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「避モテ」の読み方とはてなキーワードとコンセンサス - Sep 26, 2005

「避モテ」の読みは「ひもて」が妥当じゃないのかおよび「避モテ」の読みを「さけもて」にした理由より。

単に、全く誰からも恋愛対象として見られない・愛されない状態を「非モテ」と言うのに対し、そこまで世の中が俺に冷たくするんだったら俺はむしろもう恋愛とかどうでもいい・モテたくなんかない、キモがるやつは上等だ、徹底的に戦ってやる、という立場を選択的に取ることを「避モテ」と呼ぶ、という流れが非モテの話題においてできつつあるようなのだけれども、この「避モテ」をどう読んだらいいのさという話。「はてなキーワード」で「避モテ」がキーワード化されるにあたって表面化した問題だ。

金子氏は「<ruby><rb>非</rb><rp>(</rp><rt class="読み">ひ</rt><rp>)</rp></ruby>モテから発生した言葉で、ある種の洒落でもあるから、<ruby><rb>避</rb><rp>(</rp><rt class="読み">ひ</rt><rp>)</rp></ruby>モテと読むのが正しい」という主張。対して 加野瀬氏は、「<ruby><rb>市立</rb><rp>(</rp><rt class="読み">いちりつ</rt><rp>)</rp></ruby>と<ruby><rb>私立</rb><rp>(</rp><rt class="読み">わたくしりつ</rt><rp>)</rp></ruby>のように、発音時に判別をしやすくするためにも、敢えて<ruby><rb>避</rb><rp>(</rp><rt class="読み">さけ</rt><rp>)</rp></ruby>モテと読むべきである」という主張。

僕は言葉の意味とかそういったことには保守的(自然発生的に使われだした言葉・用法に対して、これが本当の意味だ! と積極的に定義していくことには否定的だけれども、コンセンサスを得られてきているのならば、それを追認するのが妥当であろう、という意味での)な人間なので、金子氏と同意見なのだけれども、実用性のことを考えた加野瀬氏の提案にも納得はできる。

ただ、本当の問題は、その新しい読み方はコンセンサスを得られているのか? 提案レベルのものをキーワード化するのが望ましいことなのか? ということだと僕は思う。

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経験主義 - Sep 25, 2005

明治セックル維新 新政府御性文帖番外編Ⅱ 経験主義の陥穽 - 過下郎日記モテてから云え - 赤子ピューレ

モテたこともないくせに「別にモテたくない」って云ってるひとを見ると
いや、まあいいからまずモテてみてから云おうな、っておもっちゃうのね。

世界中から嫌われたこともないくせに「まずモテてみろ」って云ってるひとを見ると
いや、まあいいからまず世界中から嫌われてみてから云おうな、っておもっちゃうのね。

ということで、同じ論法で批判可能な矛盾した物言いだけは避けるようにしたいものですね、と。きっと本人はその矛盾に気付いてないんでしょう。

要点は以下の通り。

  • 人間は、想像に基づいて話をすることができる。
  • 日本人は、実体験に基づいて話すことも、想像に基づいて話すことも、自由である。この自由は表現の自由として憲法21条でも保障されている。
  • 「経験したこと無い奴は語るな、黙ってろ」は不当に自由を奪う言論封殺である。
  • ただ、実体験に基づいて話すことと想像に基づいて話すこととでは、説得力が違って当たり前である。

「表現の自由」っていうと、それを以て「尊敬される」とか「説得する」とかそういったことまで保障されてるように考える人がもしかしたらいるのかも知れないけど、それは違うんだよね。エロゲーを題材にセックスのことを語ってみたりなんてことをするのは確かに「自由」だけれども、その結果キモがられるのは当然の「リスク」なんだ。ただ、憲法は、僕らがこういうキモい言動をすることの自由を保障しているだけであって、キモがられないことまでは保障していない。逆の視点から言えば、僕のことをキモいと思うこと自体は、これまた憲法19条「思想の自由」で保障されているのだ。キモいと言うことも「自由」だし、その結果僕にケンカをふっかけられたとしても、それも当然の「リスク」だ。

