たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。
以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能!
臨死!!江古田ちゃん(作:瀧波ユカリ)(Amazon.co.jp)タイトルは「えごたちゃん」ではなく「えこだちゃん」で正解です。アフタヌーンを毎月乳首の(下手したら陰毛も)出る漫画誌に変貌せしめた問題作。
百合とか純愛とか言ったすぐ後にこれを紹介するのってどうなんだよ自分という感じですが、これもこれで面白いんだ。ていうかこんなの読んでるから人を信じられなくなるのかもしれない。でも読まずにはいられない? その背徳感がたまりませんね。
夢見がちな男性に処方する劇薬として適当な気がしますがどうでしょうか。
くちびる ためいき さくらいろ(作:森永みるく)(Amazon.co.jp)。友人ご推薦の百合マンガ。基本エロ無し、ギャグ多め。
ぎああああああ萌えまくり!!! なにこの純愛の嵐。たまりません。素晴らしい。エクセレント。この作品の根底にあるのは、男×女とか女×女とかそういうのに関係なく普遍的に存在するドリームなんじゃないかなあ。だから「百合好き」に限らず、百合展開に強い抵抗を感じないという程度の人でも楽しめそうな気がするんだけど、どうだろうか。もちろん百合好きには間違いなくオススメだ。
一緒に買った少女セクト2(作:玄鉄絢)(Amazon.co.jp)もエロいし笑えるしイイんだけど、これはガラス張りの向こうで話が展開されてる感じで、「他人事」感が感じられてしまう。対する「くちびる~」は、自分自身が彼女らの世界の中に入り込んで見ているような、彼女らと一緒になってキャーキャー言ってる感じ。これが少女漫画の文法というやつなんだろうなあ。そして僕はそういう形式が好きなんだ(少女セクトも、藩田さんが膝の上で感涙してるところはぐっときた)。
順列都市(上)(Amazon.co.jp)、順列都市(下)(Amazon.co.jp)(著:グレッグ・イーガン、訳:山岸真)を読んだ。IRCNetの「#順列都市」の名前の由来と聞いてから、住人(と自分では思ってる)としては読まなきゃいかんかしらと思ってたんだけど、Amazonでは品切れ状態になってたりして、でも先日見たら在庫有りになってたので、アソシエイトの紹介料の消化も兼ねて買ってみました。
軸になってる「塵理論」というのがよく分からない…… とりあえず、一度動き出したらハードウェアが破壊されようが仮想マシンが破壊されようが一向に関係なく走り続ける、有限のリソースの中で無限を実現する、そんなソフトウェア世界があって、そしてそれは今僕達がいる宇宙とはお互い何の干渉もできなくなって、永久に存在し続ける……という風に解釈してみたんだけど。この解釈でよいのだろうか。
物語世界の枠組みとしてはディアスポラの方がまだ単純で分かりやすかった気がする。単純に、僕が宇宙の外側というものについて今まで興味を持っていたから、理解しやすかっただけなのかもしれないけど。
例えて言うなら、大編成のオーケストラの盛大な演奏を聴いたような感覚だろうか。一つ一つの音が何を意味しているのか、感知することも全然できない。でもその圧倒的な音の渦に飲み込まれ流されるのが、ただ単純に心地いい。そんな感じ。
物語は謎を残したまま終わってしまうけれども、読後感はさっぱりしてる。いい夢見せてもらいました。ありがとうございます。
ゴールデンウィーク中に仕事しようと思って会社に行ったら普通に鍵がかかっててムキーとなって自宅作業な日々なのですが、まだ机と椅子が無くてL風にPC・キーボード・ディスプレイその他を床に直置きしてるわけなんですけれども、腰が痛くてたまりません。低反発クッションごときでは対処不可能です。
でも今はどこ行っても混んでそうな気がするしなー。早く机と椅子買いたいんだけどなー。
