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萌えるふぉくす子さんだば子本制作プロジェクトの動向はもえじら組ブログで。

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小粋なセンスがもっと欲しかったな……ロボコップ(2014年) - May 07, 2014

リメイク版のロボコップ見たんですよ。

端的に言うと、映像格好いいしドンパチやってるし結構面白かった。でも、旧作ロボコップ(特に1)のセンスが良すぎて、それを知ってる状態で見てしまうと見劣りしちゃうなあ、と思ってしまった。

  • 旧作にはなかった生前家族との(っていうか今回マーフィーは死んでないから「生前」でもないか)交流があるのが今作の特徴だけど、それを加えたんだったら代わりに何か他の物を引いた方がいいんじゃないかなーと思った。単純に、話として結構詰め込んじゃった感があった。旧作の要素でいうと、1の全部(ロボコップ誕生)と2の半分(仲間の裏切り)が入ってるわけで、そのせいか、ゴチャゴチャしてわけわかんなくなってる気がして。例えば、仲間の裏切りは無理に入れなくてもよかったんでないかなあ?
  • とにかく旧作1ラストの、悪役副社長に対して「親会社の重役には手を出せない」という制限のせいで手を出せずにいた所での、社長の「お前はクビだ!」で制限解除されて「どうも」でズドン、という痛快さが僕には印象深くて、それを上回るカタルシスを今作では得られなかったのが、残念な所だった。
  • 悪役一味が旧作のクラレンス一味ほどにはぶっ飛んでなかったとか、ハゲヒゲのおっちゃんが小物臭が強いとか、悪役関係が肩すかし感あった。やっぱり、主人公の格好良さを引き立てるのは魅力的な悪役だよね。
  • ロボコップのデザインについて。キービジュアルとか止め画とかでは、右手が生身で露出してるとか、顔の周りがピッチリ隙間なく覆われてて旧作ほどグロくなってないとかのせいで、人がスーツ着てる感がかなりあったんだけど、実際動いててウィーンガシャンと効果音が付いてる様子を見てると、違和感は無かった。旧作も、映像見てなかったら「何この着ぐるみ?」って思ってたのかもしれないね。個人的には、黒いバージョン3よりもシルバーのバージョン1の方が好きなので、最後でバージョン1の状態に戻ってたのは嬉しかった。

まあなんというか、ドハマリするほどでもないんだけど、見て後悔するほどではない、きちんと作ってある今時の映画やなーって感じでした。

若干消化不良な感想を持った、「アナと雪の女王」 - May 07, 2014

アナと雪の女王見てきた。3D字幕。

率直な感想としては、映像美すげーなあと思いました。ほんとに雪山にいるみたい。3D映像のためだけに映画館に行く価値ありだと思います。同時上映のショートフィルムも、3Dならではの演出で面白かった。

映像美以外でも、楽しく見られる映画だなあと感じた。実はこの手のディズニー映画はちゃんと見るのは初めてだったんだけど、いちいち小ネタが効いていて、見てる人を飽きさせないなあと感心する事しきりだった。「映像が動く楽しさ」というか「動く映像だからこその楽しさ」というのか、そのための心配りが隅々にまで行き届いている。ディズニーリゾートの楽しさに通じる気がした。

いまいちノリきれなかったのは、話の運びの細かい所がアラとして気になってしまったからなのかなあ、と思ってる。(あと、字幕の翻訳。直訳が多いせいなのか、こなれた日本語になってなくて「??」ってなる事が多かった。)

  • 王と王妃が死んで3年間も王位が空白ってどうなんだ?(僕が見たある批評でもツッコまれてる)とか。アレンデールは結局何で豊かに潤ってたんだ?とか。一言でいいから、何か説明を……
  • 真実の愛が結局アナの中にあったのかエルサにあったのかが、映像からぱっと自分には分からなかった。「他人のために自分を犠牲にする」という点に着目すると身を挺してエルサを守ろうとしたアナ自身の中に真実の愛があったという事になるようにも思えるし、他方、フツーに考えればエルサの中にアナへの真実の愛があったから氷が溶けたんだよねという見方もできると思うし。パンフレットには後者だと書いてあるから、公式的にはそうっぽいけど。
  • ハンス王子の愛が偽りの物だったということはよーく分かったけど、クリストフはどうだったのかというのがよくわからないままぶん投げられてるのが気になった。アナが凍り付いたとき、クリストフは結局間に合わなくて見てただけじゃん? 真実の愛かどうか試す試練を経て、やっぱりそうじゃなかったねこれは友情だったねとか、やっぱりそうだったねこれは愛情だったねとか、何かしら結論出しておいて欲しかった。
  • ハンス王子が悪役として非常に中途半端に感じた。途中までは義理堅い好青年のように描いているのに、瀕死のアナと2人きりになった途端に手のひらを返すって、伏線が無さ過ぎてポカーンだ。

前出の批評の受け売りだなあと自分で思うけど、総じてちぐはぐな印象を受けた。「両親が死んで姉妹だけが残される」とか「愛してたと思ってた人が裏切る」とか「姉妹の愛が問題を解決する」とか「王女は真実の愛を見つけて結ばれる」とかの断片的なお話を並べて繋げて1つの映像作品にしましたというふうな。あるエピソードから次のエピソードに至るまでの「過程」の描写がことごとく欠けてるように、僕には思えた。まあ、ディズニー映画ってそういうものだよということなら、そういうものか、で納得するんだけど。

