Jan 19, 2006

脱ヲタとQOD

大人の脱オタは、若者のそれと比べ、ローリスク・ローリターンである!を見て。なお、以下の文脈では「脱ヲタ」を主に服装・概観面での向上の意で用いている。

  • 学生での脱ヲタは、資金の問題と、失敗時に周囲から注がれる軽蔑の視線の厳しさ、そこから逃れる方法がないことから、リスクが非常に高い。
  • 社会人になってからなら、資金の問題はクリアされ、失敗時の周囲の目も厳しくなくなる。失敗してもほとんど気にされない。もし何かあっても、自分の都合で転職するなどして視線から逃れられる。
  • だが、それは同時に、社会人になってからは、脱ヲタ成功してもほとんど気にされないということでもある。成功してもほとんど報われない。
  • 学生時代であれば、成功時のリターンが非常に大きい。

以上のような理由から、Masao氏は「若いうちの脱ヲタはハイリスク・ハイリターン、歳をとってからの脱ヲタはローリスク・ローリターンである」と述べている。

つまり、歳くったら脱ヲタなんてやってもムダ。

確かに言われてみればそれが世の中の事実なのだろう。脱ヲタしたがっている僕のような人間は常々、脱ヲタしさえすれば薔薇色の未来が開けると思っているが、実はそんなものは最初から無い、あってももう永遠に手に入らないようになってしまっている、既に手遅れの状態なのだろう。

僕らは、いや、僕は、脱ヲタが、閉塞した現状を打ち砕き、一度は死んでしまった心を生き返らせる唯一の手段だと無邪気に信じてしまっている。救いを求めてすがりついている。手遅れだと認めてしまえば、絶対に手に入らないと認めてしまえば、希望を失う。脱ヲタを諦める者が臆病者であるなら、脱ヲタを希望する者は、永遠に手に入るはずのない喪われた青春の幻影を追い求めて彷徨い歩く夢想者でしかない。

ファッションに興味を持ち、それを趣味として楽しめるようになるのなら、歳くってからの脱ヲタも、QOL(Quality Of Life:生活の質)の向上にはなるだろう。だが、ファッションを趣味として楽しむつもりの無い人間にとっては、QOD(Quality Of Death:死の質)の向上にしかならないのかもしれない。

まあ、僕は淡々と自分のQODを向上することに努めるのみです。

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