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「あなたに必要なのは、諦めることだ」という解決策の提示。短期的に解決することを目指して焦るのではなく、敢えて問題を棚上げし長期化させることによって、短期的なストレスを解消する。これも有効な解決策だ。
テロを伴う非モテ活動の「解決策」としてのまずさはここにある。活動そのものが、自らのストレスを増大する方向にしか働き得ないからだ。ということは、これが解決策として有効なのは、自分自身が「ストレスを感じることがストレス解消」という人間であるタイプ、ぶっちゃけていえば、マゾヒストである場合だけだと言えるのではないかと思う。
結局、非モテを取り巻く世界も、非モテの人自身も、臆病すぎるんじゃないのか。今までの価値観と違うものを受け入れる事への不安、今までの自分が失われてしまう事への恐怖。だから過剰反応して、非モテイジメに走ったり非モテのテロなんてことをしてしまう。どうしてそこまで頑なにならなくてはならないのだろう。
というか益田ラヂヲ氏の考えがますます一層分からなくなってきた。
詰まるところテロに走るというのは、お互いもはや理解し合うことはできないという大前提のもと、ただただ自分の気晴らしのためだけに報復するということに他ならない。
ところが氏は一方で、自分が愛されることも望んでいるという。テロをしながら愛されたいというのは矛盾している。自分に対して殴りかかってくるような人にどうして仲良くできる? 自分の知り合いに対して刃を向けるような人とどうして仲良くできる?
これを矛盾と捉えるのは、僕が、「テロに走る氏」と「愛されたいと願う氏」が一つの人格であると考えているせいだろうか。つまり、氏にとっては「愛されたいと願う氏」がリアルの人格であって、「テロに走る氏」というのはただのネタ人格、ということなのだろうか。そう考えると全てが腑に落ちる。確かに氏は実名も顔写真も晒しておらず、いつでもこれを「ネタ人格」として切り捨てて社会復帰を果たせる状態だからだ。
それに比べ、僕は実名も勤務先もこれまでの自分の活動そのものも全て晒しており、今更これらを「ネタ人格」と切り捨てることなどできはしない。ここにあるものが全て素の僕だ。だから僕は何に対してもガチンコ勝負でぶつかるしかない。「ネタですから」と逃れることができないし、許されない。
僕には、一つの名前において発言することは全体として筋が通っているのが自然だという思いがあり、誰も彼も自然にそういう状態を目指すものであるはずだという思い込みがある。これはおそらく「問題解決」について少々学んだ事があるためだろう。
「問題解決」。望む姿と現在の自分の姿とが一致していないときに感じるギャップを「問題」と定義し、そのギャップを埋めるかなくす事すなわち「解決」の方法を考え実践する、ある意味では、自己満足を最大化するためのメソッドだ。問題解決では、自分の理想はどうなのか、それに対して現状はどうなのか、その間にはどのようなギャップがあるのか、すなわち「何が問題なのか」を認識することが、最も重要な出発点だ。だからいわゆる「非モテ」は、すでに問題解決の最初のステージに立っていると言うことができる。そこまで状況が見えているのなら、あとはその「問題」をいかにして「解決」するかだけが問題だと言っていい。
問題解決の文脈における「解決」とは、文字通り「正面からぶつかって問題を解くこと」だけを言うのではない。「どうせあれは酸っぱいブドウだったんだ」と自分を諦めさせることも「解決」だし、「モテないことが何だ、俺はこの分野では誰にも負けない実績があるんだ」と他のことに走るのも「解決」だ。
何が「問題」であるか見えていて(自分という人格の承認が得られていないこと)、それに対して何が「解決」の道であるかも見えている(承認を得ること、承認は必要ないと考えを改めること、など)、にもかかわらず、問題を解決する方向ではない方向の言説ばかりが目立つ(承認を求めながら、承認を否定する)。問題を解決しようという意識が窺えないのが、どうやら、僕が氏の言説に対して抱いた違和感の正体のようだ。
あるいは、もしかしたら、これが氏にとっての「解決」なのかもしれない。問題を解決せず敢えて棚上げすることによって、非モテ活動家というポジションを手に入れ、一目置かれる、自分の置かれた状況そのものを「ネタ化」して「メタな立場に立つ」、「誰からも承認されない、筋が通らないことをしていることをもって、自分の承認とする」ことが。僕にとっては、そんな「ストレートでない」「ねじれた」解決は受け入れがたいものではあるが、だからといって、その道そのものを否定する権利は誰にもないのだ。
結局僕も、「他人の気持ち」で物を考えることなんか全然できていなかった、「自分ならこうする」という形でしか問題を捉えることができていなかった、ということか。
明治セックル維新 新政府御性文帖→キモい男 - kmizusawaの日記、【百傑】はてなダイアリー総合【こんどーっ☆】、童貞にモテる方法を見て思ったことの言語化。
デフレスパイラルとは、「物が売れない→値下げする→帳尻を合わせるために給料下げる・首を切る→みんな貧乏になる→物が売れなくなる→……」という感じの悪循環で物価がどんどん下がっていく事を言う。
非モテ現象もそれとよく似ている。「誰からも愛されない→恋愛経験を積めない・愛される経験を積めない→切実に愛を欲して焦る→キモイ行動に出てしまう→他人から避けられる→経験を積むことなく失敗→誰からも愛されない……」という負のスパイラルだ。