誰が言っていたか忘れたんだけど、「自動的なヒロイン」という言葉があったと記憶していて、どういう物かというと、動機付けや翻意のきっかけといった適切な心理描写も無しに何故か勝手に主人公に恋してくるという感じの、客観的に「それならそうなるのも当たり前だよね」と思えるだけの材料の積み上げを省いたままに、作者が「このキャラには最終的にこういう行動を取らせたい」と思った通りの行動だけを取らせてしまって、結果的に「なんでそのキャラがそういう行動を取ったのかが、そういう役だったから、という事でしか説明できない」状態になってしまったキャラ描写を揶揄した言葉だったと思うんだけど、それに近いものがあちこちにあるような気がするんだよね。

例えばハンス王子は、エルサが出奔したときも、アナの馬が戻ってきたときも、「面倒な事になりやがったな、クソッ」みたいな表情をチラリとも見せない。実際の計算高い人間だったら確かにそう簡単に真意を漏らすはずもないだろうし、だから自然な描写としてはそうあるべきなのかもしれないけど、大衆向けの作劇としては、それは分かりにくい。くどくても、ニヤリとした口元であるとかの細かい描写を重ねて「コイツは腹黒いキャラだ」という種を撒いておくべきじゃないだろうか。だって、べつに、ハンス王子の真意を探るサスペンス作品じゃないじゃないすか、この映画って。裏切りの直前まで、隠しておく必要がないでしょ。最初から「いかにもコイツは裏切りそうなキャラだ」と描いておいても、登場人物達にそれを気取らせてさえおかなければ、観客は「ああ、駄目だよアナ! そいつに頼っちゃ駄目!!」とハラハラさせられ、「ほらやっぱり裏切られた! あーあ……」と落胆させられて、どんでん返しで「やった!」と盛り返す、そういう楽しさは十分に味わえるはず。

単に僕に読解力・共感力が無さ過ぎるせいなのだろうか。世の中的には十分ヒットしてるようだし、そうなんだろうな。

……と思って検索したら、ハンス王子は他の登場人物に対する鏡として設定されていたという考察が見つかった。なるほど、それならキャラとしての心理描写の薄さ・動機の薄さにも納得できる。

そういう整合性がどうとかの点を気にしないで、映像美に酔いしれ、動きの面白さに目を奪われる、「アニメーション映画」を見るという事ならではの体験にフォーカスして楽しむ限りにおいては、十分楽しくて面白い映画だと思いました。小難しいこと考えないで頭空っぽにして見るのがいいってことですね、これは。雑念を抱えたまま映画館に行ってしまった僕の負けです。

Tree Style Tab prevents Firefox from hiding title bar / ツリー型タブをインストールするとタイトルバーを非表示にできなくなる? - May 06, 2014

Q

On Firefox 29 and later, I cannot hide the title bar anymore if Tree Style Tab addon is installed. Is this a bug? How can I hide the title bar?

Firefox 29以降のバージョンでTree Style Tabを使うとタイトルバーを非表示にできません。これはバグではないのですか? どうすればタイトルバーを非表示にできますか?

A

Install Tree Style Tab 0.14.2014050601 (or later) and another addon Tabs on Bottom 0.5 (or later) together. If both addons are installed, the title bar becomes hidden.

This is not a bug but a designed behavior of TST, because that affects ability hiding the title bar: "is the tab bar on top of the window or not?" Old Firefox (Firefox 28 or older) had the "Tabs on Bottom" mode, and the navigation toolbar worked like the title bar - draggable to move the window itself. Because TST moves the tab bar away from the top of the window, TST always chose the mode automatically, for the usability. However, the "Tabs on Bottom" mode has been removed on Firefox 29. If TST moves the tab bar away, you cannot move the window by dragging of the navigation toolbar anymore. To avoid such an inconvenience, now TST forces to Firefox to show its title bar.

On the other hand, Tabs on Bottom addon re-introduce the "tabs on bottom" mode to Firefox 29 and later. Because it is not a "tree" feature, and there may be some people who just want to use "tabs on bottom" mode without "tree" features, I decided to keep it as an independent addon. See also another FAQ.

ツリー型タブ 0.14.2014050601(またはそれ以降)と、別のアドオンであるTabs on Bottom 0.5(またはそれ以降)をインストールしてください。両方のアドオンが同時に有効になっていれば、タブバーが非表示になります。

これはバグではなくツリー型タブの設計上意図された挙動です。何故なら、タイトルバーを隠せるかどうかは、タブバーがウィンドウの最上部にあるかどうかに依存するからです。Firefox 28またはそれ以前の古いFirefoxには「タブを下部に表示」というモードがあり、そのモードではナビゲーションツールバーがタイトルバーのように働くようになっていました(例えば、ドラッグするとウィンドウ自体を移動できるなど)。ツリー型タブはタブバーをウィンドウの最上部から取り除いてしまうので、利便性のために、自動的に「タブを下部に表示」モードを有効にするようになっていました。しかしながら、Firefox 29ではそのモード自体が削除されてしまったため、単にタブバーをウィンドウの最上部から取り除いてしまうと、ナビゲーションツールバーのドラッグ操作ではウィンドウを移動できなくなってしまいました。このような不便を回避するために、現在、TSTはFirefoxに対して常にタイトルバーを表示するように強制する設計となっています。

他方で、Tabs on BottomアドオンはFirefox 29以降のバージョンに対し再び「タブを下部に表示」機能を提供します。その機能は「ツリー」と全く関係がなく、また、単にその機能だけを使いたい(ツリー機能は必要ない)という人がいるであろうという事から、その機能はTSTに統合せずに別のアドオンとしてリリースしています。別のFAQも参照してください。

Double-click on the empty area of the tab bar doesn't open a new tab anymore! / タブバーの余白をダブルクリックしても新しいタブが開かれなくなった - May 06, 2014

Q

On Firefox 29 (and later), I cannot open a new tab by double-click on the empty area of the tab bar, with Tree Style Tab. Is this a bug?

