Oct 08, 2007
スポーツとか音楽とかをやってる人になりたいと思った理由
「もし人生やり直せるならどうしたい?」と問われて深く考えずに「スポーツとか音楽とかやってる人になりたいかも」と答えたんだけれども、なぜそう答えたのかその時はよく分からなかった。そっちの方がモテそうだからか? とも思ったけど、スポーツや音楽やっててモテない人もいるしなあ。
とかなんとかモヤモヤしてた時に、B'z(松本孝弘)のギタープレイの完コピに挑戦してる人の映像(ニコ動)とフェルナンド宮田という人のギタープレイの映像(ニコ動)を見て、なぜそう答えたのかの理由が分かった。
スポーツも音楽も、ライブが一番映えるものだからだ。
プログラムも絵も、時間をかければかけるほど作品の質を高められる。ハッキリ言えば、天才じゃなくてもただのボンクラでも、時間さえあればいいものが作れる。無限アンドゥでどこまでも工程を戻せるし、バックアップだって取っておける。やる気が尽きたらやる気が戻るまで作業を中断することもできる。だから素人目には、ただのボンクラが時間をかけて作ったものと、天才がサクッと作ったものとの、見分けは付かない。同人作家が11時間で描く絵(ニコ動)も、もっと短い時間で、あるいはもっと長い時間をかけて、同じようなクオリティのものを作ることができて、それらを素人の目で区別することは極めて困難だ。
でもライブは違う。ライブパフォーマンスは一瞬の煌めきだ。やり直しも作り込みもきかないから、その時その場で出せる実力が、その時その場でできるパフォーマンスの質のすべてを決定づける。そしてその良し悪しは素人目にもはっきりと分かる。
綺麗な絵を作るのに絵の実力は必ずしも必要ないけれども、華麗なギターソロを演奏するにはギタープレイの実力がなければどうにもならない。
じゃあDTMはその考え方だと駄目ってことにならないか? という風にツッコまれるかもしれないけど、確かに、僕は心のどこかでDTMをライブよりも一段下に見ているかもしれない。
あと、よくよく考えてみれば、世の中には、ライブで絵を描くことで高い評価を得る人もいるんだよね。ボブとか。こないだのMozilla 24でも、生でプログラムを書くライブコーディングというイベントをやってたし。
つまるところ僕がスポーツや音楽をやってる人になりたいと思ったというのは、自分にライブで素晴らしい絵や素晴らしいプログラムを作る実力がないこと、それだけの修練を積むことを忌避してきたという事実から目を背けて、自分が今まで手を出したことのない分野だから自分にも可能性があるに違いないと安直にも思い込んで、「俺だって一度やる気を出しさえすりゃあそんな事造作もないことなんだぜ」とくだを巻き、実際にはその「やる気を出しさえすりゃあ」ができなかったからこそ今この地位に甘んじているんだということに気付こうともしない、そんなドリーマーなボンクラの世迷い言にすぎなかったと。
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