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たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。

萌えるふぉくす子さんだば子本制作プロジェクトの動向はもえじら組ブログで。

宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。 以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能! シス管系女子って何!? - 「シス管系女子」特設サイト

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ITpro「記者の眼」の「シス管系女子」の紹介記事がきっかけで反省した話 - Sep 28, 2013

現在発売中の日経Linux 2013年10月号にまとめ本が付録で付いてきているマンガ「#!シス管系女子」ですが、担当さんが紹介記事を書いて下さいました。

記者の眼 - マンガで日本のITを救う:ITpro

内容を抜粋しての紹介と併せて、担当さんの視点からの裏話も掲載されています。読んでいて、立ち上げ期の事を色々思い出してしまいました。

で、その勢いで前回のまとめ本と今回のまとめ本を自分で一気読みしてみたのですが……いやー、これ、文字多過ぎ。夜に読んだら寝るわマジで……。前回のまとめ本の時にそれを痛感して、「#!シス管系女子」になってからはなるべく詰め込みすぎにならないようにと意識していたつもりだったんですが、まだまだでしたね。でもこれ以上セリフを減らすと解説が成り立たなくなりそうだし、悩むところです。

っていうか、上記の記事で抜粋されているような「いまいち分かりにくいものをビジュアル化して分かりやすく解説」というのも、そもそもは、「そういう文字ばっかりの説明をやってもしょうがないじゃないか! 漫画という表現形態ならもっと絵で説明しなきゃ勿体ない!」と思っての事だったのでした。しかし、無印時代は具体的なコマンドや仕組みの説明が多かったのでまだやりやすかったんですが、シェルスクリプト編に入ってからは抽象的な概念を扱う事が増えてきたということもあって、最近はうまくビジュアル化できてないまま送り出してしまっているなあ……と改めて反省しております。

「#!シス管系女子」の宣伝ということで上記記事を書いて下さったのですが、自分を省みるいい機会になりました。初心に返って頑張らねば……!

ニオイ - Aug 24, 2013

最近、奥さんのおばあさんの米寿のお祝いで、奥さんの実家にお邪魔しまして。泊まりがけだったのとその時はめちゃめちゃ暑かったのとで、着て行った服を洗濯していただきました(翌日がお祝いの本番で、その時用には別の服を持って行っていたのです)。

その事を特に思い出すこともないまま帰ってきてしばらく経ったある日のこと、出勤するのに着た服からなんか妙に甘い香りがするんですよね。なんだこれって思って。

それで理由をずっと考えてたんですが、トイレでウンコしてるときに気がつきまして。ああこれこないだ奥さんの実家に着ていったやつだ……と。普段自分ちで使ってる洗剤と違う洗剤で洗ったから、違う香りがついてたんですね。

テレビ見てると「一日中香りが続く!」と宣伝してる洗剤があったりしますが、実際丸1日同じ甘い香りが続くと(別に常時プンプン漂ってるわけではないんですが、風向きとかでふわっと漂ってくる)、なんか……べつにここまで香らなくてもいいかな……って気がしました。彼女とか奥さんとかに近寄ったときにふわっと漂ってくるのは多分ドキがムネムネしてキュンと来るアレなのですが、31歳おっさんの自分から漂ってきてもうれしくないです……

それはそれとして。

米寿のお祝いによせてメッセージカードを孫一同から送ろうという話になったそうで、ついでだからと自分もそこに混ぜて頂きました。しかし、以前に1回しか会ったことがなくて一体何を書けばいいものやら……と本番前日夜にうんうん唸っていて、「おめでとうございます」みたいな無難なメッセージから先にペンが進まずにおり、さりとて例文集を調べたら負けかなみたいな思いもあってまた一層うんうん唸っていたのですが、ふと思いついた事があって、それを書き始めてみたら自分で結構いい事言ってんじゃねって気分になってきたので、その路線で最後まで書き切ってみたんです。で、何を書いたのかという話なんですけども。

ほとんど話した事も無い直系姻族のおばあさんだけれども、当たり前だけどその人がいなかったら僕が結婚したこの奥さんは生まれていなかったし、もちろん僕が奥さんに出会うことも無かったんですよね。結婚自体してなかったかもしれない、漫画連載なんて事もできてなかったかもしれない(今できているのは奥さんのサポートがあってこそだと結構思ってる)。家の近くを散歩して何気ない風景を見て「面白いねえ」なんてなごやかに話すこともなかっただろうし、ダイビングだってやってみもしなかっただろうし、イルカと泳ぐことも、珊瑚礁の中を泳ぐこともなかっただろう。おばあさんがいなかったら、自分の今の幸せのかなりの部分が丸ごと全部無かったんだ。

そう思うと、奥さんのルーツにあたる人が88歳で今も生きていて「ありがとう」「おめでとう」を言えるというのはすごい事なんだなあと思えてきて、そういう事をメッセージカードに書いたのでした。

それで実際お会いした時に直接「ありがとう」と言えば良かったんだけど、お祝いの席では結構緊張してしまってそこまで気が回らなくて言えなかったので、次にお会いしたときに覚えていたら言っとこうと思います。

あとそういう感じでなんだか最近自分の親とか祖父とかにも今更なんだけど感謝だったり尊敬だったりという思いを感じるようになってきていて、最近になってやっと人間らしくなってきたのかなあ今までは文字通り薄情者だったのだなあということを思ったりもしています。自分が幸せだなあと心の底から思えるようになってないと周囲、特に親への感謝なんてできないものなのかなあ、とか。かつては「なんで幸せになれないんだ」という感じの妬み嫉みだったりムカツキだったりが強くあって、それから現実を受容して無心の境地を経て、やっと感謝の気持ちに辿り着いたのかなあとか。というふうな書き方をしているとなんだか宗教体験っぽくてアレですね。

それと、親の介護がとか自分や奥さんが大怪我して介護が必要になってとか、そういう重大な問題に見舞われた時にも自分がそんな殊勝な気持ちを保っていられるのかどうかというのは未知の領域なので、どうにか殊勝な気持ちを保っていられるといいなあと思っていますという所で話を結んでおこうと思います。

Nexus 7とハードウェアキーボードの組み合わせを実用する - Jan 23, 2013

Nexus 7ポメラのように使ったらテキストの生産が妙に捗るようになったので、一部始終をメモしておこうと思います。

Nexus 7は昨年買ったんだけど、PerfectViewerで最強の自炊漫画ビューワーとして使ったり、Firefox for Android入れてデスクトップ環境とタブを共有して布団の中でダラダラとWebブラウズしたり、QuickPicで結婚式の時の写真を親族に見せたりと、基本的には情報を閲覧するだけの端末として使ってた。

というのも、当初は、これで出先(実家とか)でもノートPC代わりに使えないか?と思ってIRCクライアントとかSSHクライアントとかも試してみてたんだけど、文字入力がやりにくすぎて(フリック入力では速度が出ず、ローマ字入力でもキーピッチが小さすぎ&キー同士の区切りが感触で分からない&タイプした感覚が無い)、これは人差し指でポチポチ入力できる範囲以上のことはやるもんじゃない……と、早々に挫折してしまったわけです。

でもリビングでケータイ大喜利とか見てる時に、懲りずに「ちょっと次の号のシス管系女子の作業でも進めとこうかな……」と思ってみたりして(プロットを作ってコマ割り・セリフ割り・ページ割りを考える所まではテキストベースでやってます)、そうするとやっぱりストレスフルすぎたので、カッとなってMicrosoftのWedge Mobile Keyboard(U6R-00022)を買ってきた。(あとから同じハードウェアのパッケージ違いの法人向けモデルでちょっと安いやつ(U7R-00022)があるということを知って涙目になったけど、もう後の祭りだった……)

