たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。
以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能!
リーナスがGNOMEよりもKDEの肩を持ったらしいという話を見て。
昨日ほんの少し触っただけで偉そうなこと言っちゃいけないとは思うんだけど、確かにKDEの方があれこれできてスッキリするなーと思った。GNOMEは「あれ? 一見できそうに見えるのに、これ、できないの?」と思うようなことが多くてもどかしく、イライラする。Nautilusで左ペインをツリー表示にした状態でツリーのフォルダをドラッグ&ドロップできないとか、そういったところで。
見る人によっては、Firefoxもそういうものという風に見えるんだと思う。というか普通の人がFirefoxを見たら、僕がGNOMEに対して抱いた感想と同じものを感じるのではないだろうか。僕は幸いにして拡張機能の使い方を知っているので、Firefoxはどこまでもカスタマイズできることを知っているので、「なんだこんなこともできねーのかよクソ!」と思わずに済んでいる。でもカスタマイズの仕方が全く分からない、そもそもカスタマイズできるのかどうかすらも知らないGNOMEについては、「なんだこんなこともできねーのかよクソ!」と思ってしまった。「よりスマートな解法を示せないんだったら、既存の解法を使う余地くらい残しといてくれよ」みたいな。
慣れの問題と言われればそれまでなんすけどね。
Firefoxが「初心者として低機能な設定UIを使うか、上級者としてabout:configやらXULの編集やらでとことんカスタマイズするか」の二択であるのと同様に、GNOMEも「初心者として縛りのきついGNOMEのGUIを使うか、上級者としてコンソールだけで生活するか」の二択なのかしらん。それって超きついっす。
夜中に角から落っことしたLet's noteを今朝会社で使ってみたらなんだかESCキーの辺りがへこへこしてて、ヤヴェー壊しちまったか!! と焦ったけど、「半角/全角」と「F1」の間あたりをぐっと押し込んでみたらカチッと音がしてキーボードのパネルが再びしっかり固定された。
いやマジで焦るよほんと。
ぐぎぎぎぎ。MAMMA MIA!のサントラには、エンディング後の曲も入ったバージョンがあったのか!!どうせなら劇場でもこっちを売っててくれればよかったのに!!
改めて思った。この幸せは誰にも譲り渡せない。譲りたくない。むしろ、墓の中まで持って行く。
現代のコンピュータは「道具」だ。
道具とは、ただそこに在る物だ。道具は何も考えない。人が触らなければ何もしない。
道具は機能がシンプルであればあるほど、良いものが作れる。例えば「包丁」。包丁は物を切ることに特化した素晴らしい道具だ。また、どこが持つべき場所でどこが触ると危険な場所か、見てすぐに分かる。
道具の機能が増えれば、人間の側にも努力が必要になってくる。「鋏」は「包丁」に比べると、パーツが二つに増えて、扱いが難しくなっている。二つの穴に親指と人差指を入れること、指を開いたり閉じたりすることが刃の開閉に連動することなど、いくつかの約束事を覚えなくてはならない。鋏を使うのにすら、人間は、習熟が必要なのだ。
コンピュータは、これら単純な機械に比べると、はるかに機能が複雑だ。そしてその分、習熟にも時間と手間がかかる。コンピュータが「道具」である限り、これは動かしようの無い事実だ。
習熟の必要が無いのは「召使い」だ。
召使いと道具の間には決定的な違いがある。それは「知性」の存在だ。召使いは知性を持っているから、主人の側に合わせて臨機応変に行動できる。
知性を持たないコンピュータを、人間に合わせて働かせるということは、コンピュータを作っている「知性を持った人間」が、ユーザに合わせて働くということだ。現在のコンピュータに「どこまでも人間に合わせること」を求めるのは、開発者に「どこまでもユーザに尽くすこと」を求めること、開発者がユーザの召使いとなることに他ならない。
良識ある人は、知性を持った相手に対しては敬意を持って接する。しかし良識がある人でも、知性を持たない道具に対しては居丈高に接する。知性を持たないコンピュータに居丈高に接し、召使いと同じ物を求めるのなら、それは、コンピュータの向こう側にいる知性を持った人間に対して居丈高に接するのと同じことだ。コンピュータを介することで、その事実が隠蔽され、良識ある人でも、他人を奴隷のように扱うようになっているのではないだろうか。
「IT土方」はこうして生まれるんだろうか、と、ふと思った。
「今日明日とエロマンガ描かないといけないので、その仕事は明日までにはできません。」
並の技術者にはこの台詞は口にできまい。
ていうか技術者ちゃうやん。
メインマシンが黄泉の国に旅立ってしまわれました。合掌。
いやね。以前マザボが炎上した時、当時使ってたHDDも一緒にイカレてるんじゃないかという疑いがあったので、160BGのディスクを新たに買ってきたんですよそのとき。で、そのディスクにWin2kを新規インストールして、メインマシンの環境を構築し直して使ってた。これが昨日までの話。
160GBのディスクにWin2k(SP3)のCD-ROMから直接Win2kをインスコしようとすると、128GB以上の領域は見えなくて、128GBまでしか使えないらしいんですな。んで64GBのパーティション2つ作って使ってたんです。今回こういうことになるまで、そのことに全然気づいてなかったんだけど(バカ)。
んでRAIDのディスクを初期化するために「コントロールパネル」の「管理ツール」の「コンピュータの管理」でパーティションの操作とかしようとしたんですが、ここで見たら、例の160GBのディスクの「認識できないはずの領域」が認識できてたんですね。んで、RAIDの方の領域を確保したりフォーマットしたりするついでに、ここも領域確保しちゃえ!と。NTFSでフォーマットするぜ!と。
んで、新たにパーティションが増えて、フォーマットも見た目上は普通に終わって、早速元の2つのパーティションの内容をRAIDの新しいディスクにコピーし始めたのです。そしたらしばらくはちゃんと動いてるんだけど、特定のファイルだけコピーできなくなったりして、そのうちWin2kが固まって、おかしーなーと思って再起動したら、もうWin2kは還ってこなかったのでした、と。そんな感じ。
いやーほんと焦ったね。心臓バクバク鳴りだすわ、ヒザががくがく震えるわ。
とかなんとか呑気に書いてるって事は無事復旧できたのか? と思われるかもですが、これ仕事用の別のマシンで書き込んでるんですよね。問題の160GBのディスクは相変わらず死亡中。大事なデータとかバックアップ取ってなかったので、本気で茫然自失です。半分ヤケクソ。
さて。症状を見るに、パーティションブートセクタが壊れたという状態なのでしょうか?
……試してみたけどダメだった。さてどうしてくれよう。
あー。Win2kが止まってしまう直前、「データ エラー (巡回冗長検査 (CRC) エラー) です。」とか「インページ エラー」とか出てたなあ。もはや物理的に壊れてしまった?
……トホホホホホホーッ