たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。
以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能!
Mozilla Japan第2回セミナーのプレゼン資料を公開しました。内容は要するに「かくちょうきのうのつくりかた」です。
説明不足なところは構成案メモと照らし合わせながらどうぞ。
アリゾナにいる哀さんから年賀状が届きました。今日。
文面と消印を見るに、昨年12月中に出されたもののようではあるんだが……一体今の今までどこを彷徨っていたんだこの葉書は。
まじめな報告?はよそで書いたので、こっちではふざけた話ばかり書いてみますよ。
今日はいつにも増して嫌らしいことを書いちゃうよ。いやらしいって、エロいって意味じゃなくて、見ててムカツクって意味よ。
脱オタ――オタク趣味を捨てるという意味ではなく、ここでは、オタくさい外観の改善を図るという意味で――ということを考え始めるようになってから、僕は、ずいぶん気が楽になったように思う。自由にものを考え、自由に表現できるようになったと思う。
本格的にエロ同人誌を作って売るなんて、脱オタを意識し始めるまでは、あり得なかったことだと思う。「脱オタ」を意識し始めてからこっちの方が、オタクとしてしたいことをしたいようにやっていると思う。それよりも以前の方が、「健全であること」「一般にも受け入れられること」にこだわって、自ら枷をはめていた気がする。皮肉なことに。
NHK見てたら格差社会の話をしてた。年収200万以下と2000万以上の人が増えて、格差が広がってるという話。
親元で暮らすパラサイトシングルをやってるとなかなか危機感を実感できないけど、年収180万(番組でとりあげられていた人は、しかも仕事の内容に見合わない低賃金でコレ)で独り暮らしをする大変さというのを、こう見せつけられると……
独り暮らしをするって事は、いままで家族全員で割り勘してたものを一人で負担するようになるって事なんだよなあ。頭痛いわ。ますます出て行く気力が萎えていく。でも出てかなきゃならんのだよなあ。暗くなるなあ。
番組では個人でも加入できる労働組合(首都圏青年ユニオン)というのが紹介されてた。……保険、貯蓄、僕ももっと色々考えんとならんのよなあ。ますます頭痛くなるなあ。
……と、すぐにテレビに影響される頭からっぽの若者なのでした。
セミナーのための資料作りというか、講演内容をうんうん言いながら昨日はまとめてたんだけど。
常々思うけど、何で僕ごときがこんなことをやってるんだろう? と。もっと信頼されてて人望があって技術力も知識もある人がいるのに。実力の伴わない目障りな奴って思われてるに違いない、きっとそうに違いない。
ああ……人望が欲しい‥! 欲しいっ…!
いや、人望は実力に付いて来るものだろう。だからむしろ実力の方が欲しいっ……!! いやいや、実力だけあっても虚しい。だから実力と人望の両方が欲しいっ…………!!!
とか、ふと思う僕は自意識過剰なんでしょうね。
2進数では、ビット列をずらすだけで簡単に2n倍または1/(2n)倍(できる。
10進数 | 2進数(ビット列) |
---|---|
1 | 0000001 |
2 | 0000010 |
4 | 0000100 |
8 | 0001000 |
16 | 0010000 |
32 | 0100000 |
64 | 1000000 |
2進数というのは0と1というビットの並び(ビット列)でできている。数値を2倍するというのは、このビット列を1つ左にずらすことに等しく、1/2倍する(2で割る)というのは、1つ右にずらすことに等しい。
4倍するというのは、2×2倍すること=2回2倍するということ。つまり、数値を4倍するというのは、このビット列を左に2つずらすということだ。
8倍するというのは、2×2×2倍すること=3回2倍するということ。つまり、数値を8倍するというのは、このビット列を左に3つずらすということだ。
2進数が基本になっているコンピュータでは、2の倍数をかける(2の倍数で割る)計算はこのようにすれば、何の面倒もなく物凄く高速に結果を得ることができるわけである。ゲームプログラミングのようなとにかく高速なレスポンスが要求される分野では、こういうテクニックが多用されるのだそうだ。
XUL/Migemo勝手改造版更新。変更点は以下の通り。
Shift-F3とか検索ツールバー上のボタンで前方検索しようとしてうまくいかんかったからというのが、上記の問題に気付いた理由。
「ここのデッサンがおかしい」とか、僕も含めて素人絵描きはよく言う。そこにこだわりすぎるあまり、失敗を重ねてしまう人もいる。でもそれってそんなに重要なことなの?
デッサンとはこの場合、物の形や角度、位置、バランスなどを正確に2次元に投影・投射して描く力のことだ。それらがどこか破綻している場合、「デッサンがおかしい」と言われることになる。実際に「デッサンがおかしい絵」の例を見れば一目瞭然だろう。
この絵では上半身が「上から見下ろした絵」、下半身が「下から見上げた絵」になっている。これほど範囲が広くて極端な「デッサンの狂い」はさすがにそうそう無いけれども、もっとミクロな部分、例えば全身に対する手首であるとか、顔全体に対する髪の毛であるとか、そういうレベルで「デッサンの狂い」は表出することが多いと思う。
こういった歪んだ絵になることを防ぐ方法は二つある。一つは、まずは全体を描いて、次に、おかしいところを見つけたらそこを片っ端から直していくという方法。もう一つは、消失点や補助線を取って製図的アプローチで「作図」すること。ただ、どちらにしても「躍動感に欠ける絵」になりやすいのが欠点で、最も良いのはやはり、最初から最後まで一発で描きながら破綻のない絵を描くことだ。そのためにはいわゆる「デッサン力」を磨くほか無い。
ところで、ある程度以上の「デッサン力」があるのなら、些末な「デッサンの狂い」に囚われて微修正を繰り返すことは、最初の絵の躍動感を、魅力を失わせる作業となってしまう。「デッサン」を過剰に重視する必要は必ずしも無いのではないか? というのが、ここで僕が言いたいことだ。そう考える根拠を以下に示そう。
通勤途中の北新地駅の地下道で開催されてるヒューマンアカデミー(専門学校)の卒業制作展をちょっと見てきた。
建築とかデザインとかイラストとか色々あったけど、マンガカレッジのマンガは結構見物だった。僕の見た中では「4コママンガ」と題された作品と「おとなさがし」という作品が面白かったと思う。前者はギャグセンスがいい。後者は内容としては平凡だと思うけどテーマが僕の心情にすごくマッチしたので。