ツリー型タブを使っているとき、Firefox 29以降のバージョンではタブバー上の余白をダブルクリックしても新しいタブを開けません。これはバグではないですか?

A

No, it's not a bug of Tree Style Tab. In old Firefox (Firefox 28 or older), double-click on the empty area of the tab bar opened a new tab actually, but it was a feature of Firefox itself. The action was available only when you choose "Tabs on Bottom" mode, and Tree Style Tab always chose the mode automatically. In the "Tabs on Top" mode, your actions on the empty area of the tab bar worked as on the title bar - for example, it maximized the window itself on Windows. Because the "Tabs on Bottom" mode has been removed on Firefox 29, now double-click on the empty area always works as on the title bar.

Because it is not a feature related to "tree of tabs", I won't include it to TST in the future. Certainly TST already has some features not related to "tree of tabs", but there is a criterion for those exceptions: is the feature provided by Firefox itself, and does TST break it? Then, now Firefox 29 itself doesn't open a new tab by double-click on the tab bar, so TST also never do it. Sorry, but I have to draw a line somewhere.

Instead, you should use another addon who provides the feature: double-click on the empty area on the tab bar to open a new tab, for Firefox 29 and later. For example, my another addon Tabs on Bottom.

いいえ、それはツリー型タブのバグではありません。古いバージョン(Firefox 28以前)のFirefoxでは確かにタブバーの余白をダブルクリックすると新しいタブが開かれましたが、それは「タブを下部に表示」モードの時だけ使える、Firefox自体の機能です。ツリー型タブは単に、「タブを下部に表示」モードを常時有効にしていただけです。元々、「タブを上部に表示」モードでは、タブバーの余白での操作はタイトルバー上での操作と同等に扱われていました(例えば、ダブルクリックでウィンドウを最大化するなど)。「タブを下部に表示」モードがFirefox 29で削除されてしまったため、タブバーの余白でのダブルクリックは常にタイトルバー上での操作と見なされます。

この機能は「タブのツリー」というコンセプトに直接は関係しないため、今後もツリー型タブにこの機能を含めるつもりはありません。ツリー型タブはFirefox本体に元々備わっている機能をなるべく阻害しないことを目標にしており、そのために実際にツリーと関係無い機能を入れている部分もありますが、この機能については現在はFirefox本体にそもそも含まれていないので、そのような特別な対応をする予定も残念ですがありません。

なので、どうしても必要な場合は、代わりに、タブバーの余白のダブルクリックで新しいタブを開く機能を提供している別のアドオン(例えばTabs on Bottom)を併用してください。

4年越しで溜飲を下げた話 - May 02, 2014

Mozilla Corporationの人から、「なんでツリー型タブはFull Reviewを受けてないんだい? about:addonsからの検索にヒットしないから、ユーザがインストールするのに面倒だよ。You申請しちゃいなよ!(意訳)」的なメールを頂いた。ありがたいことだ。

Mozillaのアドオンポータルサイトである所のMozilla Add-onsでは、アドオンを登録するにあたってPreliminary Review(事前審査)とFull Review(完全審査)という2段階の審査がある。登録したアドオンはまずPreliminary Reviewでセキュリティ面などの大雑把な審査を必ず受けて、通過できなければそのアドオンはAMOへの掲載すらかなわない。ここで問題なしとなれば晴れて「実験的アドオン」としてサイトに掲載されるようになるけど、Firefoxのアドオンマネージャからの検索にはヒットせず、おすすめアドオンとしてもノミネートされないので、これではまだ単に「載っただけ」。そこで一定の支持を得たら、次の段階としてFull Reviewを申請して品質面その他を審査してもらえる。Full Reviewを無事通過すれば、Firefoxのアドオンマネージャからの検索にヒットするようになったり、おすすめとして紹介して貰えたりするようになる。定番アドオンと言われるような物は、代替はこのFull Reviewを通過した状態になってる。

前から見てる人は把握してるかもしれないけど、僕が作ってるアドオンのうちいくつかは、Preliminary Reviewのみ通過していて実験的アドオンのままになっている。新しく作って登録した物は当然なんだけど、それだけでなく、過去にはFull Reviewを通っていた物が、ある時を境に審査にパスしなくなってそれっきりになっている物もある。ツリー型タブもその1つだ。

何故かというと、簡単に言えば、最初のFull Reviewの頃には審査が甘かったから通過できていたのが、その後の審査基準見直しで通らなくなったということ。ただ、僕としてはこの時の裁定にはあまり納得がいってなくて、evalが危険でそれ以外の方法が安全だと思ってる人へ英訳)というエントリでタラタラ不満をぶちまけたりもしてた。

