たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
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最近、自分のしてることをリアルタイムで「あぁ、馬鹿なことやってるなあ」「あぁ、考えがメチャクチャ浅いなあ」「うわぁ、感情的になっちゃって無様だなあ」とか感じることが増えてきたような気がする。以前はそうでもなかったと思う。何が変わったのだろう?
当然思いつく線。深くものを考えず、慎重になることを忘れ、感情だけに突き動かされて、動く。ということにだんだん慣れてきたのではないか。
この可能性がおそらく最も濃厚。今までは自分の無様さに気付いていなかっただけなのではないか。他人から見たら今も昔も全然変わってないのではないか。
新説。今までは「自分にできること」の城壁の中でええかっこしてただけであって、そんなの、上手くできて当たり前、かっこつけれて当たり前。上手くできなかったりかっこつけれたりといった余地のない、自分にできるギリギリ限界の一歩外に踏み出しているからこそ、無様な姿を晒せているのではないか。未知の領域に踏み込み、自己を拡張している、まさにその瞬間が今なのではないか。
「拡張機能とかプラグインとかややこしいから、分かりやすくするために全てプラグインと呼ぶ」という窓の杜の理屈は本当にFirefoxの方向性にそぐうのかどうかを考えてみます。
本当に何も知らない初心者というのは、案外、名前の違いとかそういった細かいことにはこだわらないものだったりします。それよりもむしろ「これをこうしたらこうなった」みたいな感覚的なものの方を、彼らは大事にします。正しい言葉を教えようが間違った言葉を教えようが、初心者というのは、自分の分かる言葉で呼ぶようになります。青いeマークを指して「インターネット」と呼ぶのはそういう層です。
上級者も、名前が違うからといって理解できないということはありません。本質的な部分を理解しているから、名前が違っても理解できます。逆に、名前の違いに敏感になっていたりすらします。ログインとログオンの違いとか、アドオンとプラグインの違いとか、本質的な共通性と表面的な違いの両方を正しく認識できるようになっている人には、わざわざ「不正確な言葉で説明して分かりやすくする」意味はありません
言葉や方式の違いに大きく戸惑うのは、実は、初心者から中級者に上がろうかというレベルになってきた人です。この層の人は、ただ感覚だけで認識しているわけでなく、さりとて本質を見極めているわけでもなく、条件反射的に名前や外観と実体とを記憶の中で結びつけていたりします。本質的な共通性も違いも、表面的な共通性も違いも分かっていないと、名前や方式がちょっと変わっただけでとたんに分からなくなってしまいます。
いつまでも初心者の層に留まったままでいる人、上級者の域に達してしまった人はそこからほとんど立場を変えないのに対し、中間層の人というのは、初心者から上級者へと階段を駆け上ろうとする流動的な存在、過渡的な段階です。この、過渡的な段階にある人達を取り込むために有効なのが、乗り換え元の彼らが慣れ親しんでいる製品に用語や体裁を合わせる、というやり方です。
他の物に完璧に合わせる、というのは、ただ「良いと思うもの」を作ること以上に難しいことです。多大な労力を積み重ねてただの劣化コピーを作るくらいであれば、初心者層と上級者層の二つをターゲットにする方が、Firefoxの開発をより少ない労力で、より良いものを作る方向に進めるられるのではないでしょうか。
また、最も重要なのは、Mozilla FoundationはFirefoxを、「IEのシェアを奪い勝つためのもの」ではなく「IE以外の選択肢を提供するためのもの」と位置づけているということです。必要以上のIEへのすり寄り、シェア奪回それ自体は、その位置づけにおいてはそれほど強くは求められていないのです。無論、結果としてシェアが増すことについては、何ら否定されませんが。
こうして考えてみると、窓の杜の理屈は、Firefoxを世に送り出しているMozilla Foundationhaの思惑とは必ずしも一致しておらず、ひょっとしたらそぐわない部分があると言えるのではないでしょうか。
――なお、前述の3レベルの分類は、一人の人が全ての場合においてそうであると言い切るものではなく、ある人がとある分野では上級者でも、別のある分野ではまるっきり初心者、という場合は往々にしてあります。ある物事への習熟度一つを取ってその人の全人格の優劣を語ろうという話ではありませんので、そこは誤解のないよう。
最近なんかイライラしてる気がする。物事が思い通りに進まなかったり、先行きが不透明だったり、でも最大の理由は多分、いよいよ引っ越しが迫ってきて心の余裕がなくなってきたからなんじゃないかと思う。
もうすぐ夢から覚めないといけなくなってしまうんだなあと思うと、どうしても……
static and distribution :: diaryより。
赤点って30点未満からなの!?現在26歳が通っていた県立高校は赤点40点未満だったけど。俺もそのゆとり教育に浸りたかった。
そのゆとり教育に浸っても12点とかで余裕の赤点な僕が来ましたよ。
道義的な立場からの問題というのが確かに一番大きい。「こう呼んでくれ」と言っているものを「いいや、俺はこう呼びたいからこう呼ぶのだ」と突っぱねてるのだから、侮辱と言ってもいい。それだけで理由になる。技術的な正しさだの何だのは二の次三の次と言っていい。
ただ、そんな言い方をしたところで先方が動いてくれるとは僕には思えんのだなあ。MJが再三申し入れをしているにも関わらずこういう状況だということは、中の人は8年前と何ら変わってないんじゃないか?としか思えない。こういう人達には、あなた自身にダメージが及ぶのですよ? とでも迫らないと効果がないのではなかろうか。そんな風に僕は思うのです。
