たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。
以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能!
Web Trend Map 2007というものがあるそうで。なんでもインターネット上で話題になった企業やブランドの関係性を図にした物なのだとか。ベースになってるのは東京の地下鉄マップなんですが。
で、見てみるとFirefoxが永田町駅のとこにあるんですけど、Mozilla Japanの事務所って永田町駅から有楽町線で一駅北の麹町駅すぐそばにあるんですよね。なんというか、もうちょっとだったのにねえ、と。
あとそれだけじゃなくて、Googleが渋谷駅になってるのも、日本法人の所在地が渋谷だからだったりするんでしょうか? でもMicrosoftは新宿にあるのにこの図だと上野になってんすよね。これはアレですかね。あの周辺の電車のグダグダっぷりを反映してるんですかね。
Operaが載ってないのはなんだかなーって感じ。ここに表れてないところでOperaは相当躍進してるのに、それを見落としてるってのはなあ、と。いやもしかしたら高機能携帯の普及率が異様に高くてDSもWiiも売れまくってる日本ローカルの話なのかもしれませんけど。よう知らんからこれ以上は言わんとこ……
家計簿は大雑把に、しかしきっちりと付けるのがいいらしい。
大雑把にというのは、分類のこと。本、文具、燃料、衣料、家電、PC、うんちゃらかんちゃら……みたいなやたら細かい分類なんかやめちまえ、ということ。家計簿を続ける上で一番面倒なのは、なんと言っても、分類をいちいち考えることの煩わしさなのだから。僕は、食費と光熱費と娯楽費(主に漫画)程度しか分けてない。
きっちりというのは、書き漏らしなくコンスタントに付け続けるということ。レシートが無いような支出、割り勘だとかおみくじ代とかそういうものは、支払ったその場で携帯のメモ機能か何かでも使って記録しておく。
細かく分類した家計簿を三日間しか付けられないくらいなら、大雑把にでも記録されたものが1年2年とデータとして残っている方が、ずっと有益だ。という理屈ですね。まあ大雑把にでも記録してると、自分の支出傾向というものがだんだん見えてくるんじゃないかと思いますよ。どんだけ無駄遣いしてるんだ自分……っていうのが。
参考までに、僕が自分用に作った家計簿のテンプレ(OpenOffice.org Calcその他で使えるOpen Document Format)置いときます。何かの参考になれば幸いです。
独り暮らし始めてから一応ずっと付けるようにしてますが、効果の程は謎。まあとりあえず国民年金の未納分の一括振り込みとか引っ越しの時の敷金礼金とか抜きにすれば概ね黒字にはなっているようですが。
待ち受け画像は何かという問いに対しての回答「彼女の写真(←キモイ)」について、「彼女がキモイという意味にも取れてしまうし、そうでなくとも、交際相手の写真を待ち受けにしている人全てを敵に回す発言だ」という趣旨のツッコミがあった。
いや、その、多分、そういう事じゃないと思うんですよ。彼女イナイ歴約23年だった非モテの、自分でエロ同人誌を作って売ってる、大して男らしくもなくむしろ女々しい男が、大してコミュニケーション取れてない交際相手の写真を、自分の抱いている勝手な「理想の女性像」のイメージを投影して、携帯の待ち受けにして、毎日見ていて、好きとかなんとか言ってる。アイドルではなく手に触れることのできる距離にいる(遠距離ですが)人物を、ただただオナペットとして消費している。メイドストーカーレベルとまで言われるような、その様子こそが、キモイのです。
ちゃんと相手とのコミュニケーションを取って、二人で恋愛できてる、まともな精神構造をした大人の男が、交際相手の写真を待ち受けにするのは、多分、全然構わないと思いますよ。
まあこれ見て思ったのは、「天然の勝ち組」には絶対敵わんわ……ということですね。劣等感に苛まれも、優越感に浸ることもなく、ただひたすら自然に自らの置かれた境遇を受け入れ肯定し、生きる、「天然」という生き方。「天然」になれば怖いものはない。そこに「勝ち組」という属性が結びついたら、もう、そりゃあなた、最強に決まってるじゃないすか。
天然の何が恐ろしいって、無理して頑張って努力して頂点に立って他人を見下すようになったわけでなく、ただありのまま生きてたら何か知らんけど真ん中より上にプカッと浮かんじゃいました、という所。憎めないんですよ。そういう人は。羨むことはできても憎むことができない。
自分を悪意を持って見下してくる人ならまだいい。こっちも憎み返すことができる。向こうは全然気にしないかもしれんけど、こっちの気は少しは晴れる。でもこういう人は違う。向こうは悪意を持って見下してるわけじゃないから、こっちが悪意を持って憎んだら、その憎しみだけが際立つ。「ああ、こんな素直な人相手にドロドロした事を考えて、自分はなんてダメで歪んだ人間なんだ」という風に、憎しみ攻撃が自分に跳ね返ってくる。
これは、あれですよ。江古田ちゃん的に言う、「猛禽」ですよ。
ひと昔前に生息していた「ぶりっこ」は
時がたつにつれ男共にことごとく本性を見抜かれぜつめつしたそして試行錯誤の末新たに誕生した「猛禽」は
我々の予想をはるかにこえる完成度をほこっている聞き上手で
下ネタにも寛容
ほっとかれてもふくれず
ブサイクにもやさしいつまり言葉では非のうちどころがない
(……これじゃただのひがみじゃないか? いやちがう 何か!何か責めるべきところが)←敵を自己嫌悪におとしいれる技をもあわせもつ
「猛禽」は対男の恋愛における天然勝ち組(またはそれを装う人々)だが、冒頭で示したリンク先のような生き方は、全方位での天然勝ち組的生き方と言えよう。
そんな「人生の猛禽」を地でいくような生き方。
まゆげで見る「おたくの娘さん」で紹介されていたので見てみた。すたひろBOX:漫画にて公開されているWeb版と、同人誌、それから月刊ドラゴンエイジ連載があるようですね。内容は同じなんだろうか?
