。期待が外れた時、落胆するだけで僕という人間は留まってくれないから。ヒステリーになるから。
という、生活の知恵、心の病気とうまく付き合いながら生きていくための工夫なのです。
寝高の広場というブログにおいて、2007年度から色々変わるようだという話が書かれていた。
とかなんとか。
実際自分の身の回りを見ても、現役合格できなくて浪人した人とか結構いるし、自分自身数学と物理は赤点以外取ったことなかったし、「成績の低下が著しい」と言われると、ぐうの音も出ないわけですが。
しかしまあ、卒業してから何年も経ってるし、実際に今の空気を吸ってるわけじゃあないから、何か言う権利が自分にあるのかっていうと疑問だけど、とりあえず思ったのは、「今の校長ってずいぶん無能なんだね。教員も。」ということ。
窓の杜の記事は、Yahoo!やInfoseekなどのポータルでも同じ物が公開されているんだけれども、それらを全部合わせたよりもmixiニュースからのアクセスの方が2桁ほど多かった(追記。2桁は事実誤認でしたスマソ。ポータルからのアクセスで捕捉されてるものが1カ所あたり1桁、mixiからが3桁でしたが、ポータル全部合計したら2桁いってました。ハイ。)ことには、正直驚いた。ミクシィやばい。宇宙やばい。
まあそれもあくまで瞬間最大風速で、累計では窓の杜の元記事からのアクセスの方が多いんですけどね。
あと、アクセス数の差ではなく、実はリファラを隠してる人が多いか少ないかの差だったりするのかもしれんけどね。