そういう経緯があったから、大人げないオッサンとしては「いやーFull Reviewしたいのは山々なんですけどねーeval()使ってるから駄目っておたくんとこの人達が言うもんですからねー」と嫌味全開で返したくもなったんだけど、そこは我慢して、審査基準に合わないと言われたからFull Reviewしてないんですよ、審査基準が変わったなら再申請するのはやぶさかでないけどそうでないなら多分通過しないと思いますよ、でもまあ確かにeval()使ってるとレビューしにくいだろうししょうがないっすね、と、そんな感じで返信するに留め……られるほどにはやっぱり大人になりきれておらず、嫌みったらしく上記のエントリ(英語の方)のURIを貼り付けてメール送信してしまいました。ああ、なんとも底の浅い人間である事よ……

でもまあ、その時のレビュワーの人とは無関係であるにせよ、公式サイドの人から「Full Reviewに値する」という評価を貰えた事には「やってやったぜ」という胸のすく思いで、4年越しで溜飲を下げたのでした。

反対ばかりしてる奴、って言われることに不快感や劣等感を感じたけど - Mar 20, 2014

という発言を見て、僕個人のことを言っているわけではなくても、僕も当てはまるクラスタの人に対して言っているのだと思って、カチンと来て、でも色々混同したまま感情だけで発言するのは良くないと思って、感情を自分なりに整理しようとして、それでもやはりまだ何か言いたい気持ちを消し去ることができなくて、当たり障りのない平々凡々な、実に意味のないリプライを付けてしまった。

反対……というか要望ばかり言う身勝手なモンスターカスタマーと戦い続けて、そういう人々に失望・絶望した結果として、このようなレッテル貼りと(僕には)思えるような発言をされているのだろうか、と(僕が勝手に)思うと、それは斜に構えたガキがかっこつけて言ってるような軽い物ではなく、政権与党として実際に事にあたる者が無責任に放言するだけの万年野党に対して向ける視線と同じなのだろうと思えて、万年野党の僕ごときが「それでも、と言い続けろ!バナージ!(マリーダさん)」とか「貴様ほど急ぎすぎもしなければ、人類に絶望もしちゃいない!(アムロ)」的な綺麗事を言っても、まるで説得力もなければ正当性もない、と思えて、(自分は人に良い影響を与えられないという)無力感や(絶望を強いられる程までの激しい戦いを繰り広げてきたという偉大な実績がある人に対し、自分は綺麗事を平気で言える程度の傷しかまだ負ったことがない、実績が無いと言うよりも「逃げ続けてきたという実績がある」という)劣等感で、とても憂鬱で嫌な気分になる。

それで急に思い出したけど、氏はOSS貢献者賞を個人で受賞されているのに対して、僕はOSS奨励賞どまりで、そうなると、「ある土俵の上で賞を取った人と、そもそもその土俵に上がっていない人」の比較ではなく「同じ土俵で、上位の賞を取った人と、下位の賞しか取れなかった人」の比較になるわけで、そこには厳然たる優劣があるわけで、「みんな違ってみんないい」みたいなはぐらかしは全く通じないわけで、余計に劣等感が高まるのが自分で分かって、また辛い。

そんな気分のままでは手が動かなくて作業が進まないので、こういう時は、90年代ユーロビートという頭の中を右から左に流れていくような勢いだけの音楽を大音量でBGMにして思考停止して作業を進めるのが、自分の場合は良いようだと思った。酒を飲むと思考停止はできても眠くなるわ思ったような絵を描けなくなるわで、まるっきり作業にならないので……

10代や20代の頃には、こういう風には感じてなかったか、あるいか、ここまで切実には感じてなかったかもなあ、と思う。30代になって、上記のような形で社会からの自分のこれまでの実績に対する評価が可視化されて、「俺はまだ本気出してないだけ」とか「まだ土俵に上がってないだけ」「っていうか戦場が違うし」みたいな言い訳が一切通用しない状況が整ってきて、いいかげん自分ときちんと向き合わざるを得なくなったのだなあ、と思う。これもまた、1つの気付きか。自分の周囲の人、同年代の人達が、既にこういう過程を通過していたのだと思うと、偉そうに説教垂れたり無責任な励ましをしてきていた自分が、とても恥ずかしく感じられる。

あと、ここまで書いたところで読み返してみて「ああこれは人を不快にさせるタイプのアレだな……」とか「これは大人としてっていうか人として、するべき事でない事をしているな……」と思ったんだけど、不快にさせる部分を取り除く努力も放棄して、するべき事でないからしないという大人な判断力も発揮しないで、結局そのままpostしてしまってる。その辺も、過去の自分とは変わった所だなあ、と思う。過去の僕は「これは人を不快にさせてでも、大義のためにはやらねばならない事なのだ」とか「これは意味のある行為なのだ」とか確信してやってた気がする。今は「これは人を不快にさせてまでやるようなことでは明らかにない、っていうか全方位に渡って害悪でしかないけど、そんなもん知るか自分がやりたいからやるんだクソッタレ」と思ってるのが自分で分かる。他人の気持ちを多少は慮れるようになった部分、駄目な物を駄目と素直に認められるようになった部分、感情の抑制が効かなくなった部分、色々とにかく「変わった」という事は分かる。そんな感じ。

OSCでふぉくす子のプレゼンをやってきました - Mar 03, 2014

オープンソースカンファレンス2014東京の一コマとして3月1日に行われた「チャンネルはオープンソースでっ!(ちゃんおぷ)」の「応援キャラクター大集合!」という企画に、ふぉくす子のプレゼンターとして出てきました。