「すたひろ」という作家名、どっかで見かけたんだけど思い出せないなー……と思ってたら思い出した。とらのあなの情報誌(無料配布になる前の分厚い奴。委託してたら送られてきた。)で声優養成学校を舞台にした漫画を連載してた人だ。あの時はなんだかあんまり面白くないという印象だったのでそれっきりだったんだけど、「おたくの娘さん」はなかなか面白かった。ただのキャラ萌えじゃなくて、話として。
同じく公開されてる作品のぱなぱなの後書きを見ると、「あずまんが大王」の影響からの脱却を模索していたように見受けられるのだけれども、多分あずまんがだけじゃなくて、流行りの漫画全般の平均的な像からの脱却というのもあったんじゃないかなとか勝手に思ってみた。
単行本買ってみるかな?
日経Linuxの連載記事の最終回の原稿をようやく提出しました。もうなんというかあらゆる意味でグダグダになってしまいました……ていうかマクロはマクロで1年間連載できるくらいのコンテンツなんだし1ヶ月でそんな濃い内容書けないっす! 仕方がないので周辺の機能の解説でお茶を濁してしまいました。ああ情けなや。
とにもかくにも1年間不慣れな仕事をどうにか完遂することができたのは、よかったです。
以前にも似たような事を書いている気がしますが。
「脱オタ」の政治的解釈において、republic1963さんは「脱オタク」という言葉の意味として、以下の2つがあるということをさらっと書いておられます。
しかし、ここから単純に「脱」という漢字とその意味を外して考えれば、そもそも「オタク」という言葉自体が
という2つの意味を持っている(持つようになってきている)という事実が、自明の理として浮かびあがってきます。
「○○ができたほうがいい(しておいた方がいい)」、という言い方は、よく目にする。そういう経験を積んでおくのも悪くない、人として大人として深みのある人生になるだろう、生活する上でプラスになるだろう、とかの文脈で。
そういう言い方のフレーズの中で、何故か、それを見た瞬間に僕の脳内で「○○もできない(したことない)奴は人間失格だよねプギャー」「○○したことないのが許されるのは小学生までよねーキャハハキモーイ」と勝手に翻訳されてしまうことがある。相手がそう言ったつもりがなくても、そういう悪意を持って発言したに違いないと瞬間的に思い込んでしまうことがある。
例えば、恋愛。SEX。独り暮らし。客商売。飲食店の店員のアルバイト。自炊。
べつにそれだけでその人の人格全体の優劣が決まるわけではない「はず」なのだけれども、何故だか、そう思うことができない。絶対的な優劣を決定づける重大なファクターであるかのように感じてしまう。そして、少しでもそれに触れるような内容の話題に対して、過敏に反応してしまう。世間的にはただの「+α」でしかないはずの「○○したことがある」という属性を、「must haveなもの」と考えてしまっている。それを持っていない自分を、絶対的に劣った存在と感じてしまう。負け犬にならなくてもいいのに、自ら負け犬になってしまう。
冗談でなくマジでこんな風に考えるのは異常なことであり自意識過剰でありルサンチマンの塊であり子供の全能感を捨てきれないいつまで経ってもガキのままの未熟な人間であることの証なのかと思っていたけれど、聞いてみたところ、友人の何人かも、口には出さないものの同じようなことを感じることはあると言っていた。
もっと潔く生きたいものですね。
だからブログでも日記でもなく近況報告だと云々!!
「おう是非やめてくれお前の日記なんかもう見たくねえよ糞野郎」と思った方、残念でした。「mixi退会しますバトン」 というのをマイミクのhaseruさんのmixi日記で踏んだのですが僕はmixi日記は書いてないので、こういうタイトルに変えさせて貰いました。元のバトンは強制(コメント残して自分も「mixi退会します」というタイトルで書く)だそうですが、こだわりません。