May 08, 2006

懲罰的損害賠償

米トヨタ社長元秘書、セクハラ訴訟の妥当性 - 悪徳不動産屋の独り言で紹介されているような、対企業の訴訟でとんでもない額の賠償金になるというアメリカでのケース。これは、懲罰的損害賠償という仕組みによって起こることなのだそうだ。

「賠償金」というのは基本的に被害者の受けた損害を補填するためのものなのだけれども、そこに懲罰の意味合いを持たせるのが、懲罰的損害賠償という仕組みの要点だそうだ。だから、賠償額はそれを支払う人にどれだけ金銭的にダメージを与えられるかという観点から決定されることになる。対企業で莫大な額になるのは、それだけの額を取らないと懲罰にならないからだ。

懲罰的損害賠償には、良いところもあれば悪いところもある。

例えば罰金何円といった風に法で決まっている懲罰の額が、加害者にとって屁でもない額であった場合、儲けの額の方が大きければ、加害者は平気で法を犯せることになる。そういうケースでは、柔軟性に欠ける法で縛るよりも、柔軟性の高い懲罰的損害賠償の制度に基づいて懲罰を与えた方が手っ取り早いわけだ。映画「訴訟」は、実際に起こったこのようなケースの事件を題材にして作られている。映画を見てみれば分かるけれども、このような制度の必要性は全面的には否定できないだろう。

しかしその結果アメリカでは、金銭目的で企業相手に訴訟を起こすということが常態化してしまっている。これはアメリカにおける懲罰的損害賠償制度の負の側面と言える。

で、何が言いたいかというと、制度が違う以上アメリカではこれが「妥当な賠償額」なんですよ、と。腹を立てるなら向こうの法体系そのものに腹を立てないといかんですよ、と。

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