Nov 28, 2006

左翼は本質的にダサくて醜く、右翼は本質的に美しくてカッコイイ、という仮説。

美しさを追求するという事は、醜さを排除するということであり、差別するということだ。差別を認めないということは、醜さを容認するということであり、美しさの追求を放棄するということだ。

ということは、差別を容認・推奨する右翼は美しくて格好良くなり、差別を否定する左翼はダサくて醜くなるのではないだろうか。美しくて格好良いものは右翼的であり、ダサくて醜い物は左翼的なのではないだろうか。

――という暴論を思いついてみた。

一般的な美意識とは、「不自然」なものなのではないだろうか

一般的に、人は「調和」や「対称」、「黄金比」のように、「整った」ものを美しいと感じる。美術の平面構成、音楽のリズムや和音などがその代表例だろう。

その逆は「ノイズ」、法則性の無い雑多な状態で、多くの人はこれを醜悪と感じる。雑音を長時間聞くことは苦痛だし、デタラメな色の組み合わせで服をコーディネートしている人はファッションセンスの無さを笑われる。

全く逆の価値観を持つ人もいることはいて、例えば音楽ではその名のとおりノイズミュージックというジャンルもある。リズムも和音も全く無視した、普通の人にはただの雑音にしか聞こえないものを、音楽として愛好する人たちは確実にいる。ただ、それらの「音楽」がチャートの上位を占める事はまず無く、実際にチャートの上位にいるのはパターン化された音楽を再生産するポップスであるということからも、「整ったものが美しく、雑多なものは醜い」という価値観の方が「整ったものは醜く、雑多なものが美しい」という価値観よりも優勢である事は、疑いようのない事実だろう。

ところがそのようなヒトの美意識に反して、「自然」は雑多なものであふれている。エントロピー増大の法則に則って、整ったものはいずれ形を失い、雑多な状態に逆戻りしていく。黄金比も、細胞がフィボナッチ数列に近い形で分裂・増殖するためにもたらされるものに過ぎず、生命活動というごく一時的であやふやな物の中に現れる法則性でしかない。生命活動の終了と同時に黄金比の状態は失われ、美しくない状態にだんだんと近づいていく。

一時的にどれか一つだけの種の生物が大増殖して、他の種を圧倒する事は、ある。しかし一つの種だけですべてが統一されるという事は、不自然な状態である。それは一時的なものに過ぎず、餌の不足などから激減が起こって、いずれは他の種と共存するような個体数に落ち着いていく。「自然」な状態は、雑多なのであろう。

人もまた放っておくと、人種差別や異端の排除などに走りやすい。しかし、世界が完全に一つの人種で占められた状態とは、自然的でない、不健康な状態であろう。自然的で健康な状態であれば、黒人や白人や黄色人種といった人種の間では交配がどんどん進み、人種の境目は曖昧になっていくだろう。

美しい状態は「自然」的でなく(つまり「不自然」で)一時的なものであり、醜い状態の方が「自然」的で永遠に近い、ということが言えるのではないだろうか。

ヒトは本能的に「自然」に反したもの=あやふやなもの=生命、生を求め、「自然」に即したもの=確固たるもの=生命の終了、死を忌避するということが言えるのではないだろうか。

自然的でない状態に落ち着こうとする右翼、自然的な状態に落ち着こうとする左翼

iwatam氏の「コミュニティの崩壊」というコラムにあった、右翼と左翼の性質の違いに関する下りを読んで、僕は以下のような理解をした。「右翼は敵と味方をはっきり分ける。絶対に分かり合えない者がいると考え、そういう者を排除する。」「左翼は全ての者が「味方」だと考える。あらゆる人は話せば分かり合えるはずだと考え、絶対に分かり合えない相手が存在する可能性を否定する。」

美しさを追求するという事は、醜さを排除するということだ。美と醜、敵と味方をはっきりと分ける、これは右翼の思想とは言えないだろうか。

そしてその逆に、左翼の思想は、敵の排除の否定、醜さの排除の否定、美しさの追及の否定とは言えないだろうか。「あらゆる者と分かり合えるはずだ」とするならば、美しいものだけを尊び醜いものを排除することは許されなくなる。

ということはつまり、「左翼はダサくて醜く、右翼は美しくてカッコイイ」ということが、言えるのではないだろうか。

どこかの将軍様がダサい服に身を包み不細工で格好悪く、旧帝国軍人がカイゼルひげをピシッと固めて美しい装飾の施された軍服に身を包むのは、実はそういうことなのではないだろうか。

さらに言えば、そのような右翼の思想は、ヒトが本能的に求めるものなのではないだろうか。人を生かし続けようとする思想なのではないだろうか。逆に、左翼の思想は、ヒトが本能的に忌避するものなのではないだろうか。人を死に導こうとする思想なのではないだろうか。

だから、放っておいたら人は右翼に走るのではないだろうか。生き延びるために。死から逃れたいがために。

そんなことを、そういえば街中で僕が美しいと感じる風景は右翼がかった人達が好きそうな場所(神社とか)が多いよなあと気が付いて、あとそういえば安倍首相は「美しい国」って言葉が好きだよなーとかいうこともちょっと思い出したりなんかして、右翼と左翼の性質の話と結びつけて、こじつけと曲解を重ねて長々と妄想してみた。

ああ、そうさ、分かっているさ、多分根底の部分に大穴が空いてるデタラメの暴論なんだけど、こういう事も語ってみたかったのさ。

エントリを編集します。

wikieditish message: Ready to edit this entry.











拡張機能