まともに使えるようになるまでにやった事あれこれ。

  • ハードウェアキーボードの刻印は日本語配列なのに記号を入力しようとすると英語配列として認識されてしまう。これは日本語106/109キーボードレイアウトというアプリをインストールして説明の通りに設定すると、無事に刻印通りの記号が入力されるようになった。
    • 後述のGoogle日本語入力が有効な状態だとこれを入れなくても日本語キーボードレイアウトとして動作するようになるという話も見かけたけど、Google日本語入力以外に切り替える事も無くはないので……
  • 日本語入力はiWnn(既定のIME)、ShimejiATOKお試し版Google日本語入力を一通り試して、Google日本語入力に落ち着いた。
    • ShimejiはハードウェアキーボードからのON/OFF切り替えができないようだったので論外。それまでは常用だったのに……
    • iWnnは当初は順調だったんだけど、上記のキーボードレイアウトをインストールしたところ、iWnnがONの時だけハードウェアキーボードの『「』を押したら『@』に、『」』が『「』に、『\』が『」』になる……という具合になぜかこの3つのキーだけズレて認識されるようになってしまった。
    • ATOKはハードウェアキーボードとの組み合わせではFirefoxのコンテンツ領域で全く動作しなかった。
    • Google日本語入力は、登場の背景とか思想とかがあんまり好きじゃないのでできれば使いたくなかった(だからほんとはATOKが一番使いたかった)んだけど、試した中ではハードウェアキーボードとFirefoxのコンテンツ領域の組み合わせで動作して且つキーレイアウトのズレも発生しないという唯一まともに動作する選択肢だったので、しょうがないからこれにした。
  • Firefoxが起動してる状態でハードウェアキーボードの電源をON/OFFしたり、Firefoxがアクティブな状態でキーボード上のESCキーを押したりすると、問答無用でFirefoxがクラッシュする(最後に閉じたタブ、の情報も失われてしまう)。なので、Firefox上では相当気をつけて使わないといけない(というか、恐ろしいから今もテキストエディタ上で入力して、後からFirefoxにコピペしてる)。

で、以下のように運用してる。

  • テキストファイルの編集はJota Text Editorを使ってる。設定の「入力設定」で「IMEの前にCTRLキーを処理する」にチェックを入れておかないと、Google日本語入力が有効になってる時にCtrl-Sなどのショートカットが機能しなかった。より高機能な有償版があるみたいだけど、とりあえずこれで今のところは使えてる。
  • ファイルはDropboxでデスクトップ環境と同期してる。Dropboxに置いてあるテキストファイルはJota Text Editorで直接開けて、上書き保存したら勝手にアップロードしてくれる。

このエントリのようにURIをたくさん集めてきてコピペするような使い方は正直きついけど、頭の中にある内容をひたすら入力してテキストファイルにするだけだったら、普段のデスクトップ環境でやってる時よりむしろ捗ってるくらいで、自分でびっくりしてる。ポメラのレビューで「テキスト入力以外のことができないから、集中して作業できる」みたいな話を見たことがある気がするけど、それと同じ理由かもしれない。Nexus 7がそうなのかAndroidがそうなのかは知らない(僕はNexus 7がAndroidの初常用体験なので)けど、タスクスイッチがいちいちめんどくさくて他のことに気が取られないせいで、結果的にポメラと同じような事になってるのかも……と思ってる。

しかもポメラと違って、テキスト入力してない時も漫画ビューワーやら何やらとして使えるわけで、無駄にならない。これは嬉しい。布団の中で横になってダラダラ見る時とか、キーボードはむしろいらないし。

ハードウェアキーボードの選択肢は、Nexus 7用という観点ではminisuitのやつも捨て難かったんだけど、小さかったし、英語配列なのが致命的に無理だと思って避けてしまった。Wedge Mobile Keyboardは日本語配列でキーピッチも大きく、タイピングしてる感じも悪くない(僕はMicrosoftのハードウェアには絶大な信頼を置いてます。デスクトップの方のマウスもMicrosoft製)。ポメラのような折り畳みはできないけど、実際長文を入力してるとファンクションキーとカーソルキーの操作以外は全く違和感がないので、大変満足してる。あとはminisuitのやつみたいにNexus 7本体をキーボードの端に引っかけて固定できたりなんかすれば、もう何も言うことは無いんだけどね……(なので、そういうマウントを自作してみようかなぁと思ってる。)

結婚しました - Jul 03, 2012

一部の方や会社では報告済みですが、結婚しました。お相手は一般人の女性です……というと芸能人っぽくてウケるかなと思いましたが寒いだけでした。ともかく、誰と結婚したのかという情報は諸事情により今の所完全公開にはしたくないというのが両名の意向ですので、両名をご存じの皆様方におかれましては、ブコメやらTweetやらで二人の名前を併記して「おめでとう」とウッカリ発言してしまわれることのないように、何卒ヨロシクお願い致します。


時間外受け付けに書類を提出して、ちゃんと受理されるかどうかドキドキハラハラだった(指輪に「婚姻届の提出日」ということで日付を入れてしまった以上、手続きやり直しなんて事になったら、後で指輪を見返した時に「この日付なんなの」ってなってしまう……)のですが、昼間に住民票を取りに行ったらちゃんと受理されてました。よかったです。

で、結婚にあたって姓を妻側にしたのですが、特に社会人になって以降は「下田」と呼ばれる機会よりも「ぴろたん」と呼ばれる機会の方が圧倒的に多かったため、いまいち実感が湧きません。早速免許の訂正の手続きに行ってみたら、窓口で新しい苗字で呼ばれて一瞬「あー誰か呼ばれてるな」って思ってしまいました。慣れるまで時間がかかりそうです。

ところで、姓を妻側にするというと婿入りなのかとかなんとか色々思われるようなのですが、単に姓が妻側になっただけで、それ以上のことは何も無いです。といっても知らない人にはよくわからないと思うので、姓を妻側に変更するとはどういう事なのか?を簡単に解説してみたいと思います。ポイントは以下の3点です。

  • 姓を妻側にする、とはどういう事なのか?
  • 姓を妻側にする事と、婿養子と、婿入りとはどう違うのか?
  • 本籍地はどこになるのか? どこにするべきなのか?

まず戸籍というのは、代表者にあたる筆頭者および他のメンバーからなる家族を1つのユニットとした単位で存在しています。大抵の場合は、両親+その子供というセットになっています。

(図:両家の戸籍)

さて、ここで下田家の長男と上田家の長女が結婚するとします。この時、新しいユニットが誕生することになって、それ用の戸籍が新たに作られます。新しく作成された戸籍には、各人のメタ情報として元の戸籍への参照が付与されます。また、古い戸籍にあるその人の情報には「除籍(この人の情報はこの戸籍ではもう管理されていない)」というタグが付き、新しい戸籍への参照が付与されます。

(図:新しい戸籍)

このようにして戸籍と戸籍が相互リンクされるため、例えば下田カズユキさんやヒロシ君が死んだ時には、遺産を相続できる人がどれだけいるんだ?という事を辿っていって調べられるわけです。

この時決めないといけないのが、新戸籍の「筆頭者」と「本籍地」の2点です。

筆頭者とは、文字通り、その戸籍の最初に名前が書かれてる人の事です。新戸籍に記載される人達の姓は、筆頭者の姓になります。つまり、夫の姓を名乗りたければ夫が筆頭者になるし、妻の姓を名乗りたければ妻が筆頭者になります。はい、僕の場合はそういうわけなので、戸籍上は妻が筆頭者になっています。

(図:新しい戸籍(妻が筆頭者))