当日の話

1年くらい前に日本OSS奨励賞を頂いた場所で、今度はふぉくす子のプレゼンをするだなんて、誰が想像できようか。とか、実はフォクすけを最初に書いたのも僕なんですよねとか、その辺の話を面白おかしく盛り込めれば良かったのですが、当日はめちゃめちゃ緊張してて頭真っ白でそれどころじゃなかった。っていうか自己紹介の一言があるという事自体を僕は本番が始まってから知った(ふつうにクラウディアさんが自己紹介して、さくらインターネットの人が「さくらインターネットのだれそれです」と言って……という流れができていた)ので、もえじら組のPiroですだなんて名乗るわけにもいかず、3分の制限時間があるということもあって、普通に「プレゼンターの結城です」とつまらない自己紹介をしてしまいました。

しかも、焦ってそのままの流れでプレゼン資料に画面を切り替えてもらってしまったので、現場にいたふぉくす子さんは全然画面に映らないということになってしまいました。「この衣装はうんぬん」とうまく話題を持っていくようなこともできず、わざわざ朝も早くから山の中まで来てもらったのに申し訳ない限りです。

あとフィギュアの話に触れる時に実物を「コレです」って出そうと思ってて会場にも持って行ってたんですが、そろそろリハーサルだからということで荷物置いて軽装で現場まで行ったらそのまま本番までそこにいることになってしまったため、写真だけの紹介になってしまった、というのも心残りな点です。

そんな感じでグダグダのうちに3分を使い切ってしまったのですが、当日のニコ生のタイムシフト視聴(41分頃からふぉくす子の紹介)Togetterとか見た感じでは叩かれてるとかそんな事は特になかったようで、ほっとしました。

イベント後の撮影会でもふぉくす子を撮ってる人が結構いてくれて良かったです。ただ、撮影会の場所となっていたのが自然光の入らない薄暗い場所、しかも掲示板の前という酷いロケーションだったので、記念撮影以上のことはできない感じだったのは残念でした。2Fの受付近辺は吹き抜けで自然光もいっぱい入ってたので、ああいう所を選んでやれば屋内でももうちょっとマシだったんじゃないかなあ。あんなところでやるのはモデルさんに失礼だと思いますよ、ほんとに……

ふぉくす子が表舞台に出るということについての思い

ふぉくす子が表舞台にこうして出てくるというのは、僕としては結構画期的なことであったと思っています。

僕がMozilla Japanに半常駐してた時には既にふぉくす子ももえじら組もあって、当時色々やってたちょっと変わった広報活動の方針決めなどにも口出しさせて頂いていたので、ふぉくす子を表舞台に出そうと思えば出せる状況ではありましたが、当時僕はそれは絶対にやらないつもりでした。それどころか、僕という人間がMozilla Japanの広報活動に関与している事自体もなるべく公言しないでおくべきだと思っていました。

秋葉原でCD-ROMを配布した時(そういえば、この時のCD-ROMを作るためにProtable Firefoxのことを調べたのが、後のFx Meta Installerの開発に繋がったのでした)に、事前事後も色々と批判があって、Mozilla Japanの組織として「今後はこういうのは無しの方向で」的な空気がなんとなくあったのは事実です。

でも、そういう分かりやすい「失敗」が無かったとしても、当時まだ知名度自体がそんなに無かったFirefoxに必要以上にオタクなイメージがまとわりついてはいけない、エロ同人なんかやってる人間が関わってるということが悪意ある人間に知れてしまったらそれを叩きの口実にされてしまう、という恐怖感というか危機感が僕にはありました。だから、フォクすけの作者が僕だという事も公言していなかったのでした。

それから月日が経って、今ではフォクすけもFirefox自体もそれなりの知名度があるようになりました。しっかりとしたブランド価値が築き上げられた今であれば、この程度の事でそのブランドが崩れ去るようなことは無いだろう。そう思えるようになってきたので、僕は最近になってようやくこのあたりのことをおおっぴらに言えるようになりました(周囲に咎められていたのではなく、本当に、自分から「これは言っちゃいけない」とタブー視していたのです)。

また、クラウディア窓辺のように他の所も萌えキャラを使ったプロモーションをオフィシャルにやるようになってきた、という社会情勢の変化もあります。要するに、他の所がこうして大々的にやってるんだからふぉくす子も大丈夫やろ、と。そういう話です。

どうでもいいんですが、クラウディアさんは1985年生まれという設定になっているので、もうあと数年でさんじゅっさいになってしまうわけですけれども、大丈夫なんですかねこれ。(そこらへんを気にしてか、だいたいのキャラは誕生月と日は決まってても誕生年は不明ということになっているので……)

こういう企画そのものへの批判について思う事

今回の企画についても、「ヲタが公の場でオナニーしてんじゃねえよ」「おっさんが綺麗な女の子集めて持て囃してんじゃねえよ」的な批判の声はいくつか見かけました。以下はそのひとつ。

まず思うのは、モデルとして参加していた彼女らは基本的にオファーがあって業務としてあの場に居合わせただけ(ふぉくす子はノーギャラですが……)なのであって、媚びるな云々は筋違いということです。ドワンゴの女子マネージャー弁当手渡しもそうですが、こういったことの責はすべて依頼者側にあるというのが僕の認識です。

