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ライブドアとホリエモンに関してはポケーっと何も考えず礼賛してた(僕自身は、ルールを作る側に回って自分の都合のいいようにルールを作っていく、金のある人々も、彼らの作ったルールの網を巧みにすり抜けて金を増やしていくホリエモンのような人々も、人生ゲームの勝利者だと思っている。高潔に生きても負けは負け、汚く生きても勝ちは勝ち、と思っている)ところがあるんだけど。
彼の表面的な言葉に自分は「騙されて」いたのだろうな、と思うけれども、この「騙されて」という言葉は暗に彼に責任をなすりつけているようで好きになれない。なんていうか、こう、「見る人が見ればそれは危険極まりない濁流だというのに、目が曇って頭が茹だってそれに気付かない・気付こうともしない馬鹿な奴が、そこに勝手に身を投じて愚かにも自滅した」みたいなニュアンスでこれを言い表す言葉ってないものかな。
「信じて」だと、なんだか美しいことをしてるような言葉の響きが感じられてアレだなあ。
「盲信」というとなんだか宗教ぽい感じがするんだけどどうだろう。
「愚信」……なんて言葉は、無いか。
語彙が貧弱だとこういうときにもどかしくて困る。
僕のように、劣等感が強く、自分が劣っていると認識して落ち込む傾向のある人間は、常に自分と他人を比較している。逆方向に考えれば、こういう人間は自分が優位に立ったとき、自分が優れていると認識してうかれる傾向があると言える。自分と他人とを比較して優劣を付けなければ生きていけない、差別主義者予備軍なのだと言えるだろう。
こういう危険な人間は、劣等感を感じさせ続けることのできるような地位という牢獄に閉じこめてコントロールしておくのが、社会のためなんじゃないだろうか、そんな風に思うことが時々ある。自分が這いあがろうとすることは、社会秩序に仇なすことに繋がるんじゃないだろうか、そんな風に思うことがある。
O君はバーバリーでカバンを選んでいたんだけれども、二つのカバンをとっかえひっかえしながらどっちがいいかで悩んでる彼を見て、僕はこらえきれなくなって涙があふれて泣き出してしまった。
似たような所にいたとばかり思っていて、僕と相変わらず友達でいてくれてる彼は、しかし、ここ数年でもう、僕の手の届かない遠い世界に行ってしまった。僕には分からないようなハイレベルの所で物を選んでいる。僕なんて、彼が選んでいる物のどっちを買ったところでどうせ使いこなせないし着こなせない。僕はかつて、脱ヲタした別の友人を見て、「彼にもできるんだ、僕にもできるんじゃないか?」と思った。でも昨日は、商品を手に取って選ぶ友人の姿を生で見て、「ああ、僕は彼には永遠に追いつけない。大きく引き離されてしまった」と思った。
それで恐怖と悲しさと焦りと情けなさと悔しさと諦めと羨望と嫉妬と絶望が心の中で急激に膨れあがって、ついに涙となって溢れてしまった。いい年こいたオサーンが人前で涙目で鼻すすり上げてんの。キモイね。キモイにもほどがあるね。
何より大きな、そして絶対追いつくことのできない差は、それで僕のことを慰めてくれる彼の懐の広さだろう。そんな人間にどうすればなれるのだろう。これが分からない限りきっと僕はずっと、怯えて生きていくことになるんだろうな。
脱ヲタしたいと願う人の性格にも色々あると思うけど、僕みたいに激しい劣等感と歪んだ優越感と空虚な自尊心ばかりの人間が人を頼って脱ヲタを望むとしたら、こういう負の感情をいかにコントロールしきるかが大きなポイントになるんじゃないかという気がする。
こないだのアレを見たとある高校時代からの友人O君がこの件に興味を持ってくれて、色々うまくいかんくて凹んでることを漏らしたら、そのうち一緒に服を買いに行こうやと言ってくれてて。
今日、また別件で落ち込んでたら、これからカバンを買いに行くつもりだからついでに服を見に行かないか?と誘ってくれたので、梅田まで行ってきた。