新しく作る戸籍で誰の名前を最初に書くのかを決めなくてはならなくて、その時選んだ方の人の姓が、新戸籍に属してる人全員の姓になる。制度上は、ただそれだけ。「夫の姓になったんだから妻は夫の一族の一員になったのだ」とか、「妻の姓になったんだから夫は実家を捨てて妻の家に尽くさねばならないのだ」とか、言うのは勝手ですが、それは制度とは何も関係のない話だということです。

他方、婿養子の場合は、戸籍同士の関係がちょっと違います。

まずヒロシ君と上田アキオさんの養子縁組手続きをして、ヒロシ君が上田家の養子になります。この時、元の下田家の戸籍からはヒロシ君は除籍されます。

(図:ヒロシ君の養子縁組)

次に、ヒロシ君とヒロコさんで結婚して(※養子と実子は結婚できます)新しい戸籍を作ります。

(図:新しい戸籍)

この時、ヒロシ君は既に上田姓になっていますし、ヒロコさんも当然上田姓なので、どっちが筆頭者になっても新戸籍の姓は上田になります。よって、ヒロシ君はどっちみち、もう下田姓を名乗ることはできません。

ヒロシ君とアキオさんの間には養子・養父としての法的な親子関係もあります。なので、ヒロシ君にとってアキオさんは「義理の父」ではなく「養父」ということになります。「実子の配偶者」ではなく「養子」として、遺産の相続等、実子と同等の権利があるわけです。

これがいわゆる婿養子です。なお、実際には養子縁組と婚姻の手続きはどっちを先にやってもいいそうです。ここでは説明が簡単な方ということで、養子縁組後に婚姻する場合を説明しました。

婿入りというのは、これら制度上のやり取りとは関係のない慣習的な言葉です。かつての制度やしきたりを現在の制度に照らし合わせると、上記の「婿養子」に近いものを指していたっぽいです。ということで、僕が婿入りという言葉を使う時は、婿養子と同じ物を指していると思って下さい。(もっと言うと、「婿養子」も慣習的な言葉で、制度上はただの「妻の実家の養子になっている」という状態です)

ちなみに、法律の用語における入籍とは、上記の養子縁組手続きにおいて夫が妻の実家の戸籍に入る、あるいは妻が夫の実家の戸籍に入る事を言うそうです。なので、僕のケースは入籍にはあたらないわけです。「結婚」のもってまわった言い回しとして「入籍」を使うという風潮があります(この用法は俗語として一般的なので、最近は辞書にも載ってるみたいです……)が、そういうわけなので、僕は入籍という表現は意地でも使わないでおきます。

最後に、ここまであえて触れずにいましたが、本籍地についても説明します。

昔は戸籍と住民票が一体だったとかで、戸籍は住所ベースの管理になっていますが、戸籍と住民票が別々になっている現在では、本籍地とは単に「戸籍を管理する自治体がどこなのかを示す」という事以上の意味は無いそうです。居住地と無関係に決められるので、夫側実家と同じ本籍地にしてもいいし、妻側実家と同じにしてもいいし、千代田区1の1で皇居を本籍地にしてもいい(戸籍を取り寄せる時は千代田区の区役所に行く)し、スカイツリーでも屋久島でもなんでもオッケーです。

よく「本籍地はどっちかの実家と同じにしておいた方がいい」という話がありますが、これは、単に「管理する自治体が1箇所にまとまっていれば、手続きや戸籍の取り寄せがちょっとだけ楽になる」「本籍地が変わらない方の人は、本籍地が関係している登録を更新しなくて良い」というだけのことです。

仮に東京都E区の住所で新戸籍を作ったとすると、ヒロシ君が死んだ時は、東京都E区と鳥取県A市のそれぞれから戸籍を取り寄せることになりますし、ヒロコさんが死んだ場合、東京都E区と埼玉県C市の2箇所の自治体から戸籍を取り寄せることになります。これがニュートラルな状態です。

(図:2箇所に問い合わせないといけない)

埼玉県の上田家の本籍地と同じ本籍地で新戸籍を作った場合、ヒロコさんが現在属している戸籍と、過去に属していた戸籍は、2つとも埼玉県C市の役所が管理しています。なので、ヒロコさんが死んだ時であれば埼玉県C市の役所からだけ戸籍を取り寄せればOKです。でも、ヒロシ君が死んだ時は、埼玉県C市と鳥取県A市の両方から戸籍を取り寄せないといけません。二人のうち片方だけは楽になりますが、もう片方はニュートラルな状態と何ら変わりません。

(図:どちらか一方は、2箇所に問い合わせないといけないのは変わらない)

また、運転免許のように本籍地の情報がある登録情報は、本籍地が変わったら更新する必要があります。上記のように「上田家の本籍地と同じ本籍地に新戸籍を作った」場合、ヒロコさんは名前も本籍地も変わらないので免許は更新しないでオッケーです。それに対して、ヒロシ君の方は名前も本籍地も変わるので(どっちか一方だけ変わった場合もですが)免許を更新しないといけません。

僕の場合、夫側実家の本籍地で妻側の姓ってなんか違和感あるなーと思ったのと、妻側実家の本籍地で妻側の姓だとちょっと婿入りっぽ過ぎるかなーと思ったのと、いろんな意味でちゃんと独立したいなあ一人前になりたいなあという思いとで、心機一転するつもりで本籍地は敢えて既存のどちらでもない場所にしました。


どちらの実家も苗字については特に拘りは無い(家を継ぐとかそういうのは無い)ということだったので、姓については当人同士の意志でわりとすんなり決まりました。

というか、僕の元の苗字「下田」がぶっちゃけダサイというかショボいというか、敢えてこの苗字になろうという気が湧くようなものでもなく、僕自身苗字を変えられる物ならもっと格好いい苗字だったらよかったのに!と思っていたくらいだったし、妻さんにも「『下田』になるのはちょっと……」と言われてしまったしで、満場一致で妻側の姓という感じでした。

姓が変わることで色々大変なのかなーと思っていたのですが、実際なってみると、引っ越しとそれに伴う住所変更の時と気分はそんなに変わらないなあ……という感じです。事前にしなきゃいけない事なんて、元の戸籍を取り寄せて婚姻届の枠の中を埋めておくという事だけだったし。むしろ引っ越しより楽なくらいじゃないの?

元々、住所変更すら完璧にはこなしてなかった(郵便物の転送期限が過ぎて実家に連絡が行ってそれでやっと情報を更新したとかそんなのもあった)人間なので、結婚だからって気張って完璧に手続きを済ませられるわけがないのであります。なので、気がついた物からボチボチ名前を変えていこうと思っています。


……という風に思えるのは、戸籍上の名前イコール自分のアイデンティティ、という考え方をしていないからなのかもしれませんね。

僕は16で漫研に入った時にペンネームを決めて(先輩に決めてもらって)以降、13年間ずっと「Piro」の名義で色々な活動をしてきました。物心ついてから、という考え方をすれば「Piro」であった期間の方が長いくらいです。どっちかがシンボリックリンクでどっちかが本当の名前だ、というのではなく、どっちも等しくハードリンクという感覚だと思います。

よく「インターネットは仮想現実。ハンドルという仮名で、嘘の人格を装って交流する場所。そんなものにハマってないで、もっと現実を見ろ。」みたいな言い方をされるけれども、僕にとってはネットも現実の一部です。「現実」と、そこから切り離れた「非現実」があるのではなくて、ネットというインフラの上に「現実」が延長されている、そういう感じなので、僕はオフラインでもPiroという名前を使いますし、オンラインでも下田洋志という名前を使ってきました。名前毎に異なるペルソナを使い分ける、という事をしていない(つもり)のですよね。むしろ、ペルソナは名前よりも場(家だとか客先だとか)の方に結び付いている気がします。