で、それ以外の話ですが、実際にイベントの裏側を現場で多少見ていて、確かに、内輪ノリとかホモソーシャルなイベントという空気があったのは否めないと思います。おっさんが若い女の子にデレデレして鼻の下伸ばしてるのは、まずそれ自体がみっともないし、そういうみっともなさを許容する空気があるということ自体が女性参加者を余計に遠ざけることになる、という批判は、まあ、あってもしょうがないなと思います。レースクィーンとか、モーターショーやアニメイベント等のコンパニオンとか、そういうのと同じ物を求める下心というかなんというか。(と、話題に出した所でふと思ったのですが、レースクィーンとかモーターショーやアニメイベント等のコンパニオンとかは実際の所どのくらい女性参加者を遠ざけるものなのでしょうか? そういうイベントに行った事がコミケ以外で全然ないので自分にはよく分かりません。)

ただ、OSCが参加者の人達の善意やボランティアに支えられているイベントであるのなら、支えている人達の「俺はこれがやりたい」という思いが結果的にOSCの方向性を定めていくのであって、「これこれこういう壮大な目的のためにお前らは自分のやりたいことを我慢して我々の指示に従え」なんて事を主催者側が言いだしたら、成立しなくなるのでしょう。だから、これはこうあるほかに無いのだと思います。

というか、OSCがホモソーシャルではいかんという指摘自体がもう的外れなのかもしれない、とすら僕は思っている部分があります。

ここ数年は僕自身、今回のように特別な用事が無ければOSCには積極的に顔を出そうという動機がありません。それは開催場所が遠いから(そもそも、イベント会場が都心からだと電車を一時間も二時間も乗り継いでいかなければいけない場所にあるという時点で、外の人を相手にする気が薄い内輪のためのイベントという性格がかなり前面に出ていると思いますが、まあそれはさておきます)というのもありますが、OSSが自分や自分の周囲の人にとってはもはや当たり前のこと・当然の選択肢の1つになっているからというのが最大の理由です。今自分が仕事でお付き合いさせて頂いている企業さんはどこも「どうしても秘密にしないといけないクリティカルな部分以外は成果物をオープンにして全く構わない」というスタンスですし、クックパッドなどの「金を稼ぎ出している部分はきちんと他にあった上で当然のように技術をオープンにしている」会社はいくつもあって、少なくともオープンソースは「非常に、非常に珍しい物」ではなくなっているというのが今の僕の認識です。成果の技術をオープンにする事には一定の合理性があるという認識がある程度広まっていて、様々な企業や個人が自然な行為としてそれをやっているのであれば、その流れは勝手に広まっていくわけで。

そういう社会情勢の中で敢えて「オープンソース」だけをかけ声にして集まろうというのだから、濃い人が集まるのは仕方がない。その上でさらに各自のボランティアなのだから、そりゃもう濃縮されて余計に濃いことになっちゃうわけです。でも、「オープンソース」の中心がOSCやそこに集う人達だけの間ではなく、普通に回っている経済の中の方に既に移っちゃってるんだったら、もうOSCはそういうものってことでいいじゃん、と。オープンソースというものに全く理解がない社会の中で孤軍奮闘して頑張ってきた人達の同窓会になっちゃっててもいいじゃん、と。そんな事すら僕は思っています。

という僕の認識もまたずいぶん偏っていて、実際にはそんな事は全然なくてオープンソースはまだまだエヴァンジェリストが引っ張っていかないといけない感じなんですかね? だとしたら僕は今ものすごく恵まれた環境にいるんだなあ……

技術系コミュニティ一般の話に広げると、技術やっててヲタ文化に関心が無い人が居られる場所がないのは良くないなあ、とは思ってます。流行りの漫画のジャーゴンまみれにしなくても話を面白くすることは多分できるはずで、そこでジャーゴンに走ってしまうのは、人の関心を引く発表内容や資料を考える手間の省略、手抜きでしかない。無自覚な内輪向け感覚は、こういう事に限らず、なくしていった方がいいと思います。自分がどっかのお料理教室に行くことにしたとして、先生が料理業界の常識だとか流行りの話題だとかを知ってることを前提にして僕のようなよそ者完全置いてけぼりで喋ってたら、嫌だし多分行きたくなくなりますしね。「同質な者同士が馴れ合うための場所」と「広く様々な人を迎え入れて交流するための場所」とはキッチリ分けて考える、分別のある人でありたいものです。

結婚指輪を常に付けるかどうかとかの話 - Feb 09, 2014

中国嫁日記の、結婚指輪を紛失した話を見て思い出したり思ったりしたこと。

僕自身は、母がずっと結婚指輪を付けている人だった(小さい頃に聞いたら「肉が付いて外れなくなったから」と言ってたんだけど……)から、結婚指輪とはそういうものかと思い込んでいた。

が、自分が実際に店に行ってカタログを眺めてみる段になって、それらは「当たり前」の認識ではないのだという事を知った。

  • 派手なデザインの結婚指輪も色々あるらしい。
  • あんまり派手だと生活する上で不便じゃないだろうか、と疑問を口にしたら、「常時付けるとも限りませんし」みたいな事を言われた。

率直に言ってカルチャーショックだった。結婚指輪を付け外しするかどうか、なんてそんなに話題に上る話でもなかったから、最初の時点でインストールされた認識以外の考え方があるなんて思いもよらなかった。

とはいえ、なぜそれでカルチャーショックになるのかというのが重要な点だ。目玉焼きには塩でしょ醤油でしょソースでしょみたいな話は、突き詰めれば好みの問題と片付けられるけど、結婚指輪を付けるかどうかというのは僕にとってはもっと重要な意味合いがあった。それは、「結婚指輪を付けていることが、良好な夫婦関係の証明である」という認識だ。