どうでもいいけど上の階の人がベッドか何かから飛び降りたり地団駄踏んだりしてうるさいです。でも怒鳴り込む勇気はないので、上の階に無邪気な弟がいるのだと思ってやり過ごすことにします。
罵られて動揺するのって、そんなに珍しい反応なのか……リアル生活で言うなら、郵便受けがカミソリメールで一杯になるとか、毎日机の上に花瓶置かれるとか、そういうのに相当するようなものだと思うんだけど。それでも普通の人はもっと図太く生きていけてるものなのか。
それだけでも、僕にとって「普通の人」というのはもはや尊敬の対象なのですよ。そして、自分もそういう強い人に生まれたかった、と悔やまれてならない。
戸塚ヨットスクールの話とか見てて思ったこと。
とかなんとか。
イジメの加害者の少年に(ある程度の訓練を受けさせた上で)崖下りをさせて、その時の命綱をイジメの被害者の少年に持たせ、加害者少年に恐怖を味わわせるという話は、そりゃ効きそうだけどエグいなあと思った。
Firefoxは全然安全じゃないぞということを僕がやけに強調するのは何故かということの理由の一つには、Firefoxは安全だ・IEは危険だ、という、あまりに単純化しすぎてFUDじみてしまったシンプルな言い方をしてしまう人に対して腹が立つからというのがあるような気がします。あんた全然分かってねえよと。何が「Wheeeeeee!!!」だよと。シャラップとか言ってるおめえも他人のこと言えねえだろがよと。
現代日本における団体アレルギー、団体とか法人とかはとにかく善良な一般人を騙くらかして自分達だけイイ思いをしたがっているに違いない、という風な風潮は、全共闘だの何だのの時代の話を聞いて得た教訓が「歪んだ思想に導かれるのって怖い」ではなく「群れる奴らって怖い」だけで終わってしまっている、あるいは意図的にそのレベルで終わらせてしまっているから、だったりしないかしらん。
ていうか、そんな風潮がそもそもあるのか? それに、そんな教訓なんてあったのか?
と、適当なことを言ってみるテスト。
Firefoxの本質は拡張機能だ!とかいう寝言を書いてしまいましたが、よくよく考えると、拡張機能を最大の特徴と考えてるのは僕みたいに何でもカスタマイズしないと気が済まない変態だけなのかもしれないですね。あまりにそれを当たり前のこととして享受しすぎていてもはや僕は意識することすらなくなってしまっているけれども、普通に考えて、タブブラウジングやポップアップブロックといった基本機能は素のIE6に比較して十分アドバンテージになっているし、危険な(野良)拡張機能に関しても、標準状態ではインストールできない(するのが大変な)ように設定されている。
やっぱり、なんていうか、その、「一般的ユーザの視点」というものを忘れてしまっているんでしょうな、僕は。いつの間にか自己中心的な性質がこんなところにまで発現してしまっている。いかんなあ。
Firefox の拡張機能にしたってインストールパッケージに電子署名を施しているものをほとんど見かけない。彼等(提供者)は IE から何も学んでいないのか。
(しっぽのさきっちょ 2006年05月より)
Firefoxの(Mozillaの、XULアプリケーションの)揺るぎない特徴は、簡単に言えば「簡単に好き勝手いじくれること」、難しく言えば「開発が容易であること」、極論すればただこの1点のみ――より詳しく言うなら、Web関連技術との相性がよいこと、開発が容易であることと、機能拡張が容易であること、それがクロスプラットフォームで実行可能であること、の4要素――に集約されると僕は考えている。それ以外の点、安全だとかカッコイイとかカワイイとか便利だとかいうのは、時期的な偶然だったり、主観的な思い込みだったり、慣れだったり、そういう、移ろいやすい夢幻のようなものでしかない。
ActiveXコンポーネントという形で、IEにはFirefoxと似たような仕組みがもう10年近く前から実装されていた。にもかかわらずIEのそれは大きく注目されず、Firefoxの拡張機能は注目されている。何故か?