名前が一つしか無かったら、名前が変わる事への抵抗はもっと強かったかもしれません。姓が変わった後でも変わらない、自分を自分でアイデンティファイする永続的な名前を持っていたから、それほど強い抵抗を感じずに済んだ、というのはやっぱりあるんじゃないかなと思います。それが良い事(制度に縛られない自由な感覚が養われたということ)なのか悪い事(伝統を蔑ろにすること、制度に順応「できていない」ということ、在る物に合わせるのを怠っているということ)なのかは分かりませんが。


以上、結婚のご報告でした。

自宅のPCから異音がするようになったのが直った - May 09, 2012

なんか先週末くらいから急に、カラカラカラというかシャッシャッシャッシャッというか、回転する物が何か別の物と当たったり擦れたりしてるような音がしだした。

寿命を迎えたPC用の冷却ファンによくある音だよな……と思って蓋開けて見てみて、CPUでもなければ筐体のでもないしということで、グラフィックカードのファンから音がしてるっぽいという事は分かった。

でもなんで急にそんな音がするようになったのか皆目見当も付かなくて、ホントに寿命なのかなーだったら困るなーと思いながら騙し騙し使ってたんだけど、一昨日あたりからカリカリいう音が絶えず出るようになっていかにもこれはヤバイという感じだったので、とりあえず電源落としてた。

今日になって、もしかして油さしたらよくなるかな?と思って潤滑油のスプレー(ノズルの先に細いストローみたいなのをさす奴)をプシュッとやってみたんだけど、部屋が油臭くなっただけで音は全然変わらなかった(擦れてる音がちょっとだけ、潤滑油のおかげか小さくなりはしたけど)。

こうなったらとことんやってやろうじゃないか、ということでまた蓋開けてグラフィックカード外してファンのとこを指でくるくる回してみたら、どうも出っ張ってる部品とかファンの周りのヒートシンク?とかに当たってるみたいで、なんで急にそんな風に当たるようになったんだろ……コンデンサが膨張してぶつかるようになったとかそういう事でもないみたいなんだけどなあ、とかなんとか思いながらヤスリで当たってたとこをゴリゴリ削り始めたところで、回転するファン自体の方に、なんか指で押すとぐにっと隙間ができてそれが広がる感じになってるとこがあるという事に気がついた。

そういう作りのものなのかなーと思ってたんだけど、ふとファンの真ん中の所にカバーみたいに貼ってあったシールをはがしてみたら、そういう作りなんじゃなくて、ヒビが入ってファンの半分が浮いてる状態になってるだけだったという事にやっと気がついた。半分は軸にくっついてて半分は軸からはがれてるという状態だったから、回転数が上がると遠心力で広がって周囲にぶつかったり、重力やら空力やらで歪んで電子部品にぶつかったりしてたみたいだった。ここに辿り着くまで1週間くらいかかってしまった……

割れたところを、軸にまで染み込まないように注意しながら瞬間接着剤を流し込んで補修したら、電源入れても擦れる音はしなくなった。やっぱりこれが原因で間違いなかった。

もうかれこれ5年くらい使ってる気がするけど、環境移行するのがめんどいのでまだまだ頑張ってもらいます。1回電源が逝ったのをわざわざ有償修理で直してもらったくらいだし……(DELLの通販で買ったマシンだから、明らかに新品買った方がコストパフォーマンス的にはいいはずだけど、それよりも同じ環境使える事の方が僕にとっては大事なのです。)

さくらのレンタルサーバでtmux - Nov 22, 2011

日経Linuxの連載(シス管系女子)でtmuxを紹介しようかなあと思ったんだけど、自分で使ってないと紹介のしようもないと思ったので、さくらのレンタルサーバ(共用サーバなのでsudoとかは使えない)にtmuxを入れてみる事にした。

以前にGNU screenを入れた時は、ソースからビルドした物を ~/opt/screen 以下に入れたので、それと同じように ~/opt/tmux 以下に入れようと思ったんだけど、ちょっと検索してみた限りだと前回みたいにそのものずばりの手順の情報がなかったので、前回の手順を見返しながら見よう見まねでやってみる事にした。

libeventのインストール

まずtmuxをビルドしてみようとしたんだけど、

checking for library containing event_init... no
configure: error: "libevent not found"

とか言われて ./configure が止まってしまった。メッセージを見ると、ライブラリ(libevent)が無いって言われてるので、まずはそっちの方からインストールした。

  1. ソースをダウンロードする。
    $ mkdir ~/tmp
    $ cd ~/tmp
    $ wget http://downloads.sourceforge.net/project/levent/libevent/libevent-2.0/libevent-2.0.16-stable.tar.gz
  2. 展開する。
    $ tar zxvf libevent-2.0.16-stable.tar.gz 
    $ cd libevent-2.0.16-stable
  3. configureしてmakeしてinstallする。
    $ ./configure --prefix=$HOME/opt/libevent
    $ make && make install
    インストール先としてhome以下を指定すること。

tmuxのインストール

次に本番のtmux。

  1. ソースをダウンロードする。
    $ cd ~/tmp
    $ wget http://downloads.sourceforge.net/project/tmux/tmux/tmux-1.5/tmux-1.5.tar.gz
  2. 展開する。
    $ tar zxvf tmux-1.5.tar.gz
    $ cd tmux-1.5
  3. configureする。
    $ DIR="$HOME/opt/libevent/"
    $ ./configure CFLAGS="-I$DIR/include" LDFLAGS="-L$DIR/lib" --prefix=$HOME/opt/tmux
    インストール先としてhome以下を指定するのに加えて、さっきインストールしたlibeventを使うための指定が必要。ソースからtmuxをビルドしたいんだけど?という質問に対する回答の中にそういう例があったので、そのまま引き写した。
  4. インストールする。
    $ make
    $ make install

ちゃんとインストールできたか、試しに動かしてみる。ライブラリのパスを明示的に指定しないといけない事に注意が必要。

$ env LD_LIBRARY_PATH=~/opt/libevent/lib ~/opt/tmux/bin/tmux

動いていれば成功してる。

ただ、このままだと毎回tmuxを起動する度にlibeventのパスを指定しないといけないので、僕は.bashrcに以下の内容を書き加えて、「tmux」とだけ入力すればtmuxを起動できるようにした。

alias tmux='env LD_LIBRARY_PATH=~/opt/libevent/lib ~/opt/tmux/bin/tmux'

結果

見よう見まねで上記の通りやってみたところ、どうやら動いてくれた。

GNU screenの時は使ってるとBackspaceが変になったりしていまいち動作が怪しかったんだけど、tmuxだとどうだろう。今のところまだその現象は起こってないようなんだけど。

三宅島に行ってきた(三宅島を去るまで編) - Oct 09, 2011

ちょっと立て込んでいて間が開いてしまいましたが、三宅島の話の続きですよ。

ダイビングを終えて、ホテル海楽に立ち寄りそこでシャワーを借りて(という事も海猿隊の方が交渉して下さいました。お世話になりっぱなしでした……)軽く塩水を流した後は、ホテルで貸していただいた車でちょっとだけ島の観光地を見て回りました。ここまでずっと移動は海猿隊の方に車で送り迎えしてもらってたので、島に着いてから初めての自由行動です。

シャワーを借りたものの、湯船に浸かれたわけではなかったので、ここはひとつ温泉にでも入っていきたい所です。が、目を付けてた温泉は開くのが11時からということで(この時まだ10時過ぎくらいですよ! 朝の!)、それまで他の所で時間を潰さないといけません。

ということで、それまでの待ち時間はちょっと遠目のスポットに行っておこうということで、彼女の希望で大路池のほとりのアカコッコ館という施設にまず向かいました(アカコッコとは、三宅島を含む伊豆諸島にしかいない固有種の鳥で、国の天然記念物にもなっている絶滅危惧種だそうです)。