というのも、ドラマやなんかで既婚者が浮気・不倫をする時に、既婚者だとバレないように指輪を外してから行くとか、「自分と一緒にいる今は、結婚の事を忘れて欲しい……」とかなんとか言って相手が既婚者側の指から指輪を抜き取るだとか、そういう描かれ方をしているところを何度か見てきていたから、「結婚指輪って特別なものなんだな」と、知らず知らずのうちに刷り込まれていたのだと思う。どこでそういうのを見たのかを思い出せないくらいには、僕にはすっかりその規範が内面化されてしまっていた。

でも、この事がきっかけとなって、僕は「そうでない価値観があるのだ」と思えるようになった。そう考えるに足るいくつかの気付きがあった。

  • 「そもそも結婚指輪を作ってない」とかの極端な例すらあるという事をその後知った。というか父がそうだった(いや、ずっと付けてるものと思い込んでたんで……思い込みって怖いですね)。
  • 自分が見てない所で結婚指輪を外していたとしても、どうせ気付けない。
  • 結婚指輪をしていたって、浮気する人はする。
  • 自分が相手に強制して、相手に嫌々指輪を常時付けさせていたとして、それが良好な夫婦関係の証明であるとは到底言えない。それはむしろDVの証明であろう。

相手が本気になれば僕のことなんかいくらでも欺けるのであって、結婚指輪1つにこだわっても本質的な解決にはならない。それに、欺かれないように監視・束縛を強めることで相手が幸せになるわけでもない(束縛されたがりの人は除くとして)。結局、自分がどれだけ相手のことを信じられるのかにかかっている。相手は絶対に自分の事を欺かないはずだと確信するとか、自分は相手に欺かれたとしても絶対に後悔しないでいようと心に決めるとか、そういう事なんだと思う。

という事に気づいたことで、僕は結婚指輪に対する妄執から解放された。今では、自分がずっと結婚指輪を付けているという事自体についてすらも、客観的にフラットに認識できているのではないかと思う。習慣と「自分がこうしていたいから」と、あと「自慢したいから」、そんな程度の理由で付けている、というのが今の自分の認識です。

結構面白かったと思いますよ、実写映画「僕は友達が少ない」 - Feb 03, 2014

はがないの映画見てきましてん。

実は原作未読・アニメ未視聴で、1巻の序盤の所だけチラッと読んだ事があるのと、あとはWikipediaで各キャラの設定・関係性を把握していたという程度の前知識だったので、最初に実写化の報を聞いた時には「フーン」って感じだったんですよね。でもPVが出てきて、ストーリーは映画オリジナルだということが公式サイトに書かれていて、それなら自分でも取っつきやすいかも(原作もアニメもマンガ版も既に結構数が出てるから、今から見始めるのはハードルが高いなあと感じてたんですよね)、と思って興味を持ったのでした。

自分の感想

結論から言うと、普通に楽しめました。映画館に2度見に行くか?と言われるとそうでもないのですが、ブルーレイあたりで出たら買って棚の中に置いときたい感じです。「涼宮ハルヒの消失」とか、映画館で見たけど後で買ってはいないという物もあるので、それらに比べると気に入ってますね。

  • PG12ってどんなもんや、と思ってたら案外あざとい「お色気」エロカットが多かった。パンチラとか。知らずに行くとギョッとしますねこれは。女の人をうっかり連れて行くと「ごめんなさい……ほんとすんません……」ってなる。
  • 小鷹イケメンでした。夜空も星奈もかわいかったです。
  • 小鳩とマリアは、思い切って省略しても良かった気がする。あんまりキャラが話に絡んでなかったので。むしろ、省いた分でメインの話の描写を充実させて欲しかった。
  • 幸村は、話にはあんまり絡んでなかった気がするのでこれも削ってよかった気がしなくもないんだけど、夜中の会話のことを考えると必要だったんだなあと思えて、悩ましい。
  • 理科は、いいキャラしてるんだけど、話を転がすための便利な存在でしかなかった感じで、勿体なかったなあ。
  • ラストはともかく、クライマックスで類くんが殴られてるのは完全にとばっちりじゃないすか……(笑)
  • 校舎が「けいおん!」アニメのロケ地で有名な所で、階段の手すりとか、階段登り切ったところにある教室だとか、ニヤリとさせられました。

総じてダイジェスト感・安上がり感が強く、いくつか要素削ってその分個々の要素を丁寧に描いて欲しかったなあという感想を持ちました。例えば夜店のシーンはもっと使ってよかったんじゃないかなあとか、講堂に集まった生徒は低品質でもいいからCGで増やしてもっと全校生徒感を出して欲しかったなあとか。

ただ、話としては「小鷹少年がなんやかやあって成長の片鱗を見せるという所までの成長物語」「不器用な少年少女達が友達という関係を築くまでの物語」としてうまくまとまっていて、後味爽やかな印象です。まだまだ彼らの前には多くの苦難が待ち受けているだろうけれども、成長した彼ならきっと乗り越えていけるだろう、そんな希望を感じました。僕が「ディスク買おう」と思ったのもそれが理由なんじゃないかなあ。

