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の動向はもえじら組ブログで。
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いやー、面白かったと思いますよ? これ以上ないほど。僕にとっては全く以て。ドキドキハラハラ楽しませてもらいました。何処にケチを付ければいいのか分からない。確かに後半のキラの冴えは前半より落ちてたように思いますが、それでも僕からしたらはるか彼方の雲の上での出来事みたいなもんだし。
思うに、このマンガのラストが気に入らないのは、頭の良い賢い人なんじゃないのかな。強いて言うなら、作者よりも、という意味で。「とんでもなく賢い連中が何やようわからん頭脳戦をやってる」、というのがこのマンガの面白さのキモだからこそ、それが失速して「自分より頭の悪い馬鹿が頭脳戦ごっこをやってる」という状況になった途端、つまらなくなるんじゃなかろうか。
デスノートを最後まで楽しめたあなた。あなたは馬鹿です。……という踏み絵になるのかもね。
どうしてこう、自分の中で決着を付けられないんだろう。八つ当たりしてしまうんだろう。醜い。カッコ悪い。歳不相応。幼稚すぎる。ダサすぎる。誰かに何か言いたくて仕方がない。優しくしてもらいたくて仕方がない。甘えたくて仕方がない。一人で納得できない。自分で自分を肯定できない。我慢ができない。当たり散らしたくて仕方がない。
大人なら、10秒もしないうちに自分の感情を完璧に分析し尽くして、1分もしないうちにそれを完璧にコントロールしきれて、それでナンボだろうに。僕と来たら、2時間3時間4時間かかってやっと自分の感情が見えてきて、しかし分析なんかできてもいないし、ましてや永遠にコントロールなんかできやしない。
何より最悪なのは、そうして現象だけに囚われて原因を解決しようともしない浅ましさ。「どうせ変えられない」と決めつける怠惰さ。一時の気休めのために、同じことをこれから先も延々繰り返すつもりなんだよこいつは。呆れ果てて物も言えませんね。
それで泣き疲れて寝るしかないなんて……
なんてお子様。なんて人間未満。
先週末、しぶやjsのテクニカルトークを見てきた。今回は一般の観客です。
いやぁ、どれもこれも興味深い話で感嘆するばかりでした。居眠りしてたのは寝不足のせいですが、それでイラレの話を聞き逃してしまったのは非常に残念でした。
話聞いてると改めて思うけれども、もうだいぶ前からJS界隈はすっかり「ライブラリを駆使して云々」な世界に切り替わっちゃってたんだなあ。僕なんかは全部自前であれこれやることに未だに引きずられてて、今ならライブラリいっこあれば誰でも簡単にできることを、自分は自分で実装してみたぜーというだけのレベルで喜んでたりする、ガキんちょなんだということが身にしみて分かる。僕はそんなレベルで満足しちゃってるけど、他の人は、そういうライブラリを使ってもっと高度なことにガンガン挑戦していて、僕はすっかり取り残されてしまった。
XULでもJSでもCSSでも何でもそう、ぼくはシーラカンスで進歩を止めてしまってる。否、シーラカンス止まりなのが僕なんだ。そこから先にはどうあがいても進めない、そこが僕のできる限界なんだ。そんな風に思った。
「ネット上の人格=自分」になってしまってるブロガーは 少し叩かれれば人格攻撃と受け止めて酷いダメージを被るけど ヲチャは違うからね。
「ガチでやってる奴カコワルイ」という価値観には虫唾が走る僕なのです。ユニークなハンドル、実名に基づいて発言・活動を行い、その延長で職を得ている、現実とネットがリニアに接続されている僕のような旧人類は、「ネットと現実の区別が付かないネット脳乙wwwwwww」と揶揄されるだけなのがオチなのだけど。
かつてチャラチャラやってて今技術者、という勝ち組な人から見たら、僕のように非モテ的精神が耳から目から鼻から尻から滲み出てるような卑屈で嫉妬深くて嫌みったらしい負け組人間は嫌悪の対象でしかないはずだ、毛虫のように嫌われているに違いない、と思っていたら、案外そうでもなかったらしい(先方からは、話してみたいと思われていた)という話について、友人が一言。
「会ったこともないような人を嫌えるような人だったら、多くの人に好感を持たれるチャラ男なんて、やってられないでしょ」
さもありなん。
会ったこともないような人を毛虫のように嫌うことのできる歪んだ精神性、そもそも自分の勘違いも知れないかもとか、今後変わってくれるかも知れないとか、そういう前向きな考え方ができないところ、そして、そうやって事前事前に自ら防衛戦を張り巡らしてコミュニケーションを取る機会を避けようとすることが、キモイのであって非モテ性の根源の一つなのであって、そういう人は救いようがないね。という話なのでした。
ubuntu Linux 入門キットという本が出るようですね。谷さんの日記で知った。「うぶんつたん描いてよ」とせっつかれてた頃のことを思い出すと、なんとも感慨深いです。
会社の健康診断の結果が出た。
いくらなんでも数値が異常じゃね?(←つまり病気なんじゃね?)
もう駄目かもわからんね。
(追記を整理してリライトした)
Mozilla/Firefoxのコミュニティは初心者に厳しいらしい。初心者の人、自称初心者の人、中級者の人あたりが、「だからMozillaはダメなんだ」といった感じの批判をしているのを目にすることがある。「過去ログ読め」や「FAQ見れ」だけで済まされるとか、ぶっきらぼうであるとか、丁寧さに欠けるとか、対応がお粗末だとか――とどのつまりは「自己責任」「自助努力」というのが徹底されてるということなんだけど、そういうのは確かに「お客様」気分の人には実に厳しい物だろう。では、なぜMozilla/Firefoxのコミュニティはそのような傾向があるのか、そうなるのか、その理由を考えてみた。
それって、Mozilla/Firefoxで商売してる・それで食ってるという人が極めて少ないせいなんじゃなかろうか。多くのMozilla支持者にとって、Mozillaは極論すればただの趣味・道楽で、ユーザが増えようが減ろうが彼らの現実の生活には何ら支障が無いからじゃなかろうか。言い換えれば、現在Mozilla/Firefoxを「支えている」人の多くには、Mozillaの世間での評判を良くしなくてはならないという切羽詰まった動機が無いのではなかろうか。
極端な事を言えば、真剣にMozilla/Firefoxのことを考えられるのは、それで食っていかなきゃならないという立場の人だけなんじゃないだろうか(Mozilla/Firefoxに献身的に尽くすことがアイデンティティになってるという人はさておく)。
そんな風に僕には思える。
JavaScriptで危険な事や妙ちきりんな事をしてみたい人のための覚え書き。一般的なユーザの立場の人はあんまり見ない方がいい話。興味本位で触ると痛い目を見かねない話。
今まで、Ubuntu BreezyにOOoの独自ビルドを入れて使ってたんだけど、Dapperにアップグレードした時か、それともubuntu-desktop-jaを改めてインストールした時か、どういうわけかOOoが独自ビルドもUbuntuのものも全く起動できなくなってしまった。
Synapticを使って独自ビルドの方のものを完全に削除したけれども、まだ動かない。Ubuntuの方のOOoを削除(依存してるubuntu-desktop-ja/ubuntu-desktopも同時に削除)して入れ直しても、まだ動かない。結局、独自ビルドのOOoとUbuntuのOOoの両方(依存しているubuntu-desktop-ja/ubuntu-desktopもだけど)とも、設定まで含めて完全に削除した上で、ubuntu-desktop-jaをインストールしたら、やっとDapperの標準構成でOOoを利用できるようになった。
焦ったよ……