ある時点でモテないこと(デフレスパイラルで言うなら、物価の安さ)というのは、この負のスパイラルにおいては表出した一現象でしかない。問題の本質は、連続的にモテなさが増大している所、モテ度の低下が止まらないという所(デフレスパイラルで言うなら、物価が下がり続けているという状況そのもの)にある。この問題において「滑り台」とは「恋愛という価値観」だと僕は思う。
滑り台に乗っていることが大前提となっていて、その前提を崩すことができないと思いこんでいる、そもそも、滑り台に乗っていることが「特別に自然とは言えない状態」だと気付いていない、日本語で言えば、恋愛至上主義が骨の髄まで染み込んでいてそれ以外の価値観を受け入れられないから、「滑り台を登ること」以外に頭が回らない。身の回りに起こること全てを「滑り台を登ること」に関連付けて考えてしまう。例えばちょっとしたスキンシップがあっただけで、「これを手がかりに登れるんじゃないか?」と考えてしまう。だから、いつまで経っても本当の解決に辿り着けない。
本当の解決を望むなら、この「滑り落ちているという状況」そのものから脱しなくてはならない。そうして初めて、登り始めることができる。滑り台に乗ったまま登ることはできない。滑り台から降りることが、その特効薬なのだ。それは日本語で言えば、価値観を転換するということになる。
自己愛が強く、変化を恐れる
心が人一倍強い非モテには、これが非常に難しい。しかし、何か動かずにはいられない。だから、解決のために動くよりも楽で易しい、非モテとして凝り固まる道を選ぶ。解決のために動きたいのに、動けないから、その永遠に満たされない要望からのストレスが原動力となって、より一層、頑なになる。
……という仮説。
要所要所で原作の萌えポイントを的確に拾ってるな。手を握って「頑張って!」とか。こんな女いるわけねぇぇぇぇええええええ!!!! だが、だからこそ萌えるポイントなんだな。
桜井カズヤさんは結局最後まで道化か。初登場の頃のカコイイイメージはどこへやら……陣釜さんにもフラれたようだし、勝ち組に見えて何故だか負けまくりというのが、情けなくて良い。
「大人のチッス」でモザイクかけるのってどうよ。
一連の爆撃を終えて「やりきったぜ」みたいなスッキリした顔の電車男と、爆撃を受けすぎて瀕死のスレ住人達との対比が面白かった。映像化されて改めて面白さが増すところだなあこれは。
トロピカーナの果汁100%(濃縮還元)で炭酸、というオレンジジュースを飲んでみた。……濃ゆっ!! 本来あるべきオレンジジュースの味なんだと思うんだけど、この濃さに炭酸は正直キツいと思った。無果汁でもファンタくらいの薄さの方が炭酸には合いそうだと思った。
大学の授業のカラミで調べている方から見てもやっぱり茨の道のXULなのでした。
ん? ジョージ・ワシントン大学? 本家アメリカは違うんだなあ。日本でこういう事やろうと思っても、「で、Firefoxって何?」から始まる、そゆレベルですよ……
告知忘れてたけど、C Magazine 2005年10月号でXUL記事書きました。FirefoxのブラウザウィンドウのXULでの定義を読み解くとかFirefox 1.5用の拡張機能の作り方のようなものとかそこらへん。
いぬねさんによるふぉくす子の描き下ろしカットなんかもあったりして。……ぼ、僕のせいじゃないっすよ! 組長の暴走ですよッ!!
EDEN -It's an Endless World!- 13(Amazon.co.jp)。ミリアムがかわいすぎる件について。
前巻に引き続き駄目押しで繰り返されるエリヤの裸エプロンが見所。最終的にミリアムのパンツまで装備! ポロリもあるよ! みたいな。
仮面ライダーSPIRITS 8(Amazon.co.jp)。ようやく、「仮面ライダーZX」誕生か……
正直、第2部(ゼクロス編)に入ってからは惰性で読んでる気がする……第1部は各話が読み切りに近い形式だったから、その分濃密でアツかったんだけど……長編になってくるとどうしてもこっちの気分がダレてきてしまう。
倒されても倒されても「立ち上がってしまう」ゼクロスはちょっと良かった。
日本の法律では、著作権は「公表後または著作者の死後50年まで保護される」と明文化されているけど、肖像権についてはどこにも規定がないそうだ。専門家の間でも、著作権同様に公表後または死後50年だとする説や、永久に存続するものだとする説、相続可能だという説や相続はできないという説、いろいろあるらしくて、誰かが裁判起こして判例が出んことには何とも言えないんだと。(参考: 著作権講座5時間目・その他の知的所有権)
なんでそんな事を調べたかというと、所用でスキャナで取り込む用事があって父方の祖母(体が弱く、父を運ですぐになくなったらしい)の写真を渡されたんですが、顔写真といえば、幼稚園とか赤ん坊の頃とかの顔写真ならプロフィールにくっつけて広く公開しても冗談としてアリかな? とここ最近思ってた関係で、ご先祖様というかすでに亡くなってる直系の親族の写真ってのはアリなんだろうか、肖像権的には何年経ってたらOKとかあるんかいな、と疑問に思ったので、こうして調べたワケ。
というわけで法律的には激しくグレーのようなので、ちっこい写真だけ置いときます。
……孫の僕が言うのもナンですが、普通にべっぴんさんでびびりました。