Mar 03, 2014

OSCでふぉくす子のプレゼンをやってきました

オープンソースカンファレンス2014東京の一コマとして3月1日に行われた「チャンネルはオープンソースでっ!(ちゃんおぷ)」の「応援キャラクター大集合!」という企画に、ふぉくす子のプレゼンターとして出てきました。

当日の話

1年くらい前に日本OSS奨励賞を頂いた場所で、今度はふぉくす子のプレゼンをするだなんて、誰が想像できようか。とか、実はフォクすけを最初に書いたのも僕なんですよねとか、その辺の話を面白おかしく盛り込めれば良かったのですが、当日はめちゃめちゃ緊張してて頭真っ白でそれどころじゃなかった。っていうか自己紹介の一言があるという事自体を僕は本番が始まってから知った(ふつうにクラウディアさんが自己紹介して、さくらインターネットの人が「さくらインターネットのだれそれです」と言って……という流れができていた)ので、もえじら組のPiroですだなんて名乗るわけにもいかず、3分の制限時間があるということもあって、普通に「プレゼンターの結城です」とつまらない自己紹介をしてしまいました。

しかも、焦ってそのままの流れでプレゼン資料に画面を切り替えてもらってしまったので、現場にいたふぉくす子さんは全然画面に映らないということになってしまいました。「この衣装はうんぬん」とうまく話題を持っていくようなこともできず、わざわざ朝も早くから山の中まで来てもらったのに申し訳ない限りです。

あとフィギュアの話に触れる時に実物を「コレです」って出そうと思ってて会場にも持って行ってたんですが、そろそろリハーサルだからということで荷物置いて軽装で現場まで行ったらそのまま本番までそこにいることになってしまったため、写真だけの紹介になってしまった、というのも心残りな点です。

そんな感じでグダグダのうちに3分を使い切ってしまったのですが、当日のニコ生のタイムシフト視聴(41分頃からふぉくす子の紹介)Togetterとか見た感じでは叩かれてるとかそんな事は特になかったようで、ほっとしました。

イベント後の撮影会でもふぉくす子を撮ってる人が結構いてくれて良かったです。ただ、撮影会の場所となっていたのが自然光の入らない薄暗い場所、しかも掲示板の前という酷いロケーションだったので、記念撮影以上のことはできない感じだったのは残念でした。2Fの受付近辺は吹き抜けで自然光もいっぱい入ってたので、ああいう所を選んでやれば屋内でももうちょっとマシだったんじゃないかなあ。あんなところでやるのはモデルさんに失礼だと思いますよ、ほんとに……

ふぉくす子が表舞台に出るということについての思い

ふぉくす子が表舞台にこうして出てくるというのは、僕としては結構画期的なことであったと思っています。

僕がMozilla Japanに半常駐してた時には既にふぉくす子ももえじら組もあって、当時色々やってたちょっと変わった広報活動の方針決めなどにも口出しさせて頂いていたので、ふぉくす子を表舞台に出そうと思えば出せる状況ではありましたが、当時僕はそれは絶対にやらないつもりでした。それどころか、僕という人間がMozilla Japanの広報活動に関与している事自体もなるべく公言しないでおくべきだと思っていました。

秋葉原でCD-ROMを配布した時(そういえば、この時のCD-ROMを作るためにProtable Firefoxのことを調べたのが、後のFx Meta Installerの開発に繋がったのでした)に、事前事後も色々と批判があって、Mozilla Japanの組織として「今後はこういうのは無しの方向で」的な空気がなんとなくあったのは事実です。

でも、そういう分かりやすい「失敗」が無かったとしても、当時まだ知名度自体がそんなに無かったFirefoxに必要以上にオタクなイメージがまとわりついてはいけない、エロ同人なんかやってる人間が関わってるということが悪意ある人間に知れてしまったらそれを叩きの口実にされてしまう、という恐怖感というか危機感が僕にはありました。だから、フォクすけの作者が僕だという事も公言していなかったのでした。

それから月日が経って、今ではフォクすけもFirefox自体もそれなりの知名度があるようになりました。しっかりとしたブランド価値が築き上げられた今であれば、この程度の事でそのブランドが崩れ去るようなことは無いだろう。そう思えるようになってきたので、僕は最近になってようやくこのあたりのことをおおっぴらに言えるようになりました(周囲に咎められていたのではなく、本当に、自分から「これは言っちゃいけない」とタブー視していたのです)。

また、クラウディア窓辺のように他の所も萌えキャラを使ったプロモーションをオフィシャルにやるようになってきた、という社会情勢の変化もあります。要するに、他の所がこうして大々的にやってるんだからふぉくす子も大丈夫やろ、と。そういう話です。

どうでもいいんですが、クラウディアさんは1985年生まれという設定になっているので、もうあと数年でさんじゅっさいになってしまうわけですけれども、大丈夫なんですかねこれ。(そこらへんを気にしてか、だいたいのキャラは誕生月と日は決まってても誕生年は不明ということになっているので……)

