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たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。

萌えるふぉくす子さんだば子本制作プロジェクトの動向はもえじら組ブログで。

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浅井 智也 池田 譲治 小山田 昌史 五味渕 大賀 下田 洋志 寺田 真 松澤 太郎
オライリージャパン

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シス管系女子でShellshockについてやるのかどうか - Nov 04, 2014

「シス管系女子ではBashを使っているようだが、Shellshockについては扱わないのか?」という風な指摘を見かけました。 キーワード的には気になる所だと思うので、不安に感じる人がいてもおかしくはないでしょう。 僕自身、話題になっていた時に「扱わなくて大丈夫か?」というのは気になりました。

結論から言うと、連載の話題としてShellshockそのものを緊急で扱う予定はありません。(まあ、話題になってから既に結構時間経っちゃってるんですけど……)

理由はいくつかあります。

  • Shellshock脆弱性は「信頼できないアクセス元から任意の環境変数の値として与えられたコードが、サーバ上のシェルで実行されてしまう」という所がポイントなのですが、本連載では今の所、これに該当するケースで動作するスクリプトを扱っていません(今までの範囲では、基本的に管理者ユーザが自分で実行するかcrondが定期的に実行するスクリプトを扱っていて、CGIスクリプトのような「信頼できない情報源からの情報を受け取る」事が前提のスクリプトは解説していない)。
  • Shellshock脆弱性はBashというプログラム自体にある問題で、スクリプトの書き方を工夫するといった「自分の努力で影響を防げる種類の危険」ではないので、「スクリプトを書くときはこういう所に気をつけましょう」という風な角度から注意を呼びかけるのは無いです。
  • Shellshockの対策の一環としてBashの代わりに代替シェルを使うという方法があり、例えばシバンで /bin/sh 等を参照しているスクリプトがあるとその影響を受けるので触れないわけにはいかないのですが、本連載で書いているスクリプトはシバンで明示的にBashを指定する前提のため、この角度から触れるというのも無いです。

ちなみに、そもそもなぜ本連載では明示的にBashを使っているのかというと、 /bin/sh 等で参照されるシェルは環境によって違うことがあって、シェルの違いによる利用可能な機能の違いについて触れると話がややこしくなるのが嫌だったのと、自分自身がBourne Shell互換の機能の範囲だけでいい感じに話を転がせる自信もなくて、明示的にどれかのシェルを指定するにあたって比較的多くの環境で無調整で使えるそこそこ高機能なシェルはBashだから、というのが選択の理由でした。 なので、BashはやめてこれからはZshを解説しますとかそういう方向には行かないと思います。 (そもそも、一般論として「Bashをやめさえすれば各種のリスクからはずっと無縁でいられる」という話でもなく、どのシェルを使っていても、脆弱性が見つかってしまったらそれまでなので……)

以上を踏まえて、今後どうしていくかについては、

  • 特定のシェル実装で脆弱性が見つかった時にすぐに代替シェルに切り替えられるように、Bourne Shell互換の範囲だけでやってくようにする、というのはあるかもしれません。
  • この種の脆弱性の根本的な原因である「外部の信頼できない情報ソースから与えられた入力を実行するのは危険」という話については、シェルスクリプト(というかプログラム)を書くときの一般的な注意点として紹介しておいた方がいいだろうなあ、とは思っています。
  • 基本路線として、最新のトレンドよりは枯れた・ポータビリティの高い技術解説を中心にするという連載なので、時事ネタとしてのShellshockそのものにフォーカスを当てることも多分無いと思います。 「シェル実装に脆弱性が見つかった→代替シェルに切り替えるにはどうしたらいいの?」という風なサーバ管理の一般的ノウハウを紹介する時に、脆弱性の事例として紹介するくらいでしょうか。

という感じに考えております。

卒業して10年くらい経って、大学で立ち上げ期から関わってたサークルを再訪して思ったこと色々 - Nov 02, 2014

卒業以来行ってなかったんだけど、母校であるところの大阪電気通信大学の大学祭に行ってきた。サークルのプチ同窓会的な趣旨。

それで、僕らが創設した後も今に至るまでずっと続いているサークル「コミックアート」の今を見たくて、サークルの展示に顔を出した。 落描きコーナーがあったので、しれっと描いてみたりもした。

それを渡す時に「実は初代なんすよ」と明かして、超かしこまってる現役生の皆様方に先輩風ビュンビュンに吹かせて、適当に思いつくままいろんな話をペラペラ喋ったんだけど、あまりに垂れ流しで喋りすぎて脈絡なさすぎたんで、帰りの道すがらちょっと自分の中で話を整理してみた。

サークルの文化の継承のこと

展示の部屋に入って最初に思ったのは、「おお、ほんとに10年続いてるんだ……!」という感慨。

次に思ったのは、「でも、変わってない……っていうより、後退してるのかも……」という軽い落胆。

社会人感覚だと10年って意外とあっという間だし、人の入れ替わりがないことも結構あると思う。 自分がいるのが、毎年新卒をコンスタントに採用してますっていう事が無い小さい会社だからなのかもしれないけど。 そういう状況だと、こういう事は会社としてやりたくないとか、会社としてこういう風に進んでいきたいみたいなことは、一度合意した後はけっこうそのままブレずにいられる。 でも、そうして形成された文化を後から来る人達にどうやって伝えていけばいいのか?という問題はある。 人の入れ替わりが無いから伝える必要が無い、伝える必要が無いから問題も無い、というのでは、高齢化が進んで先細りしてしまうだけ。新陳代謝がない事自体も問題だし。 弊社の目下の課題は、そういう感じ。

大学(のサークル)だと、望むと望まざるとに関わらず、基本的には毎年人の入れ替わりが発生する。 だから新陳代謝という点では悩まなくてもいいんだけど、文化の継承の問題はやはりある。

今回、現役世代を見ていて思ったのは、ノウハウはある程度継承されているようなんだけど、その背景にあった思いはどこかで途絶えてしまったのかな……ということ。

僕らはサークルを創設した世代なんだけど、当時あった既存のオタク系サークルが「既存作品のファンの集い」的な性格が強くて(あと、漫画を専門としてやる感じでもなかったので)、それに絶望して「もっと真面目に絵を描くサークル活動がしたいんやー!!」って思って作ったサークル(会長達がサークルを立ち上げたところに、僕がその噂を聞きつけて後から参加した)で、自主的な活動だったから大学から下りてくる予算なんか当然無いし、伝統的に引き継がれてきたノウハウのような物も無かったし、ほとんどゼロから作り上げるしか無かった。 大学祭の時の展示をどうするか?とか、会誌はどうやって作ればいいのか?とか、そういう部分については僕が高校の漫研の時の文化を色々と持ち込んだんだけど、それ以外の部分、会則作りだったり、(作画技術やシナリオ制作技術などの)技能向上を目的とした「勉強会」の継続的な開催だったりとかは、ほんとに手探りだった。 とにかく、自分達がやらなきゃ誰もやってくれない、教えてもくれない、自分らがやらなかったら何にも進まない、そういう危機感が強かったと思う。 特に、当初の絶望の元だった「ああはなりたくない」「あそこには負けたくない」っていう思いが強かった。

