Jun 23, 2007

Mozillaとかcairoとか

最近では、自分が仮に間違ったことを書いていたとしても、今まで埋もれていた正しい情報が、僕程度の頭でも理解できそうなわかりやすい形に翻訳され要約されこのようにして出てきて、僕を経由してより多くの人の目に触れるのであれば、それも一つの社会貢献であろう、と思うようにしています。

KENZさんのエントリを読むと、現状採用しているMozilla自前の描画ライブラリのGFXは、現在のcairoの不完全さなんか比較にならないくらい激しく腐っていて、他の部分で色々困ってる、と。cairoへの切り替えによって得られるメリットは、切り替え中の混乱や一時的な後退(regression)とは比べ物にならん程にでかいよ、と。そして機能的にもライセンス的にも現実的な選択肢に挙げられるのはcairoしかないんだよ、と。

僕は実際の所はcairoとかlibartとかGDI+とかの違いがコードに表れてくるような部分はさっぱり分からんので、今の描画周りがどれだけウンコでどうしようもなくて忌み嫌われてるか、というのは、どうもピンとこない。自分が理解できるレイヤでは、確かにいくつか描画周りが原因っぽい問題に遭遇はするものの、それが致命的なまでに他の部分の足を引っ張りまくっているとまでは認識していない。なので、コアの開発者がそこンとこの問題でよっぽど困っていて、cairoの恩恵が計り知れない程であるというのなら、これ以上は素人の僕ごときが口を挟むんじゃあないよ、ということになる。

ただ、反論というか、疑問に思った点もある。

cairoの採用は、歴史としがらみと難解なバグを含んだgfxという古いグラフィック抽象化レイヤを窓から投げ捨て、これからの10年を見据えてベクトルベースのグラフィック抽象化レイヤに移行するものです。

確かに、Geckoの最初のバージョンが世に出てからもう10年が経とうとしてる(もう経った?)のだから、逆にこの先の10年を見据えようという考えが出てくるのは当然だと思う。10年前の物に足を引っ張られて今困っている、本当だったらもっと前に乗り換えるべきだったけど色々あって今のこのタイミングになってしまった、ということなんだと思っている。

でも僕には、「PCのデスクトップ環境で、スクリーンメディアで」今後10年というのは、あまりに「世のPC環境は今とそう変わらないはずだ」と楽観視しすぎてはいないか? と感じられる。Operaが各方面のモバイル機器に進出し、AppleもiPhoneでモバイルにOS Xを持ち込んできていて、これから先ますます、「PCのデスクトップ環境且つスクリーンメディア」というMozillaがターゲッティングしている分野の重要度は下がっていくんじゃないか、と思えてならない(このへんはtakenさんの受け売り)。

つまり要約すると、「これからの10年を見据えて行っている膨大な作業は、数年も経たないうちに、陳腐化してしまうのではないか?」と僕は心配してるということ。世間の技術者のニーズもエンドユーザのニーズも、MozillaがGeckoの作り直しのために考えている期間よりももっと短いスパンで移り変わっていくのではないだろうか、それだったらクローズドだろうとなんだろうと「今すぐ使えて」「あと数年は使えそうで」「既に十分使えるレベルになっている」技術の方が重宝されて、Mozillaはますます見放されていくんじゃないだろうか、そんなことを僕は心配している。

エントリを編集します。

wikieditish message: Ready to edit this entry.











拡張機能