たまに18歳未満の人や心臓の弱い人にはお勧めできない情報が含まれることもあるかもしれない、甘くなくて酸っぱくてしょっぱいチラシの裏。RSSによる簡単な更新情報を利用したりすると、ハッピーになるかも知れませんしそうでないかも知れません。
の動向はもえじら組ブログで。
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道を歩いてて反対側から歩いてきた人とすれ違いざまに肩がぶつかった時、僕は、せめて衝撃を受け流せるように(という理屈抜きでも、よける動きとして)お互い道を譲るような形で体を傾けるのが、常識的な態度だと思ってたんだけど。
AAで表現するとこんな感じ。
-○- / ↑/ -○- ↓ ↑ → ○ ○ → ↓ ↑ -○- /↓ / -○-
しかしこのあいだ新宿でぶつかった人(ビジネスマン)は
-○- ↑/ -○- ↓ ↑ → -○-○ → ↓ ↑ -○- ↓ / -○-
という感じでまっすぐそのままぶつかってきて避けるそぶりすら見せなかった。
これが首都というものか……恐ろしい所だ。
宇宙消失(グレッグ・イーガン 著/山岸 真 訳)(Amazon.co.jp)
西暦2067年、謎の巨大な漆黒の球「バブル」によって太陽系全体が包み込まれ外宇宙から隔離されて早33年。ナノマシンによる神経制御で生理的欲求や感情すらもコントロールできる時代、警察官崩れの私立探偵ニックの元に寄せられた奇妙な人捜しの依頼から、物語は始まる。ただの人捜しであったはずの依頼はいつの間にか、「バブル」誕生の真相に近づき、しまいには宇宙崩壊の危機にまで……という話。
面白い。ついつい止まらなくなって一気に読み終えてしまった。
後半で鍵になる波動関数とかシュレディンガーの猫の話は、読んでいて頭がこんがらがってくるけれども、可能性の拡散とリアルタイムで発生していくパラレルワールドの表現(南京錠の番号のエピソードで既にそれは表れているのだけれども、うっかりするとそのまま読み飛ばしてしまうかもしれない)は、今まで全然理解できなかった「量子のゆらぎ」「重ね合わせの状態」「量子コンピュータ」等の概念を、ストーリーを通じて上手く教えてくれているように思えた。
モテの数値化 「モテ係数」の算出方法で挙げられている式に基づいて計算してみました。式の説明と例題とを見比べてみて文言に曖昧なところがあったので、以下のように勝手に翻訳しました。
以下、「自分」を「甲」、「現在の交際相手/配偶者」を「乙」とする。
モテ係数 X = ((A × aD) × (B × bD) × 100) / ((C × cD) × (E - 14) × (F - 14))
自分の場合の計算結果:モテ係数 X = 0
現在交際相手がいない人は、B・C・cD・Fが存在しないので計算不可能。今の交際相手が初めての交際相手であるという人、自分が今の交際相手にとって初めての交際相手であるという人――二人以上と交際していない人が絡んだ時点で、式の後半を計算するまでもなく、モテ係数は0になる。ということが確定してるわけですね。
「男も女も交際相手くらいいて当たり前でしょ? お互い二人以上と交際してて当たり前でしょ?」と言われてるみたいでなんだか憂鬱になった。
鉛筆彫刻 Pencil Carving。すごいすごい。鉛筆の芯を残したり残さなかったりして、鉛筆で面白い形を色々作ってらっしゃる。
造形的美しさはそうでもない感じだけど、インパクトでボールジョイントが一番気に入った。
最近「ハルヒ」を見るようになって思ったことがいくつかある。
まず、アニメにおいて「綺麗な絵が動く」ということはただそれだけで価値あることなのだと思った。「絵よりもストーリーが大事」というのは負け惜しみでしかなくて、暴力的なまでに美しい映像はそれだけで他の要素を圧倒するものなのだと思った。エンディングのダンスやライブの映像はその中でも特に良質な部分で、これだけで商品として成立しうるとすら思う。ていうかCDよりもこのPVの方が欲しいんですけど?