アカコッコ館はバードウォッチングのための設備がある他に、ちょっとした展示で三宅島の環境や噴火の話が書かれたパネルが色々置いてありました。2000年の噴火で全島避難になってしまい、2005年にやっと住人が島に戻ってこれるようになった……という話は恥ずかしながら僕は全然知らなかったので、そこからの復興の話とか、5年間の間に変わってしまった自然環境の話とか、興味深く読ませてもらいました。あと、スタッフの人が色々教えて下さって、伊豆諸島にしかいないという固有種のメジロを凄く間近に見る事もできました。時間があまりなかったのでゆっくりできなかったのですが、時間があるときだったら、もっと長い事待って野鳥をじっくり見たり大路池の周りを散歩したりしたかった所です。残念。

あと、ここでは旅の思い出にとご当地キューピーのアカコッコキューピーを買ったのですが、帰宅後にケータイに付けてたら速攻でクチバシが取れてしまいました……

アカコッコ館の次はご飯です。朝が早かったので、昼におなかが減るのも早いのです。しかしご飯所と言っても海猿隊の方曰くそんなに選べるほど店があるわけでもないそうで、無難に観光地の食事処っぽいふるさと味覚館に行くことにしました。目星を付けてた温泉というのはここに併設されてる物だということと、すぐ近くに溶岩に飲み込まれた町の跡があってそこも見に行きたかったというのも、ここに行く事にした理由です。

ここではデザートにアシタバアイス(多分アシタバの粉末が練り込まれてる?)というのを食べたのですが、551のあずきアイスを彷彿とさせるような、ちょっぴりビターでコクのある味がおいしかったです。これはまた食べたいと普通に思いました。池袋のナンジャタウンの中に日本各地のご当地アイスクリームを集めたセクションがあったと思いますが、あそこに入ってないですかねぇ?

で、食べた後に温泉に入ろうと最初は思ってたんですが、気がついたら結構時間が経ってて、これだと船の時間までに間に合わせようと思ったら他の所を見れない!!と思ったので、残念でしたが温泉はスルーして次のスポット(溶岩に飲み込まれた町)を見に行きました。

ふるさと味覚館を過ぎてさらに先に進むと、1983年の噴火(この時は死者0人だったそうです。すごいね。)の時に溶岩の下に町が飲み込まれたという一帯がありました。海岸沿いは溶岩が冷えて固まってできた崖?になっていて、石が細かい穴だらけで、歩いてるときに石同士がぶつかると高い音がしてた気がします。で、さらに先に進むと、溶岩に半分埋もれたままになってる昔の小中学校の校舎が見えてきました。

溶岩の崖。

溶岩に埋まった中学校。 手前にある階段状の物はプール脇に設置された観覧席だったそうですが、完成後すぐに噴火で学校が溶岩に飲み込まれてしまって、実際に使われたのは1回だけだったそうです。

実は島の観光地をちょっと調べたときから僕はここを見たかったので、非常にwktkでした。近寄って見てもこれはほんとに圧巻で、いやあ、なんつうか、これは見に行った甲斐がありました。滅多に見れるものではないと思うので、三宅島に行ったら1回は見に行くといいと思います。

屋上側から見た所。 こっち側は溶岩で埋まってて(校舎で溶岩が堰き止められた感じ?)、遊歩道を歩いて行くと、埋まった校舎を屋上側からすぐ近くで見れました。

校舎の中も見えました。 いかにも廃墟ですね。

体育館。 鉄骨が熱でひん曲がってます。

体育館の横には小学校の校舎もあって、こっちも溶岩に半分埋まってました。 これは小学校の方の教室。手前の黒いのは、崩落防止のビニールか何かでしょうか。

中学校の校舎の脇に駐車場がありましたが、横を見るとこのように半壊した校舎の一部が覗いていました…… 最低でも2階くらいの高さはあると思うので、溶岩の層の厚さが窺い知れますね。

もう少し行った所には、溶岩に潰された自動車の跡というのもありました。 が、見てもどこが自動車なんだかよくわかりませんでした。

溶岩に埋まった自動車があるあたりから、溶岩に埋まった校舎のある方向を見下ろした所。 黒い所一帯が全部溶岩で、この下に町が丸ごと埋まってるんですねぇ。恐ろしい。

自然の脅威というやつを目の当たりにした所で、そろそろ車を返さなきゃいけない時間になってしまったので、ホテルに戻って車を返した……という所で、受け付けの所にダンボール箱があって「ご自由にお取り下さい」と書いてあって何かと思って見てみたらアシタバ(生)でした。三宅島ってどこもアシタバばっかりなのか……?!

三宅島には港がいくつかあるのですが、天候やら何やらで竹芝行きの定期便はどの港に着くのかが変わるのだそうです。で、この日はホテル海楽の目の前の港に着く事になるらしいという事を事前に聞いていて、実際その通りだったので、ホテルから港へは余裕で徒歩で行く事ができました。

その途中にある土産物屋で土産物を物色していると、他のお客が「船が燃えてる」とかなんとか騒いでて、外に出て海の方を見てみると確かになんだか煙が上がってます。まさか帰りの船じゃないよね?と思って買い物を終えてから港の待合所に行ったら、ほとんど時間ピッタリなのに、なんとまだ船には乗れないと。他の乗客が話しているのが聞こえてきた所によると、炎上したのは漁船で、その消火活動のために僕らが乗る予定の船も駆り出された……という事のようでした。なんだ、こうなる事が分かってたら温泉に浸かってから来ればよかった、というのは完全に後の祭り。ひょっとしてこのまま出航が遅れたら竹芝着く頃には終電終わってるとかいう事になったりせんかなあ、それは困るなあ……と思ってましたが、ちょっと待たされたものの無事明るいうちに乗船・出港することができました。よかった。

帰りの船では最初から2等座席を取ってあったので、くつろいで帰れました。しかし2等船室からは外が見えないので、ずっと座ってても結構辛い物があるんですよね。深夜の行きの便なら後はもう寝るくらいしかやる事がないから別にいいけど、帰りはめっちゃ昼間から乗ったからそうもいかないし。で、あまりにヒマすぎてトランプで時間を潰したりしようとしてみたんですが、大体すぐに飽きてしまって、食堂行ったり外に出てみたりウロウロしてました。日曜ではなく土曜の帰りの便だったからか、人の数は行きの便に比べて少なかったです。行きでは見かけた、外でテント張ってる人とか鍋を囲んでる人達とかも、この時は全く見かけませんでした。連休最終日となる日曜の帰りの便に乗ってたら、きっともっとすごい事になってたんでしょうねぇ(そもそもチケット取れなかったので、そこからもう推して知るべし)。

そんなこんなで数時間後に竹芝に到着して、余裕で終電前だったので無事に家まで帰り着く事ができました。

総括すると、イルカは見れませんでしたが、ダイビング体験はとても面白かったですし、島の観光ももっと時間取ってゆっくりしたかったし、三宅島また行きたいです。イルカ主目的だったら御蔵島の方に直接行ってもいいみたいですが、三宅島以上に行くのが大変(船が出てくれないとか着いても揚がれないとか)らしいのが悩み所です。伊豆諸島の他の島も面白いらしいし、小笠原諸島(伊豆諸島よりもっと南)まで行くと本土ではシーズンオフでも向こうではまだ海に入れたりするらしいし、クジラも見れるらしいし、東京都内の海でまた楽しみたい!!!と思いました。以上。