こういう企画そのものへの批判について思う事

今回の企画についても、「ヲタが公の場でオナニーしてんじゃねえよ」「おっさんが綺麗な女の子集めて持て囃してんじゃねえよ」的な批判の声はいくつか見かけました。以下はそのひとつ。

まず思うのは、モデルとして参加していた彼女らは基本的にオファーがあって業務としてあの場に居合わせただけ(ふぉくす子はノーギャラですが……)なのであって、媚びるな云々は筋違いということです。ドワンゴの女子マネージャー弁当手渡しもそうですが、こういったことの責はすべて依頼者側にあるというのが僕の認識です。

で、それ以外の話ですが、実際にイベントの裏側を現場で多少見ていて、確かに、内輪ノリとかホモソーシャルなイベントという空気があったのは否めないと思います。おっさんが若い女の子にデレデレして鼻の下伸ばしてるのは、まずそれ自体がみっともないし、そういうみっともなさを許容する空気があるということ自体が女性参加者を余計に遠ざけることになる、という批判は、まあ、あってもしょうがないなと思います。レースクィーンとか、モーターショーやアニメイベント等のコンパニオンとか、そういうのと同じ物を求める下心というかなんというか。(と、話題に出した所でふと思ったのですが、レースクィーンとかモーターショーやアニメイベント等のコンパニオンとかは実際の所どのくらい女性参加者を遠ざけるものなのでしょうか? そういうイベントに行った事がコミケ以外で全然ないので自分にはよく分かりません。)

ただ、OSCが参加者の人達の善意やボランティアに支えられているイベントであるのなら、支えている人達の「俺はこれがやりたい」という思いが結果的にOSCの方向性を定めていくのであって、「これこれこういう壮大な目的のためにお前らは自分のやりたいことを我慢して我々の指示に従え」なんて事を主催者側が言いだしたら、成立しなくなるのでしょう。だから、これはこうあるほかに無いのだと思います。

というか、OSCがホモソーシャルではいかんという指摘自体がもう的外れなのかもしれない、とすら僕は思っている部分があります。

ここ数年は僕自身、今回のように特別な用事が無ければOSCには積極的に顔を出そうという動機がありません。それは開催場所が遠いから(そもそも、イベント会場が都心からだと電車を一時間も二時間も乗り継いでいかなければいけない場所にあるという時点で、外の人を相手にする気が薄い内輪のためのイベントという性格がかなり前面に出ていると思いますが、まあそれはさておきます)というのもありますが、OSSが自分や自分の周囲の人にとってはもはや当たり前のこと・当然の選択肢の1つになっているからというのが最大の理由です。今自分が仕事でお付き合いさせて頂いている企業さんはどこも「どうしても秘密にしないといけないクリティカルな部分以外は成果物をオープンにして全く構わない」というスタンスですし、クックパッドなどの「金を稼ぎ出している部分はきちんと他にあった上で当然のように技術をオープンにしている」会社はいくつもあって、少なくともオープンソースは「非常に、非常に珍しい物」ではなくなっているというのが今の僕の認識です。成果の技術をオープンにする事には一定の合理性があるという認識がある程度広まっていて、様々な企業や個人が自然な行為としてそれをやっているのであれば、その流れは勝手に広まっていくわけで。

そういう社会情勢の中で敢えて「オープンソース」だけをかけ声にして集まろうというのだから、濃い人が集まるのは仕方がない。その上でさらに各自のボランティアなのだから、そりゃもう濃縮されて余計に濃いことになっちゃうわけです。でも、「オープンソース」の中心がOSCやそこに集う人達だけの間ではなく、普通に回っている経済の中の方に既に移っちゃってるんだったら、もうOSCはそういうものってことでいいじゃん、と。オープンソースというものに全く理解がない社会の中で孤軍奮闘して頑張ってきた人達の同窓会になっちゃっててもいいじゃん、と。そんな事すら僕は思っています。

という僕の認識もまたずいぶん偏っていて、実際にはそんな事は全然なくてオープンソースはまだまだエヴァンジェリストが引っ張っていかないといけない感じなんですかね? だとしたら僕は今ものすごく恵まれた環境にいるんだなあ……

技術系コミュニティ一般の話に広げると、技術やっててヲタ文化に関心が無い人が居られる場所がないのは良くないなあ、とは思ってます。流行りの漫画のジャーゴンまみれにしなくても話を面白くすることは多分できるはずで、そこでジャーゴンに走ってしまうのは、人の関心を引く発表内容や資料を考える手間の省略、手抜きでしかない。無自覚な内輪向け感覚は、こういう事に限らず、なくしていった方がいいと思います。自分がどっかのお料理教室に行くことにしたとして、先生が料理業界の常識だとか流行りの話題だとかを知ってることを前提にして僕のようなよそ者完全置いてけぼりで喋ってたら、嫌だし多分行きたくなくなりますしね。「同質な者同士が馴れ合うための場所」と「広く様々な人を迎え入れて交流するための場所」とはキッチリ分けて考える、分別のある人でありたいものです。

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