もう一つ思ったのは、見逃したものを・そもそも放送地域などの関係で見れないものをオンデマンドで追いかけることができる環境があること(YouTubeのものは違法コンテンツだけれども、Gyaoとかで合法的に可能ならそっちの方が望ましいのは言うまでもない)は、この商品の売り上げに対して大きくプラスに働いているのではないかということ。深夜枠のアニメなんてのはそれなりに注意を払っているマニアでないとチェックできない。そのマニアの中でさらにコンテンツの購入にまで至る人というのは限られている。コンテンツを届ける母数を増やすことがコンテンツに対価を払う人の数を増やすことに繋がるのであれば、マーケティングに有効に利用できるのではないだろうか? 放送される・販売されるアニメコンテンツの絶対数がとんでもなく多くなっている現在、たった一度だけ見るためにDVDを買う馬鹿はいないし、レンタルで視聴するには時間がかかりすぎてその頃には市場が商品に対して興味を失ってしまっている、だから「リアルタイムなオンデマンド再放送」が必要であり且つ有効なのだ、という風な言説を、先のハルヒ12話に関する感想リンク集の中で見かけた気がする。
とぴあさん、さとうさん、haltさん、というと僕の中ではいずれも頭の切れまくる(キレやすい、ではない)凄い人達なのだけれども、彼らが皆「見たくない発言・ものをソフトウェアで自動的にフィルタリングして排除する派」であることを知って、ああやっぱりなと思った。
僕の場合、はてなブックマークやチャットのログ等は全てそのまま見ていて、不愉快になるようなものもそのまま見てしまって、それで結局時間を無駄にしてしまったりする。彼らがすごいと思うのは、そうなる前、目に飛び込んでくる前にフィルタでシャットアウトしてしまえるところだと僕には思える。
自身にとっての有害性を明確に把握する認識力、容赦なくそれを断つ決断力、そしてそれをシステムとして実現してしまう実行力。何となくダラダラで生きていては凄い人にはなれないのだなと思った。
「(´・ω・`)」のAAを僕はよく使う。チャット(IRC)でもメールでも。
それに対してとある友人から、自分(その友人)の発言がきっかけで落ち込まれてるみたいでいい気がしないと言われた。
確かにこのAA・顔文字には元々「しょぼーん」という言葉が結び付けられており、しょんぼりした様子を表すものであったようだ。しかし自分は特別にションボリしたときでなくてもこのAA・顔文字を使う傾向にある。
自分は無自覚にそのようなAA、顔文字を使っていたので、特にその人のせいで気分を害されたとかそういうことはないのだけれども、しかしこの件で改めて、自分の基本的態度がションボリしたものであること、平常時からしてダウナーであることを改めて認識するに至った次第なのです。
トラックバックスパムとコメントスパムがあまりに増えてきてウザいのでようやく重い腰を上げて対策してみた。今まで何もしてなかったのかよというツッコミは野暮なのでしないでください。
やったことはというと、blosxomのwritebackプラグインとトラックバック用のflavourに少し手を加えただけ。
トラックバックについては、トラックバック用flavourに適当な文字列を加えて、「(ベース文字列)の後にこれこれこういう計算の結果の値を繋げてNE!」と書いておく。うまくいけば、構文解析のできないプログラムと、この注意書きが読めない人、この計算ができない人からのトラックバックを防げるはずだ。
コメントについては、入力欄を一つ増やして、ここにも計算結果を書くようにしておく。これでやっぱり、構文解析のできないプログラムと、この注意書きが読めない人、この計算ができない人からのコメントを防げるはず。
計算式やパスワード(?)を随時変えられるようにしておいたので、パスワードを憶えられてしまったら、その時はまた変える。
最近ちょっと、「見ててムカつく」「自分を小馬鹿にしたような態度に思える」そんなブログをlivedoor Readerに登録して見てみている。なんでムカつくのか分からない、とにかく気にくわない、何かにつけて神経を逆撫でされるような感覚になる、そんなエントリばかりが連ねられていくブログを見てみたりしている。
それはべつに、マゾい理由ではなくて。僕はそこから何かを見付けたい、学び取りたい、その鏡に映し出される自分の本性を知りたいのかもしれない。何をされれば僕はムカつくのか、どうすればムカつかずに済むのか、それを正確に把握したいのではないだろうか。
自分を制御できる大人になりたくて、敢えて訓練のつもりでそうしているのかもしれない。
幸い、この世の中には僕より賢くて攻撃的な人がたくさんいる。そういう人達のエントリを読むと、劣等感を刺激されてムカつきまくって頭がカーッと熱くなってくる。そういう時が――筋肉の使いすぎで筋肉痛になるように、頭の使いすぎで知恵熱を出したりうするように、もしかしたら心が疲れきった後、傷ついた箇所を強化補修するために脳汁がドバドバ出るかも知れない。それで成長できるかもしれない。
そんなことを考えてみているのだけれども。