Jan 04, 2006

脱オタクできない心の弱さと、脱オタクし辛く感じさせる世間

ケースバイケースというエントリにおいて三宅氏は、敷居が高いという言葉に、非オシャレの一連の問題(オシャレの技能も知識も身に着けることなくここまで生きてきて、世間一般の水準から著しく劣っており、且つ、その後れを取り戻すことができない問題)をまとめている。

敷居が高いという言葉は、昨今では「店主が高い敷居をおっ立てているせいで客が足を踏み入れられない」という意味で用いられることが多いけれども、元々には「客がその店の敷居を勝手に高く感じてしまっているせいで、店に足を踏み入れられない」というニュアンスの表現であるという。そういう意味で、このまとめは非常に的確であるように思う。

ただ、敷居が高いと感じない人はそもそも、こんな問題で悩みはしないのだろう。誰の助けも借りず自力で「脱オタク」を果たすことのできるような人についてまで、救済措置を考える必要は無い。問題は、脱オタクを望みながらも、自ら高く築き上げてしまった敷居を自分一人では乗り越えることのできない、心の弱い人間がいるということだ。

その、敷居を乗り越えられない心の弱さを責めるべきか。自ら敷居を高く積み上げてしまう心の弱さを責めるべきか。それとも、彼に敷居を高く積み上げさせてしまう世間を責めるべきか。

3番目の視点のように世間に問題の原因を見出す考え方は「マトモな大人」からは忌避されがちであるように思うが、そこで思考停止するのもどうかと思う。

化粧品ブランドのダヴは、リアルビューティをキャッチフレーズにして、世界的に広告展開を行っている。今ではもう当り前になっているかもしれないが、この広告展開が始まった頃、いわゆる不美人がTVの画面に大写しにされて、「なぜTVの画面の中でまでブサイクを見なきゃならんのだ」と面食らった視聴者は多いのではないだろうか。誰もがTVCMに映るモデルや女優のように完璧な美しさを目指さなくてはならない、という歪んだ強迫観念がメディアを通じて流布されることで、化粧品業界自身が自ら首を絞めているのではないか、もっと多様で緩い「美しさ」が認められるべきではないのか、というある種の反省がこの広告戦略の裏にはあるのだと、物の話に聞いたことがある。

だからファッション業界全体も……と、この一事をとりあげて言うのはもちろん乱暴な話だが、頭を柔らかくしてみる材料にはなるのではないだろうかとは思う。

エントリを編集します。

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