特に、「恋愛物語」じゃなく「友情物語」であるところが良かったなあと思います。この先恋愛に発展するのかどうかというのはさておき、少なくとも本作で描かれた範囲内では「彼らはいかにして友達という関係を築くのか」という所にフォーカスしていて、恋のさや当てや駆け引きといったドロドロが出てこない。大勢いる嫁候補の中からさあどの娘を選ぶのだ?みたいな視点で見なくてよくて、実に健全で、安心して見ていられました(所々入るあざといエロカットは不健全ですけどね!!!)。

しかし、そう見ると主役はやはり小鷹、夜空、星奈の3人ということになって、他のキャラが「成長物語」「友情物語」にあんまり絡んでいないのが残念だったなあと思えてしまいます。個性の強いキャラ達がどんどん出てきてハーレムが形成され、さあこれからどうなんの、と思ったら上記3人以外はどんどんフェードアウトしてしまう(その場にはいても「いるだけ」になってしまって、そのうちほんとに退場しちゃうし)ので、拍子抜けしてしまったんですよね。それだったら、複数のキャラを1つにまとめるとかしてでも、主要な3人の(あるいは主役2人の)話であるという形で見せた方が分かりやすかったんじゃないかなあ、と。でもまあそれやっちゃうと元のキャラが好きな人からはきっと大ブーイングだろうから、やりたくてもできない事ではあるんでしょうけどね……(追記。実際、星奈の父とか後で他の人の感想を見たら、原作とかけ離れすぎてて原作ファンほど大ブーイングという感じみたいだった。サブキャラでこれなんだからメインキャラだったら……おおこわ!)

ともあれ、僕にとってはこれは手元に置いておきたいと思える1作でした。とりあえず主題歌はiTunesで買っちゃいました。

Webで他の人の感想を見て

僕は日常的に映画の感想を語り合うような友人がいないので、自分が見た映画の感想をWebで検索してニヨニヨしているのですが、映画を見終わった後に本作の感想を検索してみたら、まあなんとも酷評されまくりで、「えぇぇ……僕楽しめたんだけど、僕の方がおかしかったんか……?」となってしまいました。(その後さらに探してみたところ、酷評オンリーというわけでもないようだったので、ちょっと安心しましたが。)

  • 曰く「キャストが不細工」→十分かわいかったと思うんだけど、どんだけ高いハードル設定してるの皆さん…… 確かにコスプレイヤーでもっと可愛い写真はいくらでもあるんだけど、あれは1枚絵の写真としてなら成立するという物であって、映画のスクリーンで見たら「宝塚の演劇をどアップで見てる」みたいなクドさ・辛さがあるだろうから、これくらいで全然いいと僕は思うんだけど。
  • 曰く「演技が下手、学芸会レベル」→子役の子達については正直僕もちょっと思ったし、隣人部の面々についてもそう感じる部分は所々あったけど、トータルではそこまで酷いとは思わなかったんだけどな……まあ、実写映画「デビルマン」を見て以来自分の中の「まともな演技」の閾値が極端に下がってるとか、僕自身が最近テレビで「ダンダリン」とか「トリック」とかの「日本人が普通に演じてる普通のドラマ」を見てて見慣れているとか、そういうのがあって僕の評価が甘くなってるのはあるかもしれない。
  • 曰く「劇場がガラガラ」→確かに、それは思った。ものすごくいい席を簡単に予約取れちゃったし。
  • 曰く「つまらない」→それは……ちょっと分かる。

言われてみると確かに、シナリオの質だったり演技の質だったりは手放しで「最高!!!」と絶讃できるものではないと僕も思うし、誰もが見るべき・後世に残すべき名作とまでは、正直なところ言えないです。

ただ、「客観的に言って出来が良いか悪いか」と「主観的に好きか嫌いか」は全然別の話で、僕の場合はこの作品(映画)に対してはどっちかというと「好き」の部分の方が大きいんですよね。欠点は確かに多いんだけど、なんか、心に引っかかる。放っておけない。「パシフィック・リム」の時に「見立てが必要のないクオリティの圧倒的な映像って素晴らしい」みたいな感想を持ったけど、それはそれとして、見立てが必要でも「好き」であれば僕の中では映像のクオリティもそこまで問題にはなりませんでした。

誰かが「人に積極的に勧められるほど面白いかっていうとそうでもないけど、ゴミカスって言われると否定したくなる」という感じのコメントをしているのを見ましたが、僕の感想も一言にまとめるとそういう感じになるような気がします。実際に見た人が酷評するのは妥当だと思いますが、まだ見てない人が「だから実写はやめとけと……」といった下げ方をしているのを見ると、ちょっと擁護したくなってしまいます。

そんな風にもしかしたら心のツボに引っかかるかもしれないので、そう毛嫌いしないで、機会があったらレンタルででも見てみるといいんじゃないでしょうか。と、まだ見てない人に対しては言っておきたいと思います。

さらに他の感想を見て(6日追記)

公開から数日経って、相変わらず客の入りは大変悪いようですが、感想をちらほら目にするようになってきました。まとまったレビュー記事を見た感じでは、「原作と違いすぎてダメ」「単体の映画として普通につまらなかった」「(期待しないで見たら)案外楽しめた」の3パターンが多い印象を受けました。以下、自分が見かけた物。

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液晶ペンタブレットを使った(PCに接続して) - Jan 21, 2014

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正月休みが終わって帰宅し、いよいよデスクトップモードでの本格利用です。Androidモードの感想は「液晶ペンタブレットという未体験の入力装置の感想」でしたが、こちらのエントリは「Intuos 4と比べてどうなのか」という話がメインです。

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