世代を重ねて、10年が過ぎて。 僕が持ち込んだ「こうやれば展示の体裁は整う」「こうやれば本の体裁は整う」といったノウハウは引き継がれていたし、本の表紙がカラーになってたりしたし、アンケートも採ってたし、ノウハウが引き継がれているのは間違いなく感じた。 また、缶バッヂ作りのように、今まで無かったことにも手を広げているのも感心した。 メンバーも相当数に増えたらしいし、合宿はちゃんとした合宿所を借りてやっているという話も聞いたし、「すげえ! ちゃんとしてる!」って思った。

でも、熱は下がってるのかなって思った。 少なくとも、危機感的なものはあまりないのだろうなあと感じた。

というか、まあ、最初の世代の僕らの危機感が異常だったとも言えるんだろうけど。 最初の世代と、後の世代って、そういう物なのかもしれない。 僕らがあまりに「差し迫った危機感」ドリブンで色々やり過ぎたものだから、サークルの公認化やメンバーの増加などによって、差し迫った危機が去って危機感も薄れていったのかなあ。 だとしたら、差し迫った危機感の有無に頼らないで向上心を保ち続けるという文化を、僕達は作り、後の世代に託さなくてはならなかったのかもしれない。

あと、話していて、当時と今とでは色々状況も変わってるんだよなあっていう事は思った。 今はPixivなんていう便利なサービスもあるし、(今時流行らないかもだけど)いわゆる「公式サイト」を作るのにも、GitHub Pagesあたりを使えば、複数人でコミット権を持ってコラボレーションできる。 Circle.msを使えば同人イベント参加もオンラインで申し込めちゃう。 あの時これがあれば……っていうのは、改めて考えてみると、結構ある。

現役世代の人達もPixivは使っているとのことだったけど、それは多分「今のトレンドとしては、絵描きは当然のようにPixivを使うものだから」っていう事なんじゃないだろうか。 それはそれでいいんだけど、一般教養の授業で教わったアンケートの取り方の技術をアンケートの改善に活かしてみるとか、そういう「工夫」としての新しい技術の導入にも、取り組み続けていて欲しいなあ、と思う。

向上心といえば、僕ら世代が卒業する前くらいに、その(勝手に)ライバル視してたサークルの方でクーデターがあったとかで、それ以前に比べてすっごく真面目に取り組むようになったらしくて、最後の年にあっちが出してた制作物は、かなりレベルが高くなってたと記憶してる。 「あそこよりは勝ってるから大丈夫」みたいに思ってたらこりゃあアッという間に追い越されるぞ……!っていう思いで背筋がヒヤリとしたんだった。

僕らが一旦絶望した所でもそういう事が起こったくらいだし、自発的な改善が行われることは今後もあるだろう。 そのとき、そうして行われた改善を彼らがさらに後の世代に継承していけるかどうか、そこが重要なんだと思う。

先輩世代が口出しすることそのものについて

色々偉そうなことを言ったんだけど、あんまり先輩世代がデカいツラするもんでもないよなあ、ってのは思う。

今回も、現役世代の人達があまりにかしこまってるのを目の当たりにして、逆にこっちが申し訳なく思ってしまったほどだった。 僕自身が上記のライバルサークルに仮入部した時の「先輩の意味の分からない横暴、体育会系的な上下関係」にウンザリした記憶を思い出してしまって、自分がああいう風になってしまってるのかなって思うと、すごく申し訳ない気持ちになる。

僕は「先輩がデカいツラして居座り続けること」による「現役世代の萎縮、負の文化の継承」をすごく恐れていて、だから一線を退いた者はさっさといなくなるべきと思ってる。 僕らの時は「上の世代」がいなかったから、そこら辺まったく気にしないで好き勝手できてたっていうのは、初代ならではの特権なんだよね。

この辺のこと、Mozillaがらみでも、後世代の人に言われたんだった。 後世代にしたら、「良い文化を継承しないまま居なくなられることの方が困る」って。 でも、「地獄への道は善意で敷き詰められている」という言葉があるくらいに、良かれと思って焼いた世話がただの迷惑になってしまう事はあまりにありふれているし、何度か自分の知っていることを相手に伝えようとしてバーッとまくし立てて辟易させてきたことを思えば、僕自身が「できた先輩」になれるとは到底思えず、むしろ「よくいる駄目な先輩」の方としか思えず。 過干渉にならない程度の距離感って、難しい。

絵描き、漫画描きを送り出す場としてのサークルのこと

以前に初代会長が訪問したときに聞いた話だそうだけど、過去何人か、在籍者でプロの漫画家としてデビューした人はいるらしい。

いわゆるプロデビューを目指すようなレベルの意識・動機っていうのは、サークルの文化として育てていくような物でも無いんだと思う。 それはサークルに入ってくる時点で「持っている人」と「持っていない人」がいるという物で、その点についてサークルができる事は、動機を持っている人のやる気を削がないことくらいなんじゃないだろうか。

サークルとして積極的にできるのは、絵を描いたり話を考えたり漫画を描いたり本を作ったりっていう、ノウハウの伝達がせいぜいだと思う。 ノウハウを必要としている人がいた時に、伝達できるノウハウをサークルには維持していて欲しい、と僕は思う。 聞いた話では、今、勉強会の文化はあんまり引き継がれていないようだった。 技術向上を図るための勉強会を重視する、という事は僕らが拘っていたはずの部分なので、それが途絶えているのは悲しい。

絵でお金を貰うということ

現役生で、イラストレーターになりたいと思っていると言っていた人がいたと思うんだけど、今の画力がどうかっていうのと関係無く、それでやってくのは今は(これからは)すごい厳しいだろうなって思う。

今Pixivのトップページ見たら、美麗なイラストを描いてる人達が星の数ほど居るのが一目瞭然なわけで。 「今登録したら何々っていうレアカードが貰える!」ってCM打ってるようなオンラインカードゲーでイラスト描いてるような人達。 選手層はとんでもなく分厚い。 でも、そんなハイクオリティの絵でも(酷い会社には特に)安く買われてしまう。

僕が読んでるプロの小説家の人のブログで、小説教室の講師もされているそうなんだけど、その方は、教室の生徒さんで持ち込みとか営業とかを自主的にする人が少ないという事を書かれていたと記憶してる。 今回同行した初代会長も、イラストレーターで賞への応募や営業までしてくる人は全然いないという話をしていた。

Pixivで綺麗なイラストを上げているけれども自分からは応募したり営業したりはしない。 そういう人の中には、ゲーム制作会社や出版社でお金や権限を持ってる人に偶然見出されて評価されてデビューする、っていう流れに期待してる、待ちの姿勢の人が結構いるんじゃないだろうか。 そんな典型的な憧れ産業だから、搾取・買い叩きの対象にされてしまうんじゃないだろうか。

ちょっと話はズレるけど。 描いた絵はどんどん公開してフィードバック貰った方が上達するよ、だから学外に出てでもどんどん絵を人に見せていった方がいいよ、ということを現役当時の僕らは言っていたと思う。 「学外に出て行く」という事だけを見れば、Pixivに絵を公開している時点で、それはできていると言えなくもない。 でも、「人目にさらせてるか?」っていうと、疑問だと思う。 あれだけ美麗なイラストが溢れているPixivの片隅に絵をアップロードしたところで、一体どれだけの人の目に留まるだろうか。 トップページに並ぶようなクオリティの絵が膨大にある中で、自分の描いた絵は本当に人に「見てもらえている」だろうか。