自分は批判するけど相手による批判は許さないという絶対安全圏を作ろうとするのは、自由というものを勘違いしている。という話。

DQNの子を非モテが養子として迎え入れること - Sep 24, 2005

883 名前:('A`) 本日のレス 投稿日:2005/09/23(金) 01:01:19 0

悪いが俺はDQNが生み捨てたガキなんぞ、金もらっても育てる気ないな。

孤児の身の上には同情するが、せいぜい親を反面教師にして、

真人間に育ってくれることを祈るだけだ。


884 名前:('A`) 本日のレス 投稿日:2005/09/23(金) 01:02:57 0

子供は親とは関係無い、という俺は少し子供に甘すぎるだろうか。

その親は今すぐ死ぬべきだが、子供に罪は無い。


886 名前:('A`) 本日のレス 投稿日:2005/09/23(金) 01:05:11 0

>>883

激しく同意なわけだが、もし「こいつは俺か?」っていうくらい、

自分が小さかった頃を思い出させるような子供がいたら、俺はわからんな。

人間の価値は遺伝情報よりも、後天的に形成される人格にあると信じたい。


887 名前:嵐商事 ◆cDQE7L84QY 本日のレス 投稿日:2005/09/23(金) 01:07:23 0

>>884殿

貴殿の教育しだいでありましょうが、大概は「蛙の子は蛙」ですぞ。

蛙の遺伝子を受け継いだ者を完璧に非モテ化させること、DQNの遺伝子を受け継いだ者に惨めな人生を送らせることが、DQNに対する何よりの復讐になるのではないか、と思った。

ネタじゃなく結構マジで。

でも、DQNってそもそも自分の遺伝子を受け継いだ子供が不幸せになろうとどうなろうと構わないっていう人のことでもあるからなあ。

かといって放っとけばDQNの再生産にしかならんし。

つまり、こうだ。DQNの遺伝子を受け継いだ者を、どうにかして政治家とか弁護士とかにならせて、世の中をDQNの住みづらいものに変えていくこと。これなら復讐になる。うん。

問題解決がらみで - Sep 24, 2005

「あなたに必要なのは、諦めることだ」という解決策の提示。短期的に解決することを目指して焦るのではなく、敢えて問題を棚上げし長期化させることによって、短期的なストレスを解消する。これも有効な解決策だ。

テロを伴う非モテ活動の「解決策」としてのまずさはここにある。活動そのものが、自らのストレスを増大する方向にしか働き得ないからだ。ということは、これが解決策として有効なのは、自分自身が「ストレスを感じることがストレス解消」という人間であるタイプ、ぶっちゃけていえば、マゾヒストである場合だけだと言えるのではないかと思う。

テロりながら愛されたいと願う矛盾 - Sep 24, 2005

結局、非モテを取り巻く世界も、非モテの人自身も、臆病すぎるんじゃないのか。今までの価値観と違うものを受け入れる事への不安、今までの自分が失われてしまう事への恐怖。だから過剰反応して、非モテイジメに走ったり非モテのテロなんてことをしてしまう。どうしてそこまで頑なにならなくてはならないのだろう。

というか益田ラヂヲ氏の考えがますます一層分からなくなってきた。

詰まるところテロに走るというのは、お互いもはや理解し合うことはできないという大前提のもと、ただただ自分の気晴らしのためだけに報復するということに他ならない。

ところが氏は一方で、自分が愛されることも望んでいるという。テロをしながら愛されたいというのは矛盾している。自分に対して殴りかかってくるような人にどうして仲良くできる? 自分の知り合いに対して刃を向けるような人とどうして仲良くできる?

これを矛盾と捉えるのは、僕が、「テロに走る氏」と「愛されたいと願う氏」が一つの人格であると考えているせいだろうか。つまり、氏にとっては「愛されたいと願う氏」がリアルの人格であって、「テロに走る氏」というのはただのネタ人格、ということなのだろうか。そう考えると全てが腑に落ちる。確かに氏は実名も顔写真も晒しておらず、いつでもこれを「ネタ人格」として切り捨てて社会復帰を果たせる状態だからだ。

それに比べ、僕は実名も勤務先もこれまでの自分の活動そのものも全て晒しており、今更これらを「ネタ人格」と切り捨てることなどできはしない。ここにあるものが全て素の僕だ。だから僕は何に対してもガチンコ勝負でぶつかるしかない。「ネタですから」と逃れることができないし、許されない。

僕には、一つの名前において発言することは全体として筋が通っているのが自然だという思いがあり、誰も彼も自然にそういう状態を目指すものであるはずだという思い込みがある。これはおそらく「問題解決」について少々学んだ事があるためだろう。

「問題解決」。望む姿と現在の自分の姿とが一致していないときに感じるギャップを「問題」と定義し、そのギャップを埋めるかなくす事すなわち「解決」の方法を考え実践する、ある意味では、自己満足を最大化するためのメソッドだ。問題解決では、自分の理想はどうなのか、それに対して現状はどうなのか、その間にはどのようなギャップがあるのか、すなわち「何が問題なのか」を認識することが、最も重要な出発点だ。だからいわゆる「非モテ」は、すでに問題解決の最初のステージに立っていると言うことができる。そこまで状況が見えているのなら、あとはその「問題」をいかにして「解決」するかだけが問題だと言っていい。

