Nov 13, 2005

逃げ場

非モテと共同体より。

ここまで書いておいて何なんですけど、今の非モテの人の特徴というのは、「ルサンチマンを苗床にして右や左の政治思想に傾倒、あるいは宗教にハマる」という行動を取らないところじゃないかと。これがオウム以前だったら宗教に救いを求めたり、学生運動華やかなりし時代だったら左翼に身を投じていたのかもしれない。つまり、どんな時代にも非モテはいた。「恋愛でつながれないから思想(or信仰)でつながりたい」とか、「俺が正当に評価されない(モテない)のは社会が悪いせい。だったら思想で世の中を変えてやる」とかね。
今はそれらがどれもこれも信用ならないってことがわかってしまって受け皿がなくなってるんですね。それで信じるに足るものが見つからず迷走してるのが今日の非モテの状況じゃないかと思ったりもします。

あ、これ凄く納得。なぜなら少なくとも自分はそういうところがある。「Web標準」とか「オープンソース」とか「Firefox」とかその辺に傾倒してる動機のいくらかは、単なる反体制的感情、というかルサンチマンに基づいてる。

そういう感情に基づいてベタボメしてた物が、実は冷静に見たらそんなにいいものでもなかったと気付いたとき、結構ショックを受けるものだ。それでもなお自分で目を瞑って耳を塞いですがり続けるか、別のすがりつく先を探すか。どっちにしても、現状から目を背けてることに変わりはないんだよな。

そういう社会的な逃げ場がもう残されていないから、もっと小規模な、個人的な逃げ場、何があっても絶対自分を見捨てないでいてくれる人、そういうものを僕は求めるのかも知れない。

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