Dec 28, 2006
Firefoxと僕
前のエントリの続き。
Ez SidebarのリリースをもってFirebirdに乗り換えたのが2003年7月のことなんだけど、これから後はもうあんまり書くことが無かったりする。特に波乱も無かったし。
とりあえず時間軸だけ追っかけて見てみると、Netscapeの凋落とは対照的に、2004年11月にはFirefox 1.0がリリース、翌2005年にFirefox 1.5、2006年にFirefox 2、という感じで、メインストリームが「Firefox」になってからはMozillaも順調に発展してきてて、かつての下積み時代を思い出すと感慨深い物があります。
この発展の蔭には、Googleの存在があったことも否めないでしょうね。っていうかGoogleあってのFirefoxってのが実情何じゃなかろうか。
Phoenixの最初に出たバージョンから既に開発チームはMac OS XのGUIをメチャクチャ意識してたみたいで、ツールバーのカスタマイズ方法やSpotlight検索に見立てた検索バーがウィンドウ右上に付いてたことなどからそれが窺えるんだけど、ともかくPhoenixから取り入れられたこの検索バーからの広告収入が、後々Mozillaに大きな影響を与えることになった。金にならないのがほとんどなオープンソース界隈でMozillaが飛び抜けて成功してるのは、Googleとのある意味で二人三脚的な発展があったからこそなんじゃないかなあ、と思う。
それとどのくらいからかぶってるのかもよく知らんけど、Netscapeの撤退とMozilla Foundationの設立、そしてMozilla JapanにMozilla Corporationの設立と、プロダクトそのものよりも開発母体や配布元の方がこの時期は色々動いてた。FirebirdがFirefoxに名を変えてから以降は組織面での変化の方が大きかったと言えるかもしれない。
組織面で忘れてはいけないのがもじら組。僕も最初の頃は色々お世話になっていました……でも事前の情報なしにいきなりMozilla FoundationやMozilla Corporationが設立されて、ロゴや名前の使用を権利で保護するようになってから、もじら組の影はだんだん薄くなっていった気がする。外部の人間としては「まあ、そういう時代でもなくなったのかな」と思ってはいるんだけど、ちょっと寂しいものもある。想像するに、多分も組のコアでずっとやってきてた人は、あんまりいい気持ちしなかったんじゃないかなあ、と。Seamonkey相手に拡張機能を色々作ってたらPhoenixが登場してきて評判とかオイシイ所だけかっさらっていかれた!といういまいち面白くない体験がある僕としては、彼らがそんな風に感じててもおかしくないと思ってるから。
Mozillaプロジェクトの話から離れてみると、2004年4月のふぉくす子誕生は大きなトピックだったかもと思う。inugamixさんによるラブリーなキャラデザインに惚れ込んで、翌2005年8月発売号のネトラン(ふぉくす子フィギュア付き)も当然ゲット。その冬には人を集めて同人誌まで作っちゃいましたよ。
そのもえじら組なんですが、31日の出展に向けて現在鋭意コピー本を制作中であります。間に合うかどうかほんとギリギリのタイミングになってしまったんで、アレなんですが……とりあえず、その、「頑張ります」としか言えないです……
同人とか萌えとかといえば、夏にはメイドさんがCD-ROM配布なんかしてましたね。してましたねっていうか、僕も一緒になって配りまくってましたが。その時の活動から今日までを振り返ってみて、MJのプロモーションってスベりまくってるなあーと、思ってしまった。本家Spread Firefoxは新聞広告の費用を集めたりFirefox Flicksでプロの映像作家からも投稿があったりとそれなりに成功をおさめてた風なのと比べると、なんだかなーと脱力してしまいます。でもMJのせいだけにするのもどうかと思うわけで。日本人の民族性みたいなのもその背景にはあるのかもなあ、と、思う僕なのでした。
とりとめがないけどそんなとこ。
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