問題解決の文脈における「解決」とは、文字通り「正面からぶつかって問題を解くこと」だけを言うのではない。「どうせあれは酸っぱいブドウだったんだ」と自分を諦めさせることも「解決」だし、「モテないことが何だ、俺はこの分野では誰にも負けない実績があるんだ」と他のことに走るのも「解決」だ。

何が「問題」であるか見えていて(自分という人格の承認が得られていないこと)、それに対して何が「解決」の道であるかも見えている(承認を得ること、承認は必要ないと考えを改めること、など)、にもかかわらず、問題を解決する方向ではない方向の言説ばかりが目立つ(承認を求めながら、承認を否定する)。問題を解決しようという意識が窺えないのが、どうやら、僕が氏の言説に対して抱いた違和感の正体のようだ。

あるいは、もしかしたら、これが氏にとっての「解決」なのかもしれない。問題を解決せず敢えて棚上げすることによって、非モテ活動家というポジションを手に入れ、一目置かれる、自分の置かれた状況そのものを「ネタ化」して「メタな立場に立つ」、「誰からも承認されない、筋が通らないことをしていることをもって、自分の承認とする」ことが。僕にとっては、そんな「ストレートでない」「ねじれた」解決は受け入れがたいものではあるが、だからといって、その道そのものを否定する権利は誰にもないのだ。

結局僕も、「他人の気持ち」で物を考えることなんか全然できていなかった、「自分ならこうする」という形でしか問題を捉えることができていなかった、ということか。

非モテスパイラル - Sep 23, 2005

明治セックル維新 新政府御性文帖キモい男 - kmizusawaの日記【百傑】はてなダイアリー総合【こんどーっ☆】童貞にモテる方法を見て思ったことの言語化。

デフレスパイラルとは、「物が売れない→値下げする→帳尻を合わせるために給料下げる・首を切る→みんな貧乏になる→物が売れなくなる→……」という感じの悪循環で物価がどんどん下がっていく事を言う。

非モテ現象もそれとよく似ている。「誰からも愛されない→恋愛経験を積めない・愛される経験を積めない→切実に愛を欲して焦る→キモイ行動に出てしまう→他人から避けられる→経験を積むことなく失敗→誰からも愛されない……」という負のスパイラルだ。

ある時点でモテないこと(デフレスパイラルで言うなら、物価の安さ)というのは、この負のスパイラルにおいては表出した一現象でしかない。問題の本質は、連続的にモテなさが増大している所、モテ度の低下が止まらないという所(デフレスパイラルで言うなら、物価が下がり続けているという状況そのもの)にある。この問題において「滑り台」とは「恋愛という価値観」だと僕は思う。

滑り台に乗っていることが大前提となっていて、その前提を崩すことができないと思いこんでいる、そもそも、滑り台に乗っていることが「特別に自然とは言えない状態」だと気付いていない、日本語で言えば、恋愛至上主義が骨の髄まで染み込んでいてそれ以外の価値観を受け入れられないから、「滑り台を登ること」以外に頭が回らない。身の回りに起こること全てを「滑り台を登ること」に関連付けて考えてしまう。例えばちょっとしたスキンシップがあっただけで、「これを手がかりに登れるんじゃないか?」と考えてしまう。だから、いつまで経っても本当の解決に辿り着けない。

本当の解決を望むなら、この「滑り落ちているという状況」そのものから脱しなくてはならない。そうして初めて、登り始めることができる。滑り台に乗ったまま登ることはできない。滑り台から降りることが、その特効薬なのだ。それは日本語で言えば、価値観を転換するということになる。

自己愛が強く、変化を恐れる心が人一倍強い非モテには、これが非常に難しい。しかし、何か動かずにはいられない。だから、解決のために動くよりも楽で易しい、非モテとして凝り固まる道を選ぶ。解決のために動きたいのに、動けないから、その永遠に満たされない要望からのストレスが原動力となって、より一層、頑なになる。

……という仮説。

非モテグラフ - Sep 21, 2005

非モテグラフ(仮命名)に30秒で自分のスタンスをかきいれてみた帰ってきた非モテの分類

面白い。これは6次元のグラフで表現することができますね。……6次元というと「縦横奥行き、後はどう表せばいいんだよ! 時間軸かよ!」とツッコまれそうですが、なんのことはない、位置以外の尺度を持ち込めば話は簡単なのです。ということで独断と偏見で以下のように対応付けてみることを考えた。

点のX軸上の位置(横)
人気者になりたい⇔一人にだけ好かれればいい
点のY軸上の位置(縦)
非モテ問題よりもスクールカーストとか社会の圧力の方が問題だ⇔俺が非モテ童貞なことが問題だ
点のZ軸上の位置(奥行き)
万国の非モテよ団結せよ⇔俺は勝手にやる
点の横幅(闘争的なほど大)
DQNと戦え⇔DQNなんてほっとけ
点の縦幅(闘争的なほど大)
異性は全員DQN⇔異性にも分かり合える人はいる
点の色(赤⇔青)
コミュニケーションスペックは先天的なものなので改善できない⇔コミュニケーションスペックは後天的な努力で改善できる