僕の友人で、高校生当時はそれほど画力が高いわけでもなかったけれども、絵を専門に学び直して、その後プロの絵描きとしてゲーム業界で働いている人がいる。 彼は多分、学んだ成果の絵を持って回って就職活動したんだと思う。

本当の意味で仕事に繋げるためには、そういう自分からの効果的なアピールが重要なんじゃないだろうか。 運任せ、人任せにしないで、自分から主体的に掴み取りに行く。 Pixivに投稿して埋没したまま白馬の王子様が来るのを待ってても、チャンスはやってこない。 そういう事なんじゃないかと思う。

あと、待つにしても、見つけて貰いやすい待ち方というのもある。

Pixivのように既に大勢がいる中に、後からノコノコ参加したって、よっぽどの事が無い限りは埋没するだけだ。 ああいう場では、「絵が描けること」は「当たり前」でしかない。 その1次元の評価軸での激戦区に飛び込んで、既にプロで活躍している人達と張り合って目立つってのは、相当困難なことだと思う。

僕はPixivはロクに使えていなかったけど、「技術がそこそこ分かって」「漫画も描ける」という複数のキーワードに引っかかったことで、記者さんの目に留まったらしい。 連載が継続している今は、そこにもうひとつ「解説ができて」という評価も加わっているのかなと思う(というか、そうであって欲しい)。

絵の上手さや発表数の多さという評価軸では僕は上位にはいないけれども、他の評価軸も合わせることで、僕は浮かび上がって来れた。 1つのことだけやっていなかったということが、僕にとっての武器になったのだと思う。

僕みたいな半端者ではないちゃんとしたプロの漫画家として活動している別の友人も、メインの絵柄とは別の絵柄も練習していて、その毒気のない絵柄と、歴史関係に強い……というか、歴女というプロフィールの2つがあったことで、継続的な仕事に繋がったようだった。

既にみんながやってるのと同じ事をやるより、誰もやってないことをやる方が目立つ。 当たり前のことなんだけどね。

絵を描くということ

プロがどうとか色々描いたけど、当然だけど、誰もがプロを目指す必要は無いと思う。

スタンスとして、楽しく絵を描いていられればそれでいい、ってのは全然アリだと思う。 楽しく長く絵を描き続けていられれば、それに越した事はない。 辛くなってやめちゃうよりも、楽しく描き続けている方がいい。

というか僕自身、今まさに原稿料を頂いて漫画を描いているけれども、「プロの漫画家になろう」とは思っていなかったし。 それどころか、今こうしてやっている仕事も、どっちかっていうと「絵の比率が高い技術記事の執筆」だと思ってるくらいだし。 もえじら組の活動を細々とやれていればそれでいいかな、と、連載の仕事を貰う前は思ってた。

長く続けるためには、別に、メチャメチャ美麗で上手な絵を描ける必要ってのはないと思うんだよね。 ただ最低限、自分の絵に自信を持てるポイントがあった方がいいっていうか、自分の絵って絶望的にヘタクソだなって思わずにいられる程度にはなっていた方がいいっていうか、そういう風には思う。

描かれた物が何であるかが分かる程度の描写力。 右向きの顔を描くときに紙をいちいち裏返して確認しなくても大丈夫な程度のデッサン力。 何度も描いて消してを繰り返さなくても狙ったところに狙った線を引ける身体制御能力。 そういう地味な基礎画力があると、絵を描く事そのものを苦痛に感じる程度はだいぶ減じられると思う。 あと、そういうのができてない絵を見たときに「自分の方が基礎はできてる!」って思えるのも結構大きい。

僕自身は突き詰めると、自分が見たいけど他の誰も描いてくれない物を形にしたいっていうのと、「俺TUEEEEEEE」感を味わいたいっていう2点が、絵に関しての大きな動機だと思ってる。 自分の見たい物を形にするのなら、どうせやるなら、上手にできてた方が、観客としての自分が見てて嬉しいじゃないすか。 それでできれば「俺TUEEEEEEE」ってなりたいじゃないすか。 その方が楽しいじゃないすか。

苦手は克服した方が、より「俺TUEEEEEEEE」って思えるようになると思う。 何と言っても、「克服した俺SUGEEEEEEE」って思えるわけだし。その事実は揺らがないわけだし。 右向き描けないから左向きしか描かない、とか、背景描けないから背景描かない、とか、凝った構図は描けないから必ずバストアップしか描かない、とか。 自分で後から見てて、つまんないし情けないじゃないすか。 っていうかそんなの、自分自身が見たかった物じゃないでしょう? 自分が見たい物を手に入れるには、自分で描くしかない。 自分が上手くならなきゃ、自分が見たい物は見れない。 自分が上手くなれば、自分が見たい物を見れるようになる。

だからやっぱり、画力はあるに越した事はないと思うんだよね。 そういう喜びに繋がるためにも、勉強会の文化はあって欲しいなあって思う。

読者(閲覧者)を楽しませるということ

これは当日話した内容ではなく、後から「ああ、こういう話をしておけば良かったかなあ」と思った話題。

主に会誌を見てて、「読者を楽しませる努力はもっともっとしていいんじゃないか?」って事を思った。 僕らの世代がそれをできていたのかっていうのは完全に棚に上げて言っちゃうんだけど。

「大同人物語」で平野耕太氏が書かれていたんだったと思うけど、学校の部活やサークルの出す本、いわゆる「学漫」は、クソだと。 自分達が作りたいから作ってるだけで中身がない、読者がまったく楽しめない、お金を出して他の人に買って貰うには値しない、そういうジャンルだ、と。

前段で書いた事と矛盾してるんじゃないか、自分が楽しくなるようにすればいいんじゃないのか、っていう風に思われるかもしれないんだけど、そうじゃないんだよね。 独り善がりでただ作りたいから作るっていう事をしなさいって話じゃないんですよ。 作る事そのものが楽しいっていうのは、そんなもん当たり前なんですよ。 でもそれでは「作る人の視点」だけしかない。 そこに「読者の視点」も加えて、「自分が読んでも楽しめるような物、自分が欲しくなるような物を」作るのって楽しいでしょ、「読者を楽しませられる俺SUGEEEEEEE」ってなったら楽しいでしょ、って話なんですよ。

そういう風に思うのは、僕自身が大阪で育って、両親からの影響はなかったけど学校の同級生だったりテレビだったりから事あるごとに、「おもろいモンが正義。おもろくないモンはあかん。笑かしたら勝ち。スルーされたら負け。」という感覚を刷り込まれてしまってるからなのかもしれないんだけど。 その通りに実践できる・成功できる確率が低くても仕方ないとは思うけど、そうしようっていう思いは持ってて欲しいなあって思うんですよね。

あと、これも前段の話の繰り返しだけど、「今の自分で描ける物を描こうとする」んじゃなくて、「今自分が見たい(読みたい)物を描こうとする」って事は、ほんとに大事だと思う。

今自分ができる範囲でやろうとすると、何もスキルが身に付いてない段階だったら、表現の引き出しなんてそんなに無いじゃないすか。 斜め45°のバストアップの美少女しか描いたことありませんって人が、自分にできる範囲で物を作ったら、そんなもん、エロゲーの立ち絵が並んでるようなコマにしかならんくてあたりまえですよね。 そんな物を自分は見たかったのか? って話ですよ。 そうじゃないでしょ。好きな漫画みたいに、ダイナミックな構図だとかいろんなアングルだとかいろんなキャラだとかいろんな表情だとかを見たいに決まってるでしょ。