三宅島に行ってきた(三宅島でダイビング体験編) - Sep 30, 2011

船酔い地獄の次の日は、朝から体験ダイビングをやって、昼過ぎの船で東京に帰る(到着は深夜)というスケジュールでした。

ところで、三宅島は車があればすぐに島全体を一周できるくらいの大きさではあるけれども、各スポットがかなり離れているので、徒歩であちこち歩き回るのはさすがに無理です。それに、島内はバスが走ってるんだけど、三宅島1日目の夜になってから知ったのですが、その宿の最寄りのバス停の最終時刻はなんと17時台(ということは、どこに行くにせよ17時頃には帰ってこないといけない)。なのでレンタカーか何かがないとどうにもならない。この辺は、普通に車社会な田舎と同じですね。

が、直前までスケジュールが確定できなくてバタバタしてたせいでレンタカーを予約しそびれてしまってて、島に着いてから問い合わせたらもう全部予約で一杯だと言われてしまいました。これは痛い。

……という事を海猿隊の方に送迎してもらう時の車中で話していたら、提携してるホテルに連絡して下さって、ホテルのレンタカーを貸してもらえる事になったのです。言ってみるもんだね! というか、これに限らず海猿隊さんには柔軟に対処してもらえすぎて超助かりました。(宿もそう。海猿隊は提携先のホテル海楽に宿泊する前提でドルフィンスイムとかのプランを提供してるんだけど、彼女が問い合わせた時にはすでにホテルがどこも満室で、それで海猿隊の方で民宿(海猿隊のショップのすぐ近くにある、つくばという民宿でした)を手配してくれて、宿に困らず三宅島で寝泊まりすることができた。ありがたい。)

そういうわけで、体験ダイビングが終わったら車でどっか行くという事で、宿は朝の時点でチェックアウトする予定になってました。そしたら朝食の時に宿のおかみさんが御土産にと生のアシタバ2束を持たせてくれまして(スーパーで売ってるホウレン草みたいな感じをイメージして下さい)。宿で出た食事もアシタバの天ぷらがあったり刺身の下に敷いてあるのがアシタバだったりという具合で何かとアシタバが出てきてた(アシタバは三宅島の特産品の1つなんだそうです)ので、土産にまでアシタバ!と、彼女と二人で笑ってしまいました。ちなみにこのアシタバは帰ってから茹でてあく抜きをした後、炊き込みご飯に入れたりシーチキンと混ぜて醤油を加えて和え物にしたりして食べてますが、まだあります。あとどうやって食べようか……

アシタバの話は置いといていいかげんにダイビングの話をしましょう。

ダイビングは、扱いに注意が必要な機材を色々使うのと、潜るという行為の中で色々と注意が必要なのとで、素人がさっと行ってさっと潜るという訳にはいかないようです。講習を受けて認定証(いわゆるライセンス)を取得しないと、ショップに行っても門前払いなんだそうです。しかしディスカバーなんちゃらというプログラムに従ってインストラクターの指示に従う形でちょこっと潜るのであれば、ライセンスがなくてもダイビングできるのだそうです。なので、この日はそのコースでちょっとだけ潜らせてもらいました。

前日の船酔いゲロゲロで、小型船はもう勘弁して!!!!という事で怯えてたんだけど、何のことはない、前日午前中の練習の時と同じ港でやるのだとの事でした。安心した。

ハンドサインのおさらいをして車で出発し、港に着いたら今度は実際の装備を見ながら「このボタンは押しちゃダメ」という話を色々聞いてから、いよいよフル装備になりました。そこで初めてダイビングのフル装備を体験したんですが、空気ボンベの重い事重い事……しゃがんでいる所にインストラクターさんに背中から背負わせてもらってそこから立ち上がろうとするのですが、人一人背負ってるような重さでフラフラしてしまい、彼女に至っては本気で立ち上がれない様子でした。海に入ったら気にならなくなるんだろうなあと思うと同時に、その後揚がる時がまた辛そうだなあとも思うわけで、やっぱりダイビングも体力勝負なのですね。

海に入る時はハシゴに捕まりながらちょっとずつ潜っていったのですが、途中で何度も耳が痛くなって、その都度耳抜き(水圧で鼓膜が耳の内側の方に押し込まれて痛くなってくるのに対して、鼻をつまんで息を勢いよく吹こうとする事で内耳の気圧を高くして押し込まれた鼓膜を元に戻す事)を試みたもののどうもうまくいかなくて、水底に着いてもしばらくパニックになってしまいました。事前に聞いてても、これは非常に焦ります。

でも、ちょっとずつ耳の痛いのが楽になってきた(耳抜きに成功したのか、耳の中に水が入ってきてしまったのかわかんないけど)のと、シュノーケリングの時と違って水中でも深呼吸できる(ダイビングでは残圧を気にしないといけないけど、今回の体験ダイビングだと潜ってる間に空気が切れる事は絶対無い、もしそんな事になったらインストラクターとして大問題になってしまうくらいだ、と事前に聞いていたので安心して空気を吸えた)という事から、だんだん焦りがなくなってきてリラックスできるようになってきました。

そうなると周囲を見回したりする余裕も出てきて、普通に息ができる状態なのに、体が軽くてちょっと一かき一蹴りすれば上に行ったり下に行ったり前に進んだりどこにでも行けるという自由さがあって、だんだん愉快になってくるんですね。僕は平泳ぎで空を泳いで飛ぶ(?)という夢をよく見るのですが、まさにそれと同じ。「空を泳ぐ夢」では当然自由に息ができるわけで、それに対して普通に水の中で泳ぐと息が苦しいわけで、泳ぎつつ息ができるというのは、初めてのはずなのによく知った感覚だなあ……と思ってしまいました。現実なのに夢の中みたいで、すげー面白かったです。

これは彼女が撮った写真。手前が僕で、奥がインストラクターさんです。

いやもうほんと何度でも書くけど、安心して息ができるって大事ですよ。焦ったり不安になったり痛かったりしても、深呼吸したらちょっと落ち着くじゃないですか。前日のシュノーケリング練習でも、疲れて水面に仰向けでぷかぷか浮いて休憩しましたが、波が顔にかかると息ができなくなるという恐怖であんまり安心できませんでした。でもこの日はレギュレーターを咥えてる限りは全然楽に息ができた(噛むとスプレーみたいに空気が吹き出してくるとかそんな感じなのかなー、だったら呼吸するのに練習がいりそうだなー、と不安に思ってましたが、そんなことは全然無くて、普通に咥えて息を吸ったら空気が出てきて吐けば泡になって出ていくので、地上で息をするのと全く同じ感覚なのです)ので、ほんとにリラックスできてました。

インストラクターさんの案内で水底を移動すると、水族館やテレビでしか見た事ないような鮮やかな色の魚が色々泳いでて、「おおおほんまもんやー!!!」とテンション上がりまくりました。昨日は見れなかったけど底の方はこんな風になってたのか! 港の底ってもっと殺伐としてるもんかとばかり思ってましたよ。

これは水底にいた魚(名前忘れた)。右上に写ってる手はインストラクターさんの手です。

ところで、海の中の写真も記念に撮っておきたい!と思って使い捨てカメラの耐水の奴(ビックカメラに行ったら27枚撮りで980円で売られてたので、自分用と彼女用で2個買った。普通のデジカメを入れて使えるケースというのもあったけど、ダイビング用品を扱ってる店で見た時は何万円とか書いてあって目ん玉飛び出たので、今回は使い捨てカメラにした。)を持ってきていたので、ダイビング中は事ある毎にジーコジーコパシャリジーコジーコパシャリと撮りまくってました(このエントリに貼ってある写真は、それを現像したときに一緒にデータ化してもらった物)。でも帰ってきてから現像してみたら、ピンぼけだったりブレてたり見切れてたりと散々な写真ばっかりでした……でかいゴーグルかけてるからファインダーなんて覗いてらんねえよ!と横着したのが敗因だったようです。あと、底が砂地で舞い上がった砂でちょっと水が濁ってたからか、あんまり遠くのものはちゃんと写らないっぽい。次やるときはそこの所に気をつけておきたいです。

