たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。
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弱音を吐いてしまう。
弱音を吐く権利というのは、頑張っている人にこそ与えられる物だと思う。でも頑張ってる人は大抵、弱音を吐かない。弱音を吐かないような性格だから、頑張れるのだと思う。
弱音を吐くのは、大抵、弱音を吐く権利のない、頑張ってない人間だと思う。弱音を吐くような性格だから、頑張れないのだと思う。
権利がないのに権利を行使しようとする、おこがましい自分がいるのです。
ザ・サーチ グーグルが世界を変えた(Amazon.co.jp)
どこだかで紹介されてたのを買って読んだ。
「グーグル」と題してはいるけれども、歴史的経緯やグーグルの立ち位置の説明のために、Yahoo!やAltaVista、Exciteなど、他の検索エンジンの歴史についても詳しく書かれている。「単なるグーグルのサクセスストーリーを綴った本ではない」、と僕の見かけた書評に書かれていた記憶があるけれども、確かにその通りだと思った。
グーグルをはじめとする「検索業界」と、それを形作る顔ぶれが、どのように生まれ、切磋琢磨し、滅び、生まれ変わってきたのかを追いながら「検索業界の今」を詳細にレポートする。さらに、営利企業として今後グーグルがその影響力をどのように行使していくのか、グーグルという肥大化した組織をどのように導いていくのか、グーグルのみならず検索業界全体が世界をどう変えていくのか、未来への期待と警戒を、問いかけを含めつつ語っていく。技術的側面はそこそこに、経済的・政治的な側面から検索業界を見ていく、そんな本。
自分が日常的に利用している、それどころか、依存すらしているツールが、どのような思惑の元に作られ、運用されているのか。世界の仕組みの一端を垣間見た気になれる。
結構読み応えはあると思う。
引っ越し用に使われるようなデカイ箱でないと、埒があかんね……
昨日、母のイトコとその娘さん(僕の一つ下。「またいとこ」「ふたいとこ」「はとこ」にあたる)が我が家にやってきた。娘さんがこっちで就職されて、家が結構近かったので、寄ってみたのだという。
その娘さんというのがまたえらい美人でオシャレさんでですね……某社の受付嬢になるというのも、さもありなんという感じ。それで分不相応な激しい劣等感を感じて、押し潰されそうだったというのが、退散したことの最大の理由だった。
最近でこそ多少は身だしなみというものを考えるようになって、人に会うときはなるべくそうするようにしているのだけれども、しかしその反面僕は、そういう「武装」が無ければ、全く初対面の他人とはまともに接することができなくなってしまったような気がする。もしくは、特に何も気を使っていない素の自分という物を、物凄くみすぼらしく感じるようになってしまったような気がする。
自分なりに「ひのきのぼう」と「かわのたて」と「はがねのよろい」で完全武装して初めて、やっと町の外に出られる……みたいな感覚。
まあそれでも、相対する人間は「ロトのつるぎ」と「ロトのたて」と「ロトのかぶと」と「ロトのよろい」で完全武装してたりするわけで、僕なんていくら装備を整えたところで、勝負にならんくらい全然弱っちいのですけれども。
RPGの装備よりももっと的確な例なら、ヴァンツァーのカスタマイズあたりか(フロントミッションかよ)。腕やら脚やらパーツを「交換」することはできても、パーツを「外す」事はできない。外してしまうと戦闘不能になるから当たり前なんだけど。でも今の素の自己認識において、自分というのは、ヴァンツァーで言うならボディだけゴロッと転がってるようなものなんですよ。そんな状態で的に遭遇しよう物なら、タコ殴りにされるしかないじゃないすか。それで相手は、胴・脚・腕がゼニスVでCPUはカレンデバイス、ドラゴンハンド装備に片腕はダスラークロウⅡ、両肩にドンキーDX2装備なんですよ(しかもSFC版かよ)。
自分が、ボディだけだと気付かなければ、ボディだけでも平気で戦場に出られたのに……下手に気付いてしまったから、何もできなくなってしまった。「知る」ことが、僕を弱くしてしまった。