そういう「素直に自分が見たい物」を描けんのか? って話ですよ。 できないんだったら、描けるようになるしかないじゃないすか。 ……っていうのが、技術の上達に繋がるんじゃないかと僕は結構思ってる。

実際、僕も今でも、ラフ段階で微妙に今まで描いたこと無い物・やった事ない事が要求されるようなネーム切っちゃって、四苦八苦してうんうん言いながらそれを完成原稿まで仕上げて、って事を結構やってますし。

まったく目標や課題を定めずにただただ「画力を上げるんじゃ―――!!」って闇雲に努力するよりは、「今これを描けないけど描きたい・描かなきゃいけない」っていう状況を作ってしまった方が、頑張るための力を注ぐ方向を間違えにくく済むんじゃないだろうか。 というのが僕の思うところです。

「#!シス管系女子Season2」まとめ読み - Oct 28, 2014

発売から結構経っちゃってますが、「#!シス管系女子Season2」まとめ読み冊子が付録で付いている日経Linux 2014年11月号が出てます。PDF版・Kindle版には付録が付いてこないので、まとめ読みしたい方は紙の雑誌の方をお買い求めくださいませ。

この号はどういうわけか漫画率が高くて、特集記事がハルロック2巻 と連動した電子工作(猫の動きを追跡するデバイスを作ってTwitterに自動投稿するやつ)、特別記事としてLinux環境でのイラスト制作(シス管系女子のみんとちゃんを描いて頂きました!多謝!!)と、まとめ読み以外にも見所が多いです。いや、ふつうにLinuxな技術の記事がもちろんメインなんですけど。

で、そのまとめ読みの表紙絵の制作過程(ラフ、ペン入れ、白黒、カラーの各段階)をPixivにアップしました。Twitter上で「下描きと完成絵見せあおうず」的なハッシュタグを見かけたので、それに乗っかろうと思って。

#!シス管系女子 Season2 まとめ読み表紙 by Piro on pixiv

本編をカラーにした時以外で、カラーの大野先輩を描いたのはこれが初めてですね。

縮小されてて分かりにくいっていうか分からないと思うんですが、今回のイラストでは地味にネイルをちゃんと描いてみました。妻がジェルネイルに凝っているのの影響です。

朝の情報番組が「保守」って言葉の意味に真面目に言及するとは思いもよらなかった - Oct 16, 2014

朝、出がけにテレビ見てたら「そもそも、(政治の文脈での)『保守』って何なの?」という話をやってて、ついギリギリまで見てしまった。朝の情報番組といったら……というか、チャンネル桜みたいな政治思想がはっきりしてる局でもない限り、池上さんの番組以外では日本のテレビはこういう話題には触れないものなのだろうなあと思っていたので、「へえ、案外まじめにやってるんじゃん」と思って、それで見入ってしまった。

どこの局のなんていう番組かは覚えてないんだけど(って今調べたら、テレビ朝日の「モーニングバード」という番組の「そもそも総研」というコーナーだったようだ)、東大名誉教授の人(名前覚えてない)、小林よしのり氏、鈴木邦男氏の3人にインタビューしていて、僕が見て記憶してた範囲では、小林よしのり氏と鈴木邦男氏は「今保守を名乗っている人達(政党、政治家等)は、本当の意味で保守とは言えない」と言ってて、特に鈴木氏は、自身が学生運動真っ盛りの頃に右翼をやってた当時は「右翼」からも「左翼」からも嫌われてたのが「保守」だった、なんてな事も言っていた(ということは、いわゆる「ノンポリ」に近いニュアンスだったのだろうか?)。

「保守=保って守る、という字面だが、じゃあ何を保って守るの?」という素朴な疑問に対しての各人のコメントは、こんなだった(僕の理解では)。

  • 東大名誉教授の人の言う保守とは「体制確立時の主流だったものを守るのが保守。アメリカなら、独立時に中心にいたWASP層が保守。イギリスなら、議会制を立ち上げた時に議会を牛耳っていた貴族層が保守。日本なら、戦後の安保体制を守るのが保守(本流)」
  • 小林氏の言う保守とは「真の保守とは2000年スパンの伝統に基づく文化を守るもの」で、「今保守を名乗っている人達は、高度経済成長の幻影を守ろうとしているだけ」
  • 鈴木氏の言う保守も「本来の意味で言えば、外からの影響を色々と受けて変わり続けてきた寛容さに基づく文化を守るのが保守」で、「今保守を名乗っている人達が守ろうとしているのは、戦前くらいまでの短い期間で見た時の『伝統』に過ぎない」

コーナーの結びとしては、「保守を自称している人達はそれぞれ実は何を守ろうとしているのかちゃんとはっきりしないといけないんじゃないの」という感じの落し所だった。

僕自身は、「保守とは何か?」という定義付けについては、大筋では大学の一般教養レベルで教わった内容をそのまま今でも受け入れている(それ以上に納得できる説明には出会えていない)。それはどいうものかというと、僕の認識では、「保守」とは、端的に言えば現状維持が基本の態度の事。善き事か悪しき事か・正しい事か間違った事かといった価値判断は行わず、理由はどうあれ、変わったり変わらなかったりした結果いまあるものを最大限維持する、とにかく今生きてる人達がなるべく変わらずに惰性でイイ感じに生きていけることを指向するもの、だと僕は考えている。良く言えば慎重、悪く言えば日和見、他人の後追い。他の人が何か新しい事に挑戦して、それでうまくいってたら、やり方を真似て採り入れる。現状維持が基本ではあっても、全く何も変えないわけじゃなく、変えた方がよいとはっきりしてるなら渋々ではあっても変えていく。少なくとも日本人に関して言えば、僕も含めて多くの人に見られる性質だろう。

(そういう「保守」と対置される物として、人は意志の力で今より良く変われるのだ!と信じて、現状を変えてでもガンガン挑戦していこうという向きがあって、その中でも、前例のない新しい事・未来の理想に向かって変えていこうとする革新派が「左翼」で、現実にあったかどうかはともかくとして過去のどこかの時点を理想として変えていこうとする懐古・反動派が「右翼」……なのだろうと、今のところ僕は認識している。)

言う人に言わせると、僕の認識のような「保守」の説明は「保守をただのノンポリに貶めている!」てなお叱りの対象になるみたいなんだけど、僕は、そういう反応をするのは「反動」「封建」あたりと「保守」とを混同しているだけだと思ってる。だいたい、「保守的」という形容詞がどういう様子を指すのかっていうと、一般的に、より新しいもの(考え方、やり方、道具、なんでもいい)が出てきた時に、新しい物にとりあえず難癖を付けて、「自分が今まで採用していたもの」の方にしがみついてしまう事を言うじゃないすか。保守的な政治思想、これすなわち保守。これ以上に説得力のある説明、あり得なくない?(だから、例えば、そのしがみついた先が「封建」で、このご時世に「女性は家を守るべし、社会進出なんてもってのほかだ」とか言っちゃってたら「保守的な封建」だし、しがみついた先が「共産主義」で、あの中国ですら自由経済を導入しているにも関わらず「自由経済は一切認めん!」ってんなら、それは「保守的な共産主義者」と言っておかしくないと思う。)