とりあえず「ホントにモテたくない」側を前に、「ホントはモテたい」側を後ろにまとめてみた。「コミュニケーションスキル」はより広範な概念としてコミュニケーションスペックに勝手に置き換え。

2次元の画像で表すには透視図ではなく投影図で描くとよさそう。金子氏は赤いバーでスタンスを表していらっしゃるけれども、グラフ化するのであれば、バーの中点をその尺度における値とするのが妥当でしょう。

……ということで作ってみたのがこれ。 6次元グラフ。 色を使ってしまったのは微妙なところ(白黒の濃淡でも良かったかな)だけど、ちっとはわかりやすくなったんじゃなかろか?

SVG形式の元データも置いときますので、Inkscapeあたりで編集して再利用してみてください(誰ともなく)。

バッファロー'66 - Sep 20, 2005

ヴィンセント・ギャロの「バッファロー'66」(リンク先はAmazon.co.jp)観た。NHKにようこそ!Amazon.co.jp)でタイトルだけ出てくるやつ。

非モテ毒駄目男が親に見栄張って「妻を見せてやる」と啖呵切ったもんだから勢いで行きずりの娘っ子を拉致して親のとこに連れてって妻を演じさせる、という話。いちいちマヌケで憎めない主人公と、その主人公にひたすら黙ーってついてく人のいい少女の、ラブストーリーという形式なんだけど、これは男女を描くラブストーリーっていうよりも、定点観測で主人公を描いた映画だ、と思った。

……鼻水出るほど大泣き笑いしました。以下若干ネタバレ有りの感想。

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非モテに優しい脱非モテマニュアル - Sep 19, 2005

こないだ書いた「田舎弁士」エントリそれへの言及その翌日の記事先の言及記事に対する言及と辿った。

まぁ、元「非モテ」や脱「非モテ」からアドバイスを受けたくない、「非モテ」の人は、一度、文章だけで、自転車に乗れるようになるマニュアルを、乗れる人からの物言いではない表現で作れるかどうか考えてみたらいいんじゃないでしょか。もちろん、「まずは乗ってみよう!」は禁句だ(笑) 「繰りかえしているうちに乗れるようになるさ!」も禁句だ(笑)
・・・そういったマニュアルが作れるのなら、「非モテからの脱却」というものも、文章だけで説明/指南する物が作れるかもしれませんねぇ。
でも、一部の「非モテ」は、こういうマニュアルを、本気で求めているッぽいからなぁ・・・。

最後の記事のこのくだりに同意する。「非モテであることの苦しみから解放される」ってのはマニュアルでどうこうできる問題じゃあないんじゃないだろうか。

恋愛至上主義の無意味さというのは、読書とか、モノ作りの経験とか、僕が一昨年の12月から昨年10月まで続けていた「毎日の『良かった』探し」とか、恋愛とは直接関係のない事柄を山のように積み重ねて物凄く遠回りして初めて分かるものなんじゃないだろうか、と僕は思う。それを全部すっ飛ばして「異なる価値観」という巨大な断崖絶壁を乗り越え一気に答えに辿り着くショートカットは、脱非モテした人が非モテの人にさしのべた言葉の中にあるのだと思うけれども、それはあまりにか細くて、絶壁を登り切る前に切れてしまう。

あるいは、現在進行形で非モテな人の背中には、長年かけて蓄積したあまりに重い暗い感情がおぶさりすぎてて、それが邪魔で自力じゃあその絶壁を上れない。ずるずるずるずる、いつまでも引きずって…… 軽くなった気がする。引きずりすぎて、すり減ったかな。十分にすり減るまで時間と手間をかけて遠回りするしかないんじゃないだろうか。

やっぱ、非モテ問題とダイエット問題は似てるなと思った。

昔の自分の気持ちを忘れてしまった田舎弁士による恩の押し売り - Sep 16, 2005

金子氏のはてなダイアリーへのコメントに書いた話。

なぜ、非童貞は童貞に対して「童貞だからってどうということはないよ」なんて軽々しく言えるのか。童貞を捨てたくて捨てたくてたまらない童貞のときの気持ちをどうして忘れてしまうのか。

なぜ、大人は子供を頭ごなしに叱りつけるのか。子供の目線に立てないのか。

僕はこれは、パラダイムシフトが起こるからだと思っている。向こう側に行ってしまったら、もう二度とこっち側には帰ってこれないのだ、と。

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