と、名前は出さずに書く意地悪な僕なのです。
なんかいつの間にか話題が広がってますね。でもいまいち広がりきらないのが日本語圏におけるFirefoxの微妙な立場を示しているようでなんとも切ないです。
過去エントリ:
他の人による言及:
その他:
とりあえず「インプレス版Vector」はちょっとウケた。でもVectorには罪はないぜよ。
mixiの署名呼びかけコミュのトピックにも書いたんだけど、Firefoxにおいて拡張機能とプラグインは、混同して良いとは言えないレベルで利用方法に大きな差異がある。実装方法に違いがある、というエンドユーザにとってはどうでもいいレベルではなく、日常的に使うにあたってのレベルでの違いだ。
導入 | 削除 | 更新 | 設定 | |
---|---|---|---|---|
拡張機能 | XPIパッケージをWebページから直接インストール。 | 「ツール」→「拡張機能」で拡張機能マネージャを開き、削除したいものを選択して「削除」ボタンを押す。 | 「ツール」→「拡張機能」で拡張機能マネージャを開き、「更新を確認」ボタンを押す。 | 「ツール」→「拡張機能」で拡張機能マネージャを開き、設定したいものを選択して「設定」ボタンを押す。 |
プラグイン | Firefoxに備わったプラグインのインストール機構を使用、または、Webページ上からインストーラをダウンロードして実行。 | 「プログラムの追加と削除」「アプリケーションの追加と削除」を使うか、手動でプラグインのファイルを削除するなど、プラグインごとに異なる。 | プラグインごとに異なる。(Adobe Readerのように自動更新機能があるものもあれば、上書きインストールで更新するしかないものもある) | 実際にプラグインが機能している状態で右クリックメニューから行う、Windowsの「コントロールパネル」から行うなど、プラグインごとに異なる。 |
これだけ違うものを混同するのが望ましいこととは、まったくもって思えない。本当の意味での初心者のことを考えても、同じ名前のものは統一的に扱えるようにするのがよい。
その意味で、Firefoxの拡張機能マネージャは早いうちから良い環境を整備してくれていたと思う(現状の仕組みは、Firefox 0.9の前後に急遽取り入れられたものだけれども、それ以降目に見える大きな変更はない)。これだけのものを作るのは大変なことだ。また、Mozilla Foundation側はドキュメントを用意するなどしてこの仕組みの周知徹底に力を注いでいた。窓の杜が拡張機能とプラグインを混同して呼ぶことは、Firefox開発者・関係者のこうした苦労を無にする行為に他ならない。
追記。このエントリだけ見て帰らずに、関連する他のエントリにも目を通しておいてほしいなあ。
「メタ的視点から考えてみる」とか「ベタな視点で書かれててつまらん」とか、ベタだのメタだの書かれてるのを見かけて、それって何やねん? と思うことが度々あるんだけど、まりねこ氏のblogのコメント欄に書いたとおり、自分は以下のように解釈している。
いちおう韻を踏んでみたんだけど、どうでしょう(←つまらん)。
物事に対してどれか一つの観点からしか接することができない、というのが、良いときもあれば、悪いときもあると思う。例えば、恋愛初期はメタやネタの視点は持たない方が良いような気がする。分析するときは、ベタな視点を排除した方が冷静な判断を下せるかもしれない。でも、ベタな視点をなくしてしまったら、地に足が着いてない机上の空論にしかならないかもしれない。
やっぱあれかね。バランス感覚が大事なのかな。
そもそもの問題としてホントに「プラグイン」って分かりやすい言葉なんだろうか。「extension(s)」の訳語として翻訳チームはかつては「拡張」、今では「拡張機能」という言葉を割り当てているけれども、カタカナ語より漢字4文字の方が意味を取りやすいように思えて仕方がない。「プラグイン」という言葉の意味を理解できるのは、ある程度ソフトウェアを使いこなすことに長けた人であって、本当の意味で初心者な人にはどっちにしろ「何それ?」という状態な訳で。
逆に、カタカナ語で表記するということには、「なんかようわからんがかっちょええもんがあるべや。漢字で書いてるダッセェーもんとは別もんだがや」と読者に認識させる効果が期待できるという側面もあるといえばあるんだけど。
先のエントリを見て僕のことを「開発者コミュニティが何よりエライと思っているオープンソース信者」と思う人がいたら、それは誤解だ。僕はむしろフリーライダー歓迎派、ユーザに媚びるのも一つの手だと思っている人。エンドユーザが親しみやすいように物を作ることは素晴らしいことだと思っているし、実利的なメリットもある。裾野を広げることはプロダクトを育てることにもつながる。Firefoxユーザが増えなければ、便利な拡張機能がこれほどたくさん開発されることもなかったろうし、「致命的でないけど使い勝手を著しく下げる」という系統のバグも放置されていた物がもっと多くなっていたかもしれない。
もっと個人的な話をすれば、今いる会社がオープンソースを飯の種にしている以上、OSSの一般への認知拡大は飯の種の増加を意味するわけで、Firefoxが普及すればうちにも案件が舞い込んでくるかもしれないわけで、お金もらえるかもしれないわけで。
それだけでなくて、自分自身もフリーライダーだしね。Firefoxは拡張機能を作りこそすれ、本家にフィードバックしてないし。他にも色々「使うだけ」のソフトはある。というかそういう物の方が多い。
ただ、「開発者は利用者の奴隷ではない」という点は、健全にフリーライドするために認識を共有しておきたいところだ。お客様気分の利用者が大上段に構えて奴隷を顎で使うように開発者に接するようでは、フリーライドさせる気も失せるというもの。もちろんその逆も。
お互い、敬意を持って接するべきだと思うのですよ。