たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。
以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能!
現代のコンピュータは「道具」だ。
道具とは、ただそこに在る物だ。道具は何も考えない。人が触らなければ何もしない。
道具は機能がシンプルであればあるほど、良いものが作れる。例えば「包丁」。包丁は物を切ることに特化した素晴らしい道具だ。また、どこが持つべき場所でどこが触ると危険な場所か、見てすぐに分かる。
道具の機能が増えれば、人間の側にも努力が必要になってくる。「鋏」は「包丁」に比べると、パーツが二つに増えて、扱いが難しくなっている。二つの穴に親指と人差指を入れること、指を開いたり閉じたりすることが刃の開閉に連動することなど、いくつかの約束事を覚えなくてはならない。鋏を使うのにすら、人間は、習熟が必要なのだ。
コンピュータは、これら単純な機械に比べると、はるかに機能が複雑だ。そしてその分、習熟にも時間と手間がかかる。コンピュータが「道具」である限り、これは動かしようの無い事実だ。
習熟の必要が無いのは「召使い」だ。
召使いと道具の間には決定的な違いがある。それは「知性」の存在だ。召使いは知性を持っているから、主人の側に合わせて臨機応変に行動できる。
知性を持たないコンピュータを、人間に合わせて働かせるということは、コンピュータを作っている「知性を持った人間」が、ユーザに合わせて働くということだ。現在のコンピュータに「どこまでも人間に合わせること」を求めるのは、開発者に「どこまでもユーザに尽くすこと」を求めること、開発者がユーザの召使いとなることに他ならない。
良識ある人は、知性を持った相手に対しては敬意を持って接する。しかし良識がある人でも、知性を持たない道具に対しては居丈高に接する。知性を持たないコンピュータに居丈高に接し、召使いと同じ物を求めるのなら、それは、コンピュータの向こう側にいる知性を持った人間に対して居丈高に接するのと同じことだ。コンピュータを介することで、その事実が隠蔽され、良識ある人でも、他人を奴隷のように扱うようになっているのではないだろうか。
「IT土方」はこうして生まれるんだろうか、と、ふと思った。
もえじら組のために買って、ここ1週間くらい集中して使ったんだけど。
ベクターレイヤ機能はイイね。回転や拡縮をしても汚くならないし、後から線を太らせたり細らせたりもできる。実は今回、1ページ目だけ「Gペン」でペン入れしてみて、やたら線が太くなってしまったので、0.1mm細らせてみてたりする。後のページは全部「丸ペン」。まあ、筆圧強いから結局ぶっとい線になっちゃってるんだけどね……
枠線を編集する機能が超便利だ。間隔を勝手に取ってくれるし、コマの形を維持したまま拡大縮小できるし。
テキスト入力でいっこ問題を見つけた。「ふぉくす子」とか入力しようとして気づいたんだけど、縦書きモードで何でか、「ぉ」(平仮名の小さい「お」)だけ表示位置がずれてしまう。他の「ぁ」「ぃ」などはちゃんとグリッドの右上に寄せて表示されるのに、「ぉ」だけ左下寄せになる。MSゴシックやMS明朝ではわかりにくいけど、GN摂津築地(漫画用の仮名文字フォント)だとものすごくはっきりわかる。「ぉ」の入る部分だけ全角スペースで1文字あけて、別のテキストとして「ぉ」を適切な位置に置いてみてるけど……めんどい。
開発元のメールフォームで障害情報を送りつけておいたけど、今後修正されるだろうか?
「今日明日とエロマンガ描かないといけないので、その仕事は明日までにはできません。」
並の技術者にはこの台詞は口にできまい。
ていうか技術者ちゃうやん。
レッサーパンダのぬいぐるみがいつの間にかMozilla Storeのラインナップから消えてる。欲しかったのに。
ほかにそういうの無いのかなーと思って探してみたが、どこをみても「立ってるレッサーパンダ」しか置いてないのな。風太強いよ風太。もっと普通のが欲しいんだよ僕は!
写真見た限りではドイツのケーセン社製のレッサーパンダが一番愛らしくていいんだけど、値段がスゴイ……
……と思って今Mozilla Store見てみたら、レッサーパンダ復活してるよ!単に品切れだったのだろうか?