そんな感じでしばらく水底を泳いで散歩したあと、最後にインストラクターさんの持ってたデジカメで記念写真を撮ってもらって、誘導されながら一人ずつハシゴに捕まって海から揚がりました。

水から揚がろうとする彼女(奥)とインストラクターさん(手前)。このくらいの距離なら綺麗に撮れてるんだけど。

この時、案の定ですが水から揚がった途端に背中が激重で、ハシゴを昇るのにも結構難儀しました。何分くらい潜ってたのかは分かりませんでしたがほんとにあっという間に終わってしまって、非常に名残惜しかったです。もっと長く潜ってたいし、もっと色々見て回りたかったし……いつかちゃんとライセンスを取ってもっとダイビングを楽しみたいなー、と思った1日なのでした。

……って、まだ終わってないです。朝8時30分に集合して10時台にダイビング終わって、まだまだ全然朝なんですよ(日程が1日短くなってしまったのでちょっと観光する時間を取りたい、と相談したら体験ダイビングの時間を早めに設定してもらえて、それでこうなった)。ここから島を去るまでの間の話はまた次のエントリに書く事にします。

三宅島に行ってきた(三宅島に着いてから編) - Sep 26, 2011

なんやかやあって、23日の早朝に三宅島に上陸できたわけです。三宅島行きは「条件付き出航」扱いで、船が出てても接岸できなければ三宅島を素通りしていた所だったそうなので、運が良かったですよほんと。

1日目の予定はドルフィンスイムというやつで、つまりイルカと遊ぼう的なアレです。三宅島から少し離れた所にある御蔵島周辺には野生のイルカがいるそうで、船でそこまで行ってシュノーケリングで泳ぐという寸法です。

上陸してから海猿隊の方に車で宿まで送っていただいて、仮眠取って朝食いただいて、水着に着替えた頃にまた迎えに来てもらって、下船したのと同じ港でシュノーケリングの練習をやりました。

この時の装備はウェットスーツに足ヒレとシュノーケルとマスク(ちなみにこの時僕が借りたマスクは度付きの物でした。目が悪い人は使い捨てのコンタクトレンズを使うかこういう物を使う必要があります。眼鏡かけた上からマスクをかぶる事は残念だけどできない。)というもので、まずはこれに慣れないといけないのです。イルカは水面近くに上がってくる事もあるけれども、深い所を泳いでいる事も多いので、この装備で深く潜る練習をしないといけないんですね。

それでちょっとやってみたんですが、全然うまくいかないの。あれ、僕ってこんなに泳ぐの下手だったっけ?!みたいな。自分で驚いた。まあ泳いだのなんて下手したら10年単位ぶりかもだから当たり前といえば当たり前かもなんだけど。それに、息が自由にできない事、息が荒くなってしまって焦れば焦るほど水が口の中に入ってくる事、その水がしょっぱい事、ウェットスーツが体を締め付けてきて苦しい事、疲れてシュノーケル付けたまま水面に仰向けで浮いて息をしようとしたら海水を思いっきり吸ってしまった事、水面下が(前日まで台風だったからか)濁りまくってて全く前が見えなかった事、いろんな事が一気にストレスになってパニックになってしまいました。その状態で潜る練習もちょっとやろうとしてみたんですが、水底が全く見えない所で真下に潜ろうとすると怖くて及び腰になってしまってすぐにくるんと横に回ってしまって、そんな事を繰り返してるうちにだんだん目がぐるぐる回ってきてしまったので、途中で上がって横になって倒れてました。波酔いというか海酔いというか、そういうやつになってしまったらしいです。

一緒に練習していた彼女によると、後半は水も澄んできて結構底の方の魚(クマノミとかいたらしい)も見れたらしいのですが、僕はその後結局一度も水の中に戻れずじまいでした。

昼前に一旦海猿隊のショップまで引き揚げて、お昼の弁当を食べた後ちょっと休憩して、いよいよ本番のドルフィンスイムに向かう事になります。僕はこの時一応酔い止めの薬(トラベルミン)を飲んでいきました。

御蔵島までは小型の漁船に乗せてもらうという事で、練習したのとは別の港から出発。

で、港を出たあたりから、もう揺れが凄いんですよホントに。前日にジョイポリスで乗ったアトラクションより怖いんじゃないのってくらいに、激しいアップダウンで揺さぶられる事小一時間。最初の頃は「うひょー!」とか言ってられる余裕もありましたが、座ってる位置が悪かったのか波がばんばんかかってきて前も見えないし息もできないし、相変わらず揺れは続いてるしで、だんだん口数も少なくなっていって。

御蔵島の近くに着いて一旦停まった時には、一緒に参加してた男の人が海にゲーゲー吐いてました。僕もハンパなく気分が悪くなってしまったので横にならせてもらおうと思ったのですが、船の前の方だとみんなが乗り降りするから邪魔になると言われてしまったので、なんとかヨロヨロと後ろの方まで伝って歩いて行ってそこでぶっ倒れ。

その後はもう地獄というか悪夢というか酷い物でした。基本的に、イルカがいる所を船長かインストラクターの人が見つけたら船でそこに向かってみんなで海に入って、イルカが移動してしまったらまた船に戻って次のポイントに移動して、という事の繰り返しなのですが、その度にまた船がぐわんぐわん揺れるわけですよ。横になってるとかもう関係無い。上に下に右に左に断続的に揺すられて、停まってもエンジンのアイドリングで小刻みに揺すられ続けて、結局僕も人知れず船の後ろの方でゲロゲロ吐いてました。

あと辛かったのが寒さ。船が動く度に、風が吹いてくる度に、波飛沫で濡れた体が冷える事冷える事。体がこわばってガタガタ震えて、かといって水の中に入る元気もなく(水温が高めだったからむしろ海に入ってた方が暖かい。でも海に入るためには、倒れてる場所から船の前まで移動してブーツ履いたり足ヒレ付けたりシュノーケル付けたりしないといけない。そして立ち上がったらそれだけでゲロっちゃう)、せめて暖を取りたくて持ってきてたバスタオル等を取りに行きたくても、停まったと思ったらまたすぐ次のポイントに向かって方向転換・発進で立ち上がれず、そんなこんなで寒さに震えながら時折耐え難い吐き気が来た時だけ上体起こして船縁に抱きついてゲーゲーやってました。吐いた物が鼻の方にも入ってそっちから出てきたりもして、自分の吐いた物の臭いと潮の匂いが混ざってなんかよくわかんない臭いがずっとしてました。

そうこうしてるうちに、エンジンが止まって静かになったのを感じました。ドルフィンスイムの時間の終わりです。同行してた人達が戻ってきて、船が停まったのをこれ幸いとヨロヨロ歩いてバスタオルやジーンズ(これも飛沫をかぶっててびしょ濡れでしたが)を回収して、また後ろに戻って倒れてそれらを布団代わりにガタガタやりながら、また帰りの小一時間を堪えてしました。が、その道中も堪えきれずにまた1~2回は吐いたかもしれません。

永遠とも思えるような時間が過ぎた後、気がついたらエンジン音が停まっていて、船が港に着いていました。やっと降りられる……と思って立ち上がったら、またこみ上げてきてゲロゲロゲロ。結局昼に食べたものはこの時までで全部吐いてしまった気がします。下船後もしばらく体調が戻らなくて、僕だけ港のコンクリの上でしばらく横になってました。

