Sep 12, 2005

幸せに生きたい

明治セックル維新 新政府御性文帖モテ・非モテ話から離れて - おれはおまえのパパじゃない私のことをお話しします - Rivers and Bridges

不謹慎だけれども、人の不幸を見て初めて、自分がいかに恵まれているかということが分かる。また、これを見てまだ自分の方が不幸だと言えるほどには面の皮は厚くない。

僕はもう、負い目に感じたくない。幸せであることは幸せなのだと正直に感じたい。僕は僕の人生を幸せに生きたい。今までは、誰かを不幸にしてはいけないから(狭義の)自分が幸せになってはいけないような気がしていた、いつも負い目に感じなくては許されないような気がしていた。今になってやっと、正直にこれを言えるようになった気がする。「僕は、他人を不幸にしても、(狭義の)自分が幸せになりたい。」

幸せを願うことが、これほど残酷なことだとは。

いくら広義の自分の幸せを願ったところで、狭義の自分の幸せを、広義の自分は望んでくれない。なんということのない個人は世間からそれほど愛されないことを僕は知っている。自己欺瞞で必死に目をそらしていても、ふと冷静になったら、そのことに気がついてしまう。そういうときに「燃料切れ」になる

恋愛の話に派生

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