Jan 22, 2008

何でそんな風に考えたのか

北極だか南極だかから白毛の熊さんがやってきそうなので今のうちに自分で芽を刈っておく。

やりたいこととやってみたいことの違いの話を見てこういうことを脊髄反射的に書いたのは、冒頭に書いている自分の恋愛関係の悩みというか自分で自信を持てずにいて自己欺瞞で凌いできている部分について痛い所を突かれたからに他ならないと思う。仕事の事だのなんだのは後付に過ぎないと思う。つまり、僕は、自分自身が今の関係についてただの「やってみたい」の域を出ない程度の思いしか抱いていなかった可能性を自覚しており、その可能性が少なくないということも自覚しており、そうであるはずがないと信じたがっていて、あるいは、そうであったとしてもその先には望ましい未来があるはずだと信じたがっている、という事だと思う。自分のした選択が間違いではなかった「ということにしたい」がために一生懸命正当化しようとした悪あがきの結果が、こういうことなんだろう。

最初から遠距離のような状態で、今は今で本当に遠距離で、10ヶ月くらい声も聞いてないなんて状態が普通にあったりして、本当に相性が「合う」のか「合わない」のかのすり合わせもせず(できず)、気がついてみれば、もう四捨五入すれば30になってしまうという歳になった。「合わない」があったとしてもそれを乗り越えられるようなエネルギーもなくなって、僕自身が子供じみた恋愛しかできようができまいが、もう今更引き返せない、リセットできない、そう思っている。有名なニートの人の言を借りるなら、あれだ。「引き返したら負けかなと思ってる」みたいな。

でもそう思うのは「引き返した・リセットした」ことがないからでしかないのかもしれないなと思う。やってみたら案外たいしたことないのかも。今の僕より上の歳でくっついたり離れたり、やり直したりやり直せなかったり、そういう人だって一杯いるのだから、僕ごときが「もう今更やり直せない」なんて思うのはおこがましいにも程があるというのは、考えるまでもないことだ。

逃げてるんだな、向き合うことから。

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