たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。
以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能!
ATOK2006が昨日一旦届いてたんだけど、不在だったので今朝再配送されてきた。入れてみた。
新機能の、人名等を正しく変換できなかったときに単語登録するかどうか自動で訪ねてくるという機能は、まだ使ってない。
もう一つの、Primeや携帯の日本語入力の推測変換みたいにインクリメンタルに候補を表示するモードが、ATOK2005から引き継いだ設定だと何故か機能しなくて焦った。Ctrl-変換で「推測候補モード」に切り替えるとそうなる(設定で、初期状態でこのモードにしておくことも可能)ということなんだけど、ただの省入力モードと全然動作が変わらなくて、単に省入力候補がEnterキーだけで確定されるようになるだけという……って、これじゃ全然役に立たんじゃないか!
標準設定では問題なくインクリメンタル変換ができたので、色々調べてみたところ、どうも、変換モードを「自動変換」にしてるとこういう問題が起こるようだ。「連文節変換」で使うと正常に機能する。こんな制限は最初からマニュアルに書いといてくれよって感じだ……
iPod miniの電池交換を申請してみた。
もうちょっと早く腰を上げてれば、保証期間内ってことで無料とかで電池交換して貰えたのかなあ? さすがに1年以内に電池駆動で起動すらできない程になるってのは……ねえ。まあ、もう手遅れなんだけどさ。
さて、何かちょうどいい大きさの箱とか無いものかなあー
XUL/Migemo勝手改造版を更新した。検索ツールバーで普通に検索したあと再検索できなくなってた件とか、Trunkでまともに動かなくなってた件についての対応も含んでる。
ちなみに、Trunkで本家の旧バージョンが動いてフォーク版が動かないという現象が起こっていたのは、検索ツールバーとの連携を僕がフォーク版で勝手に組み込んで、その部分がTrunkでの仕様変更の影響をモロに受けてたせい。つまり僕がエンバグしてました(ぉぃ)。
タブバー縦置き時にバー最下部の「タブを閉じる」ボタンとスクロールボタンが左に寄ってしまっていたのを指摘されたので、対応。縦置き時にのみ表示されるスペーサーを一個置いただけというやっつけ仕事。
タブモードを切り替えたときにタブバーの表示位置その他の設定も一緒にひっくるめて変更する、という機能はどうやったら実現できるだろう……いや、何とか実現する方法はあるんだろうと思うんだけど、調べる気力がね。
メタ的な考え方をするってこういうことなのかしらん。
少なくとも、Webを通じて僕のことを知ってるだけという人よりは、僕は僕の置かれた状況という物をよく分かっているはずだ。Web上には僕の手でコントロールされた情報しか流れ出ておらず、そのコントロールされたごく僅かな情報に基づいて構築された人間像のイメージと、自己認識との間にギャップが生じてくるのは、当たり前のことと言える。
ただ、精神が未熟な子供である僕には、それがどうしても耐え難い。実際の自分とはかけ離れた虚像に対して非難されたり羨ましがられたりするのが、ストレスに感じられて仕方がない。
そのストレスをなくしたくて僕はなるだけ正確な情報をありのままに示したいのだけれども、それができない(してはいけない、と自分を縛っている)というのが、これまたストレスになっている。
そういうわけで僕は、僕の虚像を哀れんでいる人に「ふふふ、バカねえ。現実のアタクシはもっと幸せなのよ」と思い、僕の虚像を羨んでいる人に「哀れだねえ、これ(実際の状況)が幸せだと思っているなんて。仮に僕と交代して、この人は音を上げずにいられるのかね?」と思う、そんな歪んだ方法でストレス解消を図るわけなのですけれども。
「最強伝説黒沢」の序盤を見て、黒沢に感情移入できるか? 彼の悲しみ、恐怖、焦燥感を感じることができるか?
僕は、以前なら確実に、それができた。涙すら流せた。というか実際泣いてた。
それができなくなっている自分に、最近気がついた。むしろ、「安全圏」からこの物語を眺めている自分が嫌にすらなった。
これは、よい傾向なのだろうか? おそらく、そうなのだと思う。というか、そう考えなくてはならない。彼に感情移入できるということは、孤独に震えていて、人付き合いがうまくいってなくて、潤いが全くなくて、経験すらなくて、閉塞感に苛まれていて、足元の「何も無さ」に怯えていて、という状態をリアルに感じられるということだから。そんなドン詰まりの状態でなくなることを「良い」と考えないで、何を良いと考えればよいのか。
でも、寂しくもある。もし今の幸せを失っても、もう完全には戻れないのではないかと思う。戻りたい、とも思わないけれども。ただ、何かが変わってしまったのだということを、これ以上ないほどはっきりと意識させられた。
インフルエンザの時にウィルスをまき散らさないようにとマスクをつけてたんだけど、自分の口臭が気になって気になって……そういうわけでここ数日、歯間ブラシまで使ってわりかしきっちり口の中を掃除するようになってたりする。
さて、いつまで続くでしょうか。
前編見ちゃったから最後まで見ないと気持ち悪いし。
しかしなんとも見てると頭の痛くなってくるドラマであった……真面目に考えちゃ駄目ですよね。真面目に考えちゃ。