彼に連れられていったのは、梅田イーマと阪神百貨店とNU。へぇぇぇぇこんなとこにこんな店があったのか。おいちゃん全然知らんかったよ。おいちゃん毎日この辺歩いとるけど、例によってこういう店には結界が張られてるもんだから、気付きすらしなかったよ。いやもうほんとマヂで。アレだな、げんしけんの春日部さんが秋葉原まで家電製品を買いに行くことはあってもヲタな店の存在自体にまるで気付いてなかったという話に通じるものがあるな。
最初はイーマ内のUNITED ARROWSに行ってみた。
何この空気。耐えられない。早くもギブアップしたくてたまりません。でも耐えます。耐えて前に進むのです。そこでジャケットとかインナーとかをいくつか見たり。
先日菊池さんに頂いたニットと同じものも発見。ああ、こうして店頭に置かれてるのを見ても僕は完全スルーしてしまうなあ、まるで分からないから。これを着た自分というものが全く想像できないから、この商品を使っている様子というのが思い浮かばないから、手に取ろうとすら思わないという……
続けて同ビル内のSHIPSとあともう一店舗、それから阪神百貨店でバーバリー・ブラックレーベル(彼はここで当初の目的のカバンを買った)とポールスミス、最後にNU茶屋町でも何店舗か見た。
一通り見てて思ったけど、「これはいいね」とか「これはちょっとあかんね」とかO君が言ってることが僕にはさっぱり分からない。例えて言うなら、そうだなあ……時速10km/hと時速100km/hの違いは分かっても、100km/hと110km/hの違いは分からない、みたいな感じ? EASYモードから始めた人にはNORMALもHARDもVERY HARDも全部違いが分からん、みたいな? とにかく、例え「こういう感じのがいい」と思ってたとしても、実際に行ってみたら見分けが付かなくて死亡するのは確実だと思った。
最終的に、UNITED ARROWSで最初に見たジャケット1着を買った。多分、ファッションに詳しい人が見たら、似合ってないとか、合ってたとしても微妙だとか、あるいは着こなしがダサいとか、色々ボロカスに言われるんだろうと思う。でも今度は悔やまない。自分で好きで選んだつもりだから。ここから僕は再出発をきる、そういうつもりで。
――彼はどうやってこういう店のありかを知ったのかと聞いてみたら、友人に連れられて行ったり、本で見て調べたりしたのだと言っていた。友人。本。僕にはそういう種類の友人が身近にいなかったし、そういう情報に当たり前のように触れている人もいなかった。そのせいにだけするのもどうかと思うけど、僕は自分のことを、誰か他人の助けを借りなくては最初の一歩を踏み出せないタイプの人間だと分析しているから、そんな僕がずっと変われず・変わろうともせずに4年も5年も時間を浪費してしまったのは、環境との組み合わせの運が悪かったのだろうかとどうしても思ってしまう。
帰り際、本屋に立ち寄って、ファッション誌のコーナーを見てみた。たくさんある中から彼はGainerやメンズノンノや何冊かを取ってくれて、僕はただただその素早さに目を丸くしながら、それをパラパラとめくるばかり。見ても、やっぱり僕には何も分からない。でも、周回遅れでも、例えもうリタイヤ間近になってしまっていたとしても残りの僅かな時間だけでも、それこそQODを高めることにしかならない、死に化粧でしかないとしても、せめて自信を持って最後まで生きていけるようになるには、ここで頑張らないといけない。そんな気がする。
Firefox 2.0に向けて、Trunkでネイティブのタブブラウズ機能が強化されたそうで。
変更点を見てみると、かなり広範囲に渡って改変が加えられてる。別に変えなくても良さそうな……というか、美学や分かりやすさ的には変えたり統一したりした方がいいんだけど過去との互換性のためにそのまま置いとかれてたような部分にも。
