Jan 28, 2006

素材を生かすとか殺すとか

におわない納豆料理は、ニオイという納豆の特徴的な良さを排除つまり「素材を殺して」いるのか、それとも、ニオイによって殺されていた納豆の他の良さを引き出して「素材を生かして」いるのか?

そこは表現次第、受けとる人次第ではある。ただ、世間一般では、納豆の良さはニオイではなく味や栄養価の部分にあって、ニオイは大事な要素ではないとされている。だから納豆のニオイを消すことは世間一般では良いこととされる。

でもそれは、そんな世の中の風潮は、臭う納豆が大好きで納豆の真価はニオイにこそあると思っている人には、耐え難いものだろう。あるいは、納豆は食べるのではなく他の使い方をするのがベストだ、とか、納豆は見て楽しむものだ、とかそういう価値観の人であれば、食べるために納豆をあれこれするということ自体がもう我慢ならないことだろう。

「俺は納豆を食うという価値観に世の中が無条件に染められていることに納得がいかんのだ。食うためにどうこうするという価値観を誰彼構わず押しつけることが許せんのだ。食えない納豆は存在を否定され、食えない納豆を好む人間も排除されるという世の中が許せんのだ。」

hazama-hazama氏の発言の意図はそういうことではないかと、僕は見ているのだが、どうだろう。外していたらツッコミを入れて誤解を解いてほしいんだけど。

エントリを編集します。

wikieditish message: Ready to edit this entry.











拡張機能