たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
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学ラン萌えの女性は結構いるらしいが、結局のところ、学ランを着たイケメン萌えってことなんじゃあないんですか?
学ランってブレザー+ネクタイに比べてデザインが極めてシンプルな分、素材の良い悪いがものすごく強調される気がする。上手に着こなしてアクセサリとかも組み合わせて髪とか眉とか鬚とかガッツリ手入れしてると、スーツを着こなすビジネスマンにも似た魅力が出てくるような気がする。でも、ボサボサ頭で繋がり眉毛でテカテカ油ギッシュのでかメガネだったりなんかしたら、「つまんねー奴」感がとんでもない勢いで強調されると思う。ええ僕の事なんですけどね。
何故か潜り込んできた。
Operaの話は基本的には知ってることが多かったんだけど、CSS3 Media Queryの話は詳しく知ったのは初めてだったので、興味深かった。計算のための機能も(実装はまだ無いみたいだけど)定義されつつあるし、CSSはまだまだ夢がひろがりんぐだなあ。
あとでブースの人に、Operaでの@screen projection
に関する実装について聞いてみた。フルスクリーンモードになると自動的に内部的な動作が切り替わって、page-break-after: all
が適用された要素ごとにスペースキーでページ切り替えができる、とのこと。逆に、その指定がなければ、そのリソース全体が「1枚のスライド」として扱われてしまう、と。その場でCSS2の仕様を見てみたら、確かにprojectionはpagedメディアの一つとして挙がってた。今までずっと、pagedなのはprintだけで、projectionはvisualである、と思い込んでたよ。反省。
Geckoな人達はscreen以外のメディアに関してはまるで興味がないみたいだし、Minimoもさっぱりでhandheldとかそっち方面もアレぽだから、モバイルその他の組み込み向けのまともなWebページレンダラとして特にOperaの頑張りには期待してる。やっとOpera9でこのページもまともに表示できるようになったみたいですしね。やっとね。
僕はリンク先の人みたいなこういう人達を、すごいなあ偉いなあ羨ましいなあ、と思う。それは、彼らが「強い」からだ。
この人の書くエントリが時々とりあげられてて見てみると、大抵、コメントスクラム(名無しによる数百件におよぶ大量の投稿でコメント欄が埋まる現象)に遭っている。にもかかわらずこの人はブログを書くのを止めていないし、プロフィールを引っ込めもしないし、コメント欄に制限を加えるようなことをする様子もない。
攻撃に晒されてもブログを止めない人はとても多いけれども、コメント欄に制限を加える素振りすら見せない人というのは、そう多くないような気がする。大抵、コメントスクラムに遭った人が見せる反応で一番多いのは、ブログの閉鎖(全ての問題からの逃避)だ。その次に多いのが、コメント機能の封印(自分の発言は続けるけれども攻撃からは身を守る)。あるいは、プロフィールを伏せてしまうことで(ただプロフィールを伏せてもGoogleキャッシュとかで辿れてしまえるから意味がないので、大抵は、ブログを閉鎖して新しく別アカウントで開始することになるんだけど)「素の自分」「生きてる自分」と「ネットの自分」「嘘の自分」とを切り分けてしまう、というケースも実に多い。いずれも、これ以上の攻撃に晒されたくない、これ以上「自分の自我」が攻撃に晒されたら精神が参ってしまう、という危機感からの防衛反応だと言えるだろう。
つまりこの人はある意味で、コメントスクラムに参加している人々のことを心底ナメきっている、と言うこともできるのではないかと思う。どうせこいつらにはこの程度のことしかできない、それ以上のイヤガラセも何もしやしない、と。
というか、外側に現れるものと自分の内面とを結び付けてしまってる自分のような人間と違って、彼らは、仕事でやってることもその関係での人付き合いも何もかも、表出するものはすべて「ネタ」と割り切っている、というだけのことなのかな。