ともかく、僕は「保守」とはそういう無色透明なものだと思ってて、ここから先の話もそういう前提での話なんだけど。

熱力学第2法則(エントロピー増大の法則)を援用すれば、現状維持だけやってたらゆるやかに劣化していき、いつかは破綻する。 ただの守りの姿勢ではなく緩やかな改善を含むのだとは言っても、基本的な態度はあくまで現状維持。高度経済成長のように、外的要因からの上向きの風に運良く乗っかる事はできるかもしれないけれど、基本的に、自分から率先してはっきりとどこかに向かおうとはしないが故に、幸せになれるかどうかは他人任せ・運任せ。 うまくいってる時期ならそれでもいいんだけど、うまくいかなくなってる時にいつまでもそのままだと、座して死を待つのみなんてことにもなってしまう。

そういう危機感というか「このままじゃいけないんだろうな」という不安感というか、そういうのがあるから、今の世の中では、大阪維新の会だったり「日本を取り戻す」な安倍首相だったりの、「今の状態から、より良い状態にダイナミックに変わろうとする」呼びかけが好まれるのだろう。

多くの人が漠然と保守的であるのなら、保守を標榜する政党や政治家が人気を集めるのは自然な事だろう。ただ、「自分は保守的な人だから、保守を標榜する人や組織を支持しよう」と、ラベルで物を見てなんとなく判断してしまっていると、見誤る。安倍首相に代表される今の政権を支えている考え方は、「なるべく現状維持」っていうより「現状からダイナミックに変える」なのだから、その時点でもう「保守」じゃないじゃないすか。

そういや今思い出したけど、例えば、自民党の改憲案見た時に思ったけど、文言の修正量の多寡じゃなくて意味合いの方を見ると、言葉尻をちょっと変えただけだけど意味がガラッと変わってた。「国家権力の暴走を縛るための憲法」というコンセプトが、「国家権力が国民を縛るための憲法」に様変わりしてた。そういうのって、「文章としてはほとんど変えてないから現状維持だよね」ってのは詭弁で、「文言を一部変えたことで、換骨奪胎して全然別物に変えてる」ってのが実際でしょ。僕はそんなのは「保守的」とは言えないと思う。

「自分達こそが国民の本来のあるべき姿を目指しているのだ」っていう「右翼」が、そんな感じで詭弁を駆使して、「よく分かんないけどなるべく自分たちのありのままで生きていきたい」っていう「保守」のラベルを勝手に借用して「代弁」して……つまり「あるべき姿」と「ありのままの姿」という別々の物を意図的に混同させて、「右傾化なんかしてないよ、保守だから中道だよ」って言いながら実質右に傾けている、本来以上の支持を集めてしまっている、そんなところがあるんじゃないかなー。

うん、我ながら今いいこと言った気がするから繰り返すけど、「あるべき姿」と「ありのままの姿」は、やっぱ違うんですよ。

「あるべき姿」を指向していて、且つ「それは、本来のありのままの姿とイコールであるはずだ、それが最も自然で美しい姿であるはずだ」と思ってるというのが、ウヨとか右翼とかっていうものなんだと僕は思ってる(「人間本来の姿として、同性愛はおかしいし、専業主婦が家庭を守ってるのが自然で、云々」っていうのも、「同性愛は動物の世界にだって当たり前にある(少数派ではあっても)し、専業主婦という業態は高度経済成長期に流行っただけであってそれ以前にはべつにそうじゃなかったし、云々」と証拠を持ち出して反論されても、考えを曲げたり改めたりしないんじゃないの? ガチガチの右の人って)。マイルドヤンキーとか、滅茶苦茶悪く言えば低学歴な、深くものを考えない態度の人の素朴な感情から、右傾化が加速してくっていうのも、背景にはそういうのがあるんじゃないかなあ。ほっとくとどうしても混同しやすいっていう。

そのあたり、「革命だ!科学だ!」って言ってた陣営のサヨ・左翼は、「あるべき」と「ありのまま」の区別にもうちょっと自覚的なんじゃないかなあ……と一瞬思ったんだけど、9条を守る系の人とか、素朴な感情ベースで運動やってる人達には、そこを自覚してない人は結構いそうだし、先導してる人達もやっぱりそこをごまかして混同して大衆を味方に付けようとしてるんだろうなあ。

とにかく僕が思うのは、似た言葉をごまかして混同させて騙して自分に有利に情勢を動かそうとする態度は、不誠実だってこと。大勢の支持を短期的には集められないとしても、誠実な態度を取り続ける馬鹿正直な(でも、できる限り誠実さを保てる範囲で他人の理解を得られるよう工夫できるような)人が、僕は好きだし、僕自身なるべくそうありたいと思うのですよ。

あと、既存の適切な名前に悪いイメージが付いてしまったからといって、既に別の意味で使われている言葉を安易に代替で使わないで欲しい、とも思う。そんな事をするくらいなら、造語で新しい名前を作る方がまだマシだ。そういう事が思いつかないくらいに素で言葉の意味を混同してしまっているんだったら、もうちょっと言葉というものに敏感になった方がいいと思う。

参考:

(……と、ここまで書いた所でちょっと不安になってWikipediaとか見てみたんだけど、僕の「保守」の捉え方は「数多ある保守に共通する普遍的な性質」の説明としては大筋で間違いではないようだったので、安心した。)

アドラー心理学とマッチョ - Jul 10, 2014

「嫌われる勇気」で紹介されているアドラー心理学がマッチョと言われて、最初に思ったのは「ええっ!? なんで!?!」だった。

僕は今の今まで、マッチョとウィンプとは以下のようなものであると認識していた。

マッチョ
激しい競争のある所で勝利した人(例えばジョックスがその典型)。自分の成功体験に基づくシゴキ教育を説く、すべての人は勝利者を目指すべきだという強い信念を持っている人。
ウィンプ
真っ向勝負で負けた、あるいは、真っ向勝負を避けて、隙間産業的なところで生きている人。すべての人が勝利者を目指す必要は無いと思っている人。

マイナージャンルで一定の評価は得つつもメジャーに打って出ようとはしない、覇気のない・最初から勝負を諦めて降りてる負け犬根性の人間は、僕にとってはウィンプだった。だから、そんな僕が共感する「嫌われる勇気」の話はマッチョとは対極にあるに違いないと思ってた。

しかし、「マッチョ」と「ウィンプ」という言葉がそれぞれ何を指すのかというのは、改めて調べてみると、人によって微妙に異なっているようだ。

結果として社会的に成功(勝利)しているかどうかという事を脇に置いて、その姿勢や考え方に着目してマッチョとウィンプを対比させると、アドラー心理学的な考え方は「マッチョ」側に分類されるという事らしい。人力検索はてなの回答の中にあった以下の要約を見て、しっくり来た。

マッチョ

自分で道を切り開いて、失敗しても他人や状況のせいにしない人

必ずしも成功者とは限らない

ウィンプ

自分で道を切り開けずにウダウダして、それを他人や状況のせいにする人

とはいっても、必ずしも負け犬とは限らない

言われてみれば確かに、世の中の誰もが憧れる各分野でトップに立つ「勝利者」と呼べるような人はそんなに大勢はいないわけで、以下の問答のような「要は勇気が自己責任!」な言い方をする人のほとんどは、トップに立つことができないまま勝負から下りて何らかの形で自分の居場所を見つけてそこに安住している人なのだろうから、ますます、上記引用の定義は妥当であるように感じられる。