「恋愛は普遍」だなどと誰が言ったのかというエントリを見て思った事。リンク先は長いから要約すると、「恋愛は普遍だとあなたは言ったが、普遍であるという証明がなされていない。単にあなたが、それを普遍だと思い込み、他の価値観が存在する可能性を思考から排除しているに過ぎない。」という話、になるのかな? 少なくとも僕はそう理解しましたが。
カトリックにとっては、カトリックだけが人間で、プロテスタントも異教徒も人間じゃない。だから殺しても罪にはならない。みたいな。少なくともどっかのイスカリオテの某マクスウェル大司教はそうお考えのようですが。この考え方って、逆から見れば「人間ならカトリックで当り前だろ。カトリックは普遍だ。」という話でもありますよね。
ということは、恋愛が普遍だと思ってる人にとっては、恋愛できない者はヒトではなくただの動物なのかしらん。
ウェブアクセシビリティとかそういう話をかじってると、オーバーラップしてきますね。「晴眼者で、日本語が読めて、Windows Internet Explorerを使ってて、広い画面でWebを閲覧してる人」しか意識してない、それ以外の環境があることを考え付きもしない、みたいな。音声読み上げでブラウズしてるかもしれないし、運転中で手が離せない状況でカーナビで見てるかもしれない、そういう人を排除するのか、みたいな。そして「俺は自分と近い環境の人しか想定してない。それ以外の環境の人は見んでもいい。俺はそんな人らとはコミュニケーションとりたくない。」と言われておしまい、みたいな。
まあそれを以って「考えが浅いなあ」と言ってしまうこともできるわけですけれども、あまねく全ての人を相手にコミュニケーションしろと言うのも無理な話ですから、どこかで線を引かないといけませんね。自分がコミュニケーションを取りたいと思い、実際に取る、その相手を選別するための線。
本当の意味で非モテ人とモテ人がお互いコミュニケーションをとろうとしてる例がどれだけあるんだろう。と、思った。
初心者の場合。
上級者の場合。
中級者の場合。
Firefoxって、初心者と上級者には優しいけど中級者にはえらいキビシイんだよなあ、とCVN65氏の日記を見て思った。
分離したサイドバーのウィンドウ内でidがreporterItemsBroadcasterなbroadcaster要素が破棄されると、タブを切り替えてもタイトルバーの内容が変わらないという問題が起こる、ということが判明した。ここが原因のようだ。
調べてみたら、これはFirefox 1.5で正しく表示できないサイトを報告するための「Reporter」が使用している要素らしい。処理が記述されている reporterOverlay.jsの中を見たら、一発だった。
Reporterはウィンドウを開いた時にプログレスリスナをgBrowserに対して設定する。このプログレスリスナはページ読み込みのタイミングで「ブラウザに読み込まれたURI」を調べ、Reporterでレポート可能な種類のページかどうかを判別し、先のbroadcasterにdisabled属性として指定する。これによってReporterのメニュー項目が必要に応じて有効化・無効化されるという寸法だ。
問題は、ウィンドウを閉じるときにこのリスナが登録解除されないところにあった。サイドバーのウィンドウが閉じて、broadcasterが消滅しても、このリスナは生存し続ける。ページが読み込まれると、存在しないbroadcasterを参照しようとしてエラーになる。その結果、他のプログレスリスナの処理までもがこいつのせいで中断されてしまって、ウィンドウのタイトルバーの内容が更新されないという問題につながる。
でかいプレゼン 高橋メソッドの本(著:高橋 征義)(Amazon.co.jp)。高橋メソッド in XULなんてものを作った身としては、本家は押さえておかなくては……ということで買ってきた。
「高橋メソッド」は文字が大きいのが特徴のプレゼンだけれども、本書は、いかにして徹底的にその点を追求するかの心構えを説いている。また、高橋メソッドを「発表物」そのものだけでなく、発表物の準備にも使う、という方向性も示している。
プレゼンがまったく作れなくて悩んでるような人が軽い気持ちで読むにはいい本なんじゃないでしょうか。バリバリにプレゼンをこなしてるような人にはおそらく不要。このあたり、高橋メソッドそのものの特徴ともかぶりますな。