May 06, 2006

モテないと分かっていて敢えてその趣味を選ぶ?

モテないとわかっていて、あえてオタク趣味を選択した?そんな人いるん?というエントリの内容に涙涙。そうだよまったくそのとおりなんだ。天然でモテ趣味のやつはズルいよ。好きでファッションとか好きでサッカーとか好きでバンドとか、そういう人が妬ましくて仕方がない。

趣味の選択基準というのは、二つあるのだと思う。一つは、自分が楽しむためという、趣味本来の価値基準。もう一つは、それが他人からどう見えるのかという、社会的ステータスとしての価値基準。この2つの軸とはつまり、愛と青春と幻想のスクールカーストMAPで示された軸そのものだ。

何か趣味を持っている人というのはきっと、最初はこのグラフの右側にいるのだろう。しかし、思春期を迎え異性との接触を持ちたくなるような段階になって、そして自分の趣味の社会的な地位がどこにあるのかを知り、はたと気付くんだ。「この趣味、このまま続けてて、異性に相手にされるんだろうか?」と。

いや、べつに、趣味でモテなくたっていいんだというのは僕にも分かるんだ。例えば隠れオタクやってる腐女子な人達なら、自分が好きでやってる趣味とは別に、モテるためにオシャレという努力をしているわけだし。

ただ、僕らのような消極的保守的人間は、そんな逞しさも先見性も持っていないんだ。「別のことに手を出すのはなんだか怖いし、お金や時間ももったいないし……」とか「これを続けていればそのうち素敵な人が現れるかもしれないし……」とか、何かと理由を付けて、変化を拒もうとする。無価値な「自分らしさ」にしがみつこうとする。

いや、自分らしさにこだわること、それ自体は、悪いことではないのかもしれない。むしろ、人の目を気にして確たる自分を持てないことの方が恐ろしいことかもしれない。

となると結局のところ全ては、最初の選択で一体何に興味を持つか、どの興味について「引き返せないところ」まで進めるのか、という、至極手遅れのお話になってしまうわけで。

「非モテになっちまった人、ご愁傷様。あんたらは残りの一生、地を這い回りなさい。そして一般人を上目遣いで眺め続けるんだ。」――そんな言葉が聞こえてくる。嫌だ、聞きたくない! と、耳を塞いで悶え苦しむ僕なのです。

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