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の動向はもえじら組ブログで。
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こないだ益田ラヂヲさんと菊池さんとアメリカ村でゴニョゴニョした後に、休憩がてら益田さんご推薦のゲームを一つやったんだけど。ゲームの名前は忘れた。
ゲームのルールはシンプルで、プレイヤー同士の読み合い・騙し合いというのがキモなんだけど、これが結構面白かった。
なんでボードゲームを普及させるのが難しいんだろう……ということをその後で話してたんだけど、今思うと、このゲーム性の高さ自体が敬遠される理由になってしまってる側面はないかなあ、という気がふとした。要するにめんどくさい。何がめんどいって、ボードとコマを展開したり片付けたりってことじゃあなく、頭を働かせることが。相手プレイヤーを疑って疑って疑いまくることが。
もちろんコンピューターゲームにだって、そういう要素はいくらでもある。わかりやすい例でいえば、対戦格闘ゲームのプレイヤーはコンマ数秒の間に相手がどんな手を繰り出してくるか何通りもの予測を行うというし。
ただ、コンピューターゲームが派手な映像や爽快感のある動き、音声など、心理戦以外の様々な要素を持っているから、時間あるいは集中力を振り分ける場面において、かなりの部分受け身でいられるのに対し、ボードゲームはもっとプリミティブなものである分、常に集中して能動的でいなくてはならないような気がする。同じ30分のプレイでも、コンピューターゲームでは10分くらいが頭を使う時だとしたら、ボードゲームでは30分間脳味噌フル回転で休むヒマがないんじゃないだろうか。
もちろん、別に脳味噌使わなくてもプレイはできそうだけど、受動的に楽しめる要素がほとんど無い分、その場合のプレイはつまらないものになるような気がする。
最近僕はVアプリのミスタードリラーに結構ハマってるんだけど、これやってる間って、実は結構頭ボーッとしてる。パターン認識とかで頭を使ってる可能性はあるけど、権謀術数を張り巡らす心理戦に比べたらはるかに単調。
あぁ、なんか最近自分どんどんバカになってってるなあと思ってたけど、こんなところで実感してしまうとは……
自分の部屋にスイッチングハブを導入した。これでノートPCを使うときにいちいち別の部屋まで移動しなくて済むぜー(っていうか無線LAN使いなさい自分)。
におわない納豆料理は、ニオイという納豆の特徴的な良さを排除つまり「素材を殺して」いるのか、それとも、ニオイによって殺されていた納豆の他の良さを引き出して「素材を生かして」いるのか?
そこは表現次第、受けとる人次第ではある。ただ、世間一般では、納豆の良さはニオイではなく味や栄養価の部分にあって、ニオイは大事な要素ではないとされている。だから納豆のニオイを消すことは世間一般では良いこととされる。
でもそれは、そんな世の中の風潮は、臭う納豆が大好きで納豆の真価はニオイにこそあると思っている人には、耐え難いものだろう。あるいは、納豆は食べるのではなく他の使い方をするのがベストだ、とか、納豆は見て楽しむものだ、とかそういう価値観の人であれば、食べるために納豆をあれこれするということ自体がもう我慢ならないことだろう。
「俺は納豆を食うという価値観に世の中が無条件に染められていることに納得がいかんのだ。食うためにどうこうするという価値観を誰彼構わず押しつけることが許せんのだ。食えない納豆は存在を否定され、食えない納豆を好む人間も排除されるという世の中が許せんのだ。」
hazama-hazama氏の発言の意図はそういうことではないかと、僕は見ているのだが、どうだろう。外していたらツッコミを入れて誤解を解いてほしいんだけど。
行き詰まってるなあ。
誰が悪いと犯人捜しをするなら、自分が悪いということにしかならない。他に関わっている人が皆、不可抗力でのっぴきならない状況に置かれている中で、僕だけは、自分で選択した結果として現状がある。
やる気のでない状況。グダグダの状態。これをただの災難と見て逃げるか、自分を成長させるチャンスと見て耐えて挑むか。
Firefox 人形が絶滅の危機と聞いては黙っちゃおれませんっていうか僕も欲しいんですよコレ。是非とも再入荷して欲しい。ということでvoteしまくり。
Firefoxを究める256のテクニック(Amazon.co.jp)の正誤表ができました。誤字とか重大なミスとかだけ訂正です。あとTab Mix Plus 0.3向けの訂正項目もあります。
電撃ホビーマガジン3月号を、「マスターグレード現在、過去、未来」という特集記事のためだけに買った。こういう歴史物とかインタビュー物とかに弱いんですよ僕は。オマケのガンコレヘイズル(ティターンズ色)はどうでもいい。
MGがシリーズ開始してからもう10年も経つのかあ。時間が過ぎるのはあっという間ですね。こうしてまとめて見てみると、シリーズ開始当初の迷走っぷりが面白い。
装甲の分割面でパーツ割りすることで継ぎ目が出ないように&塗装後の組み立てを容易にするというのは、4作目のゲルググのスカートからの試みだったっけ。実利的な側面はもとより、組み立て時にも「ああ、実機がもしあったとしたらこういう風に装甲を組み付けたりするのかなあ」と妄想が膨らんだりして、男の子としてはとても楽しいものですよ。組み立てる工程そのものを楽しめるのが、プラモデルの魅力の一つだけれども、MGではそれがもうワンランク上の満足にまでつながってるんだな。
今後の商品展開についての話もあった。そのトライアルとして、1/144 νガンダムを15m級MSのMGモデルに見立ててフレームを組み込んだ作例なんかも。F91〜V世代の僕としては、早く完全変形のVガンダムや、あるいはトチ狂ってセカンドVやなんかを出してほしいなあと思う次第です。ウイングゼロカスタムの金型流用でアーリーウイングなんて超マイナー機体をリリースしたバンダイの商魂に期待。
どないせえと。