うん。もうね、イルカどころじゃなかった。魚に餌をやりに行っただけだった。水面から出る背びれ、を見る事すらできなかった。

唯一の救いは、彼女の方は僕みたいな事にはならずにちゃんとイルカと遊べたらしいということでしょうか。

後で聞いた所によると、こんなに揺れたのは台風の後でまだ波が高かったからで、普段はここまで酷い事にはなってないんだそうです。この時はよっぽど酷かったようで、僕も含めて4人くらいダウンしてたみたいです。ただ、インストラクターの人曰く、こういうタイミングというのは長い間ずっと人が来ていなかったせいでイルカの方が人間を待ち焦がれていて普段よりずっとイルカと出会いやすいというメリットもあるのだそうで(その逆に、人の多い時期はイルカが人と遊び飽きて全然寄ってきてくれないということもあるそうです)、波に耐えられさえすれば絶好のドルフィンスイム日和とも言えるのだそうです。究極の選択ですね。

あと、これも後で聞いた話ですが、トラベルミンは酔い止めの中でもあんまり効かない方だそうで、ダイバーの人は大抵アネロンという薬を使っているのだそうです。成分が違うのか効力が強いのか、他の薬では効かなかった人でもこれなら一発だそうです。次に行く時は僕もアネロンを使ってみようと思います。

港で横になってたらやっと起き上がれそうになってきたので、車に乗せてもらってショップに戻って、ウェットスーツ等を脱いでまた宿まで送り届けてもらいました。

宿に着いた後は夕食の時間まで宿でぶっ倒れてて、ご飯の時間になってなんとかそれを食べて、またぶっ倒れて、気がついたらもう夜も遅くでした。レンタカー借りれなかったからどこにも行けないやというのもあったとはいえ、仮にレンタカー借りれてもとてもじゃないけど他の所になんて行ける状態ではありませんでしたね。

その後、みんなが寝静まった民宿の風呂にこっそり入って、風呂あがりにちょっと宿の周りを散歩してみようとして、明かりが全然なくて怖すぎて逃げ帰ってきて、就寝して、三宅島での1日目が終わりました。

これだけだとあんまりにあんまりなので、彼女が撮ってくれたドルフィンスイムの時の写真を最後に何枚か貼ってお茶を濁してみます。

1枚目。彼女は間近でイルカを見れたそうです。羨ましい!!!

2枚目。水底にいるイルカ。御蔵島の近くは水が青くて、底は岩場になってたそうです。

3枚目。水面近くを泳ぐイルカ。

4枚目。なんか魚の群れ。すごいよく撮れてるなー。

2日目の事はまた次のエントリに書こうと思います。

三宅島に行ってきた(三宅島に行くまで編) - Sep 25, 2011

2泊3日で行くはずだったのが1泊2日になったけど三宅島に行ってきましてん。

事の起こりは9月上旬、「海に行きたい!」と彼女が言った事でした。

例によって毎年8月上旬はコミケのために時間が潰れ、お盆を過ぎると一般的にはクラゲうじゃうじゃになってしまって海水浴なんかできないんじゃないのという感じで(思い込みならすみません)、今年も海だの何だのは無しだったなあ……と思っていた所での急な話だったので、正直「えっ、今から行くの?」と思ってしまったのは事実です。が、彼女の調べによると例えば三宅島ではダイビングとかシュノーケリングとかは余裕でシーズン中だそうで、その中にはイルカと一緒に泳いで遊ぼうというプランもあるそうで、そういう事ならせっかくだから僕も相乗りさせて貰おうか……と思ったのです。シュノーケリングもダイビングもイルカも、僕が普通に生きてたら、やる機会なんてまず無かったでしょうからね。

それで全てのコーディネートを彼女に丸投げしたのですが、その時点で次の連休といえば9月後半の大型連休?となるわけで、当然そこには多くの人が詰めかけるわけで、まあ普通に予約が取れないわけですよ。特に船と宿。いくら泳ぎの方の予約が取れても、三宅島まで行けなかったり、行っても泊まる所が無かったりするのでは、意味が無いですよね。

東京から三宅島に行く船は、前日夜22時に出発して翌朝5時に到着するというスケジュールなので、22日発(連休は23から25なので)でまず船を探して貰ったのですが、これはもう見事に満席でした。でも1日前ならギリギリまだ予約が取れそうという事だったので、22日に有給休暇を取って21日の夜に出発し、船の中での泊まりを除いて2泊3日の24日帰還にしようという事になりました。

あと宿の方ですが、これは今回ダイビング等の面倒を見て貰う事にした海猿隊さんの方でどうにか手配して貰えて、民宿に泊まれる事になりました。海猿隊さんには今回の度の間中ずっとお世話になりっぱなしでした。ありがとうございます。

という事で後は当日を待つばかりとなっていたのですが、そこで来たのがあの台風15号ですよ。21日の夕方から夜にかけて首都圏を直撃したアレ。案の定、定期便の運行にも影響が出まくりで、21日夜の船は朝の時点でもう欠航が決まってしまいました。

「諦める?」という話もちょっと出はしたのですが、準備もしたし気分も盛り上がってきてるのに今更おあずけは無いよママン!!! 島に行きたいイルカ見たいダイビングしたい!!!! と僕がワガママを言いまして、急遽22日朝発の飛行機のチケットを取ってもらいました。しかしこれでもまだ安心できない。なんでも三宅島は(2000年の噴火以来)有毒ガスがずっと垂れ流しで、風向きによっては空港が使えなくなることもあってそういう時は飛行機が飛ばないらしいんですね。で、予報によると22日の風向きは見事に空港のあたりを直撃する事になってて、飛行機が飛ぶ確率は40%だとかなんとか。

なのでさらにもう1つ最終手段で、22日夜の船の「席無し」というチケットを取ってもらえました。これは、甲板でブラブラするとか通路にシート敷いて寝るとかそういう風にして船に乗る、映画や舞台でいう所の立ち見席みたいな物だそうです。でも22日の便ですら出てくれるかどうか、出ても三宅島に接岸できるかどうかが分からないということで(接岸できないとそのまま八丈島まで行って帰ってくるただのクルーズになってしまう)、もう全く安心ができない。

もうここまで来るとなんだか島に全力で「来るな!!! 絶対来るな!!!」と拒否られてるような気すらしてきて、悲しくなってしまいました。

さて。夜が明けて迎えた22日、航空会社のWebサイトで無情にも「欠航」の告知が為されている事を空港に向かう途中で知り(欠航になるかどうか決まるのが出発1時間前で、家を出るのはそれよりさらに前じゃないといけなかったから)、最後の頼みの綱の船までの10時間あまりをどうにか過ごさなくてはならない事になってしまいました。乗船場所が竹芝だったので、ゆりかもめで豊洲まで行ってららぽーとで買い物をしたり(シュノーケリングの時に着るパーカーを持ってなかったので僕はここで買いました)、引き返して船の科学館を見学してバブル時代の「未来の船」超伝導推進やら何やらを見てなんとも言えない気持ちを味わったり(船の科学館、9月30日で閉館なんですってね。初めて行ったのが閉館直前だったなんて、なんというタイミングなんでしょうか。ちなみに閉館までの間は大人でも入場料200円の激安価格です。)、ジョイポリスでホスト診断受けたりでかい蜘蛛を撃ったりゾンビを撃ったりアトラクションで乗り物酔いしたりして、なんだかんだでお台場を楽しんでから乗船しました。

船の中は結構混んでいて、通路上のイイ所は大体先に他の席無しの人に取られてしまっていたのですが、キャンセル待ちで1等客室に入れたので(その分お金はかかりましたが……)どうにか安心して横になって眠れました。他の席無しの人がどういう風にしてたかというのもちょっと見てましたが、船内の通路に陣取ってる人(床にシート敷いて寝る事を前提に、緩衝材のマットを持ち込んでる人すらいました)、デッキ上で輪になって鍋?を囲んでる人達、デッキ上にテントを立ててその中で寝てるらしい人など、色々あってすごいなーと思いました。

という所までが、三宅島に行くまでの話です。続きは次のエントリに書こうと思います。

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