ラブハラスメント【love harassment】(名詞)恋愛関係などの話題をふって、相手に不快な思いをさせること。話題をふられて、不快な思いをさせられること。例:「○○君は結婚しないの?」「そもそも相手がいませんから……(何でそんな話振るんだよ急に)」「いい歳してそんなんじゃ駄目だよーもっと人付き合いとかするべきだよー」「はぁ……(そうかいそうかい俺はそんなに人間失格かい)」
先日も、間近で露骨なラブハラを目にしてしまった。目にしてしまったというか、その場に居合わせたというか、自分も片棒を担いでしまったというか、何というか。いや、言われた人がそれを気にも留めていないのならば僕の勝手な思い過ごしなんだけれども。
ラブハラでもパワハラでもセクハラでもなんでもそうだと思うけど、本人達はそれが悪いことと思ってやってるわけではないんだよなあ。嫌って言わないと絶対に分からない。下手したら、言っても「嫌よ嫌よも好きのうち」とか前向きに解釈されてしまいかねない。むしろ厚意でやってるつもりだったりもして。
ラブハラと、パワハラ・セクハラとは、根本的な部分で差異があると思う。多くの場合のラブハラの最も厄介な所は、それによって引き起こされる不快感が、外からもたらされる「嫌な奴に触られた」とかそういう感情だけでなく、内からもたらされる「こんな風に言われる自分は駄目なんだ」という劣等感を伴うという点だと思う。
パワハラは、「上司は部下に多少の横暴をふるってもよいもの」という価値観と、「上司だ部下だといっても、横暴は許されない」という価値観のぶつかり合いではないか。セクハラは、「男は度胸、女は愛嬌。女は男の引き立て役」という価値観と「男も女も平等、対等」という価値観のぶつかり合いではないか。前者が後者に自分の価値観を押しつけることが、問題に繋がるのではないか。
対するラブハラの多くのケースは、「恋愛できるのが当たり前、できないのは異常」という価値観を両者が共有している状態で、「恋愛できている者」が「恋愛できていない者」を下に見て説教をし、「できていない者」は「できている者」に対して負い目を持つという形で、被害者は、加害者だけでなく被害者自身からも責められるのではないか。二重の苦しみを感じることになってしまうのではないか。
これは偏見かもしれないけれども、内省的な人ほど引っ込み思案で恋愛の機会に恵まれず、それ故ラブハラにも遭う機会が多くなり、内省的だからまた自分を責めてしまって余計に苦しむ、そんな負のスパイラルがあるんじゃないだろうか。
日付が変わるか変わらないかという頃の深夜のニュースで、今日の国会で成立した法案一覧、みたいなのが流れてた。それを見て母はこう言った。「こういうニュースを昼間やゴールデンタイムのニュースで流しているところを見たことがない。人目に付くところではこういうニュースは流そうとしないんだ。いつだったか誰だったかが総理の頃も、夜中の誰も見てないような時間にたくさん法案が成立してた。」
真偽の程は知りません。まあ僕は「仮にそれが事実としても、ニュースで流してるだけまだマシなんじゃね?」とも思いますが。
まだ入居先の審査待ち状態なんだけど、諸々の手続きが滞りなく進めばこれくらいには入居できるだろう、という日が明らかになったので、それに合わせる形で引っ越し関係の作業を進めることにした。
あーなんかほんと急に話が進みだしたわ……
「ヨイコノミライ!」などが連載されてたWebで見れる無料の漫画誌で、その事業自体は黒字だったにもかかわらず運営元のぺんぎん書房倒産のアオリを食らって一緒に潰れてしまったコミックSEEDが、双葉社資本で復活するようですね。
<ruby><rb>M+</rb><rp>(</rp><rt class="読み">エムプラス</rt><rp>)</rp></ruby>フォントとIPAフォントの合成フォント。アウトライン版には英数字やかな文字など一部の文字しかまだ無いM+フォントというオープンソースのフォント(ビットマップ版は漢字もちゃんと含んでるそうです)に、オープンソースなんだかそうでないんだか微妙なライセンスのIPAフォントから漢字の字形を抜き出してきて合成し、一つのフォントとしてまとめたアウトラインフォント……だそうです。
Mac OS Xでヒラギノ角ゴの漢字と組み合わされて表示された状態のスクリーンショットを見れますが、なかなか綺麗ですね。IPAフォントはアルファベット部分の字形がちょっと凝ってるので、もっとあっさりした物が欲しい場合にはイイ感じかも。