ここまで来ちゃうと、1.x系向けと2.x系向けを両立できるようなものを一つの拡張機能で実現するというのはかなり厳しくなってくるなあ。ていうかTBEは確実にブランチせざるを得ない。しかし僕の場合、行動原理が「その環境を常用するのに必要だと思ったものを片っ端から入れてったらこうなった、せっかくだからそれを公開してしまおう」というものなので、今の常用環境でない環境のために頑張る気にはなかなかなれない。困った。
脱ヲタした友人に聞いた話。バーバリー・ブラックレーベルはヲタ御用達の脱ヲタブランドだと言われてる、とかなんとか。
ガノタの僕としては、この状況をガンダムの例で考えずにはおれん。よく分からんのだけど、これは例えて言うなら、ガンダムシリーズではΖガンダムの商品が一番よく売れるという話に似てるんじゃないだろうか。
Ζは顔、脚、胸、腰など、各部のパーツが鋭角的で、平たく言えば、かっこよく見える。また、言うまでもないけれども、変形という最大の魅力を持ってる。要するに、男の子の憧れる要素の塊なんだ。
脱ヲタブランドと呼ばれてしまっているようなブランドも、万人に分かりやすいかっこよさを持ってるから、選ばれるだけなんじゃないのだろうか。格好いいものが欲しい人が、かっこよく見えるものに飛びつくのは当たり前なんじゃないのか。これは、物事の導入編としては非常に妥当な選択なのではないだろうか。
それに対する反発、すなわち、そんな十把一絡げにくくれる有象無象とは俺は違うんだぜ、俺はあいつらには分からないかっこよさを理解してるんだぜ、有象無象に含まれてるお前は浅い人間だな、と揶揄するのが、いわゆる「中二病」。中二病に囚われている人からの攻撃をいかにかわすかが、新しい物事に挑戦する上で挫折しないための鍵になるのではないだろうか。
とかなんとか何となく思った。
「本質」という言葉を使うとき、僕は相当慎重になる。ある物事についての万物普遍の本質とは何であるかということを、僕は容易には口にできない。
この言葉を使うということは、自分はそこまでのことしか考えてないということを表明するということでもある。つまり安易にこの言葉を使えば、自分の底の浅さを露呈してしまうことになる。僕は、人に賢く見られたいという欲望があるので、それを非常に恐れている。使うとしても、「これこれこういう場合の本質的なもの」とか「このようなタイプにおいての本質的なもの」といった言い方をして、普遍的なものには可能な限り言及しないようにしたいと思っている。
でも、世の中実際には、そんなことは気にしないでもっと軽々しく「本質」という言葉を使っている人の方が、要領よくうまいこと生きていってるようだ。要領と人当たりの良さこそが、世渡りの本質なのかなあ(と、ここで軽々しく使ってみるテスト)。
……まあ多分に僕も「本質」という言葉を軽々しく使ってしまってるとは思うんだけどね。僕よりずっと頭のいい人から見れば、「何この底の浅い『本質』話」と笑わずにはおれんはずだ。
プロフィールのページに仕事歴を載せた。……と言っても、4件だけしかないんだけど。しかも会社の仕事まで入れてるし。
あと、トップページとこの日記の通常表示とに本の宣伝を追加した。いつまで貼っとくかは未定。
Firefoxを究める256のテクニック(Amazon.co.jp)、絶賛発売中。と、宣伝パピコ。
さて届いた見本を開いて赤ペン片手に画面とにらめっこなわけですが、Tab Mix Plus 0.3の変更部分がかなり多くて(いや、機能的にはそう大きく変わらんと思うんだけど、設定UIの構成がまるで変わってしまってるんで)、本の2.5.x向けの記述が全然役に立たなくなってますね。トホホホホ。これ関係だけで30箇所近く訂正だわ……
あと、著者紹介みたいな記述が全くないことに今頃気づいた。そういえば何も聞かれなかったなあと思ったら、こういうオチだったとは! まあ別にいいけど……どうせ名前買いされるほど知名度ないし。