たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。
以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能!
「拡張機能」「テーマ」「プラグイン」「検索プラグイン」などなど、似て非なるものが色々あるのはユーザに対して望ましくないことだと思うので、窓の杜の「いちいち呼び分けるのは分かりにくい。統一的にプラグインと呼ぶべきだ」という考えには僕も一定の理解を示したい。
ただ、考えるのと、実行に移すのとは別だ。実行に移すということは他者に影響を与えるということだ。窓の杜ははっきり言って、その点について無責任過ぎる。
なんで今更こんなことを思うかというと、拡張機能の開発を取り扱う場面で「Firefoxのプラグインってどう作るの?」みたいに無邪気な質問が出てるのを見掛けて、さすがに窓の杜の「罪」というものを認識したからだ。拡張機能の開発したい人をプラグインの開発に誘導してどうするよ。原理からして全然別物なんだよこれらは。
こういうところで混乱を招いている責任をどう取ってくれるというのか。
ほんと、プラグイン特集とか言ってハシャいでる場合じゃないでしょう。あのネトランですら、ちゃんと「拡張機能」って呼んでるのに。良識を疑うよ。
UIがわかりにくいという指摘を受けて、自分なりにもう少し表現を変えてみた。
普通の人向けのわかりやすさと、技術的に正しい用語と、どう折り合いを付けていけばよいのだろうか……え、用語とかの瑣末な問題じゃなくて、そもそも設計が腐ってるって?
Text LinkとLinkificationは用途が似てるのでよく比較されるようだ。前者は「リンクされてないURIをリンクのように読み込む機能」を加えるもので、後者は「リンクされてないURIをリンクにする機能」を加えるもの……という違いがあるけど、得られる結果は同じなので、ますます「何が違うねん」ということになる。
そんなわけで、Mozilla Updateに登録した当初は結構否定的なコメントが(っていうか全否定のコメントが)付いてたようだ。曰く、「Linkificationがあるんだから何でこんな無駄なものを登録する必要があるんだ?(大意)」とか。まあ確かに、似たようなのが乱立するとうぜえってのは事実なんだけどさ。「まったく同じ。無駄でしかない。」だなんて言われると、それはそれでカチンと来るわけで。
……というわけで必死になってアドバンテージを見出そうとしてみたんだけど、なんかショボい利点3つしか見つからんかった。しかも英語圏では全然嬉しくないし。
サントリーのポーションを買ってきた。ファミマの栄養ドリンクの棚に置いてあった。普通にアホな人用(120mlで税込200円の通常版)と、アホが極まってるハイレベルな人用(100mlで税込630円、特殊瓶・飾り栓・カード付きの限定版)があったけど、当然ながら、アホが極まってる人用の方で。
んで、感想。普通に栄養ドリンクっぽい味ですた。いじょ。
これを不味いと感じる人はアンデッドという説があるそうだ。
詳細はあっちに書いてますが、今日発売の日経LinuxからOpenOffice.orgの解説記事の連載スタートです。ということで毎月〆切が迫ってきます。ていうかもう2回めにして挫けそうです。
当面の目標は、イラスト部分の面積を増やすことでしょうか(←ピントのずれた目標設定)。
前に書いた話の実践編。
自分ではUbuntuはVMWare用イメージを使って、Debian GNU/Linuxは最小構成のブータブルインストールCDイメージを使ってそれぞれ試した。今度はちょっとした用事があったので、Windows 98をゲストOSとした環境を作ってみようという話。
用意した物は以下の通り。
ホストOSはWindows 2000です。
ラジオクリルタイ第3回(後半)を聞いてて思ったこと。
2ちゃんねる喪男板的には「はてなダイアリーで名前(実名でなくても、発言から発言者を、そして他の発言を追跡できるようなidentifier)を晒してる人の感覚がよくわからん」みたいな感じだ、という話があったと思う。「ネットで名前を晒すなんて、誰からイタズラされたり犯罪に利用されたりするか分からないし、危なくて危なくて仕方ないじゃないか、こいつら一体何考えてるんだ」とか、「固定ハンドルが気にくわない。特定の名のもとに発言する奴なんてのは、ただの目立ちたがりか、商売根性の下衆だ。名前を晒して何かするなんてのは売名行為だ。」とか、そのへんの。
個人の名のもとに発言する人が多ければ、確かに、個人の利益のための売名行為は増えるだろう。匿名が推奨される環境なら、売名行為は排除されるだろう。それはいけ好かない奴が現れにくい、薄汚れたエゴが淘汰される、ある意味では清らかで美しい世界と感じられるものなのかもしれない。
しかし、有名人でもないただのいち個人の名のもとにできることなんていうのは限られている。何かあったときにはその個人が発言の責任者として集中砲火を食らい信頼を失うことになるから、下手な事はできないというブレーキも自然とかかる。逆に、匿名だと責任を取らされることがないから、リスクなく「下手な事」「まずい事」ができてしまう。だから暴走に歯止めがかからなくなることがままある。
薄汚れたエゴにまみれた世の中と、無責任な暴力が溢れる世の中とでは、どっちがより住みやすくて居心地のいい世の中なんだろう。そんなことを思った訳ですよ。
ものっそ久しぶりにアイススケートなんてしてきた。
ひらパーのスケートリンクに行ってきたんだけど、明日が最終日だというのと、土曜ということもあってだろう、ものすごい人の数だった。下手に転倒したらどえらいことになりそうなくらいの。ごめんなさいちょっと大げさに言いました。でもほんと混んでた……
スケートを最後にやったのは10年以上前だと思う。最初は上手くやれるか心配のおっかなびっくりだったけど、しばらくやってるうちに勘を取り戻せたようで、後ろ向きに滑るとかその辺のことはこなすことができた。今日は最後まで相手も含めて一度も転ばなかったんで、そこは褒めてちょうだい。笑。
整備した直後の氷というのはやはり気持ち良く滑れる。いろんな人が大量に滑ってるからミゾだらけだし、屋外リンクだから日光で表面が溶けて結構ビショビショだし、で最初はずいぶん滑りにくかったけど、整備後はもうさっきまでのが何だったんだってなくらいにスイスイ滑れた。
手袋無しで氷に上がるのは禁止ということで売店で手袋を買ったんだけど、サイズの合う奴は、やたらとごついスキー手袋しかなくて……こういうのだったら持ってたんだから家から持参すればよかったよ。トホホホホホ。
昔の話になるんだけど、幼稚園の途中から小学校の途中まで、幼稚園主催の体操クラブで冬にはスケート教室があったんですわ。それでちょっとは滑れるようになった。靴紐は上までしっかりがっちり結んだ方が足首が痛くなくて良いとか、そんな知識もそこで得たんだったと思う。大人になってから役立てるためにも……! と通わせてくれた母の先見性には感謝するばかりだなあ。笑。