Jan 22, 2006

本質という言葉の重さ

「本質」という言葉を使うとき、僕は相当慎重になる。ある物事についての万物普遍の本質とは何であるかということを、僕は容易には口にできない。

この言葉を使うということは、自分はそこまでのことしか考えてないということを表明するということでもある。つまり安易にこの言葉を使えば、自分の底の浅さを露呈してしまうことになる。僕は、人に賢く見られたいという欲望があるので、それを非常に恐れている。使うとしても、「これこれこういう場合の本質的なもの」とか「このようなタイプにおいての本質的なもの」といった言い方をして、普遍的なものには可能な限り言及しないようにしたいと思っている。

でも、世の中実際には、そんなことは気にしないでもっと軽々しく「本質」という言葉を使っている人の方が、要領よくうまいこと生きていってるようだ。要領と人当たりの良さこそが、世渡りの本質なのかなあ(と、ここで軽々しく使ってみるテスト)。

……まあ多分に僕も「本質」という言葉を軽々しく使ってしまってるとは思うんだけどね。僕よりずっと頭のいい人から見れば、「何この底の浅い『本質』話」と笑わずにはおれんはずだ。

エントリを編集します。

wikieditish message: Ready to edit this entry.











拡張機能