Jun 21, 2007

Just for Fun

グダグダ書いた後また考えてたんだけど。前書いたことの繰り返しなんだけど。

ビジョンが無いとか、時代の流れが見えてないとか、そんな事でこの先生き残っていけるのかよとか、こんな事でシェアが増えるのかよとか、色々思うんだけどさ。押しつけがましい要望なんすよね、全部。

以前、もえじら組の最初の本を出す前後、哀さん(留学してビジネススクールに行き、今は帰国して起業のための準備をしている)に、何でもっと確実に売れる戦略を練らない? とか、何でもっとプロモーションに力を入れない? とか、そんな事で売り上げを確保できると思ってるのか? とか、そんな風に色々言われた気がする。言われなかった気もするけど、言われた言葉を僕はそう受け止めていたってことで。彼に学ぶ所は大きかったけど、でもその言葉にそのまま従おうという気にはどうしてもなれなかった。

自分が楽しんだ結果としていい本になって、その本が売れるとしたら、それは当然嬉しい。楽しくない辛い宣伝活動をやったあと、たくさん売れたとしたら、それも多分、その時になってみれば嬉しいんだと思う。でも、それはやりたくなかった。たくさん売れた結果の幸せじゃあなく、僕が欲しかったのは多分、楽しく活動した結果の幸せだったんだと思う。他の方法で得る他の幸せには、興味がなかったんじゃないかと思う。仮に自分が楽しんだ結果、自己満足に終わって全然本が売れなかったとしても、それで僕は良かったのかもしれない。「ああ楽しかった」ですべて丸く収まったのかもしれない。ああすればよかった、こうすればもっと売れただろう、そんな風に「反省」するかもしれないけれども、「でも、面白かったよね」で納得してしまっていたのかもしれない。そして、それで良かったんだと僕は今でも思ってる。

翻って今のMozillaを見てみると、冒頭に書いたとおり、「ああすればもっとシェアを獲れるのに」「ああしないと生き残れないのに」と、色々思う所はある。けれども、でも、もしかしたら今Mozillaにコミットしてるコアの人達は、案外、仮にMozillaがITの未来から消え去ったとしても、「でも、面白かったよね」で許してしまえるのかもしれない。楽しく活動して作りたい物作って、その結果それが世間から受け入れられなかったとしても、分かってくれる人が一人でもいれば――もしかしたら一人もいなかったとしても――それでもう、満足なのかもしれない。

ある意味、それは、雑念に囚われない悟りの境地なのかもしれない。

Just for Funって、そういう事なんじゃないだろうか。僕はそう感じている。

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