まあ、実際にはウィンプなんだけどマッチョになりたくて・憧れていてマッチョ的説教を垂れ流していい気分に浸ってるだけ、っていう人もいるのかもしれんけど。

社会的成功者・勝利者になるには、運とか時勢とかコネとかの「自分の力ではどうにもならない物」が関係してくる。マッチョはそういった物を引き寄せるための行動を取りやすいとかの相関関係はあるかもしれないけど、ウィンプのままでだってそれらを手に入れることはできる。宝くじの一等を当てた人、なんてのはその代表的な例だろう。だから「マッチョになれ」「マッチョにならなきゃ幸せになれない」と言うのは正しくない。

ただ、ウィンプのまま勝利者になるにはそういう運が必要になってしまって実現可能性が読めないのに対して、精神的マッチョになるだけなら自力でどうにかできる可能性が高い、っていうのは言えると思う。運任せよりは安パイだという意味で、この方針をおすすめしたくなるわけですよ。

あと、「ウィンプな自分こそが自分なのであって、マッチョ改造人間になってしまった後の自分は自分じゃないのだ! そんな改造人間になってまで幸せになりたくはないのだ! そんなの自分じゃなくてもはや他人だ!」っていうのもあるかもだけど、そう考えてる今の自分自身だって、昔の自分と比べたら十分他人なんですよね。「サッカー選手になりたい」とかそんな感じで目をキラキラさせてた、子供の頃の希望に溢れてた自分は死んでしまって、今ここにいるのは死んだ魚のような目で疲れ切って日々の生活をこなす自分だ、みたいな。だったら、もう既に1回は死んでるんだから、今更さらにもう1回2回殺しても問題ないんじゃないの? と、僕は思っちゃいます。

冒頭のリンク先のエントリにあるように、「嫌われる勇気」では「どうすれば精神的マッチョになれるのか?」を対話形式で懇切丁寧に手ほどきしているので、「今はウィンプだけどマッチョに近づきたいと思っている人」にとっては、やはり読んでみる価値のある本だと思う。ウィンプだった過去があるからこそ、ウィンプの気持ちが分かる、ウィンプにも優しいマッチョになれる……のかもしれないし。

動物園 - Jul 02, 2014

この間、動物園行ったんですよ。天気いいしどこかに出かけたいけど適当な所が思いつかないなあ、どこがええかなあ、そういや動物園もう何年も行ってないなあ、って。

大人になって動物園行っても楽しめるんだろうかどうなんだろうか、と思いつつ行ってみたんですが、当初の想定以上に楽しんでしまいました。年間パスを買ってもいいかもと思うくらいに。

だって(園にもよるけど)可愛い動物いっぱいいるじゃんすか。ミーアキャットが目の前でちょこちょこ走り回ってすっくと立ち上がってキョロキョロしてまた走り去っていったりとか、レッサーパンダが樹上でぐでーっとしてたりとか、ペンギンが腹ばいで寝てたりとか。たまらん。超癒される。まあアニマルセラピーとかいう物があるくらいですしね。

ほんで思ったんですけど、年間パスってそう悪い選択肢でも無いんじゃないかなあって思ったんですよね。例えば東京ズーネットの4園だったら4回行ったら元が取れる(ちなみにすみだ水族館だったら2回で元取れる)んですよ。心が荒んできた時にフラッと行って癒されて帰ってくるって使い方ができるわけですよ。ペット飼うより手軽。住む所がペット可の物件かどうか気にしなくていいし、ごはんやらトイレの世話やらをしなくていいし(動物園任せ)。美味しい所だけ楽しめるわけですよ。なんて都合のいい存在。

まあ気軽に行きやすい所に動物園があるならっていう大前提があるといえばあるんですけどね……

デスマーチテックキャンプをきっかけにしてモヤモヤと考えた事 - Jun 18, 2014

この「デスマーチテックキャンプ」という闇を生み出した背景が

これか……

うさんくささ

記事を紹介している記事やブックマークコメントで、この人の事を「山師」と評している人を見かけた。山師。辞書的には投機的事業をする人の事で、転じて、詐欺師の事を指す言葉だという。そこまで強烈な断定ではないにせよ、「うさんくさい人」というニュアンスを込めてその言葉を選んだのだろうなあ、とは思う。

これを見ていて、なんとなく、ある友人を想起してしまった。そういえばその友人も、「うさんくさい」と冗談まじりに評されるような所はあった。僕はその友人を今非難するつもりではなく、単に、ふと想起させられたというだけなんだけど、何がそう感じさせたのかは、うまく言語化できていない。

  • 「部外者・異質な存在であるところの自分だからこそ、その固定観念をぶち壊して革新できるのだ!」と突っ走っているのを、エンジニアとか技術とかをより多く知っているであろう周りの人達が「それは筋が悪くて駄目だ」って言ってる、っていう構図、なのだろうか?
  • その人自身はきっと悪意からではなく善意でやっているつもりなのだろうけれども、やり方であったり結果であったりが残念な事になってしまっている、という構図の方、なのかもしれない。
  • もっと一般的に言って、問題の当事者でない人が、当事者はきっとこういう事で困っているはずだ、とか、当事者はきっとこうなっていると嬉しいはずだ、とか、(見当違いの)仮定・断定をしてしまっている、という事についてなのかもしれない。
  • それが個人の枠内で収まっていなくて、イベントの主催であるとか、会社を興すであるとか、他の人を巻き込んでいる、という事についてなのかもしれない。

……と、色々挙げてみたけど、一言では上手く言い表せずにいる。

技術的に、筋がいいか悪いか

っていうか僕自身、僕よりも多くのことを知っている人から「それは(技術的に)筋が悪い」と言われるようなことを、素人の浅知恵でよくやっているようなので、そういう意味では全然他人事ではないとも思うんだけど。

「権威と化した先人の言うことに唯々諾々と従っていては、その縮小再生産しかできない。けれども、闇雲に既存のものを否定しても、それは、既に誰かが試して、駄目だったと諦めた道かもしれない。とは言っても、先人が諦めたのにはその時なりの理由があって、今では状況が変わっていて、今こそ挑戦すべき時なのかもしれない。でもでも、まだ時期尚早かもしれない。」……こういう鶏と卵な話って、世の中にはありふれてる。ダイナブック構想だとか、ハンドヘルドPCだとか、ウェアラブルがどうとか、湧いて出てくる度に訳知り顔の古参が「また出てきたよ……あれはもう何年も前にだれそれが通って失敗した道なのに。あんなのオタクのオモチャでしかない。」って辟易して、事実その通り失敗して消えて、また湧いて出てきて、そんな繰り返しの末にiPhoneが大流行するわ僕はいまAndroidなスマホをガンガン使っているわしてるし、世の中の人達はGoogle Mapsや!Ajaxや!HTML5や!って「再発見」して今Office 365で十数年ぶりにOutlook Web Accessを使っているし、何年かに一回は電子書籍元年がやって来ている。

そういう事例を知ると、何か「うさんくさげなもの」に出会った時に自分自身が直感的に「うっ、これはあかんやつや」と思ったとしても、自分の嗅覚の方が、「筋の良し悪し」を見分ける自分の目の方が間違っているのかもしれない、と思えてきてしまう。

それで、このデスマーチテックキャンプの人がほんとに「否定されるべき駄目な事例」なのかどうかまで、僕には分からなくなってきてしまうんだよね。 色々なことに、特に人の感情とか機微とかに鈍感な僕だから分からないだけで、普通の感性を持った人には、本能と言っていいようなレベルで分かる事なのかもしれないんだけど。