「遠距離恋愛」は聞いたことあるけど「長距離恋愛」は聞いたことなかった……
字面が<ruby><rb>長距離弾道ミサイル</rb><rp>(</rp><rt>ロングレンジミサイル</rt><rp>)</rp></ruby>みたいだ。英語で言うとロングレンジラブ? 恋愛の射程距離ってなんだ。ストライクゾーンなら聞いたことあるけど。
「長距離走」の方だと、リタイア続出の予感。ゴールで力尽きたり。
Firefoxをデフォルトのブラウザにした状態でNortonの更新サービス申し込んだら、「次のステップへ」という場面でブラウザウィンドウの中が真っ白けになってて全然次のステップへ進めず認証失敗した。URLをIEに貼り付けたらちゃんと表示されたので指示に従って認証できたけど。
こーゆーこと平気でやるような社風だから、「IEの方が安全! Firefoxの方が危険!」なんて湾曲情報をプレス向けに発表できるんだろうな。
歴史を学ぶということは面白い。
プロジェクトXで採り上げられるようなごく短いスパンのものも、立派な「歴史」なのではないかと僕は思う。記事執筆のための資料として調達した数冊の本を読んでいて、そういうことを改めて思った。
歴史の中心には常に「人」がいる。何人ものキーマンが少しずつ活動時期をずらしながら、あるいは同時多発的に、重要な足跡を残していって、それらの足跡が別の人の活動と結びついて、別の成果として実を結ぶ。そういうことの繰り返しが、歴史というものなのだと思う。そしてそういう様子は、細かく見ていけば見ていくほど実に面白いものになる。マクロの視点ではただの「出来事の羅列」でしかなかったものが、近づいてよくよく見てみると、無数のドラマの積み重ねだったりする。
僅か十数年に満たないインターネットとWebの歴史だけでもこれだけ刺激的なのだから、世界史とか日本史とかのもっと長くて広いものを詳細に渡って研究している人達が、ある意味では羨ましく思えてくる。
同性愛者のコミュニティでは異性愛者のコミュニティに比べて恋愛対象として選ぶ相手の許容範囲が広い傾向にある、という話。リンク先ではその原因を、商業的圧力の有無によるものではないかと述べている。この指摘を読むと、自分がいかに無意識下の部分で「洗脳」されきってしまっているのかを改めて認識させられる。
ただ、だからといって、そんな現在の自分や他の人の考えを「偽りのもの、騙されているだけのものであって、自然状態ではもっと違うものになっていたはず」と否定するのは、何か違うと思う。そうして後天的に植え付けられたものまで含めて、その人の「アイデンティティ」なのではないかと僕は思っている。
……という風に呑気に思えるのは、現在の自分がその価値観の中で「完全な敗者」ではないからに過ぎないのだろうか。
アドレス帳というものを作る習慣がない。メール書くときはいつも受信メールからアドレスをコピペしてる。年賀状も、「去年来た年賀状」を見て住所書いてたりする。
携帯だと受信メールや着信履歴を探すのが大変だしそもそもそんなに数が残らなくてすぐログが流れてしまうから、さすがにアドレス帳に登録してるんだけど。容量無制限でUIがもっとよく出来てて検索効率が十分に高ければ、携帯ででもアドレス帳作らないかも知れない。
多分、アドレス帳が必要なのって、自分からアクティブに連絡取るタイプの人なんじゃないかなと思う。僕みたいに基本受け身のひきこもり体質だと、自分から連絡を取ろうとする頻度がそもそも低いから、アドレス帳作る面倒さの方が過去の受信メール探す面倒さよりも上回ってしまう。
そんなだから、アドレスに紐付けられる事の多いようなその人のパーソナルデータ、例えば誕生日であるとか居住エリアであるとかそういったことにも無頓着になる。斯くして、友達甲斐のない奴の一丁上がりという寸法だ。
我ながら切ないのう。
RC2も出たことだしいいかげん手を着けないとまずいかな、と。
更新ついでにバージョンアップしたもの。
以下は対応バージョン情報を更新しただけ。
以下はまだ確認できてない。
以下はもう全面的に作り直すしかなさそう。