フェアネス

「筋がいいか悪いか」とはまた別の言葉として、「フェアネス」がキーワードになるのかもしれない。 フェアネス、辞書的には公正さのことで、多分合法とかそういう事だと思うんだけど、僕は個人的には、もっと一般的に「人の権利を侵害しない」とか「人に迷惑をかけない」のようなニュアンスを持って捉えている気がして、まあともかく、そこら辺の概念。

「YouTubeはグレーゾーンに踏み込んだから他者を出し抜けた。我々もあんな感じで、現行法ではグレーや黒でも他に一歩先んじたサービスを作ろう!」といった見方は、フェアネスを軽視しているように思う。

これをキーワードにすると、パッと思いつく別の事例がいくつかある。

僕の中では、このあたりの人々は同じカテゴリーと認識していて、今回のデスマーチテックキャンプの人もなんとなくそのカテゴリーっぽいという印象は持っている。 (とかなんとか言ってる自分自身も結構不義理をしているので、僕の事を「フェアネスに欠けている」「うさんくさい」「信用するに値しない」と思っている人もいるのだろうけど……)

リスペクト、尊敬、尊重

あるいは、「自分が理解できない物」に対する態度なのかもしれない。

一般的に言って、自分が理解できない物を、自分が理解できる尺度に無理矢理当てはめて評価しようとするというのは、礼を失した行為であると思う。 「ようわからんけど、要するに、こういうことなんやろ! オッケーオッケー!!」と乱暴に切り刻んで、分かったフリをする(本人はそれで分かった気になっているので、フリではないんだと思うけど)と、大事な物が抜け落ちてしまう。 それをよしとするのは、その対象を軽視している事に他ならない。

自分が理解できない物を、自分には理解できないと認めて、自分が持っている尺度では計れないという事実を受け入れて、その上で、それでもなおそれには価値があるのだという事を認め、尊重し、敬意を払って、どうやって共存していくかを考える必要がある。

……っていうのは、僕とは異なる趣味・嗜好・価値観・考え方・バックボーンを持っている妻との共同生活を送る中で、僕自身もここ数年ようやっと意識するようになった事なんだけど。

それまでも、そして今も、自分自身がそういう決めつけやあてはめをやってしまう方ではあるので、やはり他人をことさら断罪できるわけではないんだけど、自分が理解できない物や考え方に対する敬意の払い方というのも、自分がその人にコミットするかどうかを考える際の1つの判断基準になるんじゃないかなあ、と思う。

結論として

色々な判断材料に基づいて、「うさんくさい」に留まらず、明確に批判・否定する人もいる。

このデスマーチテックキャンプの人が、ただのうさんくさい人なのか、それとも革新をもたらす人なのか。残念ながら僕はまだ分からないでいる。 自分の観測範囲で多くの人が「危険な香り」とか「嫌な予感」とか散々アラートを発しているのだけれども、優柔不断でフワフワしている僕は、そこまでの断定ができずにいる。

まあ、でもとりあえず、「自分とこの人の行く道は違うのだな」という事だけは分かる。

(この「行く道が違う」っていう表現、ガンダムUCでミネバがリディをフッた時のセリフ由来なんだけど、色々便利な言葉だなあって思う。「お前は間違ってる!!」と断定できないけど同意もできない時に、今後も使いそう。)

全力でこの人の言う事に乗っかりたいとか、協力したいとか、そういう風にはどこか思い切れない、一線を引いたおつきあいまでに留めておきたい感じというか。 彼が成功者になった暁には羨むかもしれないけど、でも、袂を別った事は後悔しないだろう感じというか。

ともかくそんな感じで、自分はつくづく保守的で優柔不断な人間なのだなあ、という事を意識させられた出来事なのでした。


たらたら書いた後でデスマーチテックキャンプの運営会社の評判を見てみたら、ログインして無くても見える冒頭切り出しの部分だけでもかなり壮観な眺めで、「うっ、これはどう見てもあかんやつや……」と思った。(綺麗なオチ)

How can I drag tabs with Multiple Tab Handler? / マルチプルタブハンドラがある時はどうやればタブをドラッグできるの? - Jun 03, 2014

Q

When the Multiple Tab Handler addon is installed, I cannot drag a tab to move it. Even if I start dragging on a tab, mouseover-ed tabs are selected (highlighted) instead of moving the dragged one tab.

マルチプルタブハンドラがインストールされているとタブをドラッグで移動できません。タブをドラッグしようとしても、そのタブが移動する代わりに、ポインタが上に載ったタブが選択(ハイライト表示)されるだけという結果になってしまいます。

A

The addon provides ability to select multiple tabs and do some actions for them. Long-press of your left mouse button on a tab starts the selection, moving mouse cursor selects mouseover-ed tabs, and releasing the button shows the menu for selected tabs.

On the other hand, if you move your mouse immediately after you press the left mouse button on a tab, then the tab is just dragged and moved as you expected. Remember, long-press selects tabs but short-press starts dragging of the tab. To change the threshold, see the configuration dialog of the Multiple Tab Handler.

By the way, you can select tabs without dragging. When you do ctrl-left-click on a tab, it toggles the selection state of the tab. Shift-left-click on a tab selects tabs between the clicked tab and the current tab. This behaviour is same to the one of Microsoft Excel, Windows Explorer, and others. After that, you can open the menu for selected tabs with right-click on a selected tab. If you do short-press of the left mouse button on a selected tab and start dragging immediately, then selected tabs are dragged and moved together.

このアドオンは、選択された複数のタブにまとめて同じ操作を行う機能を提供します。タブの上でマウスの左ボタンを長押しするとタブの選択が始まり、マウスカーソルと動かすとカーソルが上に載ったタブが選択され、ボタンを放すと選択されたタブのためのメニューが開かれます。

他方で、タブの上でマウスの左ボタンを押下してすぐにマウスを動かすと、タブの選択ではなく、通常通りのタブのドラッグ(移動)操作となります。憶えておいてください、長押しすると選択が始まって、長押ししないですぐにマウスを動かすとタブのドラッグです。長押しと判定する時間の閾値はマルチプルタブハンドラの設定ダイアログで変更できます。

ちなみに、長押しからのドラッグ以外の方法でもタブは選択できます。タブの上でCtrl-左クリックすると、タブの選択状態が反転されます。また、Shift-左クリックすると、クリックされたタブと現在のタブまでの間がまとめて選択されます。これはMicrosoft ExcelやWindows Explorerなどの他のアプリケーションと同じ挙動です。そうしてタブを選択した後に、選択されたタブの上でマウスの右ボタンを押すと、選択されたタブのための操作のメニューが表示されます。選択済みのタブの上でマウスの左ボタンを押下してすぐにマウスを動かすと、選択されたタブをまとめてドラッグ(移動)する事もできます。

小粋なセンスがもっと欲しかったな……ロボコップ(2014年) - May 07, 2014

リメイク版のロボコップ見たんですよ。

端的に言うと、映像格好いいしドンパチやってるし結構面白かった。でも、旧作ロボコップ(特に1)のセンスが良すぎて、それを知ってる状態で見てしまうと見劣りしちゃうなあ、と思ってしまった。

  • 旧作にはなかった生前家族との(っていうか今回マーフィーは死んでないから「生前」でもないか)交流があるのが今作の特徴だけど、それを加えたんだったら代わりに何か他の物を引いた方がいいんじゃないかなーと思った。単純に、話として結構詰め込んじゃった感があった。旧作の要素でいうと、1の全部(ロボコップ誕生)と2の半分(仲間の裏切り)が入ってるわけで、そのせいか、ゴチャゴチャしてわけわかんなくなってる気がして。例えば、仲間の裏切りは無理に入れなくてもよかったんでないかなあ?
  • とにかく旧作1ラストの、悪役副社長に対して「親会社の重役には手を出せない」という制限のせいで手を出せずにいた所での、社長の「お前はクビだ!」で制限解除されて「どうも」でズドン、という痛快さが僕には印象深くて、それを上回るカタルシスを今作では得られなかったのが、残念な所だった。
  • 悪役一味が旧作のクラレンス一味ほどにはぶっ飛んでなかったとか、ハゲヒゲのおっちゃんが小物臭が強いとか、悪役関係が肩すかし感あった。やっぱり、主人公の格好良さを引き立てるのは魅力的な悪役だよね。
  • ロボコップのデザインについて。キービジュアルとか止め画とかでは、右手が生身で露出してるとか、顔の周りがピッチリ隙間なく覆われてて旧作ほどグロくなってないとかのせいで、人がスーツ着てる感がかなりあったんだけど、実際動いててウィーンガシャンと効果音が付いてる様子を見てると、違和感は無かった。旧作も、映像見てなかったら「何この着ぐるみ?」って思ってたのかもしれないね。個人的には、黒いバージョン3よりもシルバーのバージョン1の方が好きなので、最後でバージョン1の状態に戻ってたのは嬉しかった。

まあなんというか、ドハマリするほどでもないんだけど、見て後悔するほどではない、きちんと作ってある今時の映画やなーって感じでした。

若干消化不良な感想を持った、「アナと雪の女王」 - May 07, 2014

アナと雪の女王見てきた。3D字幕。

率直な感想としては、映像美すげーなあと思いました。ほんとに雪山にいるみたい。3D映像のためだけに映画館に行く価値ありだと思います。同時上映のショートフィルムも、3Dならではの演出で面白かった。

映像美以外でも、楽しく見られる映画だなあと感じた。実はこの手のディズニー映画はちゃんと見るのは初めてだったんだけど、いちいち小ネタが効いていて、見てる人を飽きさせないなあと感心する事しきりだった。「映像が動く楽しさ」というか「動く映像だからこその楽しさ」というのか、そのための心配りが隅々にまで行き届いている。ディズニーリゾートの楽しさに通じる気がした。

いまいちノリきれなかったのは、話の運びの細かい所がアラとして気になってしまったからなのかなあ、と思ってる。(あと、字幕の翻訳。直訳が多いせいなのか、こなれた日本語になってなくて「??」ってなる事が多かった。)

  • 王と王妃が死んで3年間も王位が空白ってどうなんだ?(僕が見たある批評でもツッコまれてる)とか。アレンデールは結局何で豊かに潤ってたんだ?とか。一言でいいから、何か説明を……
  • 真実の愛が結局アナの中にあったのかエルサにあったのかが、映像からぱっと自分には分からなかった。「他人のために自分を犠牲にする」という点に着目すると身を挺してエルサを守ろうとしたアナ自身の中に真実の愛があったという事になるようにも思えるし、他方、フツーに考えればエルサの中にアナへの真実の愛があったから氷が溶けたんだよねという見方もできると思うし。パンフレットには後者だと書いてあるから、公式的にはそうっぽいけど。
  • ハンス王子の愛が偽りの物だったということはよーく分かったけど、クリストフはどうだったのかというのがよくわからないままぶん投げられてるのが気になった。アナが凍り付いたとき、クリストフは結局間に合わなくて見てただけじゃん? 真実の愛かどうか試す試練を経て、やっぱりそうじゃなかったねこれは友情だったねとか、やっぱりそうだったねこれは愛情だったねとか、何かしら結論出しておいて欲しかった。
  • ハンス王子が悪役として非常に中途半端に感じた。途中までは義理堅い好青年のように描いているのに、瀕死のアナと2人きりになった途端に手のひらを返すって、伏線が無さ過ぎてポカーンだ。

前出の批評の受け売りだなあと自分で思うけど、総じてちぐはぐな印象を受けた。「両親が死んで姉妹だけが残される」とか「愛してたと思ってた人が裏切る」とか「姉妹の愛が問題を解決する」とか「王女は真実の愛を見つけて結ばれる」とかの断片的なお話を並べて繋げて1つの映像作品にしましたというふうな。あるエピソードから次のエピソードに至るまでの「過程」の描写がことごとく欠けてるように、僕には思えた。まあ、ディズニー映画ってそういうものだよということなら、そういうものか、で納得するんだけど。

誰が言っていたか忘れたんだけど、「自動的なヒロイン」という言葉があったと記憶していて、どういう物かというと、動機付けや翻意のきっかけといった適切な心理描写も無しに何故か勝手に主人公に恋してくるという感じの、客観的に「それならそうなるのも当たり前だよね」と思えるだけの材料の積み上げを省いたままに、作者が「このキャラには最終的にこういう行動を取らせたい」と思った通りの行動だけを取らせてしまって、結果的に「なんでそのキャラがそういう行動を取ったのかが、そういう役だったから、という事でしか説明できない」状態になってしまったキャラ描写を揶揄した言葉だったと思うんだけど、それに近いものがあちこちにあるような気がするんだよね。

例えばハンス王子は、エルサが出奔したときも、アナの馬が戻ってきたときも、「面倒な事になりやがったな、クソッ」みたいな表情をチラリとも見せない。実際の計算高い人間だったら確かにそう簡単に真意を漏らすはずもないだろうし、だから自然な描写としてはそうあるべきなのかもしれないけど、大衆向けの作劇としては、それは分かりにくい。くどくても、ニヤリとした口元であるとかの細かい描写を重ねて「コイツは腹黒いキャラだ」という種を撒いておくべきじゃないだろうか。だって、べつに、ハンス王子の真意を探るサスペンス作品じゃないじゃないすか、この映画って。裏切りの直前まで、隠しておく必要がないでしょ。最初から「いかにもコイツは裏切りそうなキャラだ」と描いておいても、登場人物達にそれを気取らせてさえおかなければ、観客は「ああ、駄目だよアナ! そいつに頼っちゃ駄目!!」とハラハラさせられ、「ほらやっぱり裏切られた! あーあ……」と落胆させられて、どんでん返しで「やった!」と盛り返す、そういう楽しさは十分に味わえるはず。

単に僕に読解力・共感力が無さ過ぎるせいなのだろうか。世の中的には十分ヒットしてるようだし、そうなんだろうな。

……と思って検索したら、ハンス王子は他の登場人物に対する鏡として設定されていたという考察が見つかった。なるほど、それならキャラとしての心理描写の薄さ・動機の薄さにも納得できる。

そういう整合性がどうとかの点を気にしないで、映像美に酔いしれ、動きの面白さに目を奪われる、「アニメーション映画」を見るという事ならではの体験にフォーカスして楽しむ限りにおいては、十分楽しくて面白い映画だと思いました。小難しいこと考えないで頭空っぽにして見るのがいいってことですね、これは。雑念を抱えたまま映画館